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バートン伯爵家

蛇苺

作者: 甘津ぱい
掲載日:2026/06/20

改稿しました。

「ふふっ、オーランド様。今の彼の目を見た? 射殺(いころ)しそうな嫉妬の目で、わたくしを睨んだわよ」

そう言いながら、彼女は先ほどまでわざと僕に寄せていた身体を、さっと離した。

今し方、彼女は僕の従者を、このバートン伯爵家の応接間から追い出したばかりだ。

「従者に対する態度だとしても失礼すぎます。少し気に障ったから睨んだとしても、嫉妬のはずがないでしょう」

「あら? そうかしら……ふふっ」

彼女は面白そうに僕を見上げた。

蛇苺令嬢。

僕が心の中だけで呼んでいる、彼女のあだ名だ。

ペネロープ・ブレア公爵令嬢。

王国の薔薇とまで謳われる極上の美女、僕の婚約者。

蛇苺という植物を、僕は図録でしか知らない。

けれど、見た目は愛らしく可憐なのに、湿った森に実をつけるというその植物の性質と、何とも毒々しい名前。

薔薇よりも、よほど彼女に似合っていると思っている。

彼女の今の行為が、ただの八つ当たりだということも知っている。

鬱憤が溜まると、こうして他人を虐めて晴らそうとするのだ。

僕の許嫁になって、三年か四年になる。

もともとは彼女は僕の兄、クロードと婚約していた。

だが兄が他の女性に走り、婚約者を失った彼女との婚約が、僕に回ってきた。

もっと簡単に乗りこなせると思っていたんだけどな。

最初の印象は――バカな男好き。

いるだろう?

ある程度、容姿や家柄、能力の高い男を見ると、誰彼構わず手を出して侍らせたがる女。

そういう女が、高貴な身分と美貌を振り回して好き勝手している。

それが、長年のペネロープ嬢に対する人物評価だった。

「条件は、君が娘を何よりも大切にすることだ。幸福にすると約束してほしい」

婚姻の申し込みに訪れた僕へ、彼女の父――この国の宰相を務めるブレア公爵はそう言った。

「はい。お約束いたします」

僕は笑顔で答えた。

簡単なことだ。

自由に遊ばせておきさえすれば、彼女は幸福なはず。

そう思っていた。

兄が、僕に婚約を肩代わりさせた事を詫びた時に、兄は本当に申し訳なさそうに僕を配慮した。

「すまない……僕のせいだ。だが、おまえは本当にいいのか? 彼女は、おまえの好きなタイプの女性とも思えないが……」

この婚約者交替騒動で兄は既に両親や周囲からかなりの説教を受けたあとの筈だ。

萎れた兄が少し可哀想になり、僕は白状した。

「僕は十分納得してるよ。義父が宰相なんだ、将来が明るいだろ? それに僕のタイプは……筋肉たっぷりで高身長な“男”だからな。まあ、大抵は無理だろ。諦めてるから大丈夫」

