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バラバラ女  作者: ノコギリマン
バラバラ女
23/42

22

 (あか)()びた不気味な金網の前に立った慎吾は、網目越しに見える、乱雑に積み重ねられた廃材の山を眺めながら、本当にここに来て良かったのか、と急に不安になっていた。


 しかし、となりの直人とワチコの横顔を見ていると、ここで、このグループ内での地位を少し上げられるチャンスではないのかという気にもなる。


 奈緒子が戻ってくるまでに、この二人に対等な意見を言えるようになっていたい。


「じゃあ、行くか」


 そう言ったかと思うと、直人がすぐに金網をよじ登り、気づいたときにはもう敷地内へと飛び降りていた。

 その無鉄砲ぶりに一つため息をついたワチコも、慎吾を置いて金網をよじ登り始めた。


「ま、待ってよ」


 慎吾もあわててそのあとを追った。

 思案に暮れているあいだに、また最下層に戻るのはイヤだ。

 せめて、女子であるワチコには勝たなければ。


 不格好に金網をよじ登っているあいだに、ワチコが敷地内に飛び降りてしまった。揺れる贅肉に邪魔されて、まだ半分しか登れていない慎吾を、いつものように二人が笑う。


 恥ずかしさに顔を真っ赤にしながらようやく金網を登りきって、敷地内を見下ろすと、目眩(めまい)がするような高さで、正次と来たときには、金網になぜか空いていた穴をとおり抜けたんだっけ、とふと思い出した。


 だがそんなことを、眼下で笑う二人には言えない。


 意を決して飛び降りると、見事に尻もちをついた。二人の笑い声がさらに大きく耳に響く。気がつけばいつもの二人に戻っていて、それに苛ついた慎吾は、意味もなく、近くに落ちていた拳大(こぶしだい)の石を拾って立ち上がった。


「なんで石なんか拾ってるんだよ」


 直人が、その不自然な行動を見て笑う。


「こ、これはアレだよ、奈緒子の《都市伝説コレクション》にしてもらおうと思ってさ」

「なるほどね」


 言外に皮肉を込めた、直人の言葉。

 表情はすっかりいつものそれに戻っていた。

 だけど、正直その方がやりやすい。


「で、チャーさ、どこにハンマーおじさんはいるの?」

「さあ」

「さあって、デブ、なんだよそれ」 

「だ、だってぼくここに来るの、久しぶりだもん」

「まあ、いいじゃん。探そうぜ」


 直人が歩き出した。そのあとを二人も追う。


 あまり広くない敷地のあちらこちらにうずたかく積み重なった廃材が、迷路のようになっている。そこかしこが死角になり、いつ、どこから『ハンマーおじさん』が飛び出てくるのか分からないという、妄想じみた恐怖が背筋を撫でた。手にジットリとかいた汗が、握ったままの石を濡らしている。


 前を行く直人は、死角になっている場所をのぞき込みながら、なにか面白いことが起きるのを今か今かと待ちわびているようだった。


 左手に石を持ち替えながら、となりのワチコをそれとはなしに見やると、いつもの最凶の笑顔を浮かべながら、彼女もまたキョロキョロとあたりの様子を窺っていた。

 たぶん、直人を守らなきゃいけないというワケの分からない使命感は、頭の片隅に追いやられているのだろう。


 右手を見ると、石についていた土埃が、湿って黒くこびりついていた。


「おい、あれ見ろよ」


 敷地の奥まで来て、なにかを見つけた直人が嬉々として前方を指した。

 見ると、不自然に積み重ねられた廃材があり、それがまるで不格好な小屋のように見えた。おそらく入り口だろう空洞部分の上方から、カーテン状に吊り下げられたブルーシートに、なぜか軽い既視感を覚える。


