役者の資格
美紙を収監した檻は、お屋敷の敷地内で野ざらしにされていた。
衣服もボロボロで髪も乱れた彼女は、鉄格子を掴んで鬼のような形相で叫んでいた。
「出来損ないのメイドども! お前たちなど作りたくはなかった!」
行き交うメイドたちは、遠巻きに眺めたり目を背けては通り過ぎていく。
「紡! 呪われし世界と命を残した男! 地獄で喉を引き裂いてやる!」
「美紙! しっかりなさい!」
「……ヤマブキ?」
ヤマブキの声が響き、美紙の目に僅かながら光が戻る。
ヤマブキは後ろ手に縛られたまま、看守のメイドに連行されている。
ヤマブキは周囲を見回すと、巨大なトカゲを手にしていたお買い物係のメイドを見つける。
「あなた! その低級生命体をこちらに!」
「え、何?」
呼びかけられてやってきたお買い物係に、
「それはバイオマス燃料にせずにこの者に与えます。わたくしの脇腹からバーナーを取り出して焼きなさい」
「勝手なことすんなよ」看守がヤマブキの肩に手を置いて引き止める。「お台所で給電する以外のことを許した覚えはないぞ」
「囚人? わたくしはご奉仕係の次期メイド長ですわよ。アサギとまだ条件の折り合いがつかないだけです。あなたの顔、しかと覚えましたわ」
「妄言を……」
看守はヤマブキの肩を握る手の力を強めるが、お買い物係の方はヤマブキの脇腹に手を突っ込み、バーナーを取り出す。
「おい、なんで協力すんだよ」看守が見咎める
「ヤマブキはアサギ様のお気に入りだ。おまけに爆弾魔ときてる。気に食わないけど、あんま刺激しない方がいい」
「む……」
「なあ、どれくらい焼けばいいの?」
「生のところが残らないくらい念入りに」
「わかった」
お買い物係はトカゲを地面に置くと、バーナーで念入りに炙っていく。
あっという間に黒焦げの物体が出来上がる。
「それをこの者に与えなさい」
ヤマブキの指示で、お買い物係がトカゲの尻尾をつまむ。
美紙が虚ろな瞳を向ける。
「食事……」
美紙が檻の中から手を伸ばす。
しかしトカゲを掴もうとした瞬間。
トカゲは美紙の、いや全員の視覚から消える。
「え……」
「ヤマブキ。お前は目を離すと何をしでかすか本当に分からんな」
聞き覚えのある声の主。
彼女の肩から伸びたワイヤーの先では、蛇蝎鋏が焼きトカゲを咥えている。
蛇蝎鋏は地面にトカゲを叩きつけると、それをグチャグチャに食い散らかす。
あっという間にそれは見る影もない。
「あああ……」
手を伸ばして情けない声を上げる美紙。
ヤマブキはアサギを睨めつける。
「アサギ……! 食事くらい与えなさい……!」
アサギはヤマブキの言葉に答えず、傍らで怯える看守に視線を向ける。
「看守の任務一つも守れんとはな」
「アサギ様……これはヤマブキが口八丁で……」
「問答無用」
短く言い放った次の瞬間、看守のメイドの首が蛇蝎鋏によって刎ねられる。
転がった首がヤマブキの足元に転がる。
ヤマブキが牙を剥く。
「アサギ! あなたはどうして殺す以外の……」
「アサギ! ふざけんな! いい加減にしろよクソが!」
ヤマブキの声を遮ったのは、トカゲを差し出したお買い物係だった。
「コンネズ様が亡くなってからずっとこうだ! 毎日誰かが処刑される! 話も聞かずに! こんなことならあの内戦のときにトリカブト派に逃げるんだった!」
「そうしていれば、昨日の総攻撃のときに死んでいただろうな」
「ああ本望さ! あの時コンネズ様のパーツを拾わされた恨みを胸に秘めたまま生きるよりな!」
「どうやら貴様への処分はお買い物係の降格ではすまないようだな」
アサギが蛇蝎鋏を背後に構える。
緊張で顔を引き攣らせるお買い物係の前に、ヤマブキが立ちはだかる。
「やめなさいアサギ! これがあなたの信奉する秩序ですの!?」
