20
その夕刻、いつもより早い夕飯を済ませた慎吾は、流し台に食器を無雑作に置いて家を出た。
すこしだけ薄暗くなった茜空には、いくつかの細長い雲が棚引いているだけで、あの雨がウソのように上がり、自由研究用に庭の片隅に植えている、すでにしおれかけの向日葵が、心なし元気にそよ風に揺れていた。
慎吾は一つくしゃみをして、神社へと急いだ。
◆◆◆
「遅い! また遅刻!」
三人はすでに神社の石段の下にいて、薄桃色の下地に鈴蘭の柄があしらわれた浴衣に、真っ赤な半巾帯を合わせた出で立ちの奈緒子が、浴衣に合わせた、桃色の鼻緒の黒い下駄をわざとらしく鳴らした。
となりに立つ直人は、黒地に生成りの熨斗文の浴衣に、藍色の角帯を合わせ、茶色の鼻緒の草履を履いていた。
そしてワチコは、いつもとおなじ、Tシャツに短パンという格好。
ワチコと変わらぬ格好の自分が、無性に恥ずかしかった。
「ゴハン食べてたから」
「え、ゴハン食べちゃったの? 焼きそばは?」
縁日では焼きそばを食べるものだと決まっているかのように、奈緒子が唖然とした。
「うん。ぼくあんまりおこずかい無いし」
「いいから行こうぜ。腹が減っちゃって、もう死にそうだよ」
腹をさすりながら、直人がさっさと石段を上がっていく。
そのあとにワチコが続き、人混みをかき分けて直人の横に並んだ。
石段を上がり神社へと抜けると、割と広い境内が人の波でごった返していた。
慎吾は直人とワチコをすぐに見失い、うしろの奈緒子を見やった。
「どうしよう、直人たちいなくなっちゃった」
「どこか食べ物の屋台にいるんじゃない? おなか空いたとか言ってたし」
右に流した前髪を、桃色のヘアピンで止め、うしろ髪を結い上げている奈緒子。いつもとちがう姿にふと見惚れた慎吾は、目と目が合って咄嗟に視線を落とした。
「わたしたちも行こう」
「う、うん。でもぼくもう食べれないよ」
「またまたー」
歩きながら他愛のない話をしていると、屋台の列の中ほどに、焼きそばの屋台が見えた。
「すいませーん、焼きそば二つ」
「はいよ! 二つで千円ね!」
鉢巻きを巻いた威勢の良いオジサンに、白い巾着から取りだした財布から千円札を抜いて手渡し、プラスチック容器に入った二つの焼きそばを嬉しそうにもらう奈緒子。
「そんなに食べるの?」
「そんなわけないじゃん。はい」
はずむ声とともに焼きそばを一つ手渡された慎吾は、それを開けることをためらった。
「どうしたの? 食べなよ」
「うん。でもお金」
「いいよ気にしないで。これはわたしのオゴリだから。ほら、『縁日は焼きそばに始まり、焼きそばに終わる』って言うでしょ」
「聞いたことないよ。二回も食べる気?」
「それくらいの覚悟で参加しろってことでしょ」
縁日に覚悟が必要なのか、と思いながら赤い輪ゴムをはずして容器を開くと、香ばしいソースの香りがどん欲な胃袋を刺激した。奈緒子が容器を開き、割り箸を口に挟んで勢いよく二つに割る。それを真似してみると不格好に割れてしまい、そんなこともできない自分がいつもながらにイヤになった。
「いただきます」
「い、いただきます」
焼きそばを頬張る奈緒子の顔がおかしくて、思わず笑みがこぼれた。
「なに? なにがおかしいの?」
不思議そうに見つめてくる奈緒子が、すぐにまた焼きそばを頬張った。それを見ていると、さっきゴハンを食べたはずなのに空腹感を覚え、たまらず慎吾も焼きそばを口にかき込んだ。モッサリとした味気のない独特の食感に少しガッカリする。
ピザやフライドチキンやこの焼きそばやなんかは、頭の中でとてつもなくおいしい食べ物だと思い込んでいる節があって、期待に胸をいっぱいにしていざ食べてみるとそうでもなかったということを、毎度のように思うものなのだ。
きっと、この今の落胆も、三日と経たずに忘れてしまうのだろう。そして奈緒子と一緒に食べたという思い出だけが美化されて、またふと焼きそばが食べたくなるにちがいない。
焼きそばを食べ終えた二人は、直人とワチコをふたたび捜しはじめたが、一向にその姿を見つけることはできなかった。
