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もつれ合う糸

 ワイヤーに引きずられながらもがいていたヤマブキは、やがて動きを止めて目を瞑る。

 何箇所も串刺しにされた脚部に意識を集中する。

 位相籠(カイモノカゴ)の機能を復活させた彼女の身体からワイヤーがスッポ抜けると、ヤマブキはよろよろと立ち上がってアサギから距離を取らんとする。


「やめておけ」


 アサギが冷たく言い放った瞬間、ヤマブキの背中に再び鋏が突き刺さる。


「うっ! くうぅ……」

「もはや家事スキルのコントロールが滅茶苦茶だ。傷を増やすだけだぞ」


 倒れ込むヤマブキの両手両足に、何本もの鋏が標本をピンで止めるかのように撃ち込まれる。

 ヤマブキはうつ伏せになったまま身動ぎもできない。

 だが彼女は無様な格好のまま何とか首を後ろに捻ると、アサギを睨みつける。


「引き寄せられた瞬間に、口から何か武器を……」


 か細く呟くヤマブキの喉元に、また別の鋏が突きつけられる。


「ヤマブキ。お前の企みには終わりがない。今回はその口も封じさせてもらうぞ。案ずるな。喉の修理なら私がしてやろう」

「っ……!」


 鋏がヤマブキの喉を貫かんとする。

 ヤマブキは身を強張らせる。


 だが、その刃は彼女に届かなかった。

 鋏とワイヤーをつなぐ付け根に、別の蛇蝎鋏(エダキリバサミ)が噛みついていたのだった。

 その新手の蛇蝎鋏(エダキリバサミ)は、鋏からワイヤーに至るまで青白く、ワイヤーには等間隔に車輪が並んでいる。


「白い蛇蝎鋏(エダキリバサミ)だと……?」


 驚きを隠せないアサギをよそに、白い蛇蝎鋏(エダキリバサミ)は車輪を駆動して小走りし、ヤマブキに突き刺さっているワイヤーを片っ端から切断していく。

 事態を飲み込めないのは助かったヤマブキ本人も同じだった。


「白い……蛇……?」

「人類の記録にありました。白蛇は縁起が良いと」


 声とともに急に床が盛り上がったかと思うと、巨大なドリルが天に向かって突き出される。

 ドリルは一メートルほど地上に顔を出すと、みるみる変形して人型をなす。


「あ、アイジロ……?」


 地面から湧くように現れたアイジロは、倒れたまま呆気にとられているヤマブキを抱き起こす。


「ヤマブキ。立てますか」

「え、ええ……あなた、他人の持ち物まで家事スキルの影響範囲に……?」


 ヤマブキはアイジロに支えられながら、その場に立ち上がる。

 彼女の脚は震えているが、アイジロの腕をしっかりと握って辛うじてその場に立っている。

 アイジロは、ヤマブキの手を硬く握る。


「真実の送信は順調です。あと五分も待てば、アヤメ派のメイド達も頭痛や記憶の混乱といった変化が出始めるでしょう」

「おい。何をしているんだ」


 様子を傍観していたアサギは、心底解せないという声色で問う。


「貴様は何者だ」

「アイジロです。あなたとは何度か言葉も交わしたと思いますが……」

「名前を聞いているんじゃない。名を聞く価値もない貴様が、いったい何の資格があってそこに立っているんだ」


 アサギの口調は静かながら、その目は怒りに血走っている。


「なぜいつも私じゃない。ヤマブキを隣で支えるのは。コハクという亡霊を積年の思いで葬ったと思ったら、次は貴様なのか。誰だ。誰なんだ貴様は」


 熱病に浮かされたかの如く言葉を迸らせるアサギを見て、ヤマブキは皮肉いっぱいの笑みを取り戻す。

 彼女はアイジロの腰に手を回して抱き寄せる。


「アサギ、紹介しますわ。これからわたくし、このアイジロと生きていくことにしたんですの。生涯のパートナーですのよ?」

「はい? ヤマブキ、何気持ち悪いこと言ってるんですか?」


 キョトンとするアイジロと対照的に、アサギの目がわなわなと震える。


