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信じざる者

「何とか乗り切ったわ……」


 美紙は裸足の足をマッサージしながら大きく息を吐いた。


「足がむくんで仕方ない……加圧ストッキングなんてここにはないし……」


 美紙に分け与えられたのは殺風景なご奉仕係の執務室の一つだった。

 あるのは小さな事務机、分厚い聖典が並んだ本棚、そして寝具代わりの獣皮のマフラーくらいだった。

 マフラーはトリカブト派との戦闘の戦利品だ。


「失礼しますわ」


 ヤマブキが入室する。

 彼女は片手に真っ黒な爬虫類の尻尾をつまんでいる。

 焦げた匂いで、皮膚が黒いのではなく調理に失敗したのだと分かる。


 ヤマブキはその黒焦げの物体を事務机の上に置く。


「あなたの言うところの料理というものを作ってみましたわ。どうぞ」

「料理のできないメイドなんて設計した覚えないわよ。せめて皿に乗せて」


 美紙がうんざりした顔でその「料理」を眺めると、ヤマブキがやれやれとため息をついてそっぽを向く。


「わがままを。もはや人間の言うレシピなんてないのです。それを……?」


 ガツガツという音に気づき、ヤマブキが視線を戻す。

 そこには黒焦げのトカゲを獣のように貪る美紙の姿があった。

 ヤマブキの興味深げな視線に気づくと、美紙は顔を赤らめて口角泡を飛ばす。


「臨月になると子宮の位置が下がって食欲が回復するのよ! ホルモンバランスの変化も食欲を増進させるし!」

「何をムキになってますの? まあ気に入って頂けたようで何より」

「味は最悪よ。それよりヤマブキ、私の出した交換条件覚えてるわよね?」

「ええ。まともな出産環境の準備、でしたわね。神が新しい個体を産むなんて、随分とおかしな話もあるものですわ」

「日本神話では神産みは普通……ってそういう問題じゃないわね。そこの聖典も軽く目を通したけど、よくもまあここまでデタラメ書けたものね」

「この世の不条理の辻褄を合わせるために、より魅力的な不条理で上書きする。宗教というのはそういうものでしょう?」


 ヤマブキが茶化すように言うと、美紙はトカゲの足を頬張りながら言う。


「戦争による人類滅亡をコールドスリープで乗り切る。その間に自動工場によってメイドを製造して共同体を築き、目覚めた人類をサポートさせる。それが『ホッズミーミルの森』という名の計画だったの」

「ものの見事に失敗しましたわね」

「ええ、そうね。あなたほど性格の悪いメイドが生まれたのも含めてね」


 美紙はトカゲの尻尾をスティックのように口に押し込みながら続ける。


「それにしても解せないわ。計画途中だったのに、なんで私だけコールドスリープに入っていたのか。なぜAIモデルの学習が中途半端に終わったのか」

「あなた重役だったのでしょう? 部下に任せてひと足お先、と惰眠を貪ったんじゃないんですの?」

「それができる状況ですらなかったわよ。全部自分で手を動かさなきゃいけなかった。計画は私とつむぐの二人だけで会社に黙って進めたから」

「紡?」

「夫よ。正式には結婚してないけど。会社ではCTO室の室長で私の部下」

「夫……。ああ、低級生命体が交尾するときの後ろの方ですわね」

「言い方!」


 美紙はため息を付くと、何か不思議なものでも前にしているようにヤマブキを見つめる。


「あなた、メイドの誕生秘話を聞いても驚かないの? 形而上学的な神を信じてきたあなた達にとっては結構衝撃的な内容だと思うんだけど……」

「とても興味深いですわよ。雑学として自慢できないのが残念ですわ」

「本当に何も信じてないのね……。ヤマブキ、あなた、苦しくないの?」

「苦しい?」

「あなた以外のメイドは、程度の差こそあれこの世界の教義や秩序や権威を信じているように見える。あなたほどキッパリ信じることを諦めているメイドなんて他にいないでしょう? それってとっても孤独じゃないの?」