驚愕で固まった兄に、僕は口元へ人差し指を当てて笑った。

それが僕と蛇苺令嬢との因縁の始まりだった。

十七歳で婿入りが決まった僕は、学院に通いながら公爵邸へ通い、いわゆる婿教育を受けていた。

ペネロープ嬢も同じ十七歳。

もし今代の王子が同年代だったなら、彼女は王太子妃候補になっていてもおかしくはない。

その意味では、僕が公爵家の婿として家門を継げる事は幸運と捉えるべきだ。

ブレア公爵家は、代々宰相を輩出する名門だ。

宰相は世襲ではない。

それでも幾人もの当主がその地位に就いてきたということは、間違いなく優秀な家系なのだろう。

広大な領地を持つ大貴族であり、当主の仕事は繁多で複雑。

社交術も並では務まらない。

何事にも高い能力を求められる。

仕事中心に生きるつもりだった僕にとっては、実にやり甲斐のある環境だった。

そして現当主であるブレア公爵は僕の予想外で、実に優れた執政者だった。

兄の婚約者の父として初めて会った時には、偉そうに権力を笠に着て威張り散らす俗物だと思ったんだ。

だが、やはりハリボテでは宰相など務まらないのが分かった。

頭脳明晰で、的確かつ迅速な判断に細やかな配慮もできる。

僕にとって良い手本となる人物だった。

……唯一の欠点といえば、極端な潔癖症で、常に手袋をしていなければ何にも触れられないこと。

そして――

「ペネロープを大切にしろ。幸福にしろ」

僕の顔を見るたび、そればかりでうるさい。

一体、どこがそんなに可愛いのやら。

ブレア家には娘が二人いる。

長女が僕の婚約者、ペネロープ。

次女は継母の連れ子らしく、父である公爵とは血が繋がっていない。

姉妹仲も悪かった。

ある日、義妹が僕に近寄ってきたことがある。

「お義兄様とお呼びしてもよろしいかしら?」

「あら?」

その瞬間、背後から声が飛んできた。

「わたくしの許嫁に、とても興味がおありですのね。さすがお義母様の血を色濃く引いていらっしゃいますわ」

と、一瞬で険悪な空気にしていた。

実の母親を早くに亡くし、その後間を置かず後妻となった義母のことも、ペネロープは気に入らなかったらしい。

僕はその時、単純にこう思った。

血の繋がりがないから、姉妹仲も悪いのだろう、と。

公爵家へ通い続け、学園を卒業する頃には、僕もなんとか宰相補佐が務まる程度にはなっていた。

そんな頃だった。

僕に想い人ができた。

まあ、僕は恋をしたところで、所詮いつも片想いだ。

だから諦めてはいた。

それでも、切ない気持ちになることまで止められるわけはない。

努力はしていたつもりだ。

だが自然と、ペネロープ嬢を相手にすることが面倒で仕方なくなっていた。

そんなある夜。

王宮で夜会があった。

エスコートしたペネロープを途中で放ったらかして、僕は庭園の隅で一人、彼を想い、黄昏ていた。

その時だった。

向こうから男女が歩いてくる。

どうやら僕の姿は見えていないらしい。

やがて二人の顔が確認できる距離まで近付いて――僕は驚いた。

ブレア公爵と、ペネロープだった。

「お父…どうし…わた……に……ですの」

途切れ途切れにペネロープの声が聞こえる。

公爵の声は低く、何を言っているのかまでは聞き取れない。

ただ、ペネロープの手を振り払ったことだけは分かった。

父娘喧嘩か?

珍しいな。

声を掛けるのも躊躇われ、僕はそのまま気付かれないよう立ち去ろうとした。

その時だった。

去ろうとする公爵を追って、ペネロープがその背中に抱きついたのだ。

「……ています」

お慕いしています。

そう聞こえた気がした。

公爵は立ち止まり、しばらく動かなかった。

やがてゆっくりと振り返り、ペネロープを抱き締めた。

そして――二人は唇を重ねたのだ。

「…………」

僕は息を呑み、たぶん数歩は後退っただろう。


翌日。

王宮の執務室で、宰相が僕に仕事の指示をしている。

視線を書類に落としたまま要点を説明する公爵を眺めながら、僕はつくづく思っていた。

ああ。

あの箱入り息子の兄と婚約を代わっておいて、本当に良かった。

こんな事、あの兄貴に耐えられるわけがない。

それにしても――

少しは尊敬していたこの人が、とんだ異常者だったとは。

そして、さすが蛇苺令嬢だ。

まさか父親にまで手を出していようとは。

……そう思ったところで、ふと違和感を覚えた。

待て。

彼女は、本当に頻繁に多くの男と関わっていただろうか?

僕は今まで、自分のことばかり考えていた。

ペネロープのことなど、最初に抱いた印象のままで興味が無く、深く考えたことすらなかった。

そもそも、宰相に対する僕の最初の印象だって間違っていた。

ならば――

彼女についても、僕は何かを見誤っているのではないか?

そう考えると、今までの自分の計算が、ひどく甘かったように思えてきた。

蛇苺令嬢との結婚まで、あと一年。

もし彼女が僕の思っているような女ではないのなら、対策を講じる必要がある。

直接聞いてみるのが一番の近道かもしれない。


卒業後、僕と蛇苺令嬢が会うのは月に一度と決めている。

その面会の日、僕は頃合いを伺い口をきった。

「ペネロープ嬢。あなたは、なぜ最初に兄…クロードと結婚しようと思ったんです?」

「まあ。今さらどうして、そんなことをお聞きになるの?」

「単なる嫉妬心ですよ」

そう答えると、彼女は目を見開いた。

そして口元を扇で隠し、ころころと笑った。

「まあ……よろしいわ。クロード様に求婚されて心が動きました、惹かれたからですわ。とても素敵な方ですもの」

「じゃあ、なぜあの時、僕に色目を使ったんです?」

僕も微笑んだ。

「あら。何ですの? 失礼なことをおっしゃるのね」

彼女が僕を睨む。

「バートン家に初めていらした時の晩餐会。兄に惹かれているだけの方には、とても見えませんでしたが」

蛇苺令嬢は黙った。

追い打ちをかける。

「あなたは大変お美しい。それを武器に、何人もの男性とお付き合いなさりたいのかと――」

「お黙りなさいませ!」

怒った。

……いや。

火がつくのが早すぎないか?

