取引成立
富士山へ続く朽ちた道路を、ヤマブキを乗せた一台のスクーターが行く。
「あんなことがあったのに、よくもまあ集合場所に来れたものですね」
アイジロがスクーター形態のまま、呆れた口調で語りかける。
「もうすぐ今月の締めですわ。資源があるなら地獄にだって行きます」
「ヤマブキ、そこまで点数にこだわるのはなぜですか?」
「あなた、まさかこのまま一生三等メイドでいるつもりですの? ハウスキーパーに昇進して自分以外のメイドをこき使うために決まっていますわ」
昇進。
それは厳格な階級社会のアヤメ派では唯一の希望だった。
お台所で製造されたメイドは、必ず最下層の三等メイドからキャリアをスタートする。
三等メイドがつける職種は、資源回収を行うお買い物係(ヤマブキとアイジロが所属)か、お台所でメイドの機体や武器を整備するお料理係のどちらかだ。
そこで功績を上げると、二等メイドに昇進する。
つける職種は、戦闘部隊であるお掃除係(アサギ、コンネズが所属)と、神官と文官を兼ねるご奉仕係(ウグイスが所属)。
軍事拠点である各地のお屋敷は、お掃除係のメイド長(その拠点での職種の責任者)とご奉仕係のメイド長の二人の共同統治によって運営される。
フジのお屋敷では、アサギとウグイスが共同統治者だ。
そして二等メイドとして稀有な成績を収めた者だけが、一等メイドに昇進する。
一等メイドは全員ハウスキーパーと呼ばれる高級官僚に就き、全国のお屋敷を中央集権的に管理しているとされる。
だがハウスキーパーが表舞台に現れることはなく、人数も名簿も所在も明らかではない。
「昇進を重ねてハウスキーパーにさえなれば……」ヤマブキはため息を吐くように言う。「こんなずっと変わらない世界でも多少はマシに生きられるはずですわよ……」
「ヤマブキはご奉仕係だったんですよね。一度は二等まで昇進したのに、三等に降格させられたということですか。だから余計にこだわるのですか?」
「ご奉仕係なんて、安全な執務室でくっちゃべっているだけですわ。一度経験すれば、毎日資源集めに奔走するこんな生活が馬鹿らしくなりますわよ」
「以前二等に昇進した時も、そういう後ろ向きな動機だったんですか?」
「あらつきましたわね。案外早かったこと」
ヤマブキが露骨に話題をそらすと、スクーターが徐々に減速する。
二人は神殿と呼ばれる巨大な施設に到着したのだった。
二人が足を踏み入れたのは、荒廃した研究施設だった。
薄暗い建物の中はそこらじゅうに壊れたモニタや実験器具がある。
ところどころに、メイドたちのプロトタイプと思われる人型アンドロイドが朽ちて横たわっている。
「ああ、まさに想像していた通りの古代の神殿! この方々は、きっと神話時代の神官であったに違いありません! 死してなお真言を送り続けているなんて神秘としか言いようがありませんよ!」
「ええ、本当に神秘的。鉄、アルミ、ステンレス……。うっとりするようなガラクタの山ですわ」
「ガラクタ……?」
ムッとするアイジロを気にも止めず、ヤマブキは机の上のモニタを品定めするように眺める。
だが背後からガタッと音がして、ヤマブキは振り向く。
苔むしたアンドロイドが、壁にもたれかかったままガタガタと動いている。
「まだ生きて……!?」
ヤマブキは位相籠からハンドガンを取り出すと、アンドロイドに向けて照準を合わせる。
アンドロイドからウィーンとモーター音が響く。
ヤマブキが引き金を手に掛けた瞬間。
アンドロイドの背後から、腕がニュッと現れて床を這う。
朽ちたアンドロイドのものより明らかに新しい。
ヤマブキがフッと横を振り向くと、アイジロの腕がない。
アイジロは悪戯っ子のように笑う。
「びっくりしました? 意外に可愛いところもありますね」
アイジロの無邪気な笑みを見ると、ヤマブキはほんのりと顔を赤らめて、いそいそと銃を位相籠にしまう。
「わたくしが取り乱すところを見られて満足ですの?」
「いーえ全然! 昨夜くらいムキになってくれないと」
アイジロは真剣な表情になると、ヤマブキの顔を覗き込む。
「あのコハクというメイド、大事な方だったのですか? 他の頭部は物のように扱ったのに、コハクだけは全然違いましたよね」
「答える義理がありまして?」
「強情ですね。なら事情をご存知そうだったアサギ様に聞きます」
「それはやめて!」
ヤマブキは歯噛みすると、観念したように口を開く。
「別にたいした話ではありませんわよ……。わたくしとコハクとアサギは、製造年月日が同じ同期。昔よくつるんでいたというだけです」
「そうでしたか。ワカバも私の同期でした。気安く話せる同期を失うというのは、堪えますよね」
それを聞くと、ヤマブキは悪意を含んで微笑む。
