終わりの手応え
相手が動き出す時こそ、勝負の瞬間だ。
こちらの罠に近く、相手の仕掛けから遠い場所へ――そこに姿を見せる時を、息を潜めて待つ。
この罠は、バリアの縮小を計算に入れて設置したものだ。
やつがいずれ逃げ場を失い、必ずここを通る。
発動に時間がかかっても構わない。むしろ長引けば長引くほど、あいつの心は削られる。
私には余裕がある。
ときおりワシの姿で森全体を俯瞰する。
待てばいい。最強の体で、最適の場所で。
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森が息を詰めたような静けさをまとっていた。
バリアの圧力が増しているのか、木々が軋み、枝葉が重く垂れている。
世界が縮んでいく。
生き物たちが姿を消し、風さえ通わなくなった。
――そろそろだな。
目を細めた瞬間、皮膚の裏がざわりと粟立つ。
視線だ。
あのうさぎが、こちらを見ている。
鼓動が跳ねた。
ようやく、だ。ようやくこの時が来た。
あれだけ逃げ続けてきた相手を、今度こそ仕留められる。
今度こそ終わらせられる。
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息を整え、気配を殺し、姿勢を低くした。
奴が崖際に近づいていく。周囲を見渡すように動きを止め、そして――走った。
抜け穴へ一直線。
飛び込むように崖から飛び降りる。
瞬間、白い体が光をはじく。
羽虫の翅が震え、空気を切り裂く音がした。
想定通り。
私はすぐにワシへと変わる。翼が風を掴み、爪が空を裂く。
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視界の先、逃げる小さな影。
その一挙手一投足が、もはや恐怖ではなく、獲物としてしか映らなかった。
追う。
風が耳を鳴らし、体が熱を帯びる。
羽ばたきのたびに、心臓が高鳴った。
「逃がさない……!」
何度も、何度も逃げられてきた。
あの柔らかい背を見失うたびに、胸の奥に黒い焦燥が積み重なってきた。
だが、今度こそ違う。
この数日の間、罠を仕掛け、形を整え、すべてをこの瞬間に注いだ。
今、ようやくその努力が報われる。
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湖が近い。
獲物は一直線にそこを目指していた。
以前と同じ逃走ルート。
思考の癖まで読みきってている。
私は嘴を尖らせ、影を追い抜くように角度を取った。
――届く。
そう確信した瞬間、うさぎの姿がまた歪む。
羽虫の翅が消え、水しぶきが弾けた。
湖へ飛び込む。
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私は反射的に大型の魚へ変わり、水中へ突っ込む。
冷たい衝撃が体を包み、視界が青に染まる。
泳ぐ。尾を打ち、渦を裂く。
水中は静かだ。だがその静寂の中で、確かに感じる。前方の水を掻く小さな気配。
奴だ。
「もう逃げられない」
心の中でつぶやく。
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魚の形のまま、全力で泳ぐ。
水の抵抗が筋肉を焼くが、それがむしろ快感だった。
体が熱く、重く、しかし鋭くなる。
獲物を追うことが、自分の存在理由そのものになっていた。
もう少しで、届く。
影が見える。小さな尾が揺れ、光を反射する。
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だが、またしても狭い横穴。
岩の裂け目の奥へと潜り込む気配。
大型の体では追い切れない。
「……くっ!」
少しの焦りが首を締めた。
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すぐさま中型の魚へ変わる。
骨が軋み、水が体を巻く。進みながら変化する苦痛を押し殺し、狭い水路に突っ込む。
しかし、その間にも距離は開く。
水流が巻き込み、体がぶれる。
「まだだ……!」
さらに水路は細くなる。
少し考え、小さくなる。
小型の魚へ。体を絞り、骨を細くし、筋肉を切り替える。
世界が狭くなり、流れの一筋一筋が痛いほどに感じられた。
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前方に、微かな泡。
相手が逃げている。
いや、違う――泳ぎが乱れている。
疲れている。限界が近い。
「終わりだ」
尾びれを大きく振る。
距離が詰まる。
泡が弾け、光がきらめく。
そこに、小さな影。
私の眼前で、ついに動きを止めかけた。
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心臓が一度、強く打った。
ようやく倒せる。
これで終わる。
檻の外へ行ける。
自由が手に入る――。
そのすべてが、一瞬の中で混ざり合う。
私は牙を開き、最後の一撃を加えようとした。
水が震える。
尾を打つ音が響く。
目の前にある命を、飲み込むために。