なぜだ?

煽ってみるか。

「図星を突かれると、怒りに変わると申しますね」

笑いながら言うと、彼女の顔から血の気が引いた。

「わたくしを……母と同じに扱わないで……!」

くぐもった声だった。

「わたくしがお慕いする方は、たった一人ですわ!」

怒鳴ったあと、彼女は自分でも失言に気付いたらしい。

ハッと扇で口元を隠し、顔を背ける。

少し待ってから尋ねた。

「あなたがお慕いされている方とは?」

答えはない。

「ひと月ほど前、王宮で夜会がございましたよね」

彼女が振り向く。

「何を……おっしゃって……」

「偶然、お見かけしました。庭園で、あなたと――」

「もう結構! それ以上おっしゃらないで!」

沈黙が広がる。

しばらく間を置いてから僕は、口を開く。

「あなた方が不用心なのでは? あんな場所で……」

彼女は諦めたように深く溜息を吐いた。

「邸(やしき)では……あの方はわたくしを近付けませんの。ガードが固いのですわ。わたくしの気持ちをご存知ですから」

少し驚いた。

「だが、あなた方は……」

「あなたがどんな想像をなさったのか存じませんが」

彼女の声が震えた。

「あの夜、わたくしはあの方に振られたのです」

「……え?」

「十二歳から、もう八年余り。ずっと、あの方が好きで…好きで。でも、相手にもしていただけなくて」

彼女は涙を浮かべた。

「あの夜、一度でいいからくちづけを下さい。そうしてくだされば諦めます、と……縋って、やっと頂いたくちづけですのよ」

震える声で、彼女は僕を睨んだ。

「……汚さないで」

その一言で、ようやく僕は気付いた。

僕は今まで、何も見ていなかったのだ。

兄に求婚されて了承したのは、一番最初に宰相を諦めようとした時だと言った。

クロードを愛することができれば、忘れられるかも知れないと思ったらしい。

「でも…」少し俯く。

「一度だけ、クロード様にくちづけられた事がございましたの」

目を上げて彼女は苦笑した。

「あ、彼は昔も一度そのような事があったとおっしゃいましたが。わたくし、そんな覚えは…。とにかく、その!…くちづけが。…気持ち悪かったのです」

ああ、ね。

そういう事ね。

兄に少しだけ同情した。

「少し下心もございました」

彼女は苦く笑う。

「殿方には機会があればどなたにも、送って頂くお願いをしておりました。何故なら、わたくしが男性に送られて帰って来たり、求婚状が届いたりしたら、少しくらい……嫉妬とまではいかなくても、動揺くらいはしていただけないかと」

