仮説と実験
うさぎの男は、草原をしばらくさまよったあと、元いた場所へ戻ってきた。
落下した隕石はもうない。地面には、少し焼けたような黒い痕跡だけが残っていた。
そのすぐそばに、一匹のうさぎの死骸が転がっている。
白い毛並み。右耳の先だけが少し黒い。自分とまったく同じ模様だった。
男はじっとそれを見つめた。
あれが元のうさぎだ。
自分が今いるこの体は、あの死骸から受け継いだもの。
それ以前、自分は隕石の中で、形も定かでない微生物だった。
さらにその前は、電車に落とされた人間――。
男は静かに仮説を立てた。
――自分は死んだ。
――その後、何らかの形で微生物になった。
――隕石でこの地に落ち、死んだうさぎと入れ替わった。
つまり、自分には「入れ替わり」の力がある。
それがどんな条件で発動するかはまだ分からないが、試す価値はある。
男は地面に伏せ、集中した。
あの感覚――視界が暗く閉じて、輪郭が消えるような――
微生物だったころの感覚を思い出そうとした。
すると、視界がふっと消えた。
意識だけが浮かぶ。声も体もない。
ああ、戻ったのだろう。
この感覚に、間違いはなかった。
成功だ。
男は再び視界を得ようとした。
目に入ったのは、地面の上を這う小さな虫。
反射的に意識を向ける。
瞬間、世界がぐにゃりと歪んだ。
地面に張りつくような低さ。空気の流れが重く、湿っている。
脚が六本。体が硬い。
虫になった。
成功だ。
先ほど、この虫は足元にいた。つい踏んでしまったのだろう。すでに死んでいた。
男は試しに、そのへんに生えている草を噛んでみた。
少し腹は満たされた。
草に集中してみる。だが、何も起きない。
姿も意識も変わらない。
やはり、草では変身できないようだった。
さらに小さな虫が地面を這っていた。男はそいつに近づき、前脚で押さえつけた。
もがく虫を、潰した。
動かなくなった瞬間、意識を集中した。
一瞬だけ視界がぶれ、また別の虫へと変化した。
なるほど、と彼は思った。
入れ替わるには、「相手を殺す」必要があるようだ。
痛めつけるだけではだめ。
死をもって、その体を受け継ぐ。
そういう能力なのだろう。
再びうさぎに戻ろうとした。
集中。視界が暗くなる。
そして白い毛の感触。地面を踏みしめる四本脚。
耳の奥を風が抜けた。
うさぎに戻った。
実験は成功だった。
満足と同時に、うっすらと不安が芽生える。
ではこの先、自分は何にでもなれるのか?
殺して、その体を奪えば。
人間にも戻れるのだろうか?
そんな思考の途中。
ふと、背後に「何か」を感じた。
視線。風。音。
いや、違う。もっと原始的な感覚。
「殺気」だった。
男はゆっくりと首をひねるようにして、振り返った。
そこには、一匹の狼がいた。
毛並みは黒く、目は金色に光っていた。
口元から、涎が垂れている。
狩りの途中のようにみえた。
うさぎの男と狼の目が合う。
一瞬の沈黙。
その静けさを破ったのは、地を蹴る音だった。
狼が走り出した。




