その先へ
森の朝は静かだった。
蛇となった男は、草の中を這っていた。
太陽の熱が地面を温めている。
冷たい血の体には、それが心地よかった。
舌を出し、空気をなめる。
微かな土のにおい。
地面の下に、微弱な振動。
モグラだ。
穴の位置を見極め、静かに待つ。
体をくねらせて、じりじりと近づく。
土を掘り、僅かな隙間から牙を差し込む。
柔らかい毛。小さな悲鳴。
締めつける。
地中では逃げ場がない。
やがて、動きが止まった。
男は、変身した。
暗い。
目はほとんど役に立たない。
代わりに、匂いと空気の流れが鮮明に伝わる。
耳の奥に、地響きがかすかに広がる。
モグラの体だった。
だが、強くはなかった。
隠れられる。掘れる。
それだけだった。
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次に狩ったのはネズミだった。
大きな個体で、噛まれると痛みもあったが、蛇の体で捕らえるのは難しくなかった。
食べた。
が、変身はしなかった。
更に、池のそばで見つけた大型のカエル。
脚が太く、以前のカエルよりも力強い。
不意を突いて絞めつけ、体を折った。
食べた。
だが、変わろうとはしなかった。
食事で腹は満たされたが、それだけだった。
――あの狼に勝つには、こんなものでは足りない。
どれも、生存には役立つ。
でも、戦うには弱い。
勝つには、もっと別の......何かがいる。
男は考えた。
この森の中に、自分よりも強い命はどれほどあるのか。
上を見ればキリがない。
空を飛ぶワシ、鋭い爪を持つ獣。
今の自分には、狩れる気がしない。
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蛇の体を持ったまま、男は樹の根元にとぐろを巻いた。
しばらく動かなかった。
考えをまとめる時間が必要だった。
自分は――どこにいる?
ここは、現代の日本ではない。
少なくとも、そこにいた記憶にある街には、狼などいなかった。
人間の姿も、匂いも、道の痕跡もない。
舗装もない。ビルもない。人工音も、空の飛行機の音もない。
自分が死んだのは、電車のホームだった。
背中を押され、転落し、衝撃を覚悟した。
それが起きなかった。
気づけば、自分は微生物だった。
その記憶も、確かにある。
つまり――これは転生だ。
死んだ自分が、別の世界に放り込まれた。
しかも、命を渡り歩く形で。
力はある。
だが、代償も大きい。
間違えば、自分が死ぬ。
相手を殺せなければ、何も手に入らない。
これが"与えられたルール"なのか。
誰が与えたのか。
なぜ自分なのか。
わからなかった。
ただ一つ言えるのは、この森では弱さが死に直結するということ。
自分は、まだ弱い。
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夜が来た。
風が木を鳴らす。
遠くで、あの狼の声が聞こえた。
長く、低く、森に響いた。
男は蛇の姿のまま、目を閉じた。
いつかあれを倒す。
そうしなければ、この森では上に行けない。
空の上でも、森の中でも。
いつも、誰かが誰かを食っている。
それを拒んで、命は繋がらない。
――まだ、強くなれる。
その確信だけが、今の支えだった。