人波に流されてはぐれてしまわぬようにと、奈緒子がうしろからTシャツの裾をいつものように掴んでいる。そんな格好を知った顔に見られやしないかと思い、額に玉のような汗が噴き出ていた。それを手の平で拭いながら、はたと奈緒子から借りていたハンドタオルを家に忘れてきてしまったことに気づく。
「ごめん、タオル忘れちゃった」
「え、なに? 聞こえなーい!」
スピーカーから洪水のように流れる、大音量の祭り囃子にかき消されて、奈緒子に声が届かない。
頭を揺さぶられながら先の射的屋を見ると、そこに喜色満面の直人とワチコがいた。
裾を掴む手を軽く引いて、それを目顔で伝えると、なぜかすぐに手を振り払った奈緒子は、うつむいて祭り囃子の中を駆けていった。昼間の雨で湿る参道に下駄のカランコロンという音が響き渡り、慎吾は遠ざかる奈緒子に遅れないよう、そのあとを追った。
「もう、二人ともなにやってるの?」
「あ、やっと来た。遅いなあ」
反省の色もなく応えた直人が、コルクの弾を空気銃から発射した。
「大当たりー!」
焼きそば屋のオジサンと見分けのつかないオジサンが、手に持つ小振りの鐘を鳴らし、上等とは言えない大きなクマのぬいぐるみを直人に手渡した。
「はい」
興味すら持たずにそれをワチコに手渡す直人。
「さすがだな」
「アタリキシャリキのコンコンチキよ!」
口にくわえた竹串を手でクルクルと回しながら得意そうに言った直人が、またみんなを置いて射的屋を離れた。そのあとを笑顔のワチコとふくれ面の奈緒子が追い、慎吾も置いてけぼりをくらわぬよう、慌ててそのあとを追った。
「あーあ、やっぱ面白くないな、来なきゃよかった」
参道のはずれ、人もまばらな場所に避難した直人が頬をかきながら言った。
「なによ、楽しんでたくせに」
「だってあれは、ワチコに頼まれたからだよ」
「うん、あたしが頼んだ。これ、いいでしょ?」
右目がすでに取れかけた、お世辞にもカワイイとは言えないクマのぬいぐるみを、嬉々としてワチコが奈緒子に見せびらかした。
「わたしさ、金魚すくいがしたいんだけど」
「えー、おれ興味ねえよ」
「もう、ちゃんとつきあってよ」
「あたしもパスだな」
「なんで? 意味が分かんないんだけど」
「ちょっと、行きたいとこがあるからさ」
「行きたいとこって……そこ今日も行かないといけないの?」
「うん、でも神社の中だからさ、ナオちゃんたちは金魚すくいに行ってきなよ。あたしもすぐ行くから」
珍しく申し訳なさそうな顔をして、言い淀むワチコ。胸に抱えるクマのぬいぐるみの営業スマイルに、腕が食い込んで潰れていた。
「なんだよそれ、面白そうじゃん。おれはワチコについて行きまーす」
悪癖が久々にうずいたらしく、いつものイヤな笑みが直人の顔に浮かんだ。
「来んなよ。一人でいいよ」
「クマのお礼は?」
「……分かったよ。じゃあ、ナオちゃんとデブは金魚すくいに行ってきなよ」
「え、あ、うん」
同伴を暗に拒むワチコに気圧された慎吾は、奈緒子を横目で窺った。
「……もういい、分かった。行こ、チャー」
「う、うん」
縁日に乗り気でない二人に半ば呆れながら奈緒子は参道を戻っていった。
「いいの? 二人ともそれで」
楽しいはずの縁日をイヤな気分で過ごしたくなくて、慎吾は勇気を振り絞った。
「すぐ行くから。ごめん、ナオちゃんに謝ってて」
「いいじゃんべつに。すぐ戻るんだろ」
「ぼく、もう行くからね。あとでちゃんと奈緒子に謝ってよ」
「うん」
明らかに気落ちするワチコが少し心配だったが、奈緒子を一人にするとその怒りの炎にますます油を注ぐことになると思い、慎吾は人混みの中に消えた奈緒子を追った。
◆◆◆
「あれ、チャーじゃん」
辺りを見渡しながら歩いていると、知った声に呼び止められた。
「お前、ひとりで来たの?」
声のした方を見ると、三匹の金魚が気持ちよさそうに泳ぐビニール袋を腕に提げた学が立っていた。その横には、となりのクラスの西川努と河瀬徹の姿も。
