狂った美意識
この国の女性の美意識は、端的に言って狂っている。
身長一七〇センチ以上。
柳のように細く、胸も尻も起伏のない体。
それこそが「高貴な女性」とされる世界だ。
つまり、小柄で柔らかく、胸の大きな女は――醜い。
そして今、社交界でその「醜悪の象徴」と陰口を叩かれているのが、公爵令嬢ブランネージュ・ルーナだった。
「……あら、またあの方ですわ」
「なんてだらしない体なのかしら」
「お気の毒なのはイオ殿下ですわね。あんな家畜のような女を娶らされるなんて」
扇の陰から漏れる嘲笑。
その言葉を浴びながら、ブランネージュは小さく肩をすぼめた。
身長は一五七センチ。
この国では子供のように小柄な体躯。
コルセットで締めても隠しきれない豊かな曲線。
暴力的なまでに主張するGカップの胸は、呼吸のたびに薄いドレスの生地を内側から押し戻し、掌に余るほどの確かな重みを予感させた。
丸みを帯びた柔らかな腰。
色白の肌。
そしてどこか気だるげに半開きの、薄桃色の唇。
社交界は彼女を「牛」と呼び、嘲笑した。
そして――彼女自身も、それを信じている。
(ああ……消えてしまいたい……)
(私のせいで、殿下が恥をかかされているわ……)
だが。
彼女の隣を歩く王太子イオ・リンドブルムは、周囲の嘲笑に一瞥もくれなかった。
フラクスンブロンドの髪。
王家の象徴たる紫の瞳。
長身で、冷たい彫像のような美貌。
この国の「美」の頂点に立つ男。
――しかし。
その氷の仮面の下で。
イオの理性は、完全に崩壊していた。
(……いや、どう見ても眼福だろ)
(これ以上の正解があるか?)
(お前らの価値観が狂ってるだけだろ。前世の俺からしたらホラーだぞ。美というのは生命力の横溢にこそ宿るものだろうが。骨組みにしか見えない女のどこに、未来の母性や生への執着を感じりゃいいんだ?)
イオは確信していた。
これは徳だ。
前世で女遊びもせず、真面目一筋に生き、童貞のまま死んだ人生。
その徳が、今世で一気に振り込まれたに違いない。
(最高じゃないか……)
(この『女神』を醜いと言ってくれるおかげで、俺は誰にも邪魔されずに独占できる)
(ありがとう神様……前世の俺……よく耐えた……!)
だが、その幸福な計算に――致命的な誤算があった。
「ひっ……」
ブランネージュが小さく息を漏らす。
屈辱に耐えるように肩を震わせた瞬間。
豊かな胸が、柔らかく揺れた。
ぷるん、と。
その一瞬で。
イオの股間――スラックスの内側で、雄としての本能が完全に暴走した。
(くそっ……!)
(今ここで起つな……!)
(この場で暴走したら王太子として終わる……!)
「殿下……?」
不安そうな声。
「お顔が、とても怖いですわ……」
「やはり、私の醜さに怒って……」
上目遣いで見つめてくる琥珀色の瞳。
その色気は、もはや凶器だった。
イオは何も言わない。
代わりに、すっと腰を折り、彼女の耳元へ顔を近づける。
周囲から見れば、それは冷徹な王太子が婚約者を叱責しているようにも、親密な密談のようにも見えただろう。
だが事実は違う。
限界まで起ち上がったものを、前屈みになって隠しているだけだった。
「……ブラン」
掠れた低い声。
「少し、黙れ」
低く囁かれたその言葉と同時に、イオの鼻腔を甘く柔らかな体香が満たす。
熟した果実のような、抗いがたい熱を孕んだ女の匂い。
その瞬間、紫の瞳の奥に昏い執着の色が滲んだ。
(……もう、限界だ)
だが――
(……というか頼むから誰か俺のこの股間をどうにかしてくれ)
イオは内心で絶叫していた。
スラックスの生地が、文字通り悲鳴を上げている。
(前世で徳を積みすぎたせいで、今世の反応が強すぎるんだよ……!)
(このままここに立っていれば、王家の威信どころか俺の社会的生命が終わる……!)
内心では阿鼻叫喚の地獄絵図を展開しながらも、外見だけは完璧だった。
冷徹で隙のない王太子。
洗練された所作。
感情を一切見せない鉄面皮。
この場にいる誰一人として、その内側で「頼むから鎮まれ」と必死に祈っている男がいるとは思いもしない。
(まずは冷却だ)
(物理的に冷やさねば……)
イオは静かに息を吐いた。
それから、震えている婚約者の手を取る。
「……ブラン。風に当たるぞ」
声音は相変わらず冷たい。
だがその手つきは驚くほど丁寧だった。
半ば強引に、しかし誰よりも優雅なエスコートで、彼は彼女を夜風の吹き抜けるバルコニーへ導く。
一歩。
また一歩。
そのたびに、ブランネージュの豊かな曲線がドレス越しに揺れる。
柔らかな胸がわずかに弾み、丸みを帯びた腰がしなやかに動く。
そのすべてが、イオの理性を静かに削り取っていった。
(……落ち着け)
(落ち着け俺)
(ここまで来れば――)
だがその数メートルは、彼にとって一生にも等しい距離だった。
命懸けの行進。
そして絶望的な自己暗示の時間。
そんな事情など知るはずもなく。
ブランネージュはただ、王太子の沈黙に怯えていた。
冷たい怒りに触れてしまったのだと。
自分の醜い体が、また殿下を困らせてしまったのだと。
そう思いながら――
彼女は、彼に手を引かれて夜のバルコニーへと連れ出されていった。




