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追伸  作者: 咲花楓
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追憶:前章

 響く風の音。鳴る蝉の声。目に染みる汗と、痛いくらい眩しい日の光。

 聞こえない波の音を聞きながら、ただ足を動かす。いつも通りの午後三時。

 今日は七月の五の日。未だ夕焼けは知らず。

 角を曲がり、海岸線と合流する私を、潮風が迎える。打ち付ける波の音を聞きながら、風と暑さに揺られていた。

 眩しい青に照らされる水面を反射するアスファルト、ふと、その上に少女が見えた。可愛らしい顔に大きな帽子、華奢な体にワンピースがよく似合う。紛うことなきその美少女のような姿に、私は目を奪われてしまう。

 彼女は、地平を眺めている。その奥かもしれない、ただまっすぐ、蒼の彼方を見ている。

 私は自転車を止め、堤防へと上る。手に触れるコンクリートが熱い。

「あ、こんにちは……」

「え、あ、えっと……」

 できる限り自然に、笑顔で話しかけてみる。少女は突然声を掛けられ、驚いているようだった。

「え、えっと、この町の人じゃ、ないよね……?」

 話す理由を咄嗟に探し、出てきた言葉を紡ぐ。

 今の私にとって、彼女がこの町の人間なのかとかは二の次だ。

 ただ彼女と話してみたい。そんな衝動に駆られてしまった。

「うん、えっと、昨日越してきたばっかりで」

 可愛らしい声で答える。昨日。何も聞いてなかったし何も気づかなかった自分を許せない。

 こんなにも可愛らしい、美しい子がこの町に越してきたのか、と少し驚く私に彼女は言葉を続ける。

「元々東京に住んでた……んですけど、学校、行けなくなっちゃって」

 そう言葉を溢す。その様子はまるで、詰まった言葉を吐き出すようだった。

 少し考え込んだあと、再び口を開く。

「そろそろ戻らないと。お母さんが待ってる」

 でも彼女はこうして言葉を濁して、立ち去ろうとする。私はそんな彼女を引き留めることができなかった。

 当然といえば当然だ。初対面で、しかもお互い何も知らない。たまたま会っただけの私のような人間に引き留められる道理など、彼女のどこにもないのだ。

「うん、またね」

 そう言ってその小さな背中を見送る。

 また、なんて。またいつか会えると願ってしまっている。こんなに小さい町なら、いつかは会うことができるだろう。でももう会えないかもしれない、なんて考えが少しだけ過る。そう思ってしまうほど、私は彼女に惹かれてしまっていた。

 コンクリートの重い熱が、未だ手に残っていた。

 

