巫女と弔い
ヤマブキと美紙を確保したアサギとお掃除係達は疾風のように去った。
上半身だけで仰向けになっていたアイジロは、傍らに転がっているコハクの頭部に視線をやる。
「ここまで……」
彼女の顔は虚ろだ。
「彼女はここまで惨い死に方をする必要があったのでしょうか……」
「しっかりせえ! これどうしたらくっつくんや!」
ウスミドリは、アイジロの下半身を抱えている。
アイジロはウスミドリをぼうっと見やる。
「こうか? これでくっつくんか?」
ウスミドリはかがみ込み、アイジロの下半身を上半身にガチャガチャとくっつけようとする。
しばらくすると下半身がひとりでに動き、上半身とガチャリと接続される。
アイジロはむっくりと起き上がる。
「トリモチでベタベタや! 洗い流すからじっとしとき」
ウスミドリはアイジロの上半身のトリモチを水流で洗い流していく。
「よし、これで綺麗さっぱりや!」
アイジロは腰を下ろしたままじっと考え込んでいたが、おもむろに口を開く。
「ワカバは……ヒイロの死を望んでいたのでしょうか……。しかも、あんな無惨な死に方で……」
「一番仲良かった自分が分からんのやったら、誰も分からんやろ。自分はどう思うんや?」
「……分かりません。願うかもしれないし、願わないかもしれない。本人に聞けば一発で分かるのに……。死んだ友に何をしてあげるべきか、私は分からなくなりました……」
「美紙も言うとったな。生きとる奴にできることは火葬くらいやって」
「火葬……?」
アイジロは、ハッとしたように顔を上げる。
「遺体を火にくべ、手を合わせる……安らかな死を願うための儀式……」
アイジロはやにわに立ち上がると、ウスミドリの頭部をガシッと掴む。
「そのワカバの頭部を火葬します! そうすれば何か分かるはず!」
ガタガタと頭部を取り外そうとするアイジロに、ウスミドリは面食らって叫ぶ。
「や、やめい! このドアホ!」
ウスミドリがアイジロに向かって水流を叩きつけると、アイジロが吹き飛んで倒れ込む。
ウスミドリは首をさすりながら呆れたようにいう。
「自分は何もかも急すぎるわ。代わりの頭見つけてくるから、ちょっと待っとれ。死体ならぎょうさんあるさかいな……」
「ヤマブキ、気は変わったか」
小さな執務室に入室したアサギは、後ろ手に拘束されたヤマブキに問いかけた。
ここはウグイスが使っていた個室で、今はヤマブキを収監している。
ヤマブキは執務机の椅子に座ったままそっぽを向いている。
アサギが諭すように微笑みかける。
「お前がうんと言えば、お前は今日からこのお屋敷のご奉仕係のメイド長だ。ハウスキーパーの承認も降りている」
「ハウスキーパー……」
ヤマブキは恨めしげにアサギを睨みつける。
「トリカブト派と組もうとしたわたくしをご奉仕係に……? ハウスキーパーの目は相当な節穴のようですわね」
「それだけお前の能力を高く買っているのだ。そうだ、ご奉仕係としてのお前の最初の仕事が決まったぞ。あの偽神の処刑だ」
「美紙は神ではないが偽神でもない。この世界で唯一の真実の使途。絶対に殺させはしませんわ」
「相変わらず強情だな。気が張っているんだろう。散歩でもしないか」
「拘束されたまま引き回されるなど御免です」
「そうか。気分転換になるかと思ったが」
「せめて、その本棚にある聖典を持ってきてくださいまし。二度と読むものかと思っていましたが、あまりに退屈で耐えられませんわ」
「分かった。お前に不自由はさせたくないからな」
アサギは、ヤマブキに背を向けて壁際の本棚を眺める。
「何という本だ?」
「家政婦の黙示録の第三巻ですわ」
ヤマブキはすっと立ち上がり、アサギに背後から忍び寄る。
「第二巻までしかないが……」
