巧妙な仕掛け
匂いを辿る。
だが今回はいつもと違った。
水中も、陸地も――匂いの線が、すっぱりと途切れている。
その不在が、逆に何かを語っていた。
相手は弱い。
だが、逃げる術に長けている。
姿を消す術をいくつも持ち、追跡をすり抜けてしまう。
それがあいつの強みだ。
ならばこちらも待ち伏せではなく「仕掛け」を用意するしかない。
次に出会った瞬間、確実に捕らえられるように、逃げ道を前もって塞ぎ、誘導する。
餌を置くような安直な手は使わない。
正面からの勝負で取りこぼせないようにするのだ。
人間時代に身につけた観察力、計画の立て方、相手の行動パターンを読む癖――それらは今の体でも使える。
場所は丘の上の濃い林だ。木々が寄り合い、枝と枝が絡み合っている。
あいつの目には、ここが自然の迷路に見えるだろう。
私は静かに枝を折り、組み合わせ、目に付かぬように自然の柵を作り上げていく。
枯れ枝を編み込み、通路を狭め、視界を遮る。
音を立てず、風向きを利用して動線を隠す。
相手は小さくなれる。
特に虫になられると、どんな隙間にも入り込める。
だからこそ、わざと一箇所だけ抜け穴を残す。
虫の体は弱い。できるだけ使いたくないだろう。
冷静さを欠いているタイミングで、そこに意識を向けさせるのだ。
それは表向きの脱出路に見えるが、実際には湖へと続く誘導路だ。
抜け穴の出口は水辺の少し開けた位置に設けておき、そこを通った者は自然と水場へと流されるように道を整える。
計画は単純だが、配置とタイミング、視界の操作が肝心だ。
並行して、使える"形"も整えておいた。
先に手に入れた中型の魚と大型の魚を確保してある。水中での追跡はこれらによって行う。狭い隙間に潜られたときも中型の魚で追い、広い水域で確実に追い詰めるときはより大きな魚を使う。これで、水へ逃げ込まれても追跡の幅は格段に広がるはずだ。カワウソのような陸水兼用の姿は用意していない――そこまでは手が回らなかった。
バリアはまだゆとりがある。
境界は確実に狭まりつつあるが、今ならまだ時間はある。
相手が取れる手段も限られている。こちらは準備の自由がある。
場所、風向き、日の角度、見張りの位置をすべて計算に入れておいた。
抜け穴の角度ひとつで誘導が成立する。
葉の重ね方で視線を遮り、正しい瞬間に姿を現すための隠れ場所も確保した。
それに――根拠はないが、直感が囁く。
あいつを倒せば、この檻の外へ出られるのではないかと。
現実の檻からここへ落とされ、さらに森という小さな檻に閉じ込められた私が、ついに広い世界へ戻るための鍵がこの戦いにあるような気がするのだ。
考えすぎかもしれないが、期待はやがて行動を押す燃料になる。
夕刻、最後の枯れ枝を差し込み、抜け穴の角度を微調整した。
風が通り、葉がそよぐ音が合図のように流れる。
私はその場に身を伏せ、低く息を潜めた。
待つのだ。
相手がいつも従う本能的な流れを、こちらで作り出すのだ。
檻は仕上がった。
後は来るのを待つだけではない。
来た瞬間に動き出すための心構えと、変身のタイミングを何度も頭の中で反復する。
薄暗くなる空を見上げ、私は静かに息を吐いた。期待と警戒が交錯する夜だった。
残り5話で簡潔です。一気に行きます。




