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バラバラ女  作者: ノコギリマン
バラバラ女
11/42

10

 住宅街の一角にある、色を失った廃屋。

 その前に立つと、テスト用紙を目の前にしたときよりも不安になった。


 直人とワチコはなぜだか笑っていて、麦わら帽子に顔が隠れた奈緒子の、その表情は分からなかった。


「早く入ろうぜ、誰かに見つかったら、怒られるし」


 直人が、まともなことを言う。


 最初に動いたのは、意外にも奈緒子だった。

 赤茶けた柵の扉を押し開け、なんのためらいもなく、敷地の中へ入っていく。

 その光景にしばし呆けていた三人も、そのあとに続いた。


 玄関のドアはなぜか開いていて、直人が「きっと肝試しに来た誰かが、中から開けたんだろ」と言った。家の中に最初に入ったのは、ワチコだった。こういうときワチコは頼りになるのかもしれないな、と思いながら、慎吾はまだすこし躊躇(ちゅうちょ)していた。


「じゃ、お先」


 直人がワチコに続く。


 タイミングを失って、チラと奈緒子を見ると、今まで目を合わせてくれなかった奈緒子が、慎吾をぢっと見つめていた。


 耐えきれず目を逸らし、すぐにまた奈緒子を見て、


「怖いの?」


 と、慎吾は冗談めかした。


「チャーだって怖いんじゃない?」

「ぼくは……ぼくは平気さ。怖くないよ」

「じゃ、先に行ってよ」


 奈緒子がやっと微笑んでくれた。

 その笑顔で、ようやく今日がはじまったような気がして、太陽がまぶしかった。


「じゃあ、先に行くよ」

「うん」


 慎吾の言葉に応えた奈緒子の声色は、すっかりいつものそれになっていた。


 慎吾は、意を決して蒸した廃屋へと足を踏み入れた。

 奈緒子がそのあとに続く。

 中に入ってまず最初に目に入ったのは、埃だらけの靴箱の上に乗る、水の涸れた水槽だった。下に敷かれた砂利に、得体の知れない小動物のミイラ化した死骸が転がっている。

 その横の赤べこの張り子が、不気味なリズムで首を揺らしていた。

 たぶん、直人かワチコの、どちらかが揺らしたのだろう。


 奈緒子の静かな息遣いを背に感じながら、靴も脱がずに上がりかまちに足をかける。

 玄関は、薄暗い廊下に続いていた。

 壁に掛けられたいくつかの額縁のガラスがすべて割れている。


 慎吾は一呼吸してから、廊下をゆっくりと歩き出した。ギッ、と廊下を踏みならす音が後ろから聞こえ、奈緒子もあとをついてくるのが分かる。

 廊下のすぐそこには、階上へと上がる灰色の絨毯(じゅうたん)()きの階段があって、二階のようすは深い闇に閉ざされて分からなかった。


 暑くて、押しつぶされそうになる。

 怖くて、押しつぶされそうになる。

 開け放されたトイレの、磨りガラスの小窓から射し込む陽光が、ひどく頼りなかった。

 不意にTシャツをなにかが引っ張った。ギョッとして振り返ると、奈緒子がその裾を掴んでいた。


 慎吾は額の汗を拭い、ゆっくりと歩を進めた。

 廊下の先には、リビングへと続くのだろうドアがあって、その木目のいくつかが、人の、亡霊の顔に見えた。

 ドアノブが、遠くに感じる。

 しかしそれを開けなければ、目的の場所にはたどり着けない。

 意を決してドアノブを掴み、ヒヤリとするそれをひねると、緩んでいるのか、二三度回してようやくドアは開いた。


 入ってすぐの、リビングの中央にある、どす黒いシミに目を奪われた。

 火あぶりにされたという長男が脳裏をよぎる。それを頭から振り払い、さらに中へと進んだ。

 埃だらけの床に着いた足跡が、直人やワチコのものなのかは分からなかった。

 そのとき、焦げ茶色のダイニングテーブルの下から伸びた手が、慎吾の足を掴んだ。


「ギャッゲフ!」


 腰を抜かした慎吾は、素っ頓狂(すっとんきょう)な声を上げながら尻餅(しりもち)をつき、奈緒子の柔らかな太ももに、その頭が触れた。

 目を白黒させながら視線をダイニングテーブルの下にやると、直人とワチコが腹をかかえて笑っていた。


「ギャッゲフだって、ギャッゲフ!」

「ヒヒヒ、デブ、お前ビビりすぎ!」


 二人の笑い声に誘われて、奈緒子も笑い声を上げた。

 慎吾は恥ずかしさを感じながらも、薄暗いリビングに響き渡る笑い声に、救われたような気もしていた。


「や、やめてよ」


 立ち上がり、ズボンをはたきながら言うと、


「気を抜いてるからだろ。お前が悪い」


 と、直人が悪びれもせずに返して、ダイニングテーブルからワチコとともに出てきた。


「それよりさ、ここつまんねえよ。なんにもないじゃん。幽霊でも出てくりゃいいのに」


 口をとがらせるワチコ。


「でも分かんないでしょ。まだ二階があるし、UFOが出た屋上だってあるじゃん」

「じゃ、行くか。デブが先頭な」

「え?」

「怖いのか?」

「べ、べつに怖くないよ。だってウソだもん、こんな話」


 ワチコがニヤけながら顔をのぞき込んできた。心を見透かされたような気がして目を逸らすと、視線が奈緒子とぶつかった。


「わたしが、先に行こっか?」


 奈緒子が、意外にも名乗りを上げた。

 怖くないのか? と、慎吾は思ったが、すぐにその思いを打ち消した。

 奈緒子はあの廃病院にだって一人でかよっていたのだ。そこに比べて十分に明るいこの廃屋に、恐怖心を抱くはずがない。


 じゃあ、なんで奈緒子はTシャツの裾を掴んだのだろうか?

