本音
不覚にも、自分らしくないことをしてしまった。
健一から離れた私は、健一の顔をまともに見ることができない。
私は、黙ったまま店の中に入って行った。
健一は何も聞かず、私の後についてきた。
健一が何も聞いてこなかったことが、せめてもの救いだ。
店内では健一の父親が、店の掃除をしていた。
「今日は、もう店を閉めよう。掃除が終わったら、おやっさんの店に行こう」
おやっさんの店とは、息子の正人と二人でやっている店で、健一の父親の行きつけの店だ。
私は店の掃除を手伝い、掃除が終わった後三人で出かけた。
健一の父親の行きつけの店内は、夜の雰囲気を醸し出していた。
健一は物珍しげに、店内を見回していた。
私たちは、カウンター席に座った。
目の前のマスターは、少し驚いた表情で健一を見ていた。
「マスター、息子の健一だ」
健一の父親がそう言うと、マスターは慌てて頭を下げた。
他の客の接待をしていた正人が、小走りにやってきた。
「健一さん?わぁ、会いたかったんですよ!」
私は健一にわかるように、手話で説明をした。
健一は笑顔で頭を下げ、正人も笑顔で頭を下げた。
「健一さんって、かっこいい!超憧れる〜」
健一をベタ褒めした正人に、6健一の父親はオーダーをした。
「正人、ビールとウーロン茶。それから、ナポリタン人数分」
「はい、かしこまり〜」
正人は、厨房に入って行った。
「あんな奴ですが、根はいい奴です。末永くよろしく」
マスターの言葉を私は健一に代弁すると、健一は優しく笑った。
正人特製のナポリタンは、期待を裏ぎず美味しかった。
ゆっくり味わって食べるつもりだったのに、気が付いたら既になくなっていた。
健一も正人が作ったナポリタンに満足したのか、終始笑顔だった。
食事を終えた頃、健一の父親が突然カウンターのテーブルをノックするように、三回叩いた。
テーブルを叩いた振動で気が付いた健一は顔を上げ、父親の方を見た。
手話を交えて、健一の父親は切り出した。
「率直に言うぞ。お前たち、結婚はしないのか?」
私と健一は、思いがけない言葉に顔を見合わせた。
「どうなんだ?」
急かす健一の父親に、私は戸惑いながら手話を交えて言った。
「どうって……話し合ったことがないから」
黙り込む私に、カウンターの中にいたマスターが言った。
「結婚の話は、これが初めて?」
「はい……」
「いずれ通る道だ。良い機会だ。この際、本音で話し合った方が良い」
私は、黙ったままタバコを吸い。
タバコを灰皿に押しつぶした。
真っ直ぐ健一をみつめ、手話を交えて切り出した。
「結婚は、考えていない。健の障害は、関係ない。そこは、わかってほしい」
(わかった。でも、僕は君と一緒になりたい)
健一の気持ちは嬉しかったけど、結婚を考えていない私は、健一に過度な期待を持たせてはいけない。
(希望を持って良いかな?いつか、一緒になれるって)
「希望に、応えられるかわからない。ごめん」
(僕は、いつまでも待っているよ)
そう言った健一は、そっと私の肩を抱き寄せた。
「なんでそんなに、結婚に頑ななんだ?」
健一の父親の問いに、私はつぶやくように言った。
「怖いんだよ」
「怖い?」
「ずっと、ひとりだったから」
健一の父親は、それ以上何も聞くことはなかった。
店を出る時、正人が見送りに出てくれた。
正人は、私にそっと言った。
「健一さんと、とてもお似合いだよ。結婚して、幸せになりなよ」
「今でも、充分幸せだよ」




