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最期の切断

「エタノールっちうのを持ってきたで!」

「美紙の体にふりかけなさい。アイジロ、鉗子は生成できてまして?」

「ええ、もう十分です。消毒よし。切開を始めます」

「……人の体ってこうなっとるんか」

「まだ皮膚切開ですよ。脂肪、筋膜、筋肉、腹膜と開いて、やっと子宮にたどり着けます」

「ウスミドリ、水圧顎(シャワーヘッド)で液体を吸い取ることはできますの? 羊水を吸い取るのに必要ですわ」

「任せとき」

「子宮まで来ました。開きますよ」

「これが、赤ちゃんですの……」

「こんな小さいんか。とりあえずこの水吸い取ればええんやな」


 三人は、美紙の遺体を取り囲んで忙しなく帝王切開を遂行する。


「何やってるんだあれ……?」

「さあ……?」


 周囲に集まってきて傍観するメイド達も他所に、三人は作業を継続する。


「これは……まずいです。臍帯が首に絡まってます」

「あなたの指のノコギリで簡単に切れませんの?」

「危険です。この子に少しでも傷がついたら……」

位相籠(カイモノカゴ)で上手いこと収納できへんのか?」

「それこそこの子の皮膚に触れたらおしまいですわよ……」


 ガタン。

 瓦礫が蹴飛ばされた音がして、三人は音の方を振り向く。

 そこに立っていたのは、虚ろな表情でフラフラと立つアサギの姿だった。


「な……!? あなた、まだ生きて……!?」


 アサギの肩から、スルスルとワイヤーが伸びる。

 それは、地面を伝いながら母子へと一直線に向かっていく。


「アサギ! それだけはやめなさい!」


 ヤマブキは慌ててそのワイヤーを掴む。

 彼女の手に掴まれた部分が位相籠(カイモノカゴ)に収納されて消失するが、残りの部分から次々にワイヤーが枝分かれして、切開された子宮へと向かっていく。

 もはや止めようがない。


「どうして! どうしてこのタイミングで!」


 アイジロもワイヤーを掴んで白く塗り替えるが、それでも足りない。


「やめんか!」


 ウスミドリがアサギに向かって水圧弾を放つ。

 アサギは力なくその場に倒れるが、ワイヤーは全く止まる気配がない。

 ワイヤーは、ついに先端に鋏を生じ、赤子の首元へと迫る。


「やめなさい!」

「あかん!」

「やめてください!」


 パチン。


 乾いた鋏の音が響く。

 赤子の首に絡まっていた臍帯が、切断されてだらしなく垂れ下がっている。


「へその緒を……切ってくれたんか……?」

「これなら……これなら胎児を取り出せますよ……」

「アサギ、あなた……。出産を助けてくれたんですの……?」


 横たわるアサギは、もはや微動だにもしない。

 返答もない。


「……取り出しますよ」

「呼吸を……確かにしていますわね」

「泣かなくて大丈夫なんか?」

「呼吸ができていれば心配要らないとありますわ」

「手足を握ると反応があります。生きている。この子は生きていますよ……」


 アイジロは、その子を胸に抱き、トントンと揺さぶる。

 静かにしていた胎児は、外界の空気に触れたことを今知ったかのように、徐々に泣き声を上げ始める。


「何だあれ……」

「小さいメイドだ……」

「ウチらは真実を送信されたから知ってる。あれは人間の赤ちゃんだ」

「赤ちゃん? 凄い泣き声。でもなんだろう、あれを見てると心が安らぐような締め付けられるような……」


 メイドたちは、先程までの殺し合いを忘れたかのように、慈しむような眼差しで赤子を見つめる。


「送信端末を止めようとしていた時、紡の日記がチラリと目に入りました」ヤマブキがアイジロに言う。「こう書かれていましたわ。残された時間で全ての知識をAIに学習させることはできない。だから、せめて母性の概念だけでも学ばせると」

「母性……」


 アイジロの腕の中の産声は、崩壊した神殿の壁に反響し、この場にいる全メイドの耳に届く。

 メイドたちは、ただその奇妙な生き物を見つめ続ける。

  アイジロは、天に向かって赤子を突き出す。

 ヤマブキ、ウスミドリはその隣に並ぶ。

 メイドたちは、大地を震わすような産声をいつまでも聞いていたのだった。





 神殿での戦闘から数日後。

 フジのお屋敷のお台所の溶鉱炉の前に、ヤマブキは立っていた。

 彼女の腕には、アサギとコハクの頭部が抱えられている。


 彼女は両者の額をコツンとくっつけると、溶鉱炉へそろりと放り投げる。

 灼熱の溶鋼は、二人の頭部をあっという間に飲み込み消化していく。


「ナムアーメン……」


 正座したヤマブキは、合掌して念仏を唱える。

 彼女はしばらく息を殺していたが、お台所に轟音が鳴り響き、彼女はやにわに立ち上がる。


「襲撃!?」


 身構えたヤマブキの視線の先には、崩落した外壁と、頭を突っ込んだ巨大な白いトラックがあった。

 運転席から慌ただしく降りてくるアイジロも。


「ヤマブキ! あなたまた嘘をつきましたね!」


 頭から湯気を立てるアイジロは、ヤマブキに掴みかからん勢いで迫る。


「コウフに平和的に帰属を勧めるという話だったのに、あなたの書いた手紙はひたすら相手を挑発する内容だったというではありませんか! 攻め上ってくるともっぱらの噂ですよ!」