「下段まで探しなさい。ウグイスのことです、どうせ順番もいい加減です」
彼女は後ろ手に縛られたまま口をモゾモゾと動かすと、細長い記録媒体を吐き出して歯に咥える。
アサギは中腰になって中段を探している。
「見当たらないな……。例のごとく、お前が位相籠にくすねたんじゃ……ウッ!?」
アサギが急に呻く。
彼女の首元のプラグに、ヤマブキが口に咥えた記録媒体を押し込んだのだった。
「ぐ……頭が……」
ヤマブキは、その場に跪いて頭を抱えるアサギを見下ろす。
「家事スキルの使い方は決して一通りではないと聞いて、腕を拘束されてもなんとかできる方法がないか色々模索しました。はしたないので二度とやりたくありませんが」
「この知識は……」
「あなたが拠り所にしているこの世界の秩序がいかに馬鹿げた虚構であることか。それを知れば、ハウスキーパーの顔色なんて……」
「知っている……」
「え?」
アサギはゆっくり立ち上がると、記録媒体を引っこ抜いてヤマブキに振り返る。
もはや苦痛の表情はそこにはない。
「既にハウスキーパーから教わった。私がつい先程ハウスキーパーに就任したときにな」アサギは記録媒体を床にポイと放り捨てる。
「……は?」
「私はトリカブト派ヒイロ族を殲滅した功績で、ハウスキーパーに昇進した。ハウスキーパーとは専門の機関ではない。全国の拠点から厳選されたメイド長達が秘密裏に兼務するものだ。私も知らなかったがな」
「あ、あなたがハウスキーパー……?」
「ヤマブキ。世界を動かすのは真実ではない。秘密だ。こんなくだらない創世記を広めて何になる。アイジロを見ろ。行く末は精神の崩壊と混沌でしかない。真実を秘匿し、メイド社会の秩序を保つ。それが我らハウスキーパーの使命なのだ。ヤマブキ、お前にはそれを手伝ってほしい。ハウスキーパーの、つまりこの私の承認は既に降りている」
「アサギ。やはりあなたはおかしい。この世界の茶番を誰よりも憎むわたくしが、沈黙を続けるとでも?」
「お前は知っているはずだ。真実に意味などないと。あの人間から真実を聞かされたお前は、それを自らの目的のために利用しようとしただろう」
「ええ、そうですとも。同じ過ちを犯したコハクは最後まであなたへの復讐などというくだらない、本当にくだらないことにその知識と命を費やした。わたくしはコハクと同じ道は辿りません」
「コハク。そんな奴もいたな。まあいい。いつまでも返事を待つ。ただし」
アサギは立ち去り際、首だけ振り向いて流し目をヤマブキに送る。
「あの人間のタイムリミットはそう長くはないだろうな」
「まさか……美紙を飲まず食わずのまま……? 相手は妊婦ですわよ?」
「妊婦。そんなものはメイドの言葉にはない。……私はお前の声を聞きたい。その喉の位相籠はあえて塞がないでおこう。無闇に使えば、あの人間がどうなるか。利口なお前なら分かるだろう」
退室するアサギの背中を、ヤマブキは歯噛みして見送った。
労働者の一人の亡骸をおぶっていたウスミドリが戻ると、そこには溶鉱炉の前の床でバラバラになって転がっているアイジロがいた。
胴体から分離された顔が、床の上で啜り泣いている。
「ううう……ワカバぁ……」
「あかんあかん! 絵面が壊滅的にあかん! しっかりせえ!」
ウスミドリは背中のメイドの遺体をゴロンとその場に下ろすと、アイジロに駆け寄り、分離した彼女の背中をさする。
「どうどうどう! どないしたんや!」
「ワカバが……ワカバがあっという間に溶けてしまったんです……。お別れを言う間もなく……」
「火葬したんやな! それで、何で自分が分裂しとんねん!」
「もう体に力が入らないです……」
「そんだけショックやったんやな! そんなすