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ツケルモノツケラレルモノ

私はクマをつけることにした。

影のように、距離を保ちながら。相手は私のことを知っているはずだが、こちらが無暗に近づかない限り、すぐに飛びかかってはこないだろう。そう踏んだ。


追う側にはプレッシャーがない。足取り一つ、息遣い一つで相手を追い詰める必要はない。だが追われる側は違う。常に背後に何かがいると感じながら、立ち止まってはいられない。私の存在は、相手の心をじわじわと削るはずだ。距離を保ち、時間を使う――それが私の戦い方だ。


時折、木の実をつまむ。口に含むと、甘さと土の香りが広がる。肉をむさぼるような荒々しさは今は控える。変身のリスクを抑えるためにも、自然の食べ物で満たしておくのが賢明だ。腹が満ちれば思考は安定する。獣の本能と、人間の用心深さが混ざった行動だ。


クマの動きを追いながら、地形を覚える。歩幅、爪の跡、転がった木の皮。匂いの濃淡でその速度や気分を測る。クマは今、一定の範囲を徘徊しているらしい。少し神経質な歩き方だ。子どもがいるのかもしれない――私はそう直感した。


穴蔵を見つけたのは昼下がりだった。大きな岩の根元、地面がややへこんで枝と苔で覆われている。中に黒い毛の束が見えた。こぐまだ。小さな丸い背中が、母の体の影に埋もれている。見るだけで胸の奥が締め付けられるようだ。子どもがいる母グマは、獰猛になる。人間の知恵では「触らぬ神に祟りなし」と言うところだろう。ここで軽率に動けば、母の怒りは凄まじい。


だが私は元人間だ。母性本能の前で怯むだけの存在ではない。情報を集め、罠を仕掛け、状況を操作する。私ができることは限られている。オオカミの体ではせいぜい小さな穴を掘るか、草木で覆いを作るくらいだ。それでも、足元の地形に小さな「段差」を作り、クマが通りにくいルートを誘導する程度には使える。


まず、獣道の一部に浅い溝を掘った。大きくはない、しかし重量あるクマの足がそこに引っかかれば、一瞬のバランスの崩れが生じる。次に、葉と小枝を集めて不自然な「障害」を作る。見た目は自然だが、踏むと音がして崩れるように仕掛ける。こうした小手先の罠で相手の動きを鈍らせ、疲れを誘う。直接の傷を与えるものではない。疲労と混乱を与えるのが目的だ。


挑発も有効だ。わざと見える位置に足跡を残し、木の実を弾いて音を立てる。遠くから短く吠え、相手の注意をこちらに向けさせる。クマが反応するたび、私の胸の奥の高揚は増す。だが慎重さを失ってはならない。母グマの怒りは、次第に匂いを濃くして伝わってくる。それはまるで、空気自体が重くなるような感触だ。


時間が経つにつれて、クマからの怒りの気配がぷんぷんと立ち上って。最初は遠くでぼんやり感じるだけだった熱が、じわじわと近づく。地面の振動が増え、枝が鳴る。木の葉の間を揺らす風の匂いが変わる。私の目は細くなり、耳は余分な音を遮って主要なものだけを拾う。心拍は落ち着かせ、筋肉は戦いに備えるために引き締まる。


私はさらに罠を重ねた。複数の小さな仕掛けを分散させ、クマの移動経路が予期せぬ方向に逸れるように誘導する。その間合いで、私は木の根元に身を潜め、待ち構えることができる。直線的な力に強い相手を、曲線的な動きで翻弄する――それが私の計略だ。


夕暮れが近づくと、森は薄暗くなり、影が長く伸びる。クマの息遣いは確かに近い。匂いが鼻孔を突き、体が小刻みに震えた。ぶんぶんとした緊張感が身体を満たす。今や衝突は避けられない。私は深く息を吸い、冷静に最終の位置に移動する。


相手が本気で突っ込んでくれば、私一匹では苦しいだろう。しかし、これまでの時間を使って相手に消耗を誘い、地形と罠を味方につければ、勝機は生まれる。追跡される側の不安と疲労を、こちらから強いるのだ。


木の葉がざわめく。低い唸り声が谷間を震わせる。クマの巨体が影となって近づいてくる。私は身を低くし、毛先を逆立てずに静かに息を整えた。目の前に広がるのは、最高潮に達した緊張だけだ。


――衝突が、いよいよ迫っている。


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