大事な人
「腕を大きくふって~」
ラジオから、軽快な声が流れていた。
私は、ラジオ体操をやっている小学生の群れを眺めていた。
その中には、省吾もいた。
やっと体操が終わり、グラウンドから小学生たちがぞろぞろ出て来た。
私の目の前を、省吾が通りかかる。
私は、省吾に声をかけた。
「おはよ!」
省吾は、びっくりして顔をあげた。
「おばさん!」
「おばさん言うな!」
「僕が此処にいるって、よくわかったね」
「夏休みの小学生って言ったら、ラジオ体操でしょ。したらこの辺にいるって、察しつくよ」
「そっか」
「ねぇ、今から省吾の家に行っても良いかな?」
「今から?」
「うん」
笑顔になった省吾は、元気よく歩きだした。
こんなに、省吾が喜ぶとは思わなかった。
省吾の喜びが嬉しくて、省吾のことを殴った高木が凄い目つきで睨んでいたことに、私は気が付かなかった。
グラウンドを出て、省吾と出会った公園を横切る。
すると、目の前を向が歩いていた。
私は、向に声をかけた。
「おはよ、向」
「あっ、先生!おはようございます!」
私に挨拶をした向は、私の隣にいる省吾に気がついた。
「もしかして、この子が噂の省吾君?」
「そっ。省吾だよ」
「初めまして、向と申します。省吾君のことは、先生からよく聞いています。どうぞよろしくお願いします!」
向は深ぶかと頭を下げた。キョトンとしていた省吾は我に返り、慌てて頭を下げた。
「よろしくお願いします!」
私の目の前で、二人が頭を下げているので、私は思わず笑ってしまった。
私の笑い声につられて、省吾も向も笑い出した。
「今、先生の所に行こうとしたんですよ」
「そうなんだ」
「僕も行きたい!」
省吾の言葉に、向が誘った。
「じゃ、一緒に行きましょう」
省吾の家に行くはずが、急きょ私の家に行くことになった。
歩きながら、夏の家族のことや私の彼氏健一のことを省吾に話した。
私に彼氏がいることを、省吾は驚いていた。驚く省吾に、向が言った。
「とても良い青年ですよ!やさしくて、控えめで」
「じゃあ、向さんみたいだね」
「そんなぁ~照れますよ」
省吾が、私の方を見て言う。
「皆に、会ってみたいな」
「会わせてあげるよ」
「本当?絶対だよ!」
「うん、約束するよ」
商店街を通り抜けて、私の家に着いた。
玄関を開け部屋に入り、私は窓を開けた。
向は台所に行って、冷蔵庫を開けると麦茶を出し、省吾に麦茶をすすめた。
「省吾君。私は先生に話がありますから、二階に行っていますね」
「うん」
向が二階に行き、階段を上がりかけた私は省吾の方を振り返って言った。
「すぐ終わるから、待ってて」
「うん」
ひとりになった省吾は、部屋の中を見渡した。 木造二階建ての家。
奥の部屋を覗き込み、部屋の中に入ってみる。大きなタンスふたつと、同じくらい大きな本棚ふたつが部屋の中を埋めていた。
奥の部屋を出て先程いた部屋に戻り、テーブルの上に置いてあった麦茶を持って縁側に座る。
―――おばさんに出会ったあの日から、何かが変わろうとしている。
省吾はそんなことを思いながら、これから出会うまだ見ぬ人達に、希望と不安を抱いていた。
「省吾ぉ~。おいでぇ~」
二階から省吾を呼ぶ私の声に、省吾の思考は途切れ、我に返り返事をした。
「はぁ~い」
麦茶をテーブルに置き、急いで二階に行った。
二階の部屋で、私は窓の側に置いてあるロッキングチェアに揺れていた。
小さな折りたたみ式のテーブルの前に座っていた向は、いつも持ち歩いている黒色のスーツケースの中を整理していた。
向の隣にそっと座った省吾は、部屋の中を見回しながら言った。
「静かで落ち着くね」
省吾の言葉が嬉しくて、私は声を出さずに笑った。
スーツケースのふたを閉じた向が言った。
「じゃあ、私は失礼します」
「ん、お疲れさん」
ロッキングチェアに揺れながら私が言うと、向は部屋から出て行った。
向がいなくなると、省吾は私に言った。
「ねぇ、これからも此処に来て良い?」
「良いよ」
言いながら私は、ズボンのポケットから携帯を取り出した。
省吾も同じように携帯を取り出した。
「携帯持ってるんだ」
「お父さんと二人暮らしだから、何かの時にって渡されたんだ。使ったことないけど」
その横顔は、少し寂しげだった。
「じゃあ、これから使うことになるね。番号とアドレス教えるよ」
「本当?」
省吾の表情が明るくなり、私と省吾は携帯の番号とアドレスを交換した。
「メール送れるかなぁ?」
「大丈夫だよ。こんなの簡単だよ。メール待ってるよ」
「うん」
「そうだ。向の番号とアドレス、教えてやるよ」
「やったぁ!」
「省吾の番号とアドレス、向に教えても良いよね?」
「もちろん」
省吾が帰った後、私は二階の部屋でパソコンのキーを叩いていた。
携帯のメール着信音で我に返り、パソコンのキーを叩いていた手を止めた。
メールの相手は、省吾だった。
省吾から来たメールを読んだ私は、省吾に返信を送った。
省吾の喜ぶ顔を思い浮かべながら、健一にもメールを送った。
その夜省吾は、塾の帰り道をひとり幸せな気分で歩いていた。
「省吾」
自分を呼ぶ声に顔を上げると、担任の前田が立っていた。
「先生」
「塾の帰りか?」
「はい」
「なんだか、嬉しそうな顔しているな」
「僕、初めてメールをもらいました」
「メール……携帯のか?」
「はい」
「誰なんだ?メールの相手は。好きな子か?」
「ち、違います!違うけど……とても大事な人です」
「そうか。省吾の担任として、一度会ってみるか」
その言葉に、省吾は笑った。
「先生。僕、こっちだから。さようなら!」
「気をつけて帰れよ!」
小さくなっていく省吾の背中を見つめて、前田は嬉しく感じた。
―――あの省吾が、自分のことをこんなに積極的に話すなんて。
省吾の言っていたメールの相手に、前田は興味を持ち始めていた。




