迫りくる脅威
心を整える暇もないまま、時は無情に過ぎていった。
見えない檻の境界は日に日に狭まり、森の奥へ奥へと追いやられる。気づけば、自由に動き回れる範囲は手のひらほどに縮んでいた。
男はそれでも罠を作り続けた。落ち葉を薄くかぶせた溝、崩れやすい枝、岩陰に仕込んだ不安定な石。すべてはほんのわずかな時間稼ぎにすぎないと分かっていても、掘り返し、仕掛け、汗のように土をまとって動いた。
その時だった。
――かさり。
背後で微かな音。
風かと思った。だが違う。もっと重く、意思を帯びた音だった。
胸が凍りつく。
罠が作動したのか?
恐る恐る離れた位置へ回り込み、視線だけを伸ばす。
......いた。
狼。
黒い毛並みと金色の目。
地面に鼻を近づけ、土を嗅いでいる。
「っ......」
息を殺す。心臓が耳の奥で暴れた。
完全に位置を割られたわけではない――それが唯一の救いだった。
だが、匂いの線は確実にこちらへ伸びている。
先に気づけたのは僥倖だ。
しかし、音を立てればすぐに感づかれる。
かといって、このまま動かずにいても、匂いで追いつかれるのは時間の問題。
体は石のように固まった。恐怖で動かない。
そして――目が合った。
金色の光がこちらを射抜いた瞬間、全身の金縛りが解ける。
考えるより先に脚が動いた。
走る。
草を蹴り、枝を裂き、森を裂いて駆けた。
仕掛けた罠の脇をかすめ、己が網を掻い潜るようにして逃げる。
背後。
狼も走った。だが、罠を避けている。確かに罠にかかる位置を外して追ってきていた。
まるでこちらの意図を読んでいるかのように。
「......っ!」
耳が風に鳴り、肺が焼けるように熱い。
それでも走り続ける。
うさぎと狼。
本来なら決定的な差がある。
少しの足止めが生死を分けるが、追う側のほうが圧倒的に有利だ。
なのに――追いつかない。
振り返ると、一定の距離を保っている。
いつでも追いつけるはずなのに、あえて近づかず、ただ獲物の逃げる姿を見ているように。
「......なぜ......?」
疑問が喉を焼いた。
だがその答えを考える前に、森の空気が急に重くなった。
気づいた時には、もう遅かった。
地面の匂いが変わる。
木々の配置が不自然だ。
――囲まれている。
足が止まる。
遅れて、背後から風が走る。
檻が狭まったのではない。
いや、それ以上に。
「待ち構えていた......!」
喉の奥で声にならない悲鳴が漏れた。
次の瞬間、影が前後から迫った。




