崖の罠
追い詰められていた。
気づいた時には、すでに四方が塞がれていた。
背後から迫る足音。
左右を取り囲む木々は密に立ち並び、逃げ道を遮っている。
前へと駆けても、獣道は意図的に曲がりくねり、やがて袋小路のように狭まっていく。
――そうか。
自分が逃げやすいと思った道筋を、相手は逆手に取っていたのだ。
こちらが仕掛けた罠など無意味。逃げ道そのものが、すでに罠だった。
狼は力も速さも備えている。
だが何より恐ろしいのは、その知恵だ。
こちらをおびき寄せ、追い込み、最も逃げ場のない場所で仕留めようとしている。
勝ち目など――なかったのだ。
胸の奥が凍り、呼吸が浅くなる。
目は勝手に辺りをきょろきょろと探す。
必死に何かを探した。
そして――見えた。
木の根と岩の隙間に、わずかな裂け目。
人間なら無理だが、うさぎの小さな体なら、くぐれるかもしれない。
迷っている暇はなかった。
考えるより先に、体は飛び込んでいた。
だが――。
飛び込んだ先は崖だった。
「っ......!」
地面が消え、空気が一気に逆巻いた。
視界が暗転し、重力が背中を引き裂くように襲いかかる。
地面が迫る。死が迫る。
反射的に意識を裏返した。
体が小さく、軽く、細かい羽音を立てる。
羽虫の姿に変わり、落下の勢いを風へと逃がす。
ぎりぎりで墜落を免れた。
だが背後から、さらに大きな影が迫る。
――ワシ。
狼はすでに姿を変えていた。
鋭い翼が空気を切り裂き、黄金の目が獲物を射抜いている。
「くそっ......!」
虫の翅では、到底振り切れない。
視界の端に、あの池が見えた。
考えるより早く、体はそちらへ飛んでいた。
風に煽られ、水面が近づく。
ばしゃん!
羽音が消え、体が水に触れた瞬間――鱗が生まれる。
中型の魚。滑るように水へ溶け込み、全身で流れを掴む。
その直後、水面が爆ぜた。
ワシの影が湖を割り、鋭い嘴が水中を突き破る。
光が乱れ、波が弾ける。
ほんの紙一重。
水流を切り裂き、男は身をよじってかわした。
水底へ、必死に泳ぎ下がる。
背後で水音が響き、羽が打ち震える気配があった。
全力で、ただ全力で――逃げるしかなかった。




