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無能と捨てられた調香聖女、氷の辺境伯に拾われる〜私が王都を去った瞬間、全ての香りと味が消えたようですが、今さら戻れと言われても「腐敗臭」のする国には帰りません〜  作者: くま3
第2章:氷の領地の覚醒と、香りに跪く王都

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第6話:氷壁の温室と、初めての夜の調合

 ノア辺境伯領の冬は、本来、生ある者の吐息さえも白く凍てつかせる死の世界である。


 だが、その日の朝。

 城の西棟のさらに奥、切り立った崖に面した場所に、突如として「クリスタルの宮殿」が現れた。


 それは、ジークフリート閣下が、私のためだけに一夜にして築き上げた、巨大な氷壁の温室だった。


 外壁は、彼の強大な魔力によってダイヤモンドよりも硬く凍らされた透明な氷。

 その内部には、私の「金色の魔力」を触媒とした熱源が埋め込まれ、外の猛吹雪が嘘のような、春の陽だまりに似た柔らかな温度が保たれている。


「……信じられない。これほどまでに澄んだ、完璧な『揺りかご』を作ってくださるなんて」


 私は、温室の重厚な氷の扉を開け、中へと足を踏み入れた。


 そこには、私が王都から持ち出した、たった一つの「原初の種」――伝説の香料植物『ステラ・ロサ』が、芽を吹き始めていた。

 王都の腐った空気の中では、決して花を咲かせることがなかった、誇り高き星の薔薇。


 背後から、鎧の触れ合う音と共に、冷たくも熱い気配が近づいてきた。


「……気に入ったか。エルフレイデ」


 ジークフリート閣下だ。

 彼は軍服の外套を脱ぎ捨て、私の隣に立った。

 その瞳は、温室の中に広がる緑と、私の横顔を、交互に深く射抜くように見つめている。


「ええ、閣下。ここは……調香師にとっての聖域ですわ。

 見てください。私の魔力が、この温室の空気と共鳴して、虹色の粒子を散らしています」


「……貴様の魔力だけではない」


 ジークフリートは、私の肩を抱き寄せ、その大きな掌を私の手の上に重ねた。


「私の『冷気の魔力』が、貴様の『熱』を閉じ込め、守っている。

 この温室は、私と貴様の、混ざり合った魔力の結晶だ。

 ……ここでは、貴様を害する全ての悪臭も、醜悪な他人の視線も、一粒の塵すら通さない」


 彼の言葉は、もはや保護という枠を超え、一種の「囲い込み」に近い響きを持っていた。

 だが、それが心地よい。

 誰かのために身を削る「聖女」ではなく、ただ一人の男に執着され、独占される「女」としての悦び。


 私は、彼の胸に背中を預け、温室の中央にある特製の調香台へと彼を誘った。


「閣下。……今夜はここで、初めての『深層調合』を行いたいのです。

 あなたの魔力を、私の香りの『核』として、完全に定着させるために」


「……。何をすればいい」


「ただ、私の側にいて。……そして、私の香りが、あなたの理性を塗りつぶすのを、拒まないでください」


 私は、銀の蒸留器に火を灯した。


 立ち昇るのは、これまでの石鹸やオイルとは一線を画す、鋭くも甘い、魂を震わせるような芳香。

 それは、ジークフリート自身の「孤独」という冷気を、私の「慈しみ」という熱で溶かすことでしか生まれない、禁断の香水。


 温室の氷壁が、私たちの魔力の昂ぶりに呼応して、カチ、カチと美しい音を立てて共鳴する。


 私は、抽出されたばかりの、一滴の雫を指先にとった。


「閣下。……目を閉じて」


 ジークフリートは、吸い込まれるように私を見つめた後、ゆっくりと瞼を閉じた。


 私は、その雫を、彼の額、両の目蓋、そして――その薄い唇に、そっと馴染ませていった。


 その瞬間、温室の中に「星が降るような」圧倒的な香りの爆発が起きた。


「……っ! エルフレイデ……貴様……!!」


 ジークフリートが、呻くように私の名を呼んだ。


 彼の内側に眠っていた強大すぎる魔力が、私の香りと結びつき、

 暴君のような破壊の力から、世界を優しく包み込む「真の王の加護」へと変質していく。


 彼の肌が、私の香りを吸い込み、

 もはやどちらが私の魔力で、どちらが彼の体温なのか、判別がつかないほどに混ざり合っていく。


 ジークフリートは、耐えきれないというように私を抱きしめ、

 温室の緑の中に、私を押し留めた。


「……もう、逃さん。

 貴様の香りが、私の魂の奥底まで根を張ってしまった。


 王都の連中が、どれほど悔やみ、泣き叫ぼうとも。

 貴様のこの一滴の輝きすら、もう二度と、日の光の下へは出さない。


 貴様は、この氷の揺りかごの中で、私だけの香妃として……永遠に私の喉を焼き続けるがいい」


 彼の熱い吐息が、私の首筋を焦がす。


 私は、彼の背中に腕を回し、深く、深く、その独占欲を吸い込んだ。


「ええ、喜んで……。私のすべてを、この香りと共に、あなたの中に溶かして差し上げますわ」


 氷の温室の中で、二人の影が重なり、溶けていく。


 その頃。


 王都のレオンハルト王子は、最悪の朝を迎えていた。


「……ひっ、ひいいぃぃっ!! 私の、私の顔が!!」


 姿見の前に立った彼は、己の無惨な姿に絶叫した。


 彼の肌には、腐敗した油のような「黄色い脂漏」が浮き出し、

 どんなに高級な絹で拭っても、そこから下水の臭いが止めどなく溢れ出している。


 さらに追い打ちをかけるように、王宮の財政官が青ざめた顔で報告に現れた。


「で、殿下! 異常事態です!

 我が国の金貨が、市場で『無価値』になりつつあります!!」


「何だと!? バカなことを言うな! 我が国の金貨は、大陸で最も信用があるはずだ!!」


「……いえ、それが。商人の間で、こう囁かれているのです。

 『聖女の香りが消えた王都の金貨は、手にするだけで指にドブの臭いが移る。そんな汚らわしい金は受け取れない』と!!」


 レオンハルトは、足元の金貨の詰まった袋を掴み取った。


 ガシャリ、という鈍い音と共に、袋から漏れ出たのは――

 かつての輝きを失い、どす黒く酸化し、鼻を突く「饐えた金属臭」を放つ、ただの鉄屑のような塊だった。


 私の浄化の加護は、この国の「富」そのものにまで、見えない膜を張っていたのだ。

 それが消えた今、この国の全ては、本来の「醜い物質」へと還りつつあった。


「……ああ……。あああああああ!!!」


 レオンハルトは、自分の金貨に塗れながら、発狂したように泣き叫んだ。


 かつて彼が「無能」と笑い、追い出した少女が、

 この国の美しさも、富も、尊厳も、その指先一つで支えていた。


 その「あまりにも巨大すぎる真実」に、

 彼は自らが放つ、耐え難い悪臭の中で、ようやく気づかされたのである。


 だが、その手はもう、届かない。


 彼女は今、北の果ての氷の宮殿で、

 自分たちを「ゴミ」として見捨てた、世界で最も気高く、冷酷な男の腕の中にいるのだから。


 王都に響く絶望の悲鳴を、

 辺境の雪解けの静寂が、冷笑と共に飲み込んでいった。


 ――第2章、クライマックスへ。

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