「行ってみようぜ」

「え、行くの?」

「怖いのかよデブ」

「べ、べつに怖くはないよ」


 直人とワチコの両方ともが、慎吾を見ながら笑っている。

 またバカにされているのが腹立たしくなった慎吾は、二人を押しのけ、


「ぼくが先に行くよ」


 と、鼻息荒く宣言した。

 こういう時こそ勇姿を見せるチャンスだ。

 うしろの二人は無言で、振り向くことが妙にしゃくに障り、慎吾はそのまま小屋へと歩き出した。


 一歩一歩進むたびに、照りつける太陽に水分を奪われた地べたが、土埃を舞い上がらせる。


 手を伸ばせば触れられるほどにブルーシートへ近寄り、しばらく逡巡したあと、勢いよくそれをめくり上げた。


 その中は、生活のニオイがするほどに整い、天井部分の板のそこかしこの隙間から差し込む陽光が、薄暗いながらも小屋の中を照らし出していた。そしてその中央に、ボロボロで、綿が至るところからはみ出した敷き布団だったものがあり、その上で素っ裸の男が呑気にいびきをかいて寝ている。


 意外でありながらマヌケな光景を目にした慎吾は、しばらく呆けてその男を凝視していた。


「ミオカさんじゃん」


 慎吾の肩越しに、中のようすを窺った直人が呟いた。

 そこでようやく我に返った慎吾は振り向いて、ミオカさんのあられもない姿を、目を伏せて見ないようにしているワチコを見やった。


 この状況はどうするべきだろうか?


「んあ?」


 考えあぐねていると、ミオカさんがとぼけた声を出して目を開いた。恥ずかしげもなく股間の毛に手をうずめて掻いている、あまりにも不気味な光景に、顔をしかめて無言で立ち尽くす、直人と慎吾。


 ミオカさんがゆっくりと立ち上がり、


「なんだ、お前ら?」


 と、さほどおどろいた様子もなく、酒臭い息を二人に浴びせかけた。


 たしかに見覚えのあるその男に、なんと言っていいものか分からず、そっと直人の様子を窺うと、信じられないことに満面に笑みを浮かべていた。眼前のミオカさんを、待ちわびた面白いことだとでも思っているのだろうか?


「ねえ、あんたがハンマーおじさんなの?」


 直人がきくと、ミオカさんはその質問がよほどおかしかったのか、呵々(かか)と大きな笑い声を上げた。


「お前らもそう思って来た奴らか。さいきん多くて困ってるんだよな、チキショウめ」


 悪態をつきながら笑うミオカさんを見ているあいだに、すっかり緊張の糸が緩んだ。


 ミオカさんが「暑いんだよなチキショウめ」と言いながら、ゴムの伸びたブリーフを履き、中へ入るよう促した。警戒しつつも、なぜか入らなければいけないような気がした慎吾は、直人のあとに続いて小屋に入った。


「お嬢ちゃんも来なよ」


 酒ヤケのしゃがれ声で、中へ入るのをためらっているワチコに言ったミオカさんは、そのままアグラをかいて、シケモクに火を点けた。

 その煙が、天井に空いた穴から外へと抜け出していく。


 ワチコはようやく中へと入ったが、それでもミオカさんへの警戒を解いていないらしく、慎吾のうしろに隠れるようにして座った。四人いるとさすがに窮屈に感じる。


「なんかなあ、ミオカさんがハンマーおじさんだってのは、つまんねえよな」


 直人が、誰ともなしに呟いた。


「誰も、そうだと言った覚えはねえよ」


 ミオカさんが、シケモクを黄ばんだ陶器製の灰皿に押しつけ、うしろにある、竹竿で適当に作られたギター掛けから、ギターを取り、音程の狂った音色をかき鳴らして、どうだと言わんばかりに、前歯の一本抜けた口をニンマリと歪めた。


「やっぱさ、都市伝説なんて、当てにならないみたいだね」

「おいおい、フトッチョボウイ、それはまちがってるぜ」


 耳を疑うほどのダサいあだ名をつけられた慎吾は、ミオカさんが商店街で唄っている耳障りな曲の詞もまたセンスのかけらもないものだったことを思い出した。


「オトナなのに、都市伝説なんて信じてるんですか?」

「大人もクソもねえよフトッチョボウイ。いいかい、これからいいこと言うから、ちゃんと聞けよ。なんで都市伝説やなんかがあるかというとだな、人間の心が弱くて、そして強いからさ。分かるか?」

「分かんねえよ」

「お、なんだハンサムボウイ、反論するのか、このおれに?」

「ぼ、ぼくも分からないんですけど」

「これだからガキはファックだな。単純なことじゃないかよ。いいか、人がよ、意味の分からない現象に遭遇したらな、それをそのまま放置しておくのが、たまらなく不安になるんだよ。だから人間はそういう噂話、都市伝説を作るんだな。つまり意味づけだ。心がモヤモヤとしたままじゃあ、人間てのは生きていけないもんなんだよ。ここまでは分かるか?」