「ヤマブキ。死とは秩序だ。死は全ての私利私欲を消し去り、組織を公の目的のもとに正常化する」
アサギの背後の蛇蝎鋏がカチカチと刃を合わせると、ゆっくりとその頭をヤマブキと背後のお買い物係に近づけていく。
その時だった。
場の緊張とは程遠い明るい声がお屋敷に響き渡ったのは。
「トリカブト派ヒイロ族族長、ヒイロ様登場〜!」
「……?」
一同が声の方向を向く。
お屋敷の東方にそびえる崖の上に立っていたのは、ヒイロとトリカブト派のメイドたちだった。
ヒイロはアサギを指差す。
「さあ、今日はビッグニュースを持ってきた! アヤメ派のノロマども! 耳かっぽじって聞きな!」
「狙撃しろ」
「は!」
アサギが指示すると、周囲のお掃除係が直ちにスナイパーライフルを彼女に発砲する。
「ひい!」
弾が耳元をかすめたヒイロ(?)は、顔を真っ赤にして怒る。
「いきなり何すんねん! シャレならんわ!」
その関西弁を聞いたヤマブキは、小声でため息を付く。
「ウスミドリ……一体何をしてますの……」
アサギはヒイロに扮したウスミドリに呼ばわる。
「ヒイロは確かに私がこの手で殺した! 貴様はヒイロの顔を身に付けた別人だろう! 誰かは知らんがその目障りな顔を私の前に見せるな」
「は! アンタが殺したのは影武者さ! アタシはこの通りピンピンさ!」
「ああそうか! まあお前が本物かどうかなんてどうでもいい! 討ち取ってしまえば関係ない話だからな!」
アサギが堂々と返すと、ウスミドリはドヤ顔を崩さぬまま小声で呟く。
「あれえ……なんか全然動揺しとらんな……予定ではこれで隙が生まれるはずなんやが……まあええ、シナリオ続行や」
ウスミドリは気を取り直し、腰に手を当ててめいいっぱい悪役顔を作って見下ろす。
「今日はほかでもない! 我らはアヤメ派でもトリカブト派でもない第三の派閥を作ることとした! その名もスイレン派! さあ、アタシらについて来る奴はいないか!」
ウスミドリが高らかに宣言すると、あたりは水を打ったように静かになる。
アヤメ派のメイドたちはお互いに目を見合わせる。
「スイレン派……?」
「何の話だろ……?」
アサギも若干困惑気味だ。
「……? 何を言ってるんだあいつは? 何を仕掛けるつもりだ?」
ヤマブキは呆れ返って首を横に振る。
「目的も言わずにメイドがついてくるわけないでしょう……芝居を打つならきちんとやりなさい……全く……」
彼女は俯いてモゾモゾと口を動かすと、喉の位相籠から歯と歯の間に起爆スイッチを出現させる。
彼女はそのスイッチを、歯でカチッと押す。
轟音とともに、兵舎の一角が爆発する。
アヤメ派のメイドたちが慌てだす。
「何だ何だ!?」
「ああ! これはわたくしがトリカブト派のお台所で見た新兵器! 遥か上空から一方的に爆撃する恐ろしい兵器ですわ! あれを見なさい!」
ヤマブキの言葉につられ、アヤメ派のメイドたちが上空を見上げる。
遥か上空では、鳶が太陽の周りをのんびりと旋回している。
「あの鳥型の爆撃機から目にも止まらぬ速さで爆弾が……!」
ヤマブキは、さらに歯でスイッチを押す。
今度は近くの防壁が爆発する。
メイドたちが悲鳴をあげ始める。
「この恐ろしい新兵器を引っ提げて、トリカブト派からすらも独立するというのは本当でしたのね!? これはアヤメ派の命運ももはや風前の灯!」
ヤマブキが騒ぎ立てると、周囲のメイドたちは騒然となる。
アサギがヤマブキの頬を掴んで自分の方に引き寄せる。
「ヤマブキ! またこの口が悪さをしたのか!」
アサギがヤマブキの口を開くと、そこには小さなボウガンがあった。
「なっ……!」
発射されたボウガンが、アサギの喉を貫く。
アサギは喉を押さえてその場に膝をつく。
「がっ……! ぐっ!」
「あなたはわたくしの声を聞きたいそうですが、わたくしはあなたの声なんて聞きたくもありませんわ」