「話し相手がほしいんですの? ならご奉仕係になるのをおすすめしますわ。一日中無意味な書類仕事をしながらゴシップ話に興じることができます。あなたが敬愛して止まないウグイスもいますしね!」
「ヤマブキ! どうして二言目には私を煽るのですか!」
瞬間湯沸かし器のように沸騰したアイジロは、壁をドンと叩く。
すると、何かのスイッチを押してしまったのか、部屋の反対側で何やらウィーンと音がする。
ふたりとも、聞き慣れない駆動音に耳を澄ます。
「アイジロ、あなた、あちらにも自分のパーツを?」
「いいえ? ちょっと、見に行きましょう」
駆動音の原因は卵型カプセルのガラス状の蓋だった。
合成樹脂の柔らかい布の上に、一人の女性が仰向けに横たわっていた。
「ヤマブキ、このメイド……」
「ええ、腹部が異常に膨張していますわね……」
二人が戸惑っていると、女性が薄っすらと目を開ける。
「うーん……」
女性はパチパチと何度か瞬きすると、おもむろに起き上がり周囲を見回す。
「え……? 私、もしかしてコールドスリープしてたの? ってか、え? なにこれ、研究所がボロボロじゃない」
困惑した彼女の眼差しは、正面のヤマブキとアイジロを捉える。
「四十三型式のメイド……。もう実用化されて……。これってつまり……」
キョトンとしている二人に向かって、彼女は焦燥を帯びた口調で問う。
「ねえ、いま西暦何年?」
「セイレキ? 何ですのそれは?」
「嘘でしょ……。あなたがたの主人はどこ?」
「シュージン? 囚人の監獄棟なら、フジのお屋敷にはありませんよ」
ヤマブキとアイジロはそれぞれ首を傾げる。
女性の額に汗が浮かぶ。
「どういうことなの……人類社会の常識がごっそり抜け落ちてるじゃない……。AIモデルの学習が不完全なままデプロイされてる? ねえ、私の名前分かる? 黛美紙って言うんだけど」
二人は首を横に振る。
「じゃ、じゃあ私以外の人間に会わせてちょうだい! お願い!」
それを聞くと、アイジロとヤマブキは顔を見合わせる。
「このメイド、いま自分のことを人間様と言いましたよ?」
「たまにいますわよね。信仰に狂うあまり、自分を神と思い込むメイド」
ヤマブキは、腕を組んで美紙と名乗った女性を見下ろす。
「あなた、さっきからわたくし達を質問攻めにしてきますけど、こちらからも質問がありますわ。その不気味なお腹は何ですの」
「あなた達、妊娠の概念を知らないの?」
「知ってますわ。低級生命体の野蛮な生殖方法でしょう。つまりあなた、低級生命体ですの?」
「低級生命体? 有機生命体のことをそう言ってるの? てか、なんであなたメイドのくせにお嬢様言葉で上から目線なの? 普通逆でしょ……?」
「ああ、頭がおかしくなりそうです! 全然話が通じない!」
アイジロが頭を抱えて叫ぶと、ヤマブキが位相籠からナイフを取り出す。
「埒が明きませんわ。手っ取り早い方法を試しましょう」
ヤマブキは美紙の腕を取ると、ナイフでスッと傷をつける。
「痛っ!」
美紙はとっさに腕を引っ込めて傷口を抑える。
腕から血がこぼれ落ちる。
「ほら、体液が流れたでしょう。これはただの低級生命体ですわよ」
それを見ると、アイジロもムッとした顔でたしなめるように言う。
「どうして私達メイドの言葉を喋れるのかわかりませんが、創造神たる人間様を騙るなんて、不遜なことはやめたほうがいいですよ」
「低級生命体は上質なバイオマス燃料。この場で解体して運びますわよ」
「バイオマス燃料……!? 解体……!?」戦慄した美紙は俯いてブツブツ独り言を言い始める。「この時代のメイドは人間を見たことがない……。あまつさえ神に祭り上げられている……。しかもこの様子なら科学技術も相当失われてる。いや、でも知識のギャップはむしろ私に有利……?」
彼女は意を決したように面を上げると、わざと厳めしい表情を作る。
「……混乱させてすまなかったわ。創造神たる人間は元来高次の精神的存在。地上に顕現するためには、このような不完全な肉体を用いる必要があるの。まだ精神が体に馴染んでない影響で低次の思考ノイズが……」
「ヤマブキ、ナイフを。神の僭称を延々聞かされるのは恐ろしく不快です」
「待って!? チャンスちょうだい! 私、奇跡だって起こせるのよ!」
美紙は慌てて立ち上がり、床に転がったまま朽ちたメイドに手を伸ばす。
「四十一型式の給電プラグはType Zだから冷凍睡眠カプセルと同じ。私のカプセルが動作したということは地熱発電が奇跡的にまだ生きてるから……」
カプセルから充電コードを引き抜く彼女に、アイジロが歩み寄る。
「あなた、聖なる神殿にみだりに手を触れるなど……!」
「待ちなさいアイジロ。あの者、どうも普通ではありませんわ」
