蛮族
紫髪のメイドは、透明な壁越しにもがくワカバを見てほくそ笑んだ。
「私の執磁板は五人がかりでも引き剥がせないよ。大人しくしてな」
「名乗ってください。あなたをお屋敷の要注意リストに掲載しますから」
「トリカブト派ヒイロ族のリンドウだ。だがお前らは屋敷には帰れねーよ」
「帰りますよ。帰るまでがお買い物ですから!」
アイジロは右の掌を大きく振りかぶる。
掌がみるみると変形すると、それはこぶし大の高速回転する車輪になる。
「せい!」
アイジロが腕をしならせながら前方に振り下ろすと、車輪が分離して矢のようにリンドウへと飛んでいく。
車輪はワカバの張り付いた透明な壁、執磁板にガキンと激突する。
空間に僅かなヒビが入ったのが見えるが、車輪はそれ以上は先に進めない。
リンドウは憐れむように笑う。
「おたくら、銃火器持ってないね。戦闘部隊のお掃除係じゃなくて、資源回収しか能が無いお買い物係か。アヤメ派の連中は階級だの職種だのしがらみあって本当にご苦労なこったな」
リンドウの言葉を無視し、アイジロは今度は左の掌を大きく振りかぶって二つ目の車輪を放り投げる。
しかし今度はリンドウの側方に大きく外れている。
車輪は磁力の影響を受けてみるみるカーブし、リンドウの側方に迫る。
「壁が一枚だけだと思うか?」
リンドウは前方に執磁板を展開したまま、右側にも二枚目の執磁板を展開する。
次の瞬間、アイジロの車輪は空中で変形して再び掌になる。
それは指先だけをくっつけるように閉じて円錐形を作ると、手首にブレスレットのように車輪を発生させる。
手首の車輪が回転すると、手はドリルのように回転しながら執磁板に激突する。
「何だぁ!?」
その小さなドリルはガリガリと透明な壁を削る。
空間にヒビが入り、割れ、飛散し、ドリルがリンドウの肩に到達する。
「ぐあっ!」
思わぬ一撃を受けたリンドウがよろめくと、執磁板が解除され、空中にへばりついていたワカバが地面に落ちる。
「ふぎゃ!」
「くっそ、怪しげな家事スキル使いやがるな……」
肩をかばうように屈んだリンドウがふと前を見ると、眼前には小型の白いバギーが突っ込んできていた。
響き渡るエンジン音。
リンドウは直ちに前方に手の平をかざして執磁板を展開しようとする。
しかし彼女は突然前方に倒れ込む。
「何だあ!?」
彼女が足を見ると、足首をアイジロから分離した手が掴んで後方に引っ張っていた。
手からは車輪が生え、ズルズルと後方に下がっている。
「何なんだこのきめえ家事スキルは!」
「私の家事スキルは変幻車! 気持ち悪くなんかない!」
バギーは人型に変形すると、うつ伏せに倒れるリンドウの背中に、強烈な膝蹴りを食らわせる。
彼女の背中のパーツが衝撃で剥がれ、宙に舞う。
「が……」
呻くリンドウ。
リンドウの足首にまとわりついていた手は、着地したアイジロのもとへと走り寄る。
アイジロは手をそれぞれ手首に装着すると、倒れたままのリンドウに回転する拳を振り下ろす。
「くっ!」
リンドウは横にローリングして拳を避ける。
拳は地面に突き刺さる。
すかさずアイジロが二撃目の拳を彼女に向けると、リンドウは右掌を開いてアイジロの前にかざす。
アイジロの拳の軌道が変わる。
「!?」
アイジロの拳はリンドウの手の平に吸い込まれ、キャッチされる。
「アタシは全身どこでも磁石にできる。一撃は不覚だったが二撃はない」
リンドウはもう一方の手でホルダーからハンドガンを取り出すと、アイジロに銃口を向ける。
アイジロはリンドウを凍てつくような眼差しで睨む。
「その手を離してください。痛いのは嫌です」
「痛いじゃすまないぜ。お買い物係のお前じゃ知らないかもしれないが、このハンドガンは簡単にメイドの鋼鉄のボディを貫通する」
「私はあなたの腕の話をしているんです。あなたが必要以上に痛い思いをするのは嫌だと言っています」
「は? 頭大丈夫か?」