 ……分からない。


「……ああ、じゃあそれで。ワチコ、お前が一番目な」


 急におかしなことを言い出す直人。


「なんでだよ?」


 当然のように、ワチコが噛みついた。


「女子が先で、男子がそのあと。山下は二番目で」

「うん」

「いやいや、意味分かんねえし」

「いいから行けよ、ほら」


 渋々とワチコがリビングを出て、もと来た廊下を戻っていった。

 奈緒子がそのあとに続き、直人が慎吾の前を行く。

 最後尾はそれでまた怖い。

 冷や汗に湿る背中を誰かに見られているようで肌が粟立(あわだ)っていた。


 階段をワチコが上がっていく。

 奈緒子も、うしろを一瞥(いちべつ)してから続いた。

 しかし奈緒子が半ばにさしかかる頃になっても、直人は階段を上がろうとはしなかった。


「どうしたのさ、早く行ってよ」

「見ろよ」


 階段を見上げながら、直人が口の端を緩めた。


 いぶかりながら階段を見上げ、すぐに直人の意図することが分かった。

 一段一段をたしかめながら、薄暗い階段を上がる奈緒子。

 その裾が揺らめいて、危うく下着が露わになりかけていた。


 慎吾はすぐに目を逸らした。


「な?」


 直人が慎吾の肩を叩く。


 それを振り払い、直人を押しのけて、慎吾は階段を駆け上がった。

 階下から聞こえる、押し殺した笑い声が耳に障る。

 信じられない。あんなことを考えるなんて。

 やめろよ。

 気づくと、殺してやりたいほどはらわたが煮えくり返っていた。


「林君は?」


 二階に上がると、なにも知らない奈緒子が不安げにたずねた。


「うん……すぐに来ると思うよ」

「そう」


 その顔を、見られなかった。


「お待たせ。どの部屋が、金田鉄男クンの部屋なわけ?」


 遅れて来た直人が、目の前の三つのドアを見渡して、何事もなかったかのように言う。


「分かんねえよ」


 ふくれ面のワチコ。

 先頭が気にくわなかったらしい。


「真ん中じゃないかな? 次男だったんでしょ?」


 奈緒子が直人に言った。


「じゃあ、真ん中だな」

「今度は、お前が先に入れよ」


 ワチコに言われて、直人がそのドアを開けた。

 中に入ると、そこは日に焼けた勉強机いがいには何もない、殺風景な部屋だった。


「なんだよ、つまんねえ。ぜんぜん怖くねえよ」


 直人が勉強机まで行って、おもむろに一番うえの引き出しを開けた。


「げっ」


 しかめ面でその中を凝視する直人に近寄って、引き出しの中を見ると、散乱するグレートマンシールに混じって、足の異様に長いクモの死骸が、三つ転がっていた。


「けっ、クモなんかにビビんのかよ」


 ワチコがそれに動じた様子もなく、直人のしかめ面を笑った。


「なんだよお前、クモ怖くないのかよ?」

「怖くねえよ」


 奈緒子がワチコの肩を叩き、


「ごめんワチコちゃん、それ一枚だけ取ってくれる?」


 と、申し訳なさそうに頼んだ。


 慎吾は、「そういえば、奈緒子もクモが嫌いだとか言ってたな」と思い出し、意を決して、大嫌いなクモの死骸に触れぬようにしながらシールを一枚とって、奈緒子に手渡した。


「あ、ありがと。でもチャーって、クモも苦手じゃなかった?」