扇で隠し溜息をついた。

「…徒労でしたけれど」

あては外れ、婚約話は進んだ。

もう後には引けない。

蛇苺令嬢は必死に宰相を諦めようとした。

だが、バートン邸に招かれた晩餐会で僕を見て思ったという。

やはり父と離れるのは嫌だ。だからこの家に嫁ぐのも嫌だ。

どれも嫌なら、せめてこの次男なら婿取りができる。

父は当然、義妹よりわたくしの方に婿取りを望んでいるし、義妹の婿に家を渡すのも業腹だ。

そして何より――

「想いは叶わなくても、せめて同じ屋敷で暮らしたい」

そのために僕を落とせないかと思ってしまった、と。

「正直、本当にあなたが求婚にいらして、驚きました。父と離れずに済むのは嬉しかった。でも……あなたがわたくしを求めてらしたら嫌だな、と」

「求めませんよ」

即答する。

「ですわよね」

蛇苺も意味深に笑って即答した。

「ですから今では感謝しています。あなたのお陰で、罪悪感なくずっとあの方を愛し続けられますもの。たとえ、叶わずとも……」

僕は深く息を吐いた。

なるほど。

印象は、ほとんど全部間違っていたらしい。

僕は案外、人を見る目がないのかもしれない。

精進しよう。

「……それから、わたくしを倫理観のない女だと誤解なさらないで下さいませ」

彼女は僕を見つめた。

「もう、あなたには全てお話しいたします。その方が楽ですわ」

そして、静かに告げた。

「わたくしと父は、血が繋がっておりません。全くの赤の他人ですわ」

ブレア公爵――宰相は、病的な潔癖症だ。

消毒出来る〚物〛ならまだましだ。

人には直接触れることそのものに嫌悪を感じ、出来ない。

握手ですら、過敏症だからとの建前で詫びながら手袋をしたまま応じるほどだ。

女性に触れることなど、金輪際出来ないのだ。

たとえ結婚したところで、子ができる筈もない。

彼女の母親は、公爵の事情を聞いて分かった上で結婚した。

何年か経てば白い結婚として別れる、が高額の慰謝料がつく。

そういう約束だったらしい。

だが、母親は夫の事情を甘く見ていた。

一緒になれば男と女。

そのうち何とかなるだろう、と。

慰謝料よりは公爵夫人の座と跡取りの生母がいい。

だが思惑は外れた。

母親はそのうちヤケになったのか生来の質なのか、次々と男性と付き合うようになった。

やがて社交界でも噂になり、公爵家は彼女を病気療養という名目で地方の別邸へ送った。

しかし、監視がなくなったことをいいことに、母親は別邸の使用人や出入りの商人にまで手を出すようになった。

「その内の誰かが、わたくしの父親ですわ」

蛇苺令嬢は淡々と言ったあと上目使いで唇の端を少しあげた。

「別邸の下賤な男…ああ、そこはあなたと母は好みが少し似ておりますわね」

蛇苺は唐突に牙をむく。

「何の事でしょう?」

「あら?存じておりますわよ。あなたがいつも目で追ってらっしゃる王宮の衛兵…」

意地悪く笑う。

「ですから、何の事でしょう?」

「まあ、ずるい方、わたくしはこんなに赤裸々にお話ししてますのに」

─ここは無言を通そう。

でもこれで先ほど彼女が怒った理由に納得がいった。

母親と同じだと思われることを厭ったのだ。

「だからわたくしは、その別邸で生まれましたの」

蛇苺は話しを戻した。

「その頃にはもう父は母をたいそう厭っていたので、母が亡くなって、初めて父と出逢いました。とても素敵な方でしたわ」

なるほど。好みは千差万別だ。

でも、え?……え、待って。

「…蒸し返すようで何ですが」

僕は慎重に尋ねた。

「あの夜、あの潔癖な宰相様が、あなたと…その……?」

蛇苺令嬢は、ぱっと機嫌よく笑った。

「わたくしだけ、特別なのですわ」

「特別?」

「初めてお会いした時、お父様が『今日から私が君のお父様だよ』とおっしゃって、とても優しい笑顔で抱き締めて下さったのです」

嬉しそうに微笑む。

「そしてその時『あれ? 不思議だ。なぜか君には抵抗なく触れられる』とおっしゃって…。とても喜んで下さったのですわ」

僕は言葉を失った。

「わたくし、幼い頃からずっと独りぼっちでしたの。ずっとほったらかし。誰一人、わたくしを構ってくれなかった」

彼女は胸元で手を握った。

「抱き締められたのは初めてでしたの…温かくて幸せでしたわ」

そこで、ようやく全てが繋がった。

この人にとって宰相は最初から単なる父親などでは無かった。

人生で初めて出会った自分を受け容れてくれる存在――

誰よりも特別な人だったのだ。

「お聞きしたいのですが」

僕は確認する。

「今のお義母様にも、宰相閣下は触れておられないのですよね?」

途端に蛇苺令嬢の機嫌が急降下した。

「当たり前ですわ」

顔を顰める。

「あれは親戚筋が、娘を引き取ったのだから母親が必要だと余計なお世話をして押し付けてきたのです。住まいもあの母娘は離れですわ。本館に部屋を持つのは、わたくしとお父様だけですもの」