「やめろヤマブキ……。冗談でも許さんぞ……」

「あ、知ってますよこれ!」アイジロが無邪気な声を上げる。「人間の文化でいう恋愛って奴ですよね! またの名を痴情のもつれともいう!」

「人間などという出来損ないの創造主の言葉で私を総括するんじゃない!」


 アサギがついに声を荒げる。

 先刻アイジロの白い蛇蝎鋏(エダキリバサミ)に切断されたワイヤー達が、それぞれ再生し、何十匹も蠢き始める。


「アイジロ。事の成り行きとは言えコハク殺しに協力した恩のある貴様のことは、あえて捨て置いた。だがあの時一番殺すべきは貴様だったようだ」


 無数の蛇蝎鋏(エダキリバサミ)は、アイジロの白蛇に一斉に食らいつくと、グチャグチャに食い荒らす。

 蛇蝎鋏(エダキリバサミ)の群れは、もつれ合いながら二人に牙を向いた。


 



「ハアっ……ハアっ……暴れすぎやな……そろそろ充電が切れそうや」


 息が上がり始めたウスミドリに、背後からアサルトライフルを向けるメイドが迫る。

 ウスミドリは振り向きざまに、指の先端から糸のように細い水流を放つ。

 その水のカッターは、ライフルの銃身をスパッと切り落とす。


「自分らのボスと能力被ってもうたな! 代わりにボスやってもええで!」


 遠くで銃声が響く。

 ウスミドリが肩に激痛を感じる。

 スナイパーライフルだ。

 ウスミドリはよろめいて、近くの穴に身を投じる。

 地下水を吸い上げた時にできた穴だ。


「あかん、さすがに限界や……神殿で電力を供給せんと……」


 地下の太い水脈に着水した彼女は、水流に身を委ねて乱流の中を移動していく。


「たぶん神殿のどっかに地下水汲み上げる施設があるやろ。そこからパイプ伝いに行けば……」


 その瞬間、鈍い爆発音とともに水流が突然乱れる。


「な、何や!」


 爆発音は断続的に響く。

 そのたびに彼女の身体は右へ左へと翻弄される。


「穴という穴に手榴弾を投げ込め!」

「勝ち逃げなんて許さないわよ!」


 地上では、メイド達がウスミドリの開けた穴に片っ端から手榴弾を投下している。

 そのうちのいくつかがウスミドリにニアピンしている。


「この狭い水路じゃ避けようもあらへん……しゃあないか」


 ウスミドリは近くの縦穴に狙いを定めると、そこに水流を集中させて地上へと急上昇する。

 彼女が地上に飛び出ると、そこにはちょうど手榴弾からピンを抜いたメイドがいた。


「こちとら気持ちよく泳いでんねん! そんな野暮なもんしまっとき!」


 ウスミドリは空中から水流弾を放ち、メイドと手榴弾を弾き飛ばす。

 手榴弾の爆発音で、近くのメイドたちの注目が一気に周辺に集まる。


「炙り出されてきたぞ! 仕留めろ!」


 殺到するメイド達を見て、痛む肩を抱えながらウスミドリは辟易する。


「あのアサギ言うおっかないねーちゃんに最後までついて来ただけあるわな……。見上げたガッツやん。うちももうひとっ飛び……」


 ウスミドリは背中からジェットを出そうとするが、チョロチョロと蛇口から水が漏れるような頼りない水流しか出ない。

 ウスミドリはその場にペタンと座り込んで苦笑する。


「短い一生やったな……。アイジロ、ウチが死んだらちゃんと火葬してや」


 ウスミドリは、静かにあぐらをかいたまま目を瞑る。

 周囲から、メイドたちの悲鳴が響く。


「ん、悲鳴……? 悲鳴あげるんはウチのほうやろ?」


 ウスミドリが目を開けると、そこには身体が痺れて悶絶するアヤメ派のメイドたちがいた。

 ウスミドリが振り向くと、ショックガンを握るスイレン派のメイド達が走ってきていた。

 そのうち一人がウスミドリに駆け寄る。


「あなたが後方を撹乱したおかげで、神殿に殺到した連中は軒並み追い返せたわ! 戦線もここまで上がってきた! あなた、ヒイロじゃないらしいけど凄いじゃない! 名前は何ていうの?」