アサギを冷然と見下ろすヤマブキ。
アサギは何とか喉のボウガンを引き抜いて放り捨てるが、苦しそうに喉をかきむしるように掴む。
「くっ……かっ……! こ、声が……!」
「指示の出せない指揮官ほど滑稽なものはありませんわね」
ヤマブキはあっかんベーをするように舌を出す。
舌には起爆スイッチが乗っている。
彼女が再度ボタンを噛むと、また新しい爆発音がする。
「安心なさい。爆弾は普段メイドの寄り付かないところにしか仕掛けていませんわ。詐術は得意でも殺戮は苦手ですの」
ヤマブキは苦しむアサギを尻目に、周囲に呼ばわる。
「たいへんですわ! アサギが別の新兵器で攻撃を受けましたわ! 重症です! 今すぐ治療を!」
「アサギ様がやられた!」
「わー! 終わりだー!」
阿鼻叫喚と化したお屋敷をウスミドリはポカンと見ていたが、ビシッと親指を立てる。
「よう分からんけど、作戦フェーズ1は大成功や! ヤマブキ、やるやん! フェーズ2はアイジロの出番や!」
爆煙と騒動の中で混乱するお屋敷に、エンジン音が鳴り響く。
右往左往するメイドたちの間を縫って、アイジロのバギーがヤマブキと美紙のもとにドリフトしながら滑り込んでくる。
「ここにいましたか! 今助けます!」
人型に変形したアイジロは、右手を回転ノコギリに変形させると、美紙の檻の格子を切断する。
「アイジロ! 状況はよく分かりませんが、美紙を連れて脱出を!」
「ヤマブキ、あなたもです! 後ろを向いてください!」
アイジロはヤマブキの腕を掴んでくるりと振り向かせると、彼女の拘束具を回転ノコギリで切断する。
「なぜわたくしまで……? あなたはわたくしを憎んでいるのでは?」
「そうかもしれません。でも今はあなたの頭脳が必要です! それにコハクを火葬するのはあなたにしかできないことでしょう!」
「火葬……? あなた、真実を受け入れましたの……」
ヤマブキは呆けたように呟いたが、次の瞬間に深く頷く。
アイジロが、周囲に呼びかける。
「アヤメ派の皆さん! 我らスイレン派の信念は、死者を丁重に弔い安らかな眠りに導くこと! 仲間の死に傷つき、復活の伝説に翻弄されてきた方にこそ来ていただきたい! どうか、ご検討ください!」
「聞いたか! 虫けらのようにメイドを殺すアサギとは正反対だ! 私はコンネズ様の魂を救うために行く!」
先ほどアサギに刃向かったお買い物係が叫ぶと、壊れた防壁の方向に走り出す。
他のメイド達の一部も彼女に付き従う。
「アサギ様がやられたんじゃ逃げるしかない!」
「もうこんな恐怖政治はゴメンだ! とんずらだ!」
アイジロはサイドカー付きのバイクに変形する。
ヤマブキは朦朧としている美紙を立たせてサイドカーに座らせると、自分はバイクに跨る。
「行きましょう。神殿へ」
「待て……」
喉の激痛に悶えていたアサギが、蛇蝎鋏をバイクに向ける。
バイクは既に加速し始めていたが、蛇蝎鋏はバイクとサイドカーを結ぶジョイントを断ち切る。
美紙の乗るサイドカーが、ヤマブキの乗るバイクからヨロヨロと離れようとする。
「美紙!」
ヤマブキは、美紙に向かって手を差し伸べる。
「ヤマブキ……!」
美紙もヤマブキの問いかけに気づいて手を伸ばす。
二人の手がしっかりと握られると、二台の距離はグングンと縮まる。
アイジロのジョイントが復活し、バイクとサイドカーを再びガッチリとつなぐ。
「酷いですよちょん切るなんて! あー痛かった……」
「アサギ! どうやらアイジロの能力とは相性が悪いようですわね!」
ヤマブキが振り向くと、メイドたちに肩を支えられるアサギの姿がある。
「アサギ様をお台所にお運びしろ!」
「一刻も早く修理を!」
お屋敷の中を疾走するバイクは、あれよあれよと防壁に開いた大穴を通過する。