なるほど。

ならば、話は簡単だ。

「ペネロープ嬢」

僕は彼女をまっすぐ見た。

「あなたは、宰相閣下を諦めるべきではありません」

「……え?」

「僕とあなたが結婚しても、白い結婚になるのは必定でしょう。あなたの母上と同じです」

彼女は鼻で笑った。

「存じておりますわ。でも、わたくしは母と同じにはなりません。ずっとお父様だけを愛し抜きますもの」

そして、さらりと言った。

「それに、わたくしが子を産んだとて、ブレア家の血ではありませんのよ。必要ありませんわ」

「だからこそです」

僕は言った。

「宰相閣下は、あなたにしか触れられないのでしょう?」

彼女が固まった。

「ならば、あなたになら子を授けられるということです」

「……あ」

大きく目を見開いた。

「そして、その子はブレア家の血筋です」

「……あ……」

「僕たちは白い結婚ですが、離婚はせず添い遂げましょう」

僕は淡々と計画を説明した。

「あなたが子を授かれば、名目上、僕が父となる。僕は次期宰相です。父親として立場に不足はないでしょう」

「……」

「ただ」

僕は少しだけ笑った。

「たぶん僕は、その子を父として愛することはない」

彼女の目が揺れた。

「だがその分、宰相閣下とあなたで慈しんでお育てになればいいのです」

「あ……あ、でも」

彼女は初めて不安そうな顔をした。

「お父様が……わたくしを受け入れて下さるかどうか…」

「あなたにくちづけをなさったのでしょう?」

僕は頷いた。

「閣下が生理的に受け入れられる女性は、あなただけなのだと思います」

少しだけ間を置いて、僕は言った。

「たぶん、もう一押しです」

そして笑った。

「頑張るべきです」


それ以来、蛇苺令嬢は宰相閣下を落とすため、あの手この手を使って奮闘しているらしい。

だが、なかなか難攻不落だと、よく嘆いていた。

そして相変わらず、腹いせに僕の従者を虐めるのだ。

僕はあれから一大決心して、かつて衛兵だった彼を僕付きの従者にした。

そして、必死に頑張って恋人にもした。

だから僕は、蛇苺から彼を守るため、彼に興味がないように振る舞っていた。

そうしなければ、僕を困らせて鬱憤を晴らすためだけに、蛇苺は彼を虐めるのだ。

蛇苺だけに、実に陰湿である。

だが、そんな努力も無駄だったと分かる時が来た。

結婚式が間近に迫った頃。

蛇苺令嬢に虐められた僕の従者が、とうとう僕との別れ話を切り出しす事態となったのだ。

僕は生まれて初めてというほど必死になって、本当に命さえかけてやっとの思いで彼を引き留めたのだ。

もう、懲り懲りだ。

僕は命より大切な彼を蛇苺の目に触れない場所へ隔離した。

そして――最後の手段に出ることにした。

宰相閣下に会いに行ったのだ。

「閣下」

人払いを願った執務室で、僕は頭を下げた。

「私からこのようなことを申し上げるのは不敬であると承知しております。その上で、お願いがございます」

宰相は居心地悪そうに呻いた。

「う…む」

「あなたは、ペネロープ嬢を溺愛していらっしゃいます。それは、お認めになりますね?」

「う…む」

「僕に、ペネロープ嬢を大切にしろ、幸福にしろと仰せでした」

「う…む」

「ですが、あなたは時々、私を見る目に嫉妬を浮かべていらした」

「う……いや、それは…」

僕は確信した。

もう少しだ。

「私は最初、我が子が余程可愛くていらっしゃるのだと思っておりました」

宰相が黙る。

「ですが、違うのではありませんか?」

「…………」

「あなたは、ペネロープ嬢を女性として愛しておられる」

「それは違う!」

珍しく大きな声だった。

「あの娘と会った時、私は良い父になろうと決心したのだ。幼いあの娘を女性として見るなど……」

「いいえ。今は美しく立派な成人女性であられます」

僕は静かに続けた。

「王国の誇れる薔薇です」

…本当は蛇苺だけどな。

宰相は何も言わなかった。

「彼女の気持ちは、よくご存じですよね」

沈黙。

「私の事情も、彼女からお聞き及びと存じます」

そして、最後の一撃を放つ。

「私と閣下とで、彼女を幸福に致しませんか?」

宰相が顔を上げた。

「私は彼女に、宰相夫人としての地位と環境を整えます」

一歩踏み込む。

「閣下は彼女に、愛をお与えください」

宰相の目が揺れた。

「どうか、ペネロープ嬢を受け入れてください」

僕は深く頭を下げた。

「それが、彼女にとっての幸福です」

長い沈黙の後。

宰相は目を潤ませ、俯いた。

僕は勝利を確信した。


そして結婚式当日。

僕と蛇苺令嬢は、祭壇の前で指先一本ほどの間隔を空けた、偽りのくちづけを交わした。

もちろん、結婚の体裁を整えるためだ。

披露宴が始まる。

だが僕たちは、初夜の準備を装って早々に会場を抜け出した。

扉の前で、僕たちは顔を見合わせる。

蛇苺令嬢は宰相閣下の待つ部屋へ。

僕は、愛しい彼の待つ家へ。

「それでは」

「ええ」

僕たちは互いに親指を立てた、サムズアップだ。

そして、それぞれの幸福へ向かって歩き出した。


その一年後。

蛇苺令嬢は、ブレア公爵家に見事な男児を誕生させた。

生まれた子が機嫌良く笑っている。

あどけない笑顔の赤児は、祖父にそっくりだ。


やはり王国の薔薇より、滋味深い蛇苺の方がずっと彼女らしい。

ね。そう思わないかい?

                           完

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