表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
無能と捨てられた調香聖女、氷の辺境伯に拾われる〜私が王都を去った瞬間、全ての香りと味が消えたようですが、今さら戻れと言われても「腐敗臭」のする国には帰りません〜  作者: くま3
第3章:香妃の神裁と、概念すら消滅する亡国

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

12/12

エピローグ:歴史が忘却したドブと、永遠に香り続ける聖域

 それは、気の遠くなるような年月が流れた後の物語。


 かつて「大陸」と呼ばれた場所の大部分は、今や深い霧と、名前もなき荒野に覆い尽くされている。

 歴史学者がどれほど古い文献を紐解こうとも、そこに何という国があり、どのような王が統治していたのか、その「痕跡」すらも見つけ出すことはできない。


 ただ一つ、北の果てにそびえ立つ、空を突くような「純白の氷壁」だけが、この世界の唯一の真実として君臨し続けていた。


 壁の向こう側は、外の世界のことわりが一切通用しない、文字通りの「神の箱庭」。

 そこには、一人の女性がかつて放った「浄化の香り」が、魔力の粒子として大気中に固定され、吸い込む者すべてに「不老」と「無垢なる多幸感」を与え続けている。


 城の深奥。


 そこには、一年前と寸分違わぬ若さと、神々しいまでの美しさを保ったまま、黄金の椅子に腰掛けるエルフレイデの姿があった。


 彼女の膝の上では、一人の幼い少女が眠っている。


 その子は、生まれた瞬間から「世界そのもの」を香りで書き換える力を持っていた。

 その子が笑えば、辺境の空に虹がかかり、その子が泣けば、外の世界のどこかで不浄な国家が一つ、音もなく崩壊する。


 エルフレイデは、愛娘の銀色の髪を、慈しむように優しく撫でた。


「……いい子ね。あなたは、私があの暗い部屋で一人でいた時に、ずっと夢見ていた『答え』そのものだわ」


 エルフレイデの瞳には、かつて王都で流した涙の痕跡など、微塵も残っていない。

 彼女にとって、過去の出来事は、もはや自分という神話を作るための「安っぽい序章」ですらなくなっていた。


 彼女は、背後に立つジークフリートを見上げた。


 ジークフリートは、数百年という時を経てもなお、一分一秒たりとも彼女から目を離すことなく、その影のように寄り添い続けている。

 彼の指先は、常にエルフレイデの肌のどこかに触れていなければ、その魔力が暴走して大陸全土を氷漬けにしてしまうほど、彼の「独占欲」は研ぎ澄まされ、もはや病的なまでの聖域を築いていた。


「……エルフレイデ。外の世界の人間たちが、また壁の近くまで這い寄ってきているぞ」


 ジークフリートが、冷徹な声音で報告する。


 外の世界では、彼女の残り香を「奇跡」として崇める新興宗教が乱立し、

 人々は、彼女の影を一目見るためだけに、自分の全財産、あるいは自分の寿命そのものを捧げて、壁の外で命を落としていく。


「……どうなさいますか、お嬢様? いえ、わが女神よ」


 今や城の執事という役職を超え、この神域の「管理者」となったセバスが、皮肉めいた微笑を浮かべて問いかける。


「……そうね。……彼らには、私がかつて愛用していた『失敗作の香料』を、一滴だけ風に乗せて差し上げて」


 エルフレイデは、薄く微笑んだ。


「……ただし。……その香りを吸った者は、自分の犯した『傲慢』な記憶がすべて『ドブの臭い』に変わり、一生、その臭いから逃れられないという呪いをかけて」


「畏まりました。……相変わらず、お嬢様の慈悲は、刃よりも鋭く、そして美しい」


 セバスは深く一礼し、闇の中へと消えていった。


 しばらくして、壁の外からは、歓喜の叫びが、一瞬にして「絶望の咆哮」へと変わる気配が漂ってきた。


 自分たちが「聖なる香り」だと思って必死に求めたものが、

 吸い込んだ瞬間に、自分の醜悪な過去を炙り出す「腐敗の鏡」へと変わる。


 人々は、自分の衣服を掻きむしり、自分の肌を削ぎ落としながら、

「臭い! 私はこんなに臭くないはずだ!」と叫び、互いを引き裂き合う。


 かつてレオンハルト王子が味わった地獄が、今、世界中の「傲慢な者たち」へと伝播していく。


 それを聞きながら、エルフレイデは、ジークフリートが用意した、

 世界で最も清らかな「朝露の紅茶」を、ゆっくりと口に含んだ。


「……閣下。……私、幸せですわ」


「……そうか。ならば、私も幸せだ」


 ジークフリートは、彼女を包み込むように抱きしめ、その首筋に顔を埋めた。


「……貴様が望むなら、私はこの世界を、永遠にこの瞬間のまま止めておこう。

 ……太陽が昇ることも、星が流れることも、貴様の許可なくしては許さない。

 ……この城の中にある『呼吸』だけが、宇宙のすべてだ」


「……ええ。……それでいいのですわ」


 エルフレイデは、目を閉じた。


 彼女の意識は、もはやこの現実の空間すらも超え、

 自分の香りが、大陸の隅々、土の奥深く、そして海の下までをも支配し、

 すべての不浄を「無」へと還していく心地よさに浸っていた。


 かつて、自分を「無能」と呼び、石を投げたあの男たち。


 彼らが最後に吐き出した、あの「ドブの音」のような呻き声すら、

 今では、自分の幸福を彩るための、小さな、小さな、砂粒のような記憶でしかない。


 彼らは死んだのではない。

 彼らは、エルフレイデの「完璧な世界」を構成するための、肥料にすらなれなかった。


 ただ、彼女が微笑むたびに、

 彼らの魂は、永遠に「自分の醜さ」という檻の中で、

 一滴の香りを求めて、届かぬ手を伸ばし続ける。


 それこそが、彼女が創り上げた、世界で最も美しい「復讐」の完成形だった。


 氷の城のバルコニー。


 虹色の空から、銀色の光の粒子が、雪のように静かに降り積もる。


 それは、彼女の愛の証であり、

 同時に、彼女に逆らう者すべてに対する、終わりなき「神罰」の予兆。


 香りは永遠に。


 愛は極北の地に。


 そして、彼女を捨てた者たちの名前は――


 ……。


 ……おや。


 ……何ということでしょう。


 今の私には、もう、どうしても思い出せませんわ。


 あんなにも、汚くて、

 あんなにも、取るに足らないゴミのような名前なんて。


 私は、愛する人の腕の中で、

 新しい命の産声を聞きながら、


 世界で一番甘い香りに包まれて、

 永遠に、微笑み続けるのですから。


 

 ―― 完全完結 ――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