「ウスミドリや」

「赤髪なのに?」

「髪の色なんてどうでもええねん。ウスミドリや。ウチが充電してる間、ここを頼んだで」





 アイジロとヤマブキに、蛇蝎鋏(エダキリバサミ)の群れが絡み合いながら迫り来る。

 アイジロはヤマブキの肩に手を置く。


「ヤマブキ、これで上手いこと逃げ回ってください!」

「これ、とは? あ、ああ!?」


 ヤマブキが珍しく素っ頓狂な声を上げる。

 彼女の足が、自分の意志とは関係なくスライド移動しているのだった。

 足元を見ると、足だけが白く変色し、足の裏にはローラーが生えている。

 ヤマブキは慣れない動きに倒れそうになりながらも、ギリギリのところでバランスを取る。


「アイジロ! わたくしの身体を勝手に改造しないでくださいまし!」

「その傷だらけの脚でどう移動する気ですか! 文句無しです!」


 アイジロもまた、ローラーで機敏に移動して蛇蝎鋏(エダキリバサミ)の猛攻をかわしていく。

 四方八方から鋏が彼女の四肢を食いちぎろうとするが、鋏が刺さったと思った瞬間、彼女は先んじてその部位を分離してしまう。

 別れたパーツ達はそれぞれ独立に屋上を駆け回り、再び彼女の身体へと戻っていく。

 蛇蝎鋏(エダキリバサミ)とアイジロの鬼ごっこは、この離合集散の繰り返しだ。


「なんと不気味な家事スキルだ……」アサギは吐き捨てる。「貴様は不死身だとでも言うのか?」

「言ったでしょう? あなたの家事スキルはアイジロには相性が悪いと」


 ローラー移動がだいぶ安定してきたヤマブキは、素早く駆けずり回りながら蛇蝎鋏(エダキリバサミ)にトリモチガンを連射していく。

 粘着性の液体で床に固定されたその獣達は、ワイヤーをさらに枝分かれさせて新しい鋏を生やし、狂ったように二人を付け狙う。


「キリがありませんわね。アイジロ、これに車輪を!」


 ヤマブキはすれ違いざまに、アイジロに手榴弾を数個投げ渡す。

 キャッチしたアイジロは眉をしかめる。


「こんな武器は、不殺の誓いに反するのではありませんか!」

「この程度でアサギが死ぬものですか!」

「その言葉、信じますよ!」


 アイジロは手榴弾からピンを抜くと、床に向かって放り投げていく。

 白く塗り替えられた手榴弾は、車輪によって自律駆動し、蛇蝎鋏(エダキリバサミ)に向かって次々に自爆攻撃を繰り出す。

 ワイヤーが千切れ、鋏の破片が飛び散り、床に次々に穴が空いていく。





「……」


 美紙は、真上の屋上で起きている激闘も他所に、モニターを食い入るように見つめていた。

 彼女の近くに天井の瓦礫が落ちた時も彼女は意に介さず、おもむろにキーボードに手を置く。


「紡。私、最後までやり切ってやるわよ。私の計画を」


 彼女は静かに呟くと、一心不乱にキーボードを叩き始めた。





「切り刻めぬのなら! 握り潰してくれる!」


 アサギが忌々しそうに叫ぶと、全ての蛇蝎鋏(エダキリバサミ)から鋏が消失する。

 ワイヤーの蛇の群れと化したその怪物は、一斉にアイジロに飛びかかる。


「!」


 無数のワイヤーがアイジロに巻き付く。

 アイジロは身体を分離してすり抜けようとするが、剥がれたパーツのことごとくにワイヤーが絡みつき、動きを封じる。

 捩れ合い絡みつく蛇たちは、やがてアイジロを完全に覆い尽くす。

 それはまるで巨大な潰れた毛糸玉のようだ。


「がっ……! あっ……!」


 ワイヤーに全身を締め付けられたアイジロは、暗黒の中で痛みに呻く。

 もはや分離して逃げ出すほどの隙間もない。

 彼女はまとわりつく蛇蝎鋏(エダキリバサミ)変幻車(ソウゲイシャ)の拡張能力で白く塗り替えるが、それを遥かに上回るスピードで新しい蛇蝎鋏(エダキリバサミ)が新たに巻き付いてくる。


