明と暗
ファミレスを出て花屋の前で健一と別れた私は、向がいる会社に寄って用事を済ませた。
家に帰る頃には、陽はすっかり暮れていた。
しかし、暑さの方は健在だった。
たばこを吸うため、昨日の公園に寄り道をした。
ベンチに腰掛けたばこを吸っていると、昨日の男の子が少し離れたベンチに腰掛け、菓子パンを食べている姿が見えた。
男の子の口元には、絆創膏が貼ってあった。たばこを携帯灰皿にもみ消し、私は男の子の側に行った。
「昨日、殴られたとこ大丈夫?」
男の子は勢いよく顔を上げ、私の顔をまじまじと見つめた。
私のことを、覚えているみたいだ。
私は男の子の許可も得ず、男の子の隣に座った。
男の子は弾かれたように腰を上げると、私を避けるようにベンチの隅に座った。
露骨だなぁ……そう思っていると、男の子のバッグに目がいった。
私の視線に気がついたのか、聞いてもいないのに男の子のは言った。
「今から、塾に行くんだよ」
「塾かぁ。じゃあ、それが夕飯?」
「うん」
「今から行くんじゃ、帰りが遅くなるね」
「もう、慣れたよ」
「そっか。ねぇ、なんて名前?」
男の子のは食べ終えた菓子パンの袋をバッグの中に入れ、口をもごもごさせながら答えた。
「……省吾」
「省吾……。省吾は、何年生?」
「五年」
「昨日、省吾を殴っていた男の子も五年生?」
「うん」
「大きい子だね」
「学年で、一番大きいよ」
「なんで、殴られたの?」
「僕が、気に入らないからだよ」
その言い方は、まるで人ごとのようだった。
「殴った子は、なんて言う子?」
「……高木って言う子だけど。なんなの?なんで、そんなこと聞くの?」
「殴られているとこ見ちゃったら、気になるじゃん。ご両親だって、心配しているでしょ」
「心配する人なんて、いないよ」
「えっ?」
「母親いないんだ。父親は仕事で、夜中にならないと帰って来ないし」
「そうなんだ」
省吾はバッグを掴むと、ベンチから立ち上がり歩き出した。
私は省吾の背中に、言葉を投げた。
「ちゃんと、勉強しろよ!」
私の声に省吾は立ち止まり、私に背を向けたまま言った。
「……ハンカチ、ありがとう。嬉しかった」
「ん!」
省吾は、ゆっくりと振り返った。
「また、会えるよね?」
私は、静かに頷いた。
省吾は、初めて私に笑顔を見せた。
「おばさん、またね!」
「お……おば……」
反撃をする間もなく、省吾は走りだし、公園を出て私の視界から消えた。
思わず笑いだした私は、そっと言った。
「省吾、またね」
家にたどり着いた時には、すっかり真っ暗になっていた。誰もいないはずの家には、明かりが点いていた。また、向が来ているようだ。
「ただいま」
「おかえり~」
台所から向だけではなく、夏の声も聞こえた。私は靴を脱ぐと、台所に向かった。
「夏も、来てたんだ」
「うん!お父さんが、行っても良いって」
向が、料理を運びながら夏に言った。「やさしいお父様ですね」夏は、照れ笑いをしていた。
私は、夏に言った。
「夏、ビール飲む?」
「飲もっかな。ねぇ、向さんも飲む?」
「いえ、私は、遠慮します」
「え~なんで~?」
「昔、飲んでそのままひっくりかえって。次の日は、嘔吐と頭痛。以来アルコール類は、敬遠しています」
「うそぉ」夏は、大笑いをした。
畳の部屋の長方形の大きなテーブルに、向と夏が作った(ほとんど、向が作った)料理が並んだ。
私と夏が並んで座り、向はテーブルを挟んだ私の目の前に座った。
私と夏はビール。向は麦茶。
「乾杯!」三つのグラスがチリンと鳴った。
向の作った料理に、夏が感動の声を上げた。
「向さん。これなら、コックになれるよ!」
「照れますから、やめてください」
私は先程公園であった出来事を、夏と向に話た。
事情を何も知らない夏には、最初から話た。
話し終えると、夏が切り出した。
「省吾って子、意味もなく一方的に殴られているんだ」
夏の言葉に、私はうなずいた。
「親は、気付いているのでしょうか?」
向の問いに、私は答えた。
「父親と二人暮しなんだって。省吾のこと、かまっていないみたいだから気がついていないよ」
「お姉ちゃんもよく、省吾って子に話かけたね」
「なんか、気になるんだよ」
ドアの閉まる音で、省吾は目を覚ました。
眠るつもりなんてなかったのに、いつの間にか眠ってしまったらしい。
省吾はべッドから降りると、自分の部屋を出て、リビングに行った。
リビングでは父親が、ビールを飲みながら新聞を読んでいた。省吾はそっと、父親に声をかけた。
「お帰りなさい」
「なんだ、まだ起きていたのか」新聞から顔を上げず、父親が言った。
「あのさ……」
「夏休みだからと言って、夜更かしするな。早く寝なさい」
「はい。おやすみなさい」
省吾はリビングを出て、自分の部屋に戻った。
省吾の口元には、まだ絆創膏が貼ってあるのに、父親はとうとう一度も省吾の顔を見なかった。
省吾は、そっと布団の中に入った。暗い天井を見つめる。
……お父さん、成績表見てくれないんだ。
リビングのテーブルには省吾の成績表が、ずっと置きっぱなしになっていた。