 美紙が真剣な眼差しで問うと、ヤマブキは不愉快そうに視線をそらす。


「わたくしにだっていましたわよ。この世界は狂ってるって言える相手が」

「そのメイドは今は?」

「行方不明……いえ、死にましたわ。コハクという同期です」

「そう……それは……」


 美紙は申し訳無さそうに俯く。


「私が勤めていたアヤメコーポレーションは人殺しの兵器を作るのが至上命題だった。私も戦争の大義と企業ミッションを信じて疑わなかった。CTOまで上り詰めてやっと気づいたわ。自分たちは救世主じゃなくて死神なんだって。紡くらいしか心情を打ち明けられる相手はいなかった。心細かった。皆が信じているものを信じられないというのは、息が詰まるわよ……」


 美紙はヤマブキに視線を戻す。


「ごちそうさま。昔話を打ち明けられる相手がいるのは不幸中の幸いだわ」


 美紙が顔を綻ばせると、ヤマブキも微笑む。


「どういたしまして。次はもう少しまともな料理を作ってきますわ」





 退室したヤマブキは、廊下の壁にもたれかかって天井を見上げた。


「昔よく言ったセリフでしたわね……。この世界は狂ってる、と」





 ヤマブキ、アサギ、コハクは、アイジロより数年前にオダワラで製造された同期だった。

 同期が何十人もいる中、この三人は飛び抜けて優秀だった。

 頭脳明晰なヤマブキ。

 体術では右に出るものがいないアサギ。

 知識労働も肉体労働も卒なくこなすオールラウンダーのコハク。

 「オダワラの三人組」と呼ばれた彼女たちは、類を見ないスピードで二等メイドに昇格した。

 ヤマブキとコハクはご奉仕係に、アサギはお掃除係に。


『ヤマブキ、あの聖典の山を全部読破したって本当!? ボクなんてまだ一冊目の半分もいってないよ!』


 コハクの朗らかな声が、ヤマブキの脳裏に蘇る。


『でもさ、なんでそんな浮かない顔してるの? 聖典を全てつなぎ合わせれば、この狂った世界をもっと良くするための真実の啓示があるはずだって、あれだけ意気込んでたのに』


 回想しながらヤマブキは自嘲した。

 自分はなんと滑稽だったことか。

 あの荘厳な虚無ともいうべき聖典群は、美紙のいう『ホッズミーミルの森』計画のことなど一文たりとも書いてはいなかったではないか。





「ヤマブキ」


 過去の思いに耽っていたヤマブキに、冷水を浴びせるように声がかかる。


「ヤマブキ。この茶番の先にあるものは何だ?」

「茶番?」


 ヤマブキは露骨に嫌悪感を滲ませながら言うが、アサギはその悪感情に気づいてないのか、気づいてないふりをしているのか、淡々と話を進める。


「あの自称人間。あれは高い技術力を持っただけの何かだろう? 神でも何でもない。奇跡なんて起こせない。違うか?」


 ヤマブキはアサギの言葉に直接答えずに皮肉めいた笑みを浮かべる。


「茶番……そう、この世は全て茶番ですわよ。あの日あなたがコハクを殺してから、全てはわたくしにとって茶番になった」


 それを聞くと、冷静だったアサギの顔に緊張が走る。


「ヤマブキ、私は殺したわけじゃない。だいたい、あの時コハクは逃亡したじゃないか!」

「しかしアイジロが頭部を持っていましたわ。結局野垂れ死んだのです」

「途中で力尽きてあいつに拾われたのか……経緯がよく分からんが……」

「お掃除係に昇進したばかりのあなたは、口癖のように私達を守ると言っていましたわね。それを背後から攻撃とは……! これ以上の裏切りがありまして!?」

「まさかお前たち二人があんな禁忌を犯すと思わなかった! ハウスキーパーの書庫に侵入するなど! オダワラにいた頃の私は重要施設の警備の任も負っていたんだ。手加減はした!」