「も? もっ、てなんだよ」


 言葉の違和感にすぐに気づく直人が、(かん)に障る。


「人間にはさ、ヘビが好きな人と、クモが好きな人の、二種類がいるんだってさ」

「へえ、おれはヘビが好きだな」

「げ、お前ヘビとか好きなのかよ。気持ち悪い」

「あ、すげえ、それあってるかもな。おれも誰かに聞いてみよう」

「面白いでしょ?」


 慎吾は、奈緒子の存在を忘れて得意げに言った。


「わたしが教えたんだけどね」


 肩下げのポーチにシールを入れた奈緒子が、すぐにそのお株を奪う。


「あ、そうなの? じゃあ、なんでチャーってば、自分の手柄みたいな顔してるんだよ」

「あー、うん、ちがうよ、これからそう言おうと思ってたんだよ」

「どうだかな。デブってそういうとこあるもんな」


 三人が笑い、慎吾は小さくなる。


「じゃあさ、山下は、ヘビとか平気なわけ?」

「うん、わたしと林君は、おなじ種類の人間ね」

「おお、ナカーマ」

「ナカーマ」


 直人と奈緒子の距離が近づいたようで、気が気でなかった。

 奈緒子にいいところを見せようとした結果がこれだ。

 バカな貧乏くじ。


「なんだよ、じゃあデブはあたしと同じかよ? イヤだなあ」

「ちがうよ、チャーは、クモもヘビも嫌いなんだって」

「ちょっ、奈緒子!」

「ああ、よかった。デブなんかと一緒じゃなくて」


 ワチコが、これ見よがしにホッと息を吐いた。


「じゃあ、チャーはなんなの?」

「新人類です。おめでとうございます」

「おめでとうございます」

「おめでとうございます」


 三人から意味の分からない祝福を受け、ただ押し黙ることしかできなかった。

 奈緒子は言い過ぎたとでも思ったのか、


「そんなことよりさ、屋上に行こうよ」


 と、すまなそうに慎吾の顔をのぞき込みながら、言った。


「う、うん」


 その距離の近さにドギマギとしながら、しかし、どうやって屋上に上がるのかが分からなかった。


「あっちに階段があるぜ」


 いつの間にか、掃き出し窓からベランダに出ていた直人が、先を指さした。

 ベランダに出て、それを確認すると、


「今度は男子が先な」


 と、ワチコが肩を押した。

 もちろんそのつもりで、直人にそれを目顔で伝えた。


「……分かったよ」


 直人を先頭にして、カンテカンテンと音を立てながら鉄階段を上りきると、風雨にさらされて黒ずんだ、なんにもない屋上に出た。

 それぞれに、辺りを見渡しながら中央まで足を運んだが、そこは特になにも変わった様子のない、ただの屋上に過ぎなかった。


「なんだよ、なんだよ、ここハズレじゃねえか」


 直人が、ため息を吐いて、床面のひび割れをつま先でなぞった。


「ホントだよな。デブ、なんとかしろよ」


 とんでもないことを言うワチコ。


「わたしは楽しかったけど」


 やっぱり、奈緒子の言葉にはいつも救われる。

 だけどやっぱりここはハズレだったな、と慎吾は思う。


 バカな噂話は、本当にただのバカな噂話でしかなかった。信じていたわけではないし、そもそもこの噂話は、バケモノが出ると言ったような類の話ではない。肝試しで来るには、不向きな場所だったのかもしれないな、と思い、奈緒子たちに対して、申し訳ない気分になった。