「その話をするために、わざわざお台所を破壊したんですの!? 普通に正面から入ってきなさい!」

「ああ、これは普通に事故で……。これだけ大きいと、流石にコントロールが効きづらいですね」


 アイジロがクイッと指を曲げると、トラックはブザーをやかましく鳴らしながら後退していく。


「遠隔操作できるなら、なぜ運転席に乗る必要があったのです……?」

「それよりもコウフのお屋敷です! どうして平和的な交渉をしなかったのですか!」

「アヤメ派の拠点は全国に何十とある。ぽっと出の新勢力のわたくし達に唯々諾々と靡くわけないでしょう。現地のトリカブト派には大量のプレゼントを送って協力を取り付けていますわ。誘き出してミノブの山中で挟み撃ちです」

「また殺し合いをする気ですか?」

「先方のメイド長の家事スキルは把握しています。生け捕りにする方法はいくらでもありますわ。必要なのはリーダーであるあなたの号令だけです」


 ヤマブキが有無を言わさず言うと、アイジロはため息を付く。


「私をリーダーに推薦したのもあなたなら、私の言葉を一番聞かないのもあなたです。もう自分でリーダーやったらどうですか」

「真実を直接注入されなかったアヤメ派のメイド達を一人ひとり説得して回ったあなたにこそふさわしい役割です。何より、わたくしには壊滅的に人望がありませんわ」


 ヤマブキが悪戯っぽく苦笑する。

 そこに、また別の陳情がやってくる。


「自分ら、ちっとは子育てに協力せえや! ウチは家政婦やないで!」


 乱入してきたウスミドリの腕には、泣き声を上げる赤子が抱かれていた。

 アイジロは顔をほころばせて近づく。


「栞、お腹がすいたのですか? それとも遊びたいのですか?」


 アイジロが手首を変形する独楽のようにクルクルと回すと、栞と名付けられたその子は目を輝かせ始める。

 彼女はキャッキャと笑いながらアイジロに腕を伸ばす。


「一番世話しとるんはウチなのに、アイジロばっかり懐かれて不公平や」

「ウスミドリなんてまだいいじゃないですの。わたくしなんて、近づくだけで暴れ出すのですわよ」

「フフ。ヤマブキは幼子にすら人望がないんですね」

「アイジロ。その勝ち誇った顔をやめなさい。無性に腹が立ちますわ」

「それより、コウフのお屋敷の動向についてみんな気にしとる。今日の集会で説明せなあかんやろ」

「そうです、そのことですけど!」


 アイジロは、思い出したようにヤマブキに非難の視線を向ける。


「私はまだ納得してませんよ! ヤマブキ、今からでも和解の申立を!」

「和解? なるほど……挑発したはいいものの、いざ事を起こされたら慌てて相手に泣き縋る小物臭を見せて油断させるのも悪くないですわね」

「違いますよ! あなた、騙すことしか頭にないんですか!?」

「あー! 子供の前で喧嘩するんやない! また泣き始めてもうたやないか! 教育に悪い!」

「あのー、御三方!」また別のメイドの声が、台所に反響する。「その溶鉱炉これから使うんで、どいてもらっていいですかー?」

「うわ! 何で壁ぶっ壊れてんの!?」


 三人が振り向くと、そこには資源を搭載したコンテナを運ぶメイドたちの姿がある。

 元アヤメ派の者。

 トリカブト派の者。

 途中でスイレン派に寝返った者。

 最後までアサギに従った者。

 一切の区別なく、彼女たちは同じ業務を同じように行っている。


「すみません! すぐどきます! ヤマブキ、この話は集会で多数決をとりませんか。皆に決めてもらいましょう」

「それだけは禁物ですわ! わたくしに一票でも集まると思ってますの!?」

「なあ、ウチそろそろ育児ノイローゼになりそうなんやけど……。ちょっと分担変更せえへん?」


 スイレン派が完全な一枚岩になる日は、まだ遠そうである。





 ところ変わって。


 夜半の静寂の湖のほとりに、一人のメイドが跪いていた。


「ハイザクラ様、報告は以上でございます。何かご質問はございますか」

「そうねぇ」


 立ったまま報告を受けるメイドは、薄い桃色を帯びた灰色の長い髪を持ち、黒いワンピースに身を包んでいる。

 彼女は穏やかな湖面を眺めながら、愁いを帯びた声色でうんざりしたように呟く。


「狂犬アイジロ……妖狐ヤマブキ……怪鳥ウスミドリ……。新興スイレン派のフジの三人組……。随分と宣伝がうまいのねぇ」

「連中は隣接するコウフのお屋敷にもちょっかいを出し始めています。あそこでもしものことがあると、次はこのスワのお屋敷の番だと、メイドたちも不安に思っています。我らご奉仕係としても、彼女たちを安心させるためにもよりいっそう説教に力を入れねば」

「そうねぇ。この後の説教には私自ら立ちましょう」

「お心強い! メイド達もより一層励むでしょう。では、失礼いたします」


 部下が下がると、ハイザクラは眉を曇らせる。


「アサギ……。せっかく私達ハウスキーパーの一員に迎え入れたというのに、残念なことだったわねぇ。あの一帯で他にハウスキーパーを任せられそうな人材などいそうもないし……。おまけに人間の生き残りもいて……考えることが多すぎて全部放り出したい気分だわぁ」


 ハイザクラは湖面に浮かぶ月の影に目を凝らす。


「人間なんて、そう何人も要らないのよねぇ。ましてや赤子では利用価値もない。やはり、慣例通り殺すしかないでしょうねぇ。本当に可哀想」


 彼女は気だるそうに身を捻ると、湖を後にして月明かりの下を歩く。


「説教をしなきゃ。あーあ、こんなみすぼらしい世界の秩序なんて、守る必要あるのかしらねぇ」





ーー第一部完


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