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バラバラ女  作者: ノコギリマン
バラバラ女
24/42

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「だから言っただろ、病院にいた方がいいって!」


 病院に着くなり、ワチコが喚き散らした。

 まだ興奮冷めやらない慎吾は、鼻息の荒いままマットに崩れ落ちた。


「……なんなんだよ、あのおっさん」


 ベッドに座ってつぶやく直人の膝が、筋肉疲労からなのか恐怖からなのか分からなかったが、笑っていた。


「で、でも大丈夫かな、ミオカさん」

「なんか分からないけど、あんなオッサンのこと心配しなくていいよ。あれは、あいつは変質者だな。目がおかしかった。お前も見たろ、あの目?」

「う、うん。おかしかった」

「罰だよ、『失恋大樹』の!」

「まだそんなこと言ってるのかよ。くだらねえ!」

「バカ、お前ひとりだったら、なにをされてたか分からないぞ。きっとこのままじゃあ、まだまだなにかが起きるんだよ。お前、このままだったら死んじゃうかもしれないぞ」

「……だからウソだって」


 直人の声が、心なし小さく聞こえた。きっと頭では『失恋大樹』のことを否定しながら、心の奥底では、それが本当のことなのかもしれないと怯えているのだ。


「直人さ、名前を書いた犯人、分かってるんでしょ?」

「うん」

「じゃあさ、その犯人に、彫った名前に×印をつけさせようよ」

「そうだよ、デブの言うとおりだよ。今日、ていうか、今すぐにやった方がいいって」

「……分かったよ」

 立ち上がった直人は、深呼吸を一つして、ゆっくりと、


「でもさ、まだ完全に犯人かどうか分からないからさ、作戦を立てなきゃな」


 と、言った。


「作戦?」

「ああ」


 ワチコに耳打ちをする直人。その声は聞こえなかったが、みるみるうちに変わるワチコの表情から察するに、恐らく犯人の正体を教えられているのだろう。


「……分かった。じゃあ、先に行ってるから」

「ああ」


 慎吾を一瞥(いちべつ)して、ワチコが207号室を出ていった。


「ね、ねえぼくにも犯人を教えてよ。それにワチコはどこに行ったの?」

「まだチャーには教えられない」

「なんでさ?」

「なんででも。作戦なんだから、黙っておれについてこいよ」


 真顔の直人には、それ以上なにも聞くことができなかった。


◆◆◆


 命じられるがままに、その使用目的も分からず車イスを押しながら直人のあとを歩く慎吾は、知った場所で立ち止まり、振り返った直人に、なにから聞けばいいのか分からなかった。


「じゃあ、チャーが先に行ってくれよ。おれ、あんまり学と仲良くないし」


 学の家に来るのは久しぶりだったけれど、そんなことより、なにも教えられないままにそのドアを叩くのを躊躇(ちゅうちょ)した。


 学が犯人?

 そんなバカな。


「チャーがなにを言いたいのかは分かってるけどさ、作戦だから、なにも言えないよ」

「分かってる、分かってるよ」


 たぶん犯人が誰かということを聞いてしまったら、その動揺を隠せずに、直人の犯人をあぶり出す作戦に支障が出てしまうのだろう。

 だから知らない方がいい。


 チャイムを鳴らして、インターホン越しに、学のお母さんに遊びに来たことをオドオドとしながら告げると、しばらくしてドアがひらき、学が顔を出した。


「久しぶり!」


 満面に笑みを浮かべた学は、すぐ慎吾のうしろに控える直人の存在に気づき、その表情が見る見る間に、あからさまな渋面に変わった。


「……なんだよ、直人も来てんのかよ」

「いいだろ、ちょっと用事があってさ」

「は?」

「まあ、いいからいいから」


 直人が許可もなく邸内に上がり込む。


「案内してよ、部屋に。みんないるんだろ?」

「みんなってなんだよ?」

「いいからいいから、すぐ帰るって。チャー、上がれよ」


 この家の主人かと錯覚するほどに堂々とした直人に促されて、慎吾も、車イスをそのままにして邸内に上がり込んだ。


 そして、二人の突然の来訪に納得がいかないまま部屋まで案内させられた学は、その中でテレビゲームに興じる、次郎、努、徹に場所を空けさせ、そこへ座るように言った。


「珍しいね、直人が来るなんて」


 去年まで一緒のクラスだった、徹が言う。


「まあ、ちょっと用事があって」


 直人が徹のとなりに腰を下ろして、アグラをかいた。

 そのとなりに座り、直人がどういうつもりでここへ来たのかを考えてみたが、よく分からなかった。


「あ、そういえば知ってる?」


 学が、嬉々として慎吾に言った。


「え、なにを?」

「なんかちょっと前にさ、気持ち悪い女の幽霊が出たんだって」

「ゆ、幽霊?」

「うん、なんかさ、あのビルの所あるじゃん、塾に行くとこ。あそこのビルとビルの隙間に女が立っててさ、なんか質問とかしてくるんだって。なんかいいよな、『妖怪博士 目羅博士』の事件みたいじゃん」