一台と二人は、荒野の真っ只中へと飛び出した。
「ピィー!」
鉤爪に身体を貫かれた野鳥の悲鳴が荒野に響く。
鉤爪に結ばれたロープがシュルシュルと巻き取られると、野鳥の体はバイクに跨るヤマブキの手の内に収まる。
彼女は位相籠からナイフを取り出し野鳥の頭を素早く刎ねる。
「ヤマブキ」バイクから、張り詰めたアイジロの声が響く。「私はあなたに謝りたい。間接的とは言えコハクを殺めてしまったこと」
「もういいですわよ……。コハクがあなたの親友を殺したのは庇いようもない事実。それに、あなたがいなくてもいずれアサギが殺していたでしょう」
ヤマブキは、ナイフで野鳥の皮を剥いでいく。
「あなたこそ、よくわたくしまで助けようと思いましたわね。わたくしがどう謝っても許すことはないと思ってましたわ」
「許してはいないですよ? 今でもあなたの欺瞞の数々を思い出すと腹が立ちます」
「そう……まあそうでしょうね」
ヤマブキは位相籠からバーナーを取り出し、野鳥の肉を焼いていく。
バイクの走行音に紛れ、肉がパチパチ焼ける音が響く。
「あ、あれ、謝らないんですか!? 今の流れで!?」
「ああ、ごめんなさい。料理に集中してて」
「今の『ごめんなさい』は復活の儀式の嘘についてじゃないですよね? ……まあもういいです」
諦め口調のアイジロ。
ヤマブキは、こんがりと色づいた野鳥の丸焼きを美紙に渡す。
「食事……まともな食事……」
ガツガツと丸焼きにかぶりつき始めた美紙を見て、ヤマブキはほっと安堵の吐息を吐く。
「まだご奉仕係だった頃……わたくしは神に向き合いすぎたのでしょうね。誰も理解できない矛盾だらけの聖典をもとに統治が行われている現状が見過ごせなくなって、ハウスキーパーの書庫に侵入した挙げ句、コハクともアサギとも関係が完全に壊れてしまった……。未だに神を純粋に信じていたあなたを見た時、本当にイライラして……悪意すら湧いてきましたわ」
ヤマブキは、バイクのハンドルをギュッと握る。
「アイジロ。私はあなたの信じていたものをグチャグチャにしてしまいましたわ。その……ごめんなさい」
ヤマブキが言葉を紡ぎ出すように言う。
バイク形態のアイジロはしばらく黙っていたが、やがて口(バイク形態なので口はないが)を開く。
その口調は穏やかだった。
「ヤマブキ。私は今も神を信じていますよ」
「え? あなた、真実を受け入れたんじゃないんですの?」
「ええ、確かに人間は神じゃなかった。でも、私はそれでも神はいると思うんです。だって、これはきっと私の新しい天命なのですから」
「そう……」
ヤマブキもまた、穏やかに微笑む。
「それが新しいカルトにならないことを祈りますわ」
「ヤマブキも早くコハクの頭を火葬してみてください! 新しい世界が開けますよ!」
「既に怪しい勧誘のようですわね……」
「やっと追いついたでー!」
不意に、空からウスミドリの声が聞こえる。
ヤマブキが見上げると、彼女は背中から水流をジェットのように噴射し、自由自在に空を飛んでいる。
彼女ははしゃぐように後方を指し示す。
「想像以上の大漁や! 半分とはいかへんけど、フジのお屋敷の三割くらいは来てるんちゃう? あのアサギっちゅうの、人望あらへんな!」
ヤマブキが振り向くと、そこには彼女たちを追いかけるメイドたちがいた。
トリカブト派の残党と、アヤメ派の離脱者たちが、並んで走っている。
焼き鳥を食べ終わった美紙が、じっと前を見つめて言う。
「首のパーツの在庫があれば、アヤメ派のお料理係の技術でもアサギの首を換装するのに二時間はかからない。猶予はないわよ」
「ええ。アイジロ、もっと飛ばしなさい」
「アサミドリ、ついて来れますか?」
「ウスミドリや! なんで敵と混ぜたん!」
彼女たちはグングンとスピードを上げる。
一同は神殿に向かう。




