やさしい夜
前田と電話を終えた私は、二階の部屋でパソコンのキーを叩いていた。
気がつくと、部屋の中は西日で真っ赤に染まっていた。
机の上の小さな置時計は、 午後五時を指していた。朝ごはんを食べたきりなので、お腹が空いた。
パソコンの電源を落とした 私は、二階から下の部屋に行った。
階段を降りていると「こんにちは〜」の声と共に、玄関の引き戸が開いた。 健一の父親だった。
「ちょっと出たついでに、寄ったんだよ 。夕飯は食べたか?」
「まだ食べてない」
「ちょうどいい 。俺の馴染みの店に、連れて行ってやる」
「待ってて、 すぐ支度する!」
お腹が空いていた時に 、まさにこのタイミング !これを、断るはずがない。 私は、急いで出かける支度をした。
健一の父親が私を連れて行ったその店は、健一の家のすぐ側にあった。小さな店で、昼はランチを出していて、 夜になるとバーになると健一の父親は言った。
「俺の、馴染みの店なんだ」
そう言いながら 、健一の父親はドアを開けた。
「いらっしゃいませ」
カウンターの中にいた、五十代前半くらいのリーゼント頭に薄黒いサングラスをかけたマスターが、私たちを静かに迎えてくれた。
店の中は 薄暗く、 カウンターとテーブル席が四つしかなかった。
マスターの他に 、十代後半くらいの金髪の髪を後ろで一つ結びにした、 痩せ型の男がいた。白い ティーシャツにジーパンを履いていて 、黒いエプロン姿というラフな格好をしていた。この店の、ウェイター だろう。
健一の父親と並んで カウンターの席に座ると、物 珍しげにマスターが言った。
「おやっさん 、珍しいですね 。女 連れとは」
「健一の彼女だよ」
あーと マスターは、納得した表情になった。
「健のこと、知ってるんですか?」
私は、マスターに尋ねた。
「おやっさんから、話は聞いているよ。 会ったことは、ないがね」
その時、 横の方で声がした。
「おしぼりで〜す 。どうぞ!」
ウェイターが、私たちにおしぼりを手渡してくれた。 マスターが、ウェイターを紹介してくれた。
「俺の息子だ」
「正人で〜す。よろしく〜」
よく見ると、正人は今時の可愛い顔立ちをしていた。
「ご注文、お願いします」
健一の父親は 、即答をした。
「ビールと、グラスを二つくれ 。それから 、ナポリタンを二つ」
「かしこまりましたぁ」
正人は 素早く、 ビールとグラスを二つ持ってきてくれた 。健一の父親は、ビールの栓を抜き 、二つのグラスにビールを注いだ。
「ニュース見たか?」
健一の父親は、ビールを飲みながら 唐突に切り出した。
「えっ?見てないけど。 てか、 テレビ ないし」
「テレビないのか」
健一の父親は、呆れた 声を出した。 私は少しひねくれた顔で、ビールを飲んだ。
「いじめを受けた子供が、自殺をしたんだ 。ニュースでやっていた」
どんな子供か知らないが、やりきれない。 私は黙ったまま 、残りのビールを飲み干した。健一の父親は、 空になった私のグラスにビールを注いだ。
「そのニュースを見て、気になったんだ。 省吾 君、いじめられているんだろう 。健一 から聞いたよ」
「うん。 実は、 昨夜もいじめがあって。それが、ちょっとひどかったんだ」
私は昨夜のことを、 健一の父親に聞かせた。私の話しを聞いた 健一の父親は、省吾より高木 のことを気にしていた。
「殴った上に、万引きか 。高木君だっけ? 一体、どうしちゃったんだ」
「わからない」
「小学生でそんなんじゃ、この先不安だな 。今のうちに、なんとかしないと。そうだ !あんた、 一回 高木君と会って話をしたらどうだ?」
「なんで、私が?高木と会って話をしても、高木が更生するとは思えない」
「いやいや、 わからないぞ。現に省吾君は、あんたになついているじゃないか」
突然、何を言い出すのか。なんだか、本当に高木と会う羽目になりそうだ。そう 思った時だった 。天使の声が 、聞こえてきたのは。
「お待たせしました 〜。ナポリタンです!」
目の前に置かれた ナポリタンは、鉄板の上に乗っていてケチャップの色が色鮮やかだった 。横に添えられた、ナプキンにくるまれたフォークとスプーンが可愛かった。 息を飲んで、ナポリタンを見つめている私にマスターが言った。
「正人が作ったもんは、うまいぞ」
私の側に立っていた正人は、笑顔で手のひらを返した両手を、私の前に差し出した。 私は、フォークをつかんだ。
二時間ほど 店で過ごした後 、私と健一の父親は店を出た。店を出ると、正人が見送りに外に出てくれた。
「また、来てくださいね。今度は、健一さんと一緒に」
「ありがとう 。また、お邪魔するよ」
「ありがとうございました !おやすみなさい」
「おやすみ」
正人と別れ、 健一の父親と並んで歩く 。ふと 私は、健一の父親に尋ねた。
「正人君のお母さんて、どんな人?」
「今度正人と、ゆっくり話してこい」
何か 、複雑な事情があるらしい 。そう感じた 私は、それ以上聞かなかった。
不意に健一の父親が、立ち止まった 。私も同じように立ち止まる。
「あんたには、感謝している。本当なら、結婚して子供がいてもおかしくない年頃なのに。障害を持った息子なんかと、つきあってくれて」
「誤解しないで。 同情とかで、つきあっているんじゃない」
健一の父親は、 じっと私をみつめた。
「健だから、つきあっているんだよ」
健一の父親は、優しく微笑んだ。私もそっと微笑み、 健一の父親の腕を取って歩き出した。




