金色の目のオオカミ
私は地元の高校を卒業し、そのまま短大に進学した。
特に夢があったわけではない。周囲に流されるように、用意された道を歩いてきた。親も先生も「とりあえず短大に行けばいい」と言ったし、それに従っただけだ。
卒業の年、都会の中堅商社で事務職の求人を見つけた。「未経験歓迎」「安定」「正社員」という言葉に惹かれて応募した。正直、受かると思っていなかったが、あっさり採用通知が来た。
それから、もう五年。
毎朝、目覚まし時計の音を聞くたびに、胸の奥に小さな石が沈むような感覚があった。
もう疲れた。
その言葉が、起き抜けにいつも頭の中をよぎる。
事務職というのは、誰でもできそうに見えるかもしれない。実際、その通りだと思う。
電話を取り、資料を整理し、数字を打ち込み、上司の機嫌をうかがう。誰かが休めばその分の仕事が回ってくる。終わりはない。
ただ、特にスキルが身につくわけではない。パソコンの操作も最低限のことしか求められない。
つまり、辞めたら再就職できるとは限らないのだ。
それが分かっているから、簡単には辞められない。
気づけば、馬車馬のように働かされていた。
朝、ぎゅうぎゅうの電車に揺られて出勤し、無言でデスクに向かい、昼休みもスマホを眺めて終わる。夕方に席を立てることはほとんどなく、定時を過ぎてからが本番のように書類が増える。
休みの日は家で寝ているだけで終わってしまう。
起きる時間も決まらず、気づけば夕方。外に出ようという気持ちも起きない。地元から離れているため、友人もいない。電話帳の名前を見ても、かける理由が思い浮かばない。
何もしていないのに、突然涙が出てくることが増えた。
仕事の愚痴を誰かに言いたいわけでもない。ただ、胸の奥がきゅっと締めつけられ、息が苦しくなる。
限界だ、と思った。自分の体のどこかが、もう警告を出しているのが分かった。
その日の帰り道、駅のホームに立っていた。
バッグを持つ手は汗ばんでいた。視界の端に、電車が近づいてくる光が見える。
「......もう、いやだ」
声にはならなかった。
ただ心の奥でその言葉をつぶやいた瞬間、背中に強い衝撃を感じた。
押された――。
考えるより先に体が前に出る。
目の前には電車のヘッドライトが迫っていた。
嫌だ、まだ死にたくない――。
頭の中で叫んだ。
目を閉じる。
耳をつんざくような風の音がした。
足元の感覚が消え、体が宙を舞う。
落下している実感。
空気が抜け、胸が重くなる。地面が近づく。
次の瞬間、大きな音がした。
何かが砕けるような、耳の奥まで響く音。
薄暗い景色の中で、近くに狼が倒れているのが見えた。
黒色の毛並み、血のように赤い舌。こちらを見る気配。
その視線と目が合った。狼は静かに崩れ落ちる。胸の奥がぞわりと揺れた。
視界の色が変わる。
次に気がついたとき、私は狼の体になっていた。
足の先から尻尾まで、全身に硬い筋肉が詰まっている感覚。
口の中に牙の重みを感じ、鼻先には獣の匂いが溢れていた。
そして、目に映った自分の影は、金色の光を宿していた。
――私は金色の目のオオカミになっていた。