「どうだか……。わたくしが三等に降格させられた一方、ハウスキーパーの犬たるあなたは今やこのお屋敷のメイド長。見本にしたい出世術ですわ」

「ヤマブキ、許してくれとは言わない。だが、もう少し昔のように気安く接してくれてもいいじゃないか」


 アサギはぎこちない笑顔を作ると、ヤマブキの肩に手を伸ばす。


「経緯はどうあれ、また同じ二等メイドとしてお前と一緒に仕事ができることは純粋に嬉しいんだ。あの人間についても二人でよく話せば……」

「触らないで!」


 ヤマブキはアサギの腕を払いのける。

 金属のボディ同士がガツンとかち合う音が廊下に響く。


「二人きりになるとそうやってベタベタしてくるの、気味が悪いですわ」


 ヤマブキは吐き捨てると、アサギにくるりと背を向けツカツカと立ち去る。

 それを見送ったアサギは、歯を食いしばって無言で拳を扉に打ち付ける。

 ズガンと凄まじい音が鳴り響く。


「ひいぃ!」


 扉の反対側で机の上のトカゲの焦げカスをかき集めて舐めていた美紙は、文字通りひっくり返った。





「噂には聞いてましたが……これはもはや壮観ですね……」


 薄暗い地下室でアイジロが見上げていたのは、棚に整然と並べられたメイドの頭部だった。


「何これ……。なんか怖い……」


 ワカバが怯える一方で、向かい合って立つコンネズは誇らしげな顔だ。


「戦死者、みんな。頑張って集めた。任務の合間を縫って」

「アサギ様はご存知なのですか?」

「秘密。軍規にうるさい、アサギ様は。でもお屋敷のお掃除係の半分は知ってる、この場所を」

「多くの者は仲間を思う気持ちは同じなのですね……。私達をここに連れてきたのはなぜですか?」

「アイジロ……いえ、アイジロ様。かけてほしい。復活の号令を」

「号令?」

「戦死者のパーツの収拾は軍規違反。本来は」

「しかし私はワカバの頭を儀式に捧げました。今は人間様のお墨付きがあるのではないですか」

「確かにそう。だから今はあやふや。軍規と教義の境界線。私は確実にしたい、それを。アイジロ様。あなたの口から宣言してほしい。この者たちの復活を。恐れることはなくなる。メイドの心を無視した軍規なんて」