「は、はい」

「だけどさ、ミオカさん、心が弱くて強いって言ってただろ。どういう意味だよ、後半は?」

「だからまだ話は終わってねえよ。それにしてもハンサムボウイは顔が整ってるのー。お前、女にモテるだろ。おれがテーマ曲を作ってやろうか?」

「いいから話を進めろよ。テーマ曲とかいらないし」

「そうか、もったいないな。おれは気に入った少年にしか曲を作ってやらないんだぜ。まあいいや、あっと、なんだっけ、ああ、そうそう、心が弱いのに心が強いとはこれいかに、だったな。心が弱いからそういう怪談話めいたものができて、みんながそれを心で強く信じることによって、その怪物やら現象やらが本当のことになるわけだな、分かるか?」

「だから、分かんねえよ」

「そうか、まだ分かんないのかよ、チキショウめ。いいか、妖怪っているだろう。あいつらのそもそもってのもな、実のところは、その当時の奴らが解明できない謎とかそういうものに意味づけをしたものなんだな。そしてそれを、当時のチョンマゲ生やしたような奴らが信じたわけよ。一人が信じてもあまり意味はないが、大勢の人間が信じることで、それは現実の世界に生まれ落ちるわけよ」

「バッカじゃねえの。それじゃあさ、河童とか塗り壁とかの妖怪は、みんなが信じたから本当にどっかに存在するようになったってことになるわけ?」

「そうだ、分かってるじゃねえか、ハンサムボウイ」

「だからそのハンサムボウイってのやめろよ。ミオカさんが言いたいことは分かったけどさ、そんな話は信じられないな。だって河童とか見たことないもん」

「まあ、それはあれだな、河童を信じる人間の絶対数が減ってるってことだな。人が強く信じてるっていう事実が、そういう奴らの(かて)になってるんだろうよ。だから昔はいたが、今はもういないってことだな。おれの研究によるとだな、大体、少なくとも二十年以上、言い伝えられるような都市伝説とか怪談話ってのは、この世のどこかで必ず現実のものになってるんだぜ」

