地に落ちた翼
森の外れにある崖の上、その高みに巣があった。大きなワシの巣だ。
何度も観察を重ねてわかったことがある。そこには二羽の雛がいて、親鳥が交代で餌を運んでいた。嘴に咥えた獲物を、雛たちの小さな口に分け与える。羽音が鳴るたび、巣はわずかに揺れ、か細い声が響く。
あの高さ。木々の枝のさらに上、ほとんど岩肌に組み込まれたような位置だ。外敵が近づける場所ではない。ワシが安心しきってそこに暮らせるのも頷けた。
だが、どんな強者でも必ず地に降りる瞬間がある。
狩りの時だ。
実際、一度だけ現場を目撃した。餌はうさぎだった。嘴で生きたまま捕らえ、羽ばたきで上昇する。だがそのまま運ぶのではない。上空から岩場へと叩き落とす。骨が砕け、肉が潰れ、抵抗する間もなく命が絶える。そうして動かなくなったところを、改めて咥えて巣に戻る――。
恐ろしく効率的な方法だ。
獲物にとっては、ただの一撃死に等しい。
私はその一部始終を見て、ひとつの策を思いついた。
危険は伴う。だが、これしかない。
要は――自ら獲物となればいいのだ。
私は巣の近く、木々が切れて空が大きく開けた場所へ移動した。ワシの存在が支配的なこの空域では、ほかの捕食者はほとんど近づかない。狼も蛇も来ない。だからこそ、ここで小さなネズミに姿を変えても不自然ではない。
茶色の毛並みを捨て、体を縮める。鼻先が尖り、足が素早く動く。視点がぐっと低くなり、草の影が巨大にそびえた。
私はただのネズミになった。
地面をせわしなく走り回る。わざと音を立て、尻尾を振って存在を誇示する。
「ここに獲物がいるぞ」と空へ告げるように。
やがて、風が変わった。
背筋に鋭い視線が突き刺さる。
見上げると、上空を大きな影が旋回していた。翼が太陽を遮り、地面に黒い円を落とす。ダッと背中を向けて駆け出す。次の瞬間、風を裂く轟音とともに影が急降下してきた。
「――来た!」
鋭い痛みが背に走る。爪が食い込み、体が宙に浮いた。
ネズミの体がぐんと引き上げられ、世界が逆さまに揺れる。
だが、これは想定のうち。
むしろ、この時を待っていた。
焦りはなかった。いや、心臓は速く打っていたが、それ以上に体の奥から高揚感がこみ上げていた。
「これで終わらせる」――その確信があった。
空へと引き上げられる間に、意識をひっくり返す。
骨が砕けるような感覚、筋肉が膨張し、毛がざわめく。
私はクマへと変わった。
巨大な四肢が空を掻き、重みに耐えきれず翼が悲鳴を上げる。
ワシが驚いて嘴を開きかけた瞬間、私は伸ばした手でその首根っこを掴んだ。
ごきり、と嫌な音が伝わる。
クマの重量を支えられるはずもない。鳥の翼は激しくあおぎ、だが高度はみるみる下がっていく。
「落ちろ......!」
地面が迫る。風が耳を叩く。
ドスン、と大きな衝撃が走った。
背中に草と土の冷たさを感じた瞬間、手の中にはまだ暴れる感触があった。
だが次の刹那、力を込めすぎたらしい。
首がねじれ、翼がだらりと垂れ下がった。
――既に、息はなかった。
私の掌には、ワシの首が無惨に収まっていた。
勝ったのだ。
空を支配していた捕食者を、地へ引きずり下ろし、討ち取ったのだ。
胸の奥で熱いものが脈打つ。
それは恐怖でも後悔でもない。
ただ、確かな実感――「生き残った」という歓喜だった。