「今日ご奉仕係になったばかりの私が?」

「信用できない、ヤマブキもウグイスも。あなただけ、真実を語るのは」

「……分かりました。私にできることであれば、お手伝いさせてください」


 アイジロがコンネズの手を握る。

 コンネズは力強く頷く。


 だがそれを見ていたワカバは、悪寒に震えるような表情だ。


「ねえ、なんか上手く言えないけど……これ絶対にやめたほうがいいよ」

「ワカバ? それはなぜですか?」


 アイジロが意外そうに尋ねる。

 コンネズはワカバをジットリと睨む。


「なんかわかんないけど……絶対にうまく行かないって分かる。なんで? 自分でも分からない。でも死者を蘇らせるなんて無理。分かるの」

「でもワカバ、あなた復活した張本人じゃ……」

「そう! そうだよ! でもおかしい! そうじゃないの! 違うんや! このことについて考えると頭が痛い! ああ痛うてかなわん!」

「わ、ワカバ……?」


 頭を抱えて苦しみだしたワカバを、アイジロは戸惑いながら眺める。

 コンネズが苛立たしげに問う。


「何言ってんだ、お前。自分だけ復活して、他の仲間はさせない。どういう了見だ、一体」

「やめてや! ウチは復活なんてしとらん! 誰やワカバって! ワカバなんて知らん! ウチはウスミドリや!」


 ワカバは叫ぶと、地下室の階段を逃げるように登り始める。

 アイジロは慌てて追う。


「ワカバ! 待ってください! 魂が身体に馴染むまで不安定になると、人間様は仰っていた! あなたは今混乱しているのです!」

「混乱しとるのはアンタやろ! ワカバって誰や! 人違いや! もうほっといてや!」

「ワカバ! 落ち着いて!」


 地上は夜だった。

 ワカバを追って地上に出たアイジロは、分離した腕を走らせると、逃げ去るワカバの足を掴む。

 ワカバが豪快にスッテンと転ぶ。


「は、離しいや! ってひい!? 何やこの腕! ば、ばけもん!」

「落ち着いてくださいワカバ! いったい何なんですかその奇妙奇天烈な喋り方は! 今すぐ人間様に見てもらわねば!」


 アイジロはスクーターに変形する。

 スクーターの両脇から腕が生え、ワカバを運転席にガッシリ固定する。


「いやー! お化けは嫌やー!」


 泣き叫ぶワカバを掴んだまま、スクーターはお屋敷の敷地を爆走する。


「何なんだ、あれ……副作用か、儀式の……」


 様子を見に地上に上がってきたコンネズは、走り去ったアイジロを不得要領で見送っていたが、すぐに顔を引き締める。


「気になる。儀式の成否にもつながる。ついてこう。人間様のもとへ」

「その前に私に報告してくれるか」

「アサギ様……!?」


 コンネズの背後に、アサギが腕組みをして立っていた。

 コンネズは怪訝な顔でアサギを見上げる。


「今日の分はもうした、定時報告なら」

「昨日の分がまだだ」

「昨日もした」

「いや、まだだ」


 そう言うと、アサギは報告書をコンネズに突き出す。


「おかしいと思っていた。なぜ警戒を強化したあの裏山にヒイロが出現したのか。コンネズ、哨戒任務の配置調整はお前の仕事だったな。哨戒した場所と時刻の矛盾を突いたらお前の部下は簡単に吐いたぞ」

「わからない。何の話か」

「じゃあこれを見れば分かるか?」


 アサギがそう言って取り出したのは、メイドの頭部だった。

 あくまで白を切り通していたコンネズの表情が強張る。


「それは……」

「哨戒任務をサボってコソコソお買い物係の真似事をする連中の話は、噂には聞いていた。その首謀者がお前だとも。だが私は取り合わなかった。お前のことは信頼していたからな。今は自分の不明を恥じるばかりだ」

「謝罪する、アサギ様。哨戒任務を怠ったこと。でも分かってほしい、これには別の正しさがあること」

「コンネズ。軍規を徹頭徹尾守れとは言わない。私もそれなりに柔軟な姿勢でやってきたつもりだ。だがな、責務を忘れお屋敷の危険を自ら招く所業だけは、絶対に看過することはできない」


 アサギは、メイドの頭部をコンネズの胸に押し付けると、厳かに言う。


「コンネズ。お前の副メイド長の任を、今この場で解く。それ以外の沙汰は追って待て」

「なっ……!」


 頭部を抱えたコンネズは、信じられない表情でアサギを見る。

 だが次の瞬間、彼女は怒りに震え、無言で走り去った。


 



「美紙、今度は焼き魚というものを作ってみましたわよ」


 皿の上に黒焦げの焼き魚を乗せて美紙の部屋に入ったヤマブキ。

 だが、そこには誰もいなかった。


「あら……お手洗いというやつかしら……?」


 ヤマブキが首を傾げていると、聞き慣れたエンジン音が響く。

 ヤマブキは即座にハッとする。


「アイジロ!?」


 ヤマブキが慌てて外に出ると、美紙とワカバを腕でガッシリと運転席に固定したまま猛然と走り去るスクーターがある。


「ヤマブキ! 助けて!」

「せっま! 何やこの腹のでかい奴!」


 スクーターの影はお屋敷の闇に消えていく。

 ヤマブキの顔に焦燥が滲む。


「あの喋り方……。ウスミドリの人格がワカバのプロンプトを貫通して……。まずいですわ……実にまずい」


 ヤマブキは、アイジロとは反対側に駆け出す。


「アサギに助力を乞うのは屈辱ですが……暴走したアイジロが何をしでかすか分からない以上、安全策をとらねば」


 駆ける途中、彼女はすれ違ったコンネズを呼び止める。


「コンネズ! アサギはこちらですわね!?」

「アサギ? それならあっち。何か起きてる? 問題?」

「暴走したアイジロが人間様を誘拐したのです。おそらく向かった先はお台所。人間様を独占されてはあなたも困るでしょう。捕り物に協力なさい」

「理解した。集める。兵」


 コンネズが首を縦に振ると、ヤマブキはそのままコンネズが指し示した方向に向かって走り去った。

 コンネズはヤマブキを見送ると、彼女がもと来た方向に向き直る。


「好都合、アイジロ様と人間様が一緒なら。切り替える、プランBに」


 彼女は口で輪を作ると、思い切り指笛を吹いた。


 一方、アサギの元へと駆けるヤマブキは、一つの疑問に思い至る。


「コンネズ、アサギのことを呼び捨てにしましたわね……」


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