「う、うん。そうだね」


 なんとなく忘れていたが、気づかないうちに、『バラバラ女』のことが噂になっているらしかった。でもまだ誰もその怪物にまつわるハナシを知らないのだ。今、学たちにそのハナシを教えてやるべきなのだろうか? ここへは『失恋大樹』に名前を書き込んだ犯人を捕まえに来た、というのが目的のはず。


 どうすべきか分からずに横目で窺うと、


「おれもそれ、なんとなく聞いたことがあるな。最近の話だから興味がある」


 と、直人がとぼけた。


「へえ。あ、そういうえばチャーたちって『のいず川のドクロネズミ』とか探してたりしてたんだろ。だったらさ、その謎の女の幽霊も探してみれば?」

「う、うん、分かった」


 なんとか話をはぐらかしながら、「その女の幽霊は、実は奈緒子なんだよ」と言いたい衝動に駆られかけた慎吾は、ひとつ咳払いをして、直人に、


「ねえ、早く用事をすませようよ」


 と、額の汗を拭いながら言った。


「うん、そうだな」


 直人がおもむろに、ゲームコントローラーを手にテレビ画面を食い入るように見つめる次郎の肩を掴んだ。

 それに驚いた次郎が操作を誤って、ゲームオーバーになってしまった。


「な、なんだよ、ビックリするだろ」


 異常に慌てふためく次郎に、


「お前が書いたんだろ?」


 と、唐突に言った直人が、なにを思ったのか、そのまま次郎の胸ぐらを掴んだ。

 急なことに唖然とする周りを一瞥した直人は、口の端を歪めて、


「お前が書いたんだろ!」


 と、もう一度、今度はさっきよりも語気を強めて言った。


「な、なに言ってるんだよ?」

「いいの、ここでぜんぶ言って? 恥ずかしいのはお前だぜ」

「……」


 直人から目を逸らして黙り込む次郎。

 その光景を目の当たりにしながらも、まだ次郎が犯人だなんて信じられなかった。


「そとで話そうか?」


 有無を言わさず次郎を立ち上がらせ、慎吾に松葉杖を持ってくるように指示した直人は、そのまま顔のこわばる次郎を連れて、部屋を出ていった。


 ポカンと口を開く学たちに、「ごめん」とだけ言って、慎吾もそのあとを追う。


 玄関を出ると、車イスに座らされた次郎が、眼前でこれ見よがしに仁王立ちする直人を見上げながら、なにやら抗弁をしていた。


「意味が分かんねえよ。なんなんだよ!」

「だからさ、書いたのはお前だろって言ってんの」

「ね、ねえ直人、なんで次郎なの?」

「おれじゃねえよ! 名前を書く理由なんてないもん!」


 次郎が叫び、今にも泣き出しそうな顔になった。


「おれ、お前に『名前を書いただろ』って一言も言ってねえよ。名前ってなに?」


 直人がいつものイヤな直人に戻っていた。

 その加虐的な笑みに、まだ友だちとして付き合い出す前の嫌悪感がよみがえる。


「そ、それは……」


 言葉に(きゅう)した次郎が、助けを乞うように目を走らせてきたが、さっきからからもう何が何やら分からなくなっている慎吾は、無情にも目を背けてしまった。


「しょ、証拠は? 証拠が無いだろ!」

「なんだっけ、それ。ああ、そうそう開き直りって言うんだぜ、それ」

「開き直ってねえよ!」

「ま、行こうぜ。そこに証拠もあるし」


 次郎が座る車イスを押した直人が、ふと慎吾に笑顔を向けて、神社へと歩き出した。

 松葉杖を抱えた慎吾も、あわててそのあとを追った。


◆◆◆


 神社の石段を無理矢理にのぼらされた次郎は、もうすっかり抵抗する気も失せてうなだれていた。

 そのうしろ姿に、なにを言って良いものか分からない。


「行くぞ」


 直人に尻を蹴り上げられ、ギプスに邪魔されて左足の曲がらない次郎が、よろめく。咄嗟に体を支えた慎吾の手を振り払い、悲しみとも怒りともつかない表情で睨みつけてきた次郎は、すぐに目を逸らして、その足を気にかけながら歩き出した。