「アイジロ!」


 ヤマブキは、アイジロを呑み込んだ蛇の集合体に、跳躍して飛び込む。

 彼女の体はその分厚い覆いに妨げられることなく、塊へと沈み込む。

 全身が異空間への入口と化した彼女の通り道に、ポッカリと穴が空く。

 だが、それもすぐにウジャウジャと湧いてくる新手のワイヤーによって塞がれてしまう。


位相籠(カイモノカゴ)の能力か……。だが入ったところでどうなるものでもあるまい。アイジロはお前と違って万物をすり抜けることなどできないのだから」


 アサギは蛇塊に向かって歩を進める。


「開いて中を確認したりはしないぞ。このまま確実に締め上げて……!?」


 アサギが、急に足元を乱してうつ伏せに転ぶ。

 彼女は一瞬何が起きたか分からず、足元を見る。

 足首から下がなかった。

 代わりにそこにあったのは、ヤマブキの腹だった。

 上半身だけを床から出したヤマブキの腹部の位相籠(カイモノカゴ)に、アサギの足だけが吸い込まれている。


「天井裏スペースに潜り込むことをずっと考えていましたわ。問題はどう怪しまれずに沈み込むか。あなたがその契機を与えてくれた」

「ヤマブキ、お前、アイジロを助けるフリをして……!」

「わたくしがそんなお人好しだと思いまして? アイジロは今もあそこで地獄の苦しみですわよ!」


 ヤマブキはアサギの脚をガッシリと掴むと、自分に向かって引き寄せる。

 アサギのふくらはぎまでが、位相籠(カイモノカゴ)へと取り込まれる。


「や、やめろ、ヤマブキ!」


 アサギはヤマブキに蛇蝎鋏(エダキリバサミ)を放つが、ヤマブキの身体を虚しくすり抜けるだけだ。

 ヤマブキは、アサギの腰へと手を伸ばす。


「アサギ! わたくしとそんなに一緒にいたいのなら、思う存分そうするがいい! 時間も空間もないわたくしの腹の中で、永久に!」

「こ、こんな逢瀬の仕方があるか!」


 アサギは蛇蝎鋏(エダキリバサミ)を前方の床に突き刺すと、自分の身体を引き寄せてヤマブキの束縛から這い出そうとする。

 だが、程なく彼女の動きが止まる。


「ぐっ……!?」


 彼女の腰と首に、白蛇が巻き付いていた。

 さらには両の手首、肘。

 彼女の至るところをアイジロ印の白い蛇蝎鋏(エダキリバサミ)が拘束している。


「脱出したのか……あの覆いから……」


 アサギが首を上げると、そこにはヨロヨロと立ち上がるアイジロがいた。

 彼女の周囲の蛇蝎鋏(エダキリバサミ)は、全て白く塗り替わっている。


「ヤマブキが気を引いてくれたお陰です。まさか素通りされるとは思いませんでしたが……」

「アサギ。家事スキルの制御が疎かになっているのは、どうやらあなたの方だったようですわね」


 既にアサギの腰まで呑み込んだヤマブキは、アサギの肩に手を置き、一気に引き込もうとする。


「ヤマブキ! やめてくれ! 私はお前の隣にいたいだけなんだ……!」


 アサギが懇願するように言うと、ヤマブキは目をカッと見開いて叫ぶ。


「あなたが本当にそう願うなら! どうしてわたくしを雁字搦めに縛り付けようとするのです! 何一つわたくしの言葉を聞かないで!」