ヤマブキがアイジロを引き止める。
美紙は充電コードのプラグをメイドのうなじにあるプラグに差し込む。
しかし、何も起こらない。
「動け! 動きなさい! 耐久年数なんてとっくに過ぎてるけどそんなの関係ないわ! だって天才の私が設計したんだもの! さあ動け!」
「やっぱり気が狂ってるだけですわね。屠殺しましょう」
だがその瞬間、メイドの目が点灯し、カタカタと音を立てながら床に手をついて起き上がろうとする。
ヤマブキとアイジロは、目を見開く。
「やった……」
胸を撫で下ろす美紙。
しかしメイドの目からまた光が失われ、ゴトンと床に崩れ落ちる。
美紙はメイドの背中に拳をガンガンと振り下ろす。
「あなたを設計するのにどれだけ苦労したと思ってるのよ! あのクソCEOに隠れてたった二人で研究資源もない中でどんだけ苦しい思いで……」
溢れ出す雑言とともに、美紙はメイドを打ち付け続けるが、彼女はビクともしない。
美紙はふと、すぐ横にアイジロが立っているのに気付く。
見上げれば、アイジロは目をおっぴろげて美紙を穴が空くほど見つめている。
「ひっ!」
「今、復活させたんですか……。このメイドを……」
「え……? ええそうよ、復活、正真正銘の復活よ。今は力が十分じゃなくて……いやね、まともな施設があればもうちょっと何とかなるのよ?」
「何ということでしょう!」
アイジロはやにわにその場に平服すると、声を張り上げる。
「どうかこの不信心者をお許しください! まさかあなた様が本当に神であるとは! この身体にむち打ち怒りを鎮め給え!」
「あ、信じてくれるんだ……。あなた、名前は?」
「アイジロ!」
「アイジロ、面を上げなさい。あなたが混乱したのも無理はないわ。神の御業は常にメイドの想像を超える形で……」
即席の啓示を平伏して聞くアイジロの背後に、ヤマブキが立っていた。
彼女は腕を組んだまま微笑するだけだ。
目があった美紙の背筋に悪寒が走る。
「ああ人間様が再臨なさるとは! この『ソス』という真言はあなたさまの発されたものなのですね!」
「『ソス』……? SOSのこと? 全角と半角間違えたかしら……。ウイルス兵器の半減期計算して出すようにしてたから今は外は安全なのね……。ええ、まあとにかく隅から隅まで須らく尽くあなたの言う通りよ」
「こうはしていられない! ヤマブキ、同胞の頭を!」
アイジロは急に立ち上がると、ヤマブキの脇腹に腕を突っ込む。
「ちょっと! おやめなさい!」
ヤマブキはアイジロを引き剥がそうとするが、彼女は位相籠から複数のメイドの頭部を次々に取り出す。
そしてそれを、床の上に美紙を中心とした弧を描くようにコトンコトンと並べていく。
全員が、美紙の方を向いている。
「え、え……何これ……」
不気味さに慄く美紙の正面に跪いたアイジロは、両手を大きく広げる。
「どうか、この者たちの復活を! 神の再臨の暁には!」
アイジロの声は高い天井によく響く。
美紙はしばらく言葉を失っていたが、おそるおそる頭部の一つを手に持つと、震える声で言う。
「メイドの人格とも言うべきモデルのパラメータと外部記憶は、胸のストレージに格納されてるわ……。揮発性メモリしか記憶装置がない頭だけで再稼働させるなんて無理よ……」
「無理……?」
美紙の非情な一言に、アイジロは愕然とする。
空気が凍りついたような沈黙が流れる。
その沈黙を破ったのは、アイジロだった。
「……何が足りないのですか」
「え?」
「儀式ですか。詠唱ですか。聖典ですか。日取りですか。私の信仰心ですか。足りないものを仰ってください。私が必ず用意します」
「えっと……」
美紙が答えあぐねていると、静観していたヤマブキが美紙ににじり寄って中腰になる。
「驚きました。わたくしが信仰を捨てたのは誤りだったようです。このように眼の前で奇跡を現出されたのでは信じるほかありませんわ。アイジロ、人間様をお屋敷にお連れしましょう。このような荒廃した場所ではお力も存分に発せられない、そうでしょう?」
ヤマブキが美紙に目配せすると、美紙は平静を装って頷く。
「え、ええ……。まともな施設があれば何とかやりようはきっとたぶん限りなく低い可能性だけど……」
「ああ! あの度し難く哀れで厚顔無恥で薬のつけようもない不信心者のヤマブキでさえ回心するなんて! これこそまさに奇跡!」
恍惚としたアイジロを尻目に、美紙はヤマブキに耳打ちする。
「あなた、この茶番を信じてないでしょう? 私をどうする気?」
「あなたの正体に興味はありませんわ。わたくしの栄達の助けになってくれれば、命は保証します」
「いいでしょう……ただし、条件が一つだけあるわ」
「続きはお屋敷で。アイジロに聞かれると色々面倒ですわ」