「仕方ありませんね……。ごめんなさい」
アイジロはリンドウに握られた拳の手首を覆うように車輪を発生させる。
車輪が高速回転すると、アイジロの拳も回転を始める。
磁力でガッチリと固定されたリンドウの腕も巻き込んで。
「があ!? ぎ、が!」
リンドウはとっさに磁力を解除しようとするが、既に遅い。
あらぬ方向に回転した彼女の腕は、いとも容易くねじ切られる。
鋼鉄の外殻の破片が飛び散り、ちぎれたケーブルから火花が飛び散る。
「あああ! あああ!」
彼女はもう一方の腕で、肩から先がなくなった腕を抱え込みうずくまる。
アイジロは痛みに悶えるリンドウの横に、ねじ切った腕をコトンと置く。
「トリカブト派にもお料理係……整備担当はいるでしょう。腕を持ち帰って治療して、二度と私達の前に姿を現さないでください」
「くっそ、てめえええ!」
リンドウは痛みと怒りのないまぜになった凄まじい血相でアイジロを睨みつける。
アイジロは彼女に戦闘継続能力がなくなったと確信すると、立ち上がって後方を見る。
ワカバが木陰から戦いの様子を見守っていた。
アイジロはワカバににっこり話しかける。
「ワカバ、これが神の加護です! とは言え今日は流石に戻りましょうか」
「加護って割にはただの力技だったけど……うん、戻るのは賛成」
アイジロはワカバに向かって小走りに駆け寄る。
「ワカバ! よくぞ無事で……」
最後まで言い終わる前に、ワカバの視界からアイジロが急に消え去る。
「え……!?」
ワカバが慌てて周囲を見回すと、アイジロは道路の反対側に倒れ込んでいた。
彼女の体側には、複数の弾痕がある。
ワカバが恐る恐る反対側を見やると、そこにはショットガンを手にした別のメイドが草むらに立っていた。
彼女もリンドウ同様、獣皮のマフラーと肩の十字の傷を持っている。
「リンドウ! 手柄の独り占めはダメだって言ったじゃん! アタシらファミリーなんだ! このヒイロ様の言いつけ守らないからこうなんだよ?」
赤髪に短いツインテールの彼女はやかましい声を上げると、後方に目配せする。
草むらの中から武器を携行した数人のメイドが立ち上がる。
ワカバは戦慄しながら絞り出すような声で言う。
「いまヒイロって……? ヒイロ族の族長の、あのヒイロ……!?」
「いかにも、このフジの一帯をシマにするトリカブト派ヒイロ族のボス、ヒイロ様さ! アンタら、良い資源になりそうだから回収させてもらうよ」
ヒイロがウインクすると、ワカバの顔が恐怖に引きつる。
「や、やばい! アイジロ、逃げよう!」
ワカバは倒れ込んでいるアイジロのもとに駆け寄る。
だが駆け出した瞬間、銃声とともに彼女が転倒する。
ヒイロが足元に向けてショットガンを撃ったのだった。
ワカバは足を抱えたまま地面を転げ回る。
「熱い! 足が焼ける!」
「ワカバ……! おのれトリカブト派の蛮族ども……!」
気付いたアイジロは上体を起こすと、自らをバギーに変形させてワカバの元へと駆ける。
しかし途中でタイヤがスリップして横転してしまう。
「これは!?」
アイジロが即座に人型に戻って倒れた方向を見ると、リンドウがアイジロに向かって片手をかざしている。
アイジロの身体はズルズルとリンドウに引き寄せられると、リンドウの前の透明な壁、執磁板にピタリとくっつく。
「一度シートにくっつけちまえば変形も分離もできねーだろ……」
「くっ!」
アイジロは身体の様々な場所を車輪に変形させてもがくが、摩擦音が響くだけで身動きがとれない。
その様子を見て、ヒイロは眉を下げて笑う。
「リンドウ、お前はやっぱサポートのほうが向いてるって。だからもう抜け駆けすんなよな〜。アタシらのモットーは、人間様の元の平等だろ?」
ヒイロは配下の一人に向かって手を突き出すと、指をクイクイと曲げる。
「ハンドグレネードよこしな。それとスリング」