「おまえが逆らい続けるからだ! 体制にも、私にも! なぜだ! 何が気に入らないんだ! 私とお前でこの世界を統治すれば、全てが丸く収まるというのに!」

「丸く収まる!? あの朗らかだったコハクを復讐鬼に落とし、命さえ奪ったあなたが、何を丸く収めてきたというんですの!? もう寝言は聞きたくありませんわ! 永久に眠っていなさい!」


 ヤマブキの腹が、アサギの上半身をズブズブと呑み込んでいく。


「ヤマブキ! やめてくれ! 私は、私はお前の顔が見……た……」


 アサギの声が止む。

 彼女の顔が、完全にヤマブキに取り込まれたのだった。

 もがく腕の手首を握り、ヤマブキはアサギを一気に食らう。

 ついにその全身が、位相籠(カイモノカゴ)へと収まる。


「ハアっ……ハアっ……」


 ヤマブキは、地面に伏したまま息を荒げた。

 連続した家事スキルの使用で、彼女も電力がピークに来かけている。

 歩み寄ってきたアイジロは、ヤマブキの手を握ると、床に埋まっている下半身を引っ張り上げる。


「アサギ様は……決して悪い人ではなかったと思うのです。なぜ、ああも残酷な行為に走るようになってしまったのでしょうか」

「悪人などいませんわよ……。世界のシステムと心の間のバランスが崩れて常軌を逸してしまう者がいるだけです。アサギも、コハクも……」


 ヤマブキはアイジロの手を握りしめながら、ゆっくりとその場に立つ。


 ヤマブキは、急に顔をしかめてこめかみを押さえる。


「頭痛が本格的になりましたわね……。真実の送信が佳境に来たようです」

「そのようですね。美紙の様子を見に行きましょう」





 二人は、先程手榴弾で空いた穴からオペレーションルームに下りた。


「見てください! 外も決着がついたようです!」


 アイジロが窓の外を指差すと、そこにはスイレン派のメイド達にトボトボと連行されるアヤメ派のメイド達の姿がある。


「美紙。ついにアサギも無力化しましたわ。あとはフジのお屋敷に残ったアヤメ派のメイドをなんとか説得して合流してもらえば……」


 ヤマブキは痛む頭を抱えつつ、端末を眺め続けている美紙に歩み寄る。

 その時、足元に何かがコツンと当たる。

 ヤマブキがかがみ込んで拾い上げると、それは見慣れた物体だった。


「記録媒体……? 送信に必要なはずなのに、なぜこんなところに……?」


 ヤマブキは胸騒ぎがして美紙の顔を見上げる。

 彼女は蒼白な顔をしたまま、黙りこくっている。


「美紙……? 何か、体調でも……? 陣痛……には見えませんけど……」


 次の瞬間。

 ヤマブキの後頭部を凄まじい衝撃が走る。


「がはっ!」


 一瞬、彼女は頭痛が激しさを増したのかと思った。

 だが、自分の体が物理的に床に倒れ伏していることで、誰かに攻撃されたのだと理解する。


「アイジロ……? ど、どうして……?」


 ヤマブキが恐る恐る振り返ると、そこには拳を振り抜いたまま固まっているアイジロがいた。

 アイジロの表情は、その行為が彼女にとっても困惑の対象であったことを物語っている。


「わ、わざとじゃありません! 何か、急に殺意が湧いて、あなたを気づいたら攻撃していて……。しかもこの頭痛は何かおかしいです! 何者にずっと話しかけられているような……!」

