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「こんばんは、ジョゼ」
「フィオナ……待っていたよ」
彼は恭しく手を差し出して私をエスコートしてくれる。
まるで貴族の殿方のようだ。
吸い込まれるように足を踏み入れた空間には薄暗く湿ったホール。
彫刻が施された螺旋階段には絨毯が敷き詰められて、足音も何もかもを吸い込んだ。
きっと声も、姿さえも吸い込まれる……そんな気がした。
壁には人物画。
暗くてよく見えない。
彼に手を取られて階段を登りながら、もう一度絵の方を振り返ったけれど、上から見れば尚のこと階段は暗く霞んで足元さえもおぼつかなかった。
案内されたのは踊り場から2つ目の部屋。
重厚な木の扉が音もなく開き、彼は右手を胸に当てて左手で部屋の中を指し示した。
灯りはなく、窓からの月明かりだけが部屋を照らしている。
揺れるシフォンのカーテン、天蓋付きのベッド。
ソファーにテーブル……そしてイーゼル。
夢の中の私はその光景を何ら不思議に思うこともなく、イーゼルの前へと進んで絵筆を手に取った。
そんな私に微笑んで彼はソファーに向かう。
こちらに横顔を見せて風に髪をなびかせて……。
………
………………
目が覚めた私は、飛び起きてアトリエへ駆け込んだ。
「……っ?!」
やっぱり。
昨日はスケッチブックにデッサンだけだった絵が、今日はキャンパスに下書きがされていた。
もちろん描いた覚えなどない、現実には。
だけど、昨日と違うのはこの絵をどこかで描いた記憶が薄らと残っていることだった。
どこか………夢の中で。
昨夜ベッドに入ったのは覚えているし、もちろん夜中に部屋を出た訳もない。
実際にジョゼに逢いに行ったはずもない。
だってトラムは夜中に走っていないもの。
だけど、夢の中で描いたものが確かにここに残されている。
どうして?