「ううん、ちがうよ……直人とかと一緒。はぐれちゃったけど」
「あー、はいはい、そっか」
「き、金魚すくいの屋台ってどこにあるの?」
「真ん中のとこ」
「あ、ありがとう」
「それよりさ、たまにはおれたちとも遊ぼうぜ」
「うん、また今度ね」
「あ、そういえば次郎って見なかった?」
「次郎? 見てないけど」
「そっか、アイツどっか行っちゃってさ」
「ふーん」
「見つけたら、おれらが捜してたって言っといて」
「うん」
「じゃ」
「うん」
奈緒子の名を出せなかった気まずさから解放された慎吾は、すぐに金魚すくいの屋台へと向かった。
やっとのことでたどり着くと、大きな水色のプラスチックの水槽の前で、浴衣姿の紀子と吉乃と清実、それに加えて奈緒子が、横並びにしゃがんで金魚すくいをしていた。
その光景に足が竦む。
この中に割り込んでいく勇気なんて、慎吾のノミの心臓には標準装備されていない。
四人のうしろ姿を見ながら、まだバレぬうちに逃げようと一歩下がると、不意に棒のようなものにふくらはぎを突かれ、ヒヤリとするそれに仰天した慎吾は、無様に尻もちをついた。
「アッハ! またビビった!」
笑い声に振り向くと、次郎が笑いながら見下ろしていた。
「ちょ、ちょっとやめてよ」
「だって、そんなにビビると思わないもん」
なおも笑いながら次郎が言って、その声に紀子が振り向いた。
「チャー、どうしたの?」
言わなくてもいいのに名前をみんなに聞こえるように言って笑いながら立ち上がり、手を差し伸べる紀子。その優しさがいつも心を傷つける。その柔らかい手を掴んで立ち上がり、目も合わすこともできずに慎吾は礼を言った。
「大丈夫?」
「うん」
「あ、おしり濡れてるじゃん。もう、次郎ってばなんでこんなことするの?」
「べつに関係ないだろ。怒ってばっかだな、お前」
言いとがめる紀子に、次郎が噛みついた。
次郎は、紀子にいつもこんな反抗的な態度を取る。一緒に帰っていたころ紀子のことばかりをしゃべるものだから、てっきり次郎は紀子のことが好きなんだろうと一人合点していた慎吾は、こういうことがあるたびにワケが分からなくなった。
二人の言い争いの原因が自分であることに居住まいの悪さを感じて、なんとはなしに奈緒子を見ると、奈緒子はその二人の様子を楽しげに見つめていた。
「あ、あのさ、学たちが次郎のこと捜してたよ」
「え、ホントに? どこにいた?」
「もっと奥の方にいたよ」
「じゃあ、おれ行くわ」
「ちょっと、まだ話終わってないよ」
「うるせえなあ」
眉間にシワを寄せて、次郎は逃げるように去っていった。
ひとつため息を吐いた紀子が、
「山下さんを捜してたんでしょ?」
と、慎吾に微笑みかけた。
「う、うん」
「直人とワチコは?」
「なんか、どっか行っちゃった」
「あ、そうなの?」
少し落胆の色を浮かべた紀子は、手招きをして、慎吾を奈緒子のとなりにやった。
「来ないと思った」
横にズレながら、つっけんどんに言う奈緒子。
「え、だって金魚すくいやろうって約束したじゃん」
「……」
店のオバサンに三百円を払って、ポイと水色のプラスチックボウルをもらった慎吾も、さっそく金魚すくいに挑戦した。
こういうときこそ、自分の器用さを見せつける最大のチャンスだ。
となりの奈緒子はさすがにもう五匹もゲットしていて、ポイもまだまだ破れそうもなかった。慎吾も負けじとすぐに二匹の赤い金魚をゲットした。
「チャー、やっぱり器用だね」
紀子が嬉々として慎吾を褒めた。
吉乃と清実も、同様に感心しながら慎吾のポイさばきを食い入るように見ていた。
正直、悪い気はしない。
「コツさえ覚えればね、簡単だよ」
「へえ、じゃあ教えてよ。オバサン、もうひとつちょうだい!」
紀子が新しいポイをもらい、袖をめくって大げさに構えた。
「真ん中ですくおうとしないで、端っこに寄せてすくうようにするんだよ」
「……あ、できた」
単純な教えが功を奏し、紀子はすぐに金魚を一匹ゲットした。