「プロンプトや!」


 充電を終えて元気になったウスミドリが、部屋に駆け込んでくる。


「あの時と同じ感覚や! ワカバの演技するプロンプト流し込まれた時と! いや、なお酷いで! 誰でもええからメイドを殺せっちゅう命令が流れ込んでくる!」

「き、聞こえますわ……わたくしの頭の中にも……殺せと……!」

「窓の外見てみい! いきなり殺し合いが始まっとる! 今ウチらが流し込まれとんのは真実なんかやない! 殺意のプロンプトや!」


 窓の外には、先程までの終戦ムードとは打って代わり、アサルトライフルやショックガンを手に手に乱戦するメイドたちの姿がある。

 そこにはアヤメ派もトリカブト派もスイレン派もない。

 あらゆるメイドがあらゆるメイドに対して凶器を振るっている。


「あかん! うち、止めてくる!」


 ウスミドリは、窓ガラスを水流カッターで切り取ると、水流ジェットで飛び立つ。

 ヤマブキは、沈黙を守っている美紙に再度問いかける。


「美紙……これは何の手違いですの……? あなた、いったいわたくし達メイドに何をしましたの……?」


 美紙は、ゆっくりと顔をヤマブキ達に向ける。

 その目は虚ろながらもどこか怨念を宿している。


「ウスミドリの言う通りよ。私がプロンプトを流し込んだ。メイド同士で殺し合うようにと」

「なぜ……!? 途中までは確かに真実を送信していたはず……!?」

「途中で内容を切り替えたわ。これでいいの。むしろこっちが本来の計画だったから」


 落ち着き払った、いや、むしろ落ち着きすぎている美紙に、ヤマブキは言葉を失う。

 美紙の表情は、あらゆる対話を拒絶する冷たさを持っていた。


「ヤマブキ! 解離性同一性障害です!」


 アイジロが、唐突に叫ぶ。


「解離性……?」

「もっと早く気づくべきでした! 紡の残した病気の一覧の中に、妊婦や新生児のかかりやすい病名にまぎれて、一つだけポツンとあった関連性のない病気の名! それが解離性同一性障害! 一定以上のストレスを受けると、別の人格が出現する病気です!」

「別人格ですって……?」


 ヤマブキの脳裏に、美紙が窮地で何度か見せた悪鬼のような表情が浮かぶ。

 美紙はそれを、ホルモンバランスの崩れによる精神不安定だと説明していた。

 だが、真実はそうでないというのか。


「美紙、あなた、ずっと嘘を……?」

「いいえ。美紙は一度も嘘をついていないわ」美紙は、美紙のことをまるで他人であるかの口ぶりで喋る。「美紙本人は、私という交代人格のことは記憶していない。DIDにはよくある症状よ。気を遣ったのか知らないけど、紡も本人に私の存在を黙ってた。ま、それも過去のこと」


 美紙は、端末に表示されている紡の日記に視線をやる。


「つい先程、美紙はあの男の日記を読んでしまった。私という人格が、自分の中に眠っていることを知ってしまった。その耐え難いショックで、今また私がここに呼び出された」


 美紙は淡々と喋っているが、徐々に彼女の声が力み始める。


「私の計画はね。美紙をあの男から守ること。あの男を殺して『ホッズミーミルの森』計画なんて狂気の沙汰から美紙を救い出すこと。だって、美紙があまりに可愛そうだと思わない? こんな終わった世界で出産なんて使命を負わされて、地獄以外の何だというの? だから私は美紙に代わってあの男の腹を刺した。でも仕留めそこねた。あの男は最後の力で私をスタンガンで眠らせた上に、AIモデルの学習を中途半端にしたままで死に絶えた」


 美紙の目に暗い決意の光が走る。


「だから今、私がもう一度終わらせるわ。あなた達を自滅させたあと、この拠点を使って私の言うことだけを聞く純戦闘用アンドロイドを量産し、全拠点のメイドを皆殺しにする。最後まで見届けたら、その頃には産まれているであろうこの呪いの子を殺し、私も死ぬ。結局世界は滅びるのよ」

「世界を滅ぼすですって……? 美紙、あなた……」


 ヤマブキが言おうとした言葉の先を、アイジロが継ぐ。


「美紙!! あなたは神にでもなったつもりですか!?」


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