表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と捨てられた調香聖女、氷の辺境伯に拾われる〜私が王都を去った瞬間、全ての香りと味が消えたようですが、今さら戻れと言われても「腐敗臭」のする国には帰りません〜  作者: くま3
第2章:氷の領地の覚醒と、香りに跪く王都

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

7/12

第7話:王都崩壊のカウントダウンと、跪く父

 王都崩壊の日。

 それは、空から「色」が失われたかのような、灰色の一日から始まった。


 私が去り、そして王子の金貨が「臭う鉄屑」へと成り果てたことで、王都の経済は完全に停止した。

 店からは品物が消え、清潔な水さえもが贅沢品となり、人々は互いの発する「飢え」と「不潔」の臭いに、獣のような殺意を剥き出しにしていた。


「聖女を……エルフレイデ様を返せ!!」

「王子を、あのドブ臭い無能を差し出せ! そうすれば、この呪いは解けるはずだ!!」


 王宮を包囲したのは、かつて私を「無能の聖女」と蔑み、石を投げた民衆たちだった。

 彼らは今、自分たちが踏みにじった花の香りを、命を懸けて求めていた。


 その混乱の中、一台のボロボロになった馬車が、北の国境――ノア辺境伯領の巨大な黒い門へと辿り着いた。


 馬車から這い出してきたのは、高級なはずのシルクが泥に汚れ、かつての威厳など微塵も感じられない老人。


 私の実の父親、ヴァルテン侯爵だった。


「……エルフレイデ。そこに、そこにいるのだろう!? 出てきなさい! この、親不孝者が!!」


 門前で叫ぶ父の声は、枯れ果て、惨めに震えていた。


 私は、ジークフリート閣下と共に、城壁の上からその様子を冷ややかに見下ろした。


 閣下は、私の肩を力強く抱き寄せ、その冷徹な眼差しを父へと向けた。


「……あれが貴様を売った男か。今すぐ、あの汚らわしい舌ごと、氷の底へ沈めてやろうか」


「いいえ、閣下。……私に、最後のお別れをさせてください。

 あの方が一番大切にしていたものを、私自身の手で終わらせたいのです」


 私は、城壁の階段をゆっくりと降り、門の隙間から、父の前に姿を現した。


「――お久しぶりですわ、お父様。

 そのお姿……まるで、王宮の下水掃除人でもなさったのかしら?」


 父は、私を見た瞬間に目を見開いた。

 かつて彼が「利用価値のない道具」として捨てた娘は、今や、吹雪の中でも凛として輝く、この世のものとは思えないほど美しい「香りの女神」となっていた。


「エルフレイデ……っ! ああ、良かった!

 さあ、今すぐ王都へ戻るのだ! 王子殿下も、お前の大切さをようやく理解された。

 侯爵家も、お前の調合する香水があれば、再び王国の頂点に立てる!

 ……いいか、これは父親としての命令だ。今すぐ、その汚らわしい野蛮な男から離れて、私について来い!」


 父は、私の腕を掴もうと、震える手を伸ばした。


 だが。


「……おやめなさい。その手で、私に触れないで」


 私が冷たく告げた瞬間、父の動きが止まった。


 父の周囲に漂っていた、侯爵家代々の「伝統」という名の重苦しい香料の臭いが、

 私の魔力が放った一筋の波動に触れた瞬間、

 耐え難い「墓場の腐臭」へと変質したのだ。


「……う、うわぁぁっ!? なんだ、この臭いは!! 鼻が……鼻が腐る!!」


 父は自分の服を掻きむしり、その場に転げ回った。


「お父様。あなたが誇りに思っていた『侯爵家の血筋』。

 それは、私の浄化の加護があって初めて、『高貴な香り』として成立していたのです。


 私がそれを否定した今、あなたの血には、

 何代にもわたって蓄積されてきた、どす黒い『強欲』と『傲慢』の臭いしか残っていません。


 あなたは、死ぬまでその腐臭を纏い、誰からも愛されず、誰からも顧みられず、

 自分自身の醜さに窒息しながら生きていくのです」


「ま、待て! 許してくれ! お前は、私の娘だろう!?

 この通りだ、跪く! 何でもする! だから、その香りを……その浄化の魔法を、私に、私にだけは与えてくれ!!」


 侯爵は、泥水に頭を擦り付け、私の足元に縋り付いた。

 かつて、幼い私を暗い部屋に閉じ込め、

「香水が作れないなら死ね」と罵ったあの男が、

 今は私の足元の、雪に汚れた靴を舐めるようにして懇願している。


 私は、その惨めな姿を、何の感情も抱かずに見つめた。


「……残念ですが、お父様。

 私の香りは、もう『商品』でも『奉仕』でもありませんわ。


 これは、私を愛し、私を唯一の存在として守ってくださる、

 この方のためだけの……愛の証なのです」


 背後から、ジークフリート閣下が私の腰を力強く引き寄せた。


 彼は、父という「ゴミ」を見ることすら拒むように、

 私の首筋に鼻を寄せ、深く、深く、私の香りを吸い込んだ。


「聞いたか、亡者よ。

 ……彼女は、私の命だ。

 貴様のような腐った肉の塊に、彼女の一言すら与えるのは、この地の空気を汚すことに他ならない」


 ジークフリートが、片手を空に掲げた。


 刹那、辺境の全域を覆う魔力の結界が、激しく、神々しく発光した。


「冬の時代」は、終わった。


 私の香りと、彼の魔力が完全に融合した結果、

 ノア辺境伯領の城を中心に、凍てついた大地から、

 虹色に輝く「氷の薔薇」が次々と咲き乱れていく。


 それは、極寒の地でありながら、世界で最も甘く、最も清らかな「楽園」への変貌。


「……消えろ。二度と、私の視界に入るな」


 ジークフリートが放った突風が、父を、そして王都から来た絶望の残滓を、

 国境の向こう側へと、容赦なく吹き飛ばした。


 門が、重厚な音を立てて閉ざされる。


 静寂。


 温室のような熱気に包まれた城内で、私はジークフリートを見上げた。


「……いいのですか、閣下。これで、王都との繋がりは完全に断たれました。

 明日から、あの国は地図から消えるかもしれませんわ」


「……構わない。世界が滅ぼうとも、私は貴様の香るこの地を、守り続けるだけだ。


 エルフレイデ。

 いや――私の、唯一の光」


 ジークフリートは、私の手を取り、その薬指に、

 万年雪の結晶から作られた、青く輝く指輪を嵌めた。


 それは、辺境伯夫人としての証。

 そして、この世界で最も強く、最も不器用な男が捧げた、永遠の服従の誓い。


「……貴様がいない世界なら、私は、この手で全てを凍らせて終わらせていた。

 貴様が、私を人間に変えたのだ」


 私は、指輪の輝きを瞳に映しながら、彼に優しく口づけをした。


「ふふ……。なら、責任をとって、一生私を離さないでくださいね。

 あなたの肌が、私の香りでいっぱいになるまで……。

 いいえ、心臓の鼓動一つ一つが、私の名前を呼ぶようになるまで」


 私たちは、咲き誇る氷の薔薇の中、ゆっくりと城へと戻っていった。


 王都の方角からは、断末魔のような叫びと、

 自分たちの醜悪さに耐えきれなくなった人々が、互いを引き裂く阿鼻叫喚の気配が漂ってくる。


 だが、今の私には、それは遠い異国の、

 出来の悪い、けれど滑稽な物語のようにしか聞こえなかった。


 私は今、この世で最も温かな腕の中で、

 最高の香りに包まれて、

 新しい、真実の人生を歩み始めたのだから。


 ――第2章、完。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