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喰らう

いつもありがとうございます。

改訂情報です。

・長いのでメインタイトルを「変身の森」に変更しました。旧タイトルはサブタイトルにしています。

・章を分けました。

・各章の最初の話のあとがきにイラストを追加しました。

うさぎの姿が消えてからもしばらく、胸の奥の興奮は冷めなかった。あの逃げる匂い、鼓動の震え、追うことの昂ぶり。それが全身を満たし、思考はシンプルになっていく。獲物を捕らえること、それだけが今の世界の全てのように感じられた。


走り続けた。木の根を蹴り、低い茂みを突き抜け、鼻先に残る匂いを追う。狩りの勘が研ぎ澄まされ、体は言葉を待たずに動いた。加速は一瞬。跳躍は滑らかで、爪は土を掴む。獲物を見つけたら、呼吸を止めるのも忘れるほどに集中した。


最初に捕らえたのはネズミだった。小さくて軽い。だが、その命を断つ行為は、胸に満足をもたらした。反射で噛みつき、引き裂き、丸呑みにした。血と毛の感触が口腔を満たす。野生の行為は、不衛生だとか人の感覚で批評する余地を残さない。


ところが、飲み込んだ直後に異変が起きた。体の内部から、ぞわりとした違和感が這い上がる。骨が縮み、背が低くなり、腹の奥が固まる感覚――自分の体が、どんどん小さく、細くなっていく。驚きと恐怖で視界が揺れた。


鏡などない。ただ地面に目を向けると、そこに見えたのは細い前脚、丸まった小さな体。毛がちぢれ、鼻は尖り、歯は小さい。――私は、ネズミになっていた。


なんだこれは。どうして、こうなる。食べたものに強制的に姿が変わるのか? もしそうなら、これは致命的な失敗だ。オオカミの力を手に入れて喜んだのも束の間、気がつけば最も脆い体に落ちているのだ。


打ちひしがれ、草むらにもたれながら震える。小さな心臓が激しく脈を打つのを、私は別の視点で聞いた。泣き言も出ない。ただ、現実を受け止めるしかない。だが、ほんの少し思い出すと、オオカミの感触が脳裏をよぎった。あの金色の眼差し、深い胸の震え、野性の圧力。


思い出す。それだけでいいのか、と自分に問うた。すると、ゆっくりと体に変化が戻り始めた。骨格が伸び、毛穴が広がり、爪が鋭くなる。ネズミの小さな心臓は次第に大きく、重い鼓動へと戻っていった。気がつくと、再び私はオオカミの姿だった。深く息を吐き、濡れた鼻を震わせる。失われていなくて良かった、という安堵が胸を満たした。


しかし学びは残った。狩りのあとすぐに姿が変わる危険性――それは、最も油断しやすい瞬間に弱い体に落ちることを意味する。もし敵がその隙を見逃さず襲ってきたら、私は簡単に敗れるだろう。狩りという行為自体が、裏目に出る可能性があるのだ。


結論は即座に決まった。しばらくは、生の肉をむやみに喰わないこと。木の実や果実、根のような物で空腹をしのぎ、変身が起こるリスクを避ける。どうしても獲物を捕る必要があるなら、ただ丸呑みにするのではなく、噛みついて痛みを与えたうえで待機し、すぐに心に刻むべき「狼の感覚」を反芻してから胃に収める――そうすれば変身のタイミングを多少はコントロールできるかもしれない。


夜が近づき、森は薄暗くなった。月明かりが葉の隙間から差し込み、地面に斑を描く。私は草むらの縁に身を潜め、夜の匂いを胸いっぱいに吸い込んだ。狩りの昂ぶりはまだ消えないが、次に何をするかははっきりしている。焦らず、計画的に。強い体を保持するための工夫を忘れないこと。


獣として生きるということは、本能と理性のせめぎ合いだ。今の私は、その両方を学び始めたばかりだ。目の前の暗がりに向け、ゆっくりと耳を立てる。何が来るのか、知らせてみろ――と、自分自身に問いかけるように。


夜の森に身を潜めながら、私は息をひそめ、次の気配を待った。


ふと、人間だった頃の記憶が蘇る。

あの息苦しい事務所。終わらない書類の山。誰も助けてくれない孤独。

「もう疲れた」と毎朝思いながら、それでも電車に乗り続けた日々。


――あの時、私には力がなかった。

拒む力も、変える力も、逃げる力もなかった。


だが今は違う。

この牙がある。この爪がある。

誰にも押しつけられず、誰にも支配されない。


胸の奥で、何かが熱く脈打った。

これが自由なのだろうか。

それとも、ただの孤独なのだろうか。


答えは出なかった。

ただ、もう戻りたくないという気持ちだけが、確かにあった。


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