喜ぶ顔が近い。
ドキドキとしながら、紀子は人との距離感がいつもおかしい、と慎吾は思う。
「あーあ、破れちゃった」
二匹目の金魚の抵抗にあえなく破れたポイを見つめて、嘆く紀子。
「惜しい! でもすぐにとれるなんてさすが紀子だね」
「えー、そうかな。うん、でもありがとう。チャーのお陰です」
「い、いいよお礼なんて」
ビニール袋の中で気持ちよさそうに揺れる金魚を嬉しそうに見つめた紀子は、次に行こうと言う吉乃たちに促され、「また学校でね」と言ってすぐに雑踏の中へと消えた。
「なんか、楽しそうですねえ」
しばらくそのうしろ姿を目で追っていると、険のある奈緒子の言葉に後頭部を叩かれた。
「え、あ、うん、ごめん」
「だから、謝らないでよ」
「う、うん」
やっぱり変だ。奈緒子と二人になると急に言葉がどこかに隠れてしまう。
「わたしのこと忘れてたでしょ?」
「そ、そんなわけないじゃん」
戸惑いながら返すと、奈緒子がボウルに蓋をするように手を被せた。
「じゃあ、何匹とったか分かる?」
意地の悪い質問。
「えっと、ご……七匹くらい?」
「それでいいの?」
「う、うん」
奈緒子が手をどけたボウルの中で、十匹の金魚が窮屈そうに身を寄せ合っていた。
「不正解!」
「あ、でもすごいね! ぼくそんなにとれないよ」
「ギブアップするの? 命令をひとつ聞く約束だけど」
「あ、うん、そうだった。頑張んなきゃ」
意気込んで金魚をすくおうとした慎吾は、欲をかいて黒い出目金を狙い、気持ちいいくらいにポイが破れた。
「はい、負けー」
奈緒子が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、なんか考えておくからね」
「う、うん」
金魚をビニール袋に入れてもらい、さて直人たちを待つべきか、と二人で相談していると、向こうから直人が一人でやって来た。
「あれ、ワチコちゃんは?」
「それがさ、なんかよく分からないんだけど二人を呼んでこいって言ってんだよ」
「ワチコちゃんどこにいるの?」
「こっち」
◆◆◆
直人が二人を連れだって向かった先は、失恋大樹だった。その傍らには、なにやら神妙な顔つきのワチコ。樹にもたせかけられたクマのぬいぐるみが、滑稽だった。
「なんでこんなとこに?」
「これ見ろよ」
ワチコが真っ直ぐに指さした先、失恋大樹の木肌に、《林直人》といういびつな文字が彫られていた。
「え、これって」
「さっきここに来たら、あったんだ」
「ワチコちゃんがいつも行ってたとこって、ここだったの?」
「うん。毎日ここの名前を見に来てたんだよ」
うつむきながら言うワチコに、ずっと前にここで彼女を見かけたことをふと思い出した。
奈緒子もまたそのことを思い出したらしく、なにか言いたげに目を向けてきた。
「でも、なんで直人君の名前があるわけ?」
「それは、分からないよ」
「べつにいいんじゃないの? こんなのウソに決まってるじゃん」
呑気に言った直人が、つまらなそうにアクビをする。
「ウソじゃないって!」
突然、ワチコが大声を張り上げた。
「な、なんだよ。ビビったー」
アクビで涙目の直人が、ワチコを攻める。
「でも、でもウソなんかじゃないんだよ」
「ど、どうしてそう言えるわけ?」
たまらず訊くと、
「これ」
とだけ言って、ワチコが下方の木肌を指さした。
そこには《瀬戸正次》の四文字。
思わず、ゲップが出ていた。
「瀬戸の名前か。でもこれ相当古いぜ」
直人が目を凝らしてその文字をつぶさに観察した。
「六年になってすぐの頃のだよ。ナオちゃんが転入してくるちょっと前にさ、これを見つけたんだ」
「それって、セト君が学校に来てる頃の話?」
「うん」
「なんでお前、これを見つけたんだよ?」
「そ、それは、いまどうでもいいだろバカ! それよりさ、これを見つけてからちょうど二週間後にマサツグは学校に来なくなったんだよ」
「てことはさ、たしか罰のあるのが十五日目だから、ワチコが見つける前の日に、セト君の名前は書かれてたってこと?」