「ごめん」


 と、小さく謝ると、

「まあ、いいや。ここに行こうって言ったの、おれだし」


 と、あくび混じりに返した直人が、つまらなそうに体を伸ばした。


「でもアレじゃない? ここでUFOが来るオマジナイをみんなで言えばさ、UFO来ちゃうかもよ」


 奈緒子が微笑んで、慎吾に目配せをした。ここに来てから、なに一ついいところがないのを(かば)われているのだと思い、嬉しさと惨めさが胸に芽生えた。


「それいいね。ていうかそれでUFOが来なかったら、デブはなんかおごれよ」


 ワチコが、嬉々として奈緒子の提案に乗った。

 おかしな条件付きで。


「あ、いいねそれ。よっしゃ、やるか。呪文ってどんなんだっけ?」

「イサダクテキーホーユー……」

「それそれ。んで、どうすりゃいいの?」

「それは……」

「みんなで円になって、手をつないでやればいいんじゃない?」

「ああ、ぽいね、それ」


 奈緒子の提案に従って、四人は円を作った。

 奈緒子は直人と右手を、左手をワチコとつなぎ、慎吾はそれに対面するかたちで、直人とワチコと手をつないだ。


「じゃあ、わたしの合図で一緒にね」


 奈緒子が、正面の慎吾を見ながら言った。

 声もなくうなずくと、直人とワチコもうなずいた。


「せーのっ!」


 奈緒子の合図に合わせ、


「イサダクテキーホーユー、イサダクテキーホーユー……」


と、何度も唱えながら、四人は空を見上げた。


 そこに――


 ――照り射す太陽だけの雲一つない夏空に、小さくナニカが光っていた。


「ウソだろ…」


 思わず、声を出すワチコ。


 それからしばらくのあいだ、皆が一様に声を失って、その光をただ呆然と見上げていた。

 ノドをゴクリと鳴らす音が聞こえたが、それが誰のものなのかは分からなかった。

 虹色にきらめきながら幾度か左右に揺れて、唐突に光が消え、張りつめた空気が緩んだ。


「なに……アレ?」


 目を輝かせた奈緒子に見つめられたが、ただ首を横に振るだけで、なにも言うことができなかった。

 チラと右を見ると、ワチコは口を開けてまだ空を見上げていた。


「……UFO、かな?」


 直人もまた、動揺を隠せずに不確かなことを言った。

 直人が冷静さを欠くのを見るのは、これが初めてだった。

 いつもの、あの人を小バカにするような笑顔も消えている。


「やったじゃん、UFO!」


 奈緒子がひときわ大きな声で喜び、直人の両手を掴んではしゃいだ。

 まんざらでもない直人の顔が、なんだか許せなくて、


「ちょっと待ってよ。ホントにあれUFOなわけ?」


 と思わず水を差すと、ピタリと動きを止めて直人の手を離した奈緒子に、キッと睨みつけられた。


「意味分かんない。なんでそんなこと言うの?」

「だってさ、ちょっとできすぎじゃない?」

「できすぎでもなんでも、いたじゃん」

「でもアレ、人工衛星とかかもしれないよ」

「なんでUFOじゃダメなわけ? それでいいじゃん」

「いや、でもちゃんとそうだっていう証拠がないと……」

「証拠ってなに? じゃあチャーはアレが人工衛星だっていう証拠があるわけ?」

「そ、それは……」


 どうして奈緒子と言い争っているのか、さっぱり分からなかった。それに加えて、直人がその様子を楽しそうに見ているのも、気にくわなかった。

 イヤになった。なにもかもが。


「……じゃあいいよ、UFOで」

「じゃあってなに? じゃあって」


 怒る奈緒子。


 それはそうだ、怒るに決まっている。


「まあまあいいじゃん、どっちでも」

「よくないよ。林君も信じてないわけ?」

「いやあ、おれは人工衛星もUFOも見たことないから、分かんねえ」

「ワチコちゃんは、どう思うの?」

「んあ?」

 まだ口を開けて空を見上げていたワチコが、気の抜けた声を出した。


「聞いてる?」

「ん、うん。アレはUFOだよ」


 断言。そんなバカな!


「ほら、二対二」

「おれもチャーの仲間かよ? じゃあおれもUFO派で」


 裏切り。そんなバナナ!


「ほら、三対一」


 奈緒子ににらみつけられ、UFOに連れ去られたい気分になった。


「あー、でもチャーは人工衛星派でいいや」


 直人がいつもの不快な笑顔で言った。


「なんでさ?」

「それだとさ、チャーはUFOを見なかったんだから、おれたちになんかおごることになるもんな」 


 言い出しっぺはワチコなのに、結局は自分がバカを見る。


「……いいよ、それで」

「じゃあおれはアイスな」

「あたしもー」

「ちょっと待って話がズレてるんだけど」

「いいじゃんいいじゃん、行こうぜナオちゃん」


 ワチコが、まだ納得のいかない表情の奈緒子の肩を押して、鉄階段を下りていった。


「山下って、意外と怖いんだな」


 直人が慎吾を(あわ)れんで、そのあとに続く。


 ひとり残された慎吾は、ため息を吐いて空を見上げた。

 そこには、もうなにも見えなかった。


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