「……あ、やっと目、覚めた?」

 流れる水音に目を覚ますと、あの少女がいた。一体この状況は何なのかと、辺りを見渡してみる。

 忘れてしまっていた記憶を掘り起こす。あれから彼女のことでいっぱいになってしまったような脳内から、何とか正常な記憶を呼び戻す。

 今日は七月の六の日。たしか帰り道、自転車のブレーキが故障して。

「畑に倒れてたんだよ?心配しちゃって」

 風を切る感覚を思い出していた私の顔を覗き込んで、木陰に座る彼女はそう言った。

「あ……そうなんだ、ありがとう、ごめんね、心配かけちゃって……」

 慌てて飛び起き、止めてある自転車に目をやる。使い古されたそれはあらぬ方向に曲がり、事切れていた。

「ブレーキ、壊れちゃったみたいで……はは……」

 彼女を見ながら、苦し紛れに笑ってみせる。まだ買ってからそんなに経ってなかったんだけどな。

 この自転車ともお別れか、と惜しみながら言葉を漏らし、少し痛む足で無理に立とうとする。

「痛っ」

「大丈夫?まだ少し休んだほうが良いよ」

 そう彼女に言われ、再び座り込む。ここは言う通りにした方が良さそうだ。

「いやー、なんかごめんね……」

 気まずい。何か話さなければ。

「えっと……あなたは、高校生?」

 そう思っていた矢先、先に切り出したのは少女の方だった。

「え……、あ、うん。そこの坂からずっと上に行ったとこ」

 何か、もっと言えることはないだろうか。

 そういえばこの子、東京から来たと言っていた。そう思い、慌てて付け足す。

「教室から海、見えるんだよ」

 都会じゃあきっとこんな学校は存在しないだろう、と自慢げになりながら話す。

 小さい頃からずっとここに住んでいる私にとっては当たり前の景色だが、彼女からすれば非日常なのだろう。そして彼女の「日常」もまた、私にとっての非日常。

 東京の、都会の学校の教室から見える景色は全く知らない世界だ。見知らぬ景色にいつしか思いを馳せてしまう。

「いいなぁ……」

 目を輝かせる少女。その目の光を絶やさんとばかりに質問を続ける。

 「ね、学校、楽しい?もっと聞かせてほしい、学校のこと」

 そうしてしばらくの間、私は彼女と話した。どういう授業を受けているのかとか、何の部活に入っているのかとか。と言っても私は部活には入っていないが。

「……部活に入ってたら帰りが遅くなるだろうし、私と出会えなかったかもね。」

 なんて彼女が冗談めかして笑う。あまりにも眩しいその笑顔に、思わず私も目を細める。

 気づいた時には、この時間が続けばいいのに、なんてことを考えてしまっていた。

 そんな私をスマホの通知が現実へと引き戻す。液晶に映る時計を見て、早すぎる時間の経過を認識した。

 私は慌ててスカートについた砂を落としながら立ち上がる。

「この後時間ある?お礼、したくて」

「お礼?」

「うん、助けてくれたから。ちょっと着いてきて」

 そうして向かったのは近くの売店、冷凍庫が冷たくて気持ちいい。ずっと手を突っ込んでいたくなる。

 2つに分けられるタイプの棒状のアイスを買い、2つに割った。力を込めた手に伝わるひんやりと伝わる温度は、上がり切った心の温度さえも冷ます。

 見たこともない景色に戸惑っているのか、店の前でただ立ち尽くす少女にその片割れを手渡した。

「はい、どうぞ」

「あ、ありがとう……」

 暑さも涼しさも、この小さな氷の粒の冷たささえ、2人で分かち合った。

「暑いね」なんて、風を送り合う。ふたりぼっちで、笑い合いながら。

「全然涼しくないね」と言って手を止めた彼女の顔が、何故だか頭から離れない。

 夏の隅の木陰、昨日出会ったばかりの私たちは、まるでもう親しい友人かのように笑いあっていた。

 

 ふと、私は彼女に、帰らないのか訪ねる。

「うん、きっと大丈夫。お母さんは優しいから」

 どこか寂しそうな彼女に、私は続けて聞いてしまう。その言葉はたぶん紡がない方が良かったのだと、口にした後に気付いてしまった。

「どうして、学校に行けなかったの?」

 その瞬間、黙り込んでしまう彼女。何か思いつめたような、曇った表情だ。言葉はもうそこまで来ているのか、それでも彼女はそれを抑え込んで答える。

「それは……ごめん、うまく、言えなくて……」

 なんとなく知ってはいけないような、自分も傷を負いそうな、そんな気がした。

「……そっか、ごめんね。急にこんなこと聞いて」慌てて謝る。

 突如現れる静寂。無言の間を経て、彼女が口を開く。

「あなたはさ、今、楽しい?幸せ?」

 突然そんなことを聞かれ、戸惑ってしまう。

 よく考えてみればわからない。普通の家庭に生まれ、普通に暮らしている。それは紛れもなく幸せなんだとは思う。でも、心の中では納得していないというか、私は自分の人生に満足していない。恐らく正解はない。

 幸せという定義されていない事に関して、自分がそうである、そうでないと言える根拠はどこにもない。ただ、今の私を定義できるとするなら、言える答えは。

「うん、私は幸せ、だよ」

 なんて、根拠も理由もない曖昧な返答をする。

「……そっか」

 と少女は俯く。

 少しの間、少女は俯いたまま何も言わなかった。でもそれは、ただ黙っているわけじゃない。きっとなにか、思うことがあるのだろう。少女は俯いたまま続ける。

「あなたはさ、死ぬことって、考えたこととかある?死んだらどうなるのかな、とか」

 考えたこともなかった。いや、正確に言えば少しは考えたことがある。でもそれは少し疑問に思っただけで、深く考えたことはない。

「……私ね、死ぬのが怖いの。今の幸せな人生が終わってしまう、って」

 彼女は苦しそうに笑う。きっと無理をしている。

 何か、大きなものを背負っているんじゃないかと、そんな考えが頭を過ぎる。それはきっと、彼女の小さな背中にはとても大きすぎるものなのだろう。

 それでも私は、きっと私は、そのすべてを否定したかった。何故彼女が急にこんな話をし出したのか、私にはわからないのに。

「もう、帰らないと」

 曇った表情のまま立ち上がる彼女に、どこにあるのかもわからない、彼女の心に抗うように言った。

「また、会おうね」

「うん、ここで待ってる。いつでも」

 遠くから見てもわかるような、目立った大きな木の下。木陰。

 日の光に照らされる彼女の背中を見送る。何を背負っているのか、わたしにはわからない。それでも、わかってあげたい。そんな無責任で勝手なことを願う。

 とても黒く、深く、悲しい何かがそのの奥に見えた気がした。まだ青い空を見上げる。

 鞄の中の書類を思い出す。進路希望調査。

「あぁもう!」

 葛藤が入り混じった私の心は日に照らされ、今にも私ごと溶けてしまいそうだった。

 