「お、どこに行くのか分かってるの?」


 直人が、チクリと次郎を刺す。


「うるせえよ、証拠が無かったら帰るからな」

「はいはい」


 直人がわざとらしくため息を吐いて、次郎の横に並んだ。

 もはや完全に開き直った次郎が、失恋大樹の前で直人と対峙した。


「で、証拠は?」

「まあ、今さら証拠なんか出さなくてもいいとは思うけど、一応ね。チャー、松葉杖」

「あ、うん」


 言われるがまま直人に松葉杖を渡すと、次郎はその意味が分からないという表情を作った。


 慎吾にも、その意味は分からなかった。


「この松葉杖が証拠。お前さ、知ってるかどうか分かんないけど、おれたち、あの日にはもう名前が書かれてるのに気づいてるんだよ」

「な、なんでだよ?」

「まあ、色々とあってね。ワチコが毎日ここに来て名前を確認してたんだよ」

「なんだよ、それ……」

「でさ、あの縁日のときも、まあその時はおれも一緒にいたんだけど、ここに来て名前を確認したんだよ。そしたら名前があった」

「だから、なんでおれが犯人なんだよ、お前の名前を書く理由なんてねえよ!」

「おれの名前とは言ってねえよ、チャーのかもしれないじゃん。まあ、いいや。でさ、あの日ってさ、夕方くらいまで雨が降ってただろ。だから、ここらへんの土が湿ってたんだよ」

「そ、それがなんなんだよ」

「最後まで聞けって。湿ってたからさ、足跡とかがつきやすかったんだな、あの日は。そんでさ、地面をよーく見て気づいたんだけど、土にさ、丸い穴が点々とついてたんだ。たぶん、この松葉杖の跡だと思うんだ」

「バ、バカじゃねえの。そんなのもう残ってないだろ。証拠に無んねえよ」

「でもさ、その跡って、まだ残ってるんだよ」

「え?」


 直人が地面を指さした。

 そこには確かに小さな丸いくぼみが点々とついている。


「これと、この松葉杖の先っぽがピッタリ合ったら、お前が犯人なんじゃねえかな。まあそんなことしなくても、もうお前、いっぱい変なこと言ってるから無駄だけど。どうする? ダメ押しで合わせた方がいい?」


 直人が次郎に詰め寄った。

 追いつめられた次郎は、ついに観念したらしく、深いため息を吐いた。


「……おれが書いたよ、認める」

「やっと認めたかー。ああ、疲れた。ワチコ、もう出てきていいぞ!」


 顔を緩めた直人が、うしろの生け垣に向かって呼びかけ、その声に応えるようにしてワチコが穴から這い出てきた。

 その手には、松葉杖。


「な、なんでワチコまでいるんだよ?」


 目を白黒させながら、次郎が慎吾を見た。

 慎吾もその理由が分からずに、頭を振った。


「ごめんな次郎、その松葉杖の跡、あたしがつけたんだよ」

「なっ…?」

「いやあ、たしかに縁日の時にはあったんだけどさ、消えてたらイヤじゃん。だから先にワチコに行ってもらって、つけさせたんだ」

「ず、ずるいぞ!」

「まあ、でも認めたじゃんお前。それに悪いのは、おれたちじゃなくてお前だろ?」

 次郎の逃げ場をどんどんと潰していく直人に、慎吾は戦慄していた。


「でもさ、卑怯っちゃ卑怯だからさ、お前がなんでおれの名前を書いたのかとかは聞かないよ。×印さえつけてもらえば、もうこのことは誰にも言わないし」

「はい」


 ワチコが、五寸釘を素早く次郎の手に握らせた。

 その冷淡な行為にも戦慄を覚える。


 すっかり観念した次郎が無言で失恋大樹に近寄り、ハッとした顔で直人を見た。


「なんだよ、早くつけろよ」

「いや、コレ……」


 そう呟いた次郎が、目顔でそこを見るように促した。

 三人も失恋大樹に近寄り、その意外すぎる光景に、慎吾は愕然(がくぜん)とした。


 《林直人》の文字の横に、新たな名前が書きこまれていた。


「お、おれじゃないぞ」


 次郎の力ない言葉が、(せみ)時雨(しぐれ)にかき消される。



 そこには、《宮瀨慎吾》という、最も馴染み深い名前が刻み込まれていた。

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