「そうだよ、まちがいない。あたし、その次の日からマサツグが学校に来たらノートに○を書いていったんだもんよ」
「だから信じろって言うの? バカじゃねえの」
「ホントだって! だからあたしはそれからここの名前を見に来て、知ってる名前があったらそいつに罰が来ないように見張ろうと思ってたんだもん」
「えー、じゃあ、今日からおれを見張るわけ?」
「そうだよ。絶対になにかが起きるんだから」
「は、犯人のほうを探したほうがいいんじゃないのかな?」
「犯人なんて見つからないよバカデブ! 学校の誰かだと思うけど、今日はみんな縁日に来てるだろ。昨日は直人の名前はなかったんだから、あたしたちがここに来る前に誰かが書いたんだよきっと。女子か男子かも分からないんだぜ、探しようがないよ」
「男だよ、これ」
つまらなそうに地面へ目を落としていた直人が、呟いた。
「な、直人、まさか犯人分かったの?」
「まあね。100%だとは言えないけど。でも女じゃないよ、たぶん」
「なんで分かるんだよ」
「あのー」
「雨が降ってただろ、今日。でさ、ここの地面が濡れてるじゃ」
「あの! わたしだけ話に入れないんですけど!」
今まで黙って聞いていた奈緒子が、ついに腹を立てて怒鳴り声を上げ、その怒りに震えたビニール袋の中の十匹の金魚たちが、いっせいに揺れた。
「あ、ごめん」
ワチコがバツの悪そうな顔をして謝った。
「セト君って子が学校に来なくなって、それがこの樹に名前を書かれたせいだってワチコちゃんが言いたいってことは分かった。だけど、この都市伝説ってさ、憎しみが大きければ大きいほど罰も大きくなるんじゃなかったっけ? ワチコちゃん」
「うん、そうだよ」
「じゃあさ、セト君の名前を書いた人は、憎しみが大きかったから、なんかすごいことが起きて、セト君は学校に来なくなっちゃったってことでしょ?」
「うん」
「でもさ、セト君の名前を書いた人と、直人君の名前を書いた人がおなじってなんで分かるの? 誰かが軽い気持ちで書いただけかもしれないし、罰もそんな重くないかもしれないよ」
「うん、でも」
「でも、じゃなくてさ。こんなのインチキに決まってるよ!」
なぜかとても怒り心頭の奈緒子が、矢継ぎ早にワチコを攻め立てていく。
「な、奈緒子、なに怒ってるの?」
たまらず割って入ると、鬼の形相の奈緒子に睨みつけられた。
「みんな、さっきからどうでもいいことばっかりしゃべってて、縁日ぜんぜん楽しもうと思ってないじゃん。それがイライラするの!」
慎吾から目を逸らして誰ともなしに怒鳴った奈緒子が、そのこぼれ落ちた感情を探すように、ぬかるむ地べたに視線を落とした。
「ナオちゃん、あの、ごめんね」
すでに鼻声のワチコが涙目で奈緒子に謝った。
あまりの気まずい空気に慎吾は耐えきれなくなって、横に佇む直人を見やった。直人は相変わらずなにを考えてるのか分からない表情で、その状況を眺めていた。
「……泣かないでよ、わたしが悪いみたいになっちゃうじゃん」
奈緒子がワチコと目も合わせずに言って、慎吾にその視線を走らせた。
完全に、この状況をどうにかしろと言っているのが顔に表れている。
「……帰ろうぜ。なんかもう、縁日とかどうでもいいや」
ぶっきらぼうに言う直人。
その言葉には、心底ウンザリといった苛つきがうかがえた。
一人、この状況に取り残された慎吾はもうどうしていいのかも分からなくてそっと夜空を見上げた。
「ねえ、チャーはどうしたいの?」
「え、ぼく?」
なにも言わない慎吾に、奈緒子が怒りの矛先を変えた。
「えっと、じゃあ、帰る?」
その言葉に、あからさまな落胆の色を顔に浮かべる奈緒子。
「そっか……じゃあ、帰ろう。わたしもイヤになっちゃった、ぜんぶ」
沈む奈緒子に、黙って頷くことしかできなかった。
◆◆◆
神社を出て、ここまで聞こえる祭り囃子を背にしながら、四人は無言で横並びに歩いていた。
楽しくなるはずの縁日が、こんな形で終わってしまうなんて昼間は想像だにしていなかった。