「なんの研究だよ。じゃあさ、あの神社にある『失恋大樹』のハナシもさ、昔からあるらしいから本当のことになってるわけ?」

「まあ、どれくらいの人間がそのハナシを信じてるかにもよるが、本当の可能性はあるわな」

「なんかメチャクチャだなあ、ミオカさんの話。まあ、面白かったけど」

「人の信じる心をおれは信じてる。だから昨日も今日も明日も、歌い続けるんだよ、おれは」

「あの下手くそな歌を?」

「うるせえな、あれでも誰かの心には届いてるんだよ、なあ、フトッチョボウイ」

「え、あ、はい」


 いつの日にか聴いた曲の歌詞を思い出そうとしたが、それは徒労に終わった。


「ハンサムボウイよ、おれはお前が気に入ったぞ。こんなに話の分かるヤツは久しぶりだな。おれからのプレゼントとして、お前のテーマ曲を作ってやるよ」

「だからいいって、そんなの」

「まあ、そう言わずによ。お前、名前はなんていうんだよ?」

「……林直人」

「はやしなおと。うん、いいね。『は、や、し、な、お、と、へ』だな。じゃあいくぜ、おれの魂の叫びを聴け!」


 しばらくブツブツと独りごちたあと、深呼吸をしてミオカさんが歌い出した。


 掃き溜めに鶴だね

 やっぱりキミが一番さ

 死ぬほど幸せだよ今

 なんていうのこの気持ち

 おそうこの胸のドキドキ

 とにかくぼくは今キミに

 下手なホントを言いたいんだ


 歌い終えたミオカさんは、その出来を気に入ったらしく、しばらく目をつむったまま小刻みに震えていた。

 そこから涙がこぼれ落ちて頬を伝っている。


 正直あまりにもひどい歌詞に慎吾は笑いそうになっていたが、そのミオカさんの姿に、すぐ不気味なものを感じた。


「なあ、この人アブないよ、帰ろうぜ」


 ワチコがそっと耳打ちをした。

 たしかに少し危ない気がしてきた。

 さすがの直人も無言でその提案に首を縦に振った。


「よかったか?」


 急に言葉を吐いたミオカさんに驚いた慎吾は、大きなゲップをしてしまった。


「あ、あのさ、おれたちもう帰るわ。楽しかったっす。じゃあ」


 直人が、つくろいながら、慎吾とワチコを押しやって小屋をあとにしようとした。


「いやいや、ちょっと待てよ。なおとくんは、今日は泊まっていけばいいじゃねえか。気の済むまで、おれと語り明かそう」


 ミオカさんが直人の腕を掴んで、ワケの分からぬことを言った。


 その目は、笑っていなかった。


「す、すいません、ぼ、ぼくたちこれから用事があるんです」


 慎吾は、勇気を振り絞ってミオカさんにウソを吐いた。


「あ、いいよ、君ら二人は帰ってさ。おれはデブと女には興味がないんだよ」


 言ってる意味がますます分からなくなるミオカさん。

 とてつもない恐怖が、背筋を冷たく撫でていた。


「痛えな、離せよ!」


 腕にきつく食い込んだ手を直人がつねる。

 それを粘着質な笑顔で見ながら、ミオカさんはブリーフの上から自身のイチモツをまさぐった。


「いやあ、いいね、はやしなおと君、気に入ったよ。うん、君たち二人はもう帰っていいよ。邪魔だから」


 ミオカさんの豹変(ひょうへん)ぶりに、戦慄を覚える。


「だから帰れよクソガキ!」


 急にミオカさんが声を荒げて、慎吾とワチコを恫喝(どうかつ)した。

 息が詰まり、額には大量の汗が噴き出ていた。

 大人の怒鳴り声には、子どもを黙らせる効果が十二分にある。


「うるせえ!」


 直人が負けじと声を張り上げ、ミオカさんのむき出しの股間を、膝で思うさま蹴り上げた。


 声にもならない声を上げてミオカさんが崩れ落ちる。


 一瞬のことにあっけにとられた慎吾はどうしていいのかも分からず、次に耳をつんざいた、「逃げろ!」という、直人の声に背を押されて、無我夢中で駆けだしていた。


 前を走るワチコが、なにかにつまずいて転び、その脇を抱えて起き上がらせているあいだに、直人が二人を追い越していった。


 服に着いた汚れを払うこともせず、ワチコもふたたび駆けだした。


 みんながみんなパニックで、人のことなどかまっていられない状況だった。


「待て! クソガキ!」


 背後から聞こえた怒鳴り声に身を震わせながら振り向くと、まだ股間の痛みに顔を歪ませているミオカさんが、ブリーフ一丁のままで内股ぎみに追いかけてきていた。


 その右手に握られたハンマーが、夏の日差しで鈍色に光っている。


「早く!」


 その光景に唖然としていると、今度は直人の怒鳴り声が聞こえた。

 視線を戻すと、すでに金網の向こうがわにいる直人とワチコが、今までに見たこともない恐怖に引きつった顔で、必死に手招きをしていた。


 慎吾は走った。


 ミオカさんを見る余裕すらなく金網にたどり着き、よじ登ろうとして、握ったままの石にはたと気がついた慎吾は、咄嗟に振り向いて、キャッチボールの要領を思い出しながら、まだ少しだけ距離を空けて近づいてくるミオカさんの顔を目がけて、力の限りに投げつけた。


「あぼごぶ!」


 石がミオカさんの鼻にめり込み、奇声を上げてのけ反ったミオカさんが、そのまま地べたへあおむけに倒れた。


 慎吾は、その一部始終を見る余裕すらなく金網を無様によじ上り、そのまま敷地の外へと飛び降りた。


 また尻もちをついたところを直人にかかえ起こされて、網目越しにミオカさんを見やると、ピクリとも動いていなかった。


「だ、大丈夫かな、ミオカさん」

「大丈夫もクソもねえよ! 逃げるぞ!」


 言うが早いか直人が駆けだし、そのあとをワチコが追う。


 慎吾は、まさかミオカさんを殺してしまったんじゃないのかと思いながらも、恐怖に背を押されて小さくなる二人を必死に追いかけた。


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