 その夜、夢を見た。暗くて深く、恐ろしい夢。細かくは覚えていなかった。それでも何故だか、とても恐ろしかった。目を覚ましたその時、私はもうあの少女には会えないのではないかと思ってしまった。

 午前四時半、きっとそういう夢だったのだろう、と行方不明の自分の記憶を決めつける。目も覚めてしまったし、二度寝するには微妙な時間だ。私は着替え、ドアを開ける。きっと両親はまだ寝ているだろう、気づかないだろうと思い、外へ出る。

 まだ淡い朝焼けに照らされる地平線を眺める。まだ覚めない町の空気は、いつもよりも少し冷たい気がした。

「……進路……ね」

 零れ落ちるように、不安を含んだ言葉が口に出る。ずっと目指していた道に、疑念が生じている。本当にその道でいいのか。そこへ進んだとして、私はどうするのか。わかりもしない未来のことを思い浮かべては憂う。

「私……なにしたいんだろ」

 そんな私の目を覚ますように誰かが言う。

「おはよ。あなたもここ、来てたんだ」

「うわぁっ!?」

 びっくりして飛び上がりそうになる。

「ごめんね、驚かせちゃった?」

 そこには、あの少女がいた。独り言を聞かれていないか、そもそもこんなところで会えるのか、なんて色々なことが頭の中を飛び交う。そんな私の脳内交通網を切り裂くように言う。

「朝早くの海、綺麗だろうなって思って。来ちゃった。まさかあなたがいるなんて思わなかったけど。」

 こちらこそ、だ。あれからというもの、よく彼女と会っていたが、まさかこんな場所でも会うとは思わなかった。

「……何か、悩んでる?」

 やっぱり、聞かれていたのか。悩み、といえばいくらでもあるが、

「進路……だよね……」

 やっぱり聞かれていた。

「……うん……私、今の進路で本当にいいのかな……って……」

 なんて、言葉を漏らしてみる。ただ思い浮かぶまま連ねた言葉も、きっと消えていくのだろう。まだ中学生の彼女にこんな話をしたところで、わかってくれるのだろうか。

「……あなたはさ、本当は何がしたいの?」

 本当は。

「あなたはさ、何が好き?やっぱり音楽?よく話してるもんね」

 本当に好きなこと。確かに私は音楽が好きだ。前に彼女と話した。でもそれは決してレベルの高いものではなく、趣味のレベルであって。

「夢、ないの?」

 そんなことを聞かれる。

「あなたはギターが弾けるし、作曲家?歌手かな?」

 そういえばいつかの日、私は彼女の前で音を奏でたことがあった。弦を弾いたその感覚を覚えている。初めてだった。人前で、ああして私の音を見せるのは。

 どこか恥ずかしさもあった。一人の少女の夏の恋の話なんて、妄想みたいな話だけでそれだけ語っていたのが。

 

「あなたが聞かせてくれたあの歌、良かったよ」

 私の思考という連なった紙を切るかのように遮る。

 そういえば彼女に聞かせた、夏の恋心を歌った曲。咲く花とその記憶が、鮮明に思い出された。

「あの曲、あなたが作ったの?」

「そ、そうだけど、全然レベル高くないし」

 そう返す私の言葉に被さるように、食い気味に彼女は言う。

「じゃあきっと、あなたはすごい作曲家さんになれるね」

 夢か、と言われれば判断ができない。確かに、音楽を仕事にできれば、みんなに私の曲を聞いてもらえればそれは嬉しい事だ。でもそれは、私にとってそれは夢なのだろうか。

 どこか遠すぎて手を伸ばせずにいるそれは、朝焼けの奥に映る、夜空の星にも似ている。

 手を伸ばしても届かない。そんなもの。きっと、夢なんてものじゃない。

 もっと遠くにあって、もっと……。

 

「あなたなら、夢を叶えられる」

 何か詰まったような表情で彼女は声を絞り出す。

「私の」

 

 そのか細い声は、波の音にさらわれてしまう。もう戻ってこないような、刹那の音を、私は聞けなかった。きっとこれは、もう聞けないのだと、そう心が言っていた。

「……やっぱり、なんでもない」

「そっか。」

 聞いちゃいけない気がした。聞いてしまったら、私は戻れなくなってしまう。でも、私は何かを彼女にもらった気がする。きっと届かなくても、いつかは手が届くのだろうか。そう淡い希望が胸に、いつのまにか灯った気がした。願ったものは夢じゃない、叶えるものなんだと、教えてくれた気がした。

「……私ね、夢がいっぱいあるの」

 彼女が言う。

「じゃあ、叶えないとね」

「……うん。」

 そう答える彼女の目には、どこか悲しさが滲んでいた。

 その奥の心根と目を合わせないように、私はそっと目を閉じた。

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