メイドは言われた通り、ハンドグレネードと、アサルトライフルから取り外した肩がけのベルトをヒイロに渡す。
「リンドウの腕をもがれた仕返しだから、四肢全部もげばちょうど釣り合うかな? おい、こいつを立たせな」
ヒイロに指示されると、二人のメイドが撃たれた足を抱えて横たわったままのワカバを抱え起こす。
ワカバの背後にヒイロが立つと、ワカバは必死に後ろの方を向きながら怯える。
「いやだ! 何するの!」
ワカバの声を無視して、ヒイロはスリングをワカバの胴回りを一周するように巻き付けると、ギュッときつく結ぶ。
そしてハンドグレネードをワカバの背中とスリングの間に滑り込ませる。
ベルトが手榴弾をワカバの身体に固定した形になる。
「有効半径は十メートルってところか。せいぜい高く飛んでくれよ」
「え!? 何!? 何!?」
「真上に放り投げな!」
ヒイロは号令をかけつつ背中のグレネードのピンを抜く。
ワカバを抑え込んでいたメイド二人が、ワカバを頭上に放り投げる。
「やめてください!」
執磁板に張り付いたままアイジロが悲壮な声を上げる。
「さあ大変だ! 爆発物から距離を取らなきゃ!」
ヒイロは真下からワカバに向けてショットガンを放つ。
鈍重な銃声が響くたびに、ワカバの身体が上空へと押し上げられる。
ヒイロは何度もショットガンでワカバの身体を空へと打ち上げる。
「ワカバ! ワカバぁ!」
アイジロは悲愴な叫びをあげながら、天を仰ぐ。
彼女のボディが西日に照らされて光った瞬間。
爆音とともに衝撃波が地上のメイドたちを襲う。
「ひゃー!」
衝撃波に晒されたヒイロは、笑いながらゴロゴロと転がる。
飛来する金属片が、執磁板に固定されたアイジロの体をガンガンと叩く。
アイジロは思わず目を閉じる。
風が凪いだ後、アイジロは恐る恐る目を開ける。
そこにはワカバの頭部が転がっていた。
恐怖の瞬間を切り取ったように、目だけがカッと見開かれている。
「ワカバ! ワカバぁ!」
アイジロの目から冷却水がボロボロこぼれ落ちる。
立ち上がったヒイロを、アイジロは怒りの涙にまみれた目で刺すように睨む。
「蛮族! 神のしろしめすこの地における最も愚かな者達! 神は必ず裁きを与える! 人間様が再臨なさる時、我が同胞ワカバも復活し、私とともにこの手でお前達を葬るだろう!」
「再臨に復活か。まだこんな敬虔な信者、アヤメ派にも残ってんだね。どうせ復活できんなら、お前も殺しちゃっても問題ないよね?」
ヒイロはアイジロの目と鼻の先にショットガンを向ける。
アイジロは歯噛みしてその銃口を睨みつける。
「命乞いはしないか。その気高さを胸に犬死にしな」
ヒイロは引き金に指をかける。
銃声。
叫び声。
アイジロのものではない。
ヒイロの横にいた手下の一人が、急にうずくまって足を抑える。
「誰だいま撃ちやがったのは!?」
撃たれたメイドが血相を変えてあたりを見回す。
ヒイロはショットガンを構えたまま、撃たれた手下の脚部に視線をやる。
「銃創の向きからしてあっちか……」
ヒイロが即座に方向を見定めて目を凝らすと、そこには藪に覆われた小高い丘がある。
藪に紛れるように、スナイパーライフルを構えた金髪のメイドが臥せっているのが見える。
次の銃声。
今度はリンドウの足に銃弾が撃ち込まれる。
「があ!」
叫びとともに、執磁板が解除される。
解放されたアイジロの身体が地面に倒れ込む。
ヒイロは周囲に目配せする。
「ずらかるよ。長距離武器は持ってきてないからね」
「ヒイロ様、資源は……」
「置いてきな。一人でも死んだほうが高くつく。さあ退散だ! 自由! 平等! アナーキー!」
ヒイロはスローガンを声高に叫ぶと、スナイパーと反対方向の草むらに逃げ込む。
あっという間に彼女の姿が見えなくなる。
手下たちも、けが人を担ぎながら風のように草むらの中へとヒイロを追っていった。
取り残されたのは、倒れ伏すアイジロと、ワカバの残骸だけだった。