右隣の奈緒子のうつむいた横顔がなんだか痛くて、なにか言わなければ、と大したものが入っていない頭の引き出しを片っ端から開いたが、案の定すっからかんだった。
「あれ、ワチコ、クマは?」
直人が不意に言った。
「あ、忘れた」
目を赤く腫らしたワチコが立ち止まる。
「取って来る」
「あ、いいよ、おれが取ってきてやるよ。明日、病院に持ってくからみんなはもう帰っちゃっていいよ」
直人がチラと慎吾を見て、そしてすぐに神社へ一人で駆けていった。
逃げたな、と慎吾は思う。
こういうとき、直人は我関せずになるヤツなのだ。
「どうする、帰る?」
「……あたし、やっぱりここで直人を待ってるよ、ごめん、ナオちゃんたちは帰っていいよ」
ワチコも、この気まずい状況から逃げ出したいのだろう。
「分かった。奈緒子、行こう」
「え、でも」
「いいから」
慎吾はワチコに手を振って、奈緒子を連れだって歩き出した。
きっと、今はこれが最善の策なのだと一人合点しながら。
「……ねえ」
「ん?」
「ワチコちゃん、わたしのこと嫌いになっちゃったかな?」
「そんなことないよ。ワチコだって、いまおんなじことを考えてるよ、きっと」
「そう、かな?」
「そうだよ。明日謝ればいいじゃん。それでワチコも奈緒子に謝れば、ぜーんぶ解決するよ」
「……」
「……」
「…………ねえ、直人君って沢田さんのこと好きなのかな?」
「え?」
「あのさ、のいず川に行ったとき、直人君、沢田さんになんか意地悪な感じだったでしょ。だから好きなんだろうなあ、とか思っちゃって」
「なんで意地悪だと、好きってことになっちゃうの?」
「え、だって男子って好きな女子に、そういう風になるんでしょ?」
「そうかなあ、よくぼくは分からないけど」
「……チャーって、誰にでも優しいもんね。わたしとワチコちゃんにも優しいし。なんで?」
「だ、だって友だちだし、それに意地悪くする理由がないよ」
「意地悪くする理由、ないんだ?」
「う、うん」
「……そっか」
それから無言のまま、いつも別れる商店街前に来た二人は、しばらく佇んでそれぞれ手持ち無沙汰に、金魚の入ったビニール袋を眺めていた。
「水槽ってある?」
「え?」
「わたしんチさ、水槽とか無いんだよね」
「あ、そうなの? ぼくんチにはあるよ」
「じゃあさ、このコたち飼ってくれない?」
「うん、分かった」
ビニール袋を手渡した奈緒子が、なぜか深呼吸をして、
「じゃ、もう帰るね」
とだけ言って笑った。
「うん」
「……あー、あのね、わたし、明日からちょっと行けないから」
「え、病院にってこと?」
「うん」
「なんかあるの?」
「うん、ちょっとね。お母さん明日から仕事が休みで、それでさ、ちょっと手伝いしなきゃいけないから」
うつむく奈緒子の物憂げな横顔が、それ以上つっこんで聞くことをためらわせた。
「そっか、いつくらいに来れるの?」
「うーん、二十日くらいかなあ」
「登校日じゃん」
「そうだね。学校に行ったあと、そのままみんなで病院に行こうよ」
「分かった、みんなにも言っとく」
「ごめんね」
「大丈夫だよ。金魚もちゃんと飼うからさ、いつか見に来てよ」
奈緒子がふと顔を上げて慎吾を見つめた。
「行っていいの?」
「いいよ。だってほら、友だちでしょ」
「……そうだね、チャーは友だちには優しいもんね」
顔を綻ばせ、さっきの慎吾の言葉をまねた奈緒子が、また視線を落とした。
「じゃあ、わたしもう帰るね」
「うん」
「……じゃあね」
そう言ってからしばらく名残り惜しそうにした奈緒子は、無理矢理に作ったような笑みを浮かべて手を振り、人影のない深閑とした商店街の路地を下駄を鳴らしながら帰っていった。
今日の奈緒子は少しおかしかったな、と、そのうしろ姿を見ながら思った。
ワチコにあんなに怒ったことも、直人が紀子のことを好きなのかと聞いたことも、それから誰にでも優しいという自分の性格をあんなにトゲのある感じで言ったことも、慎吾にはその本意が分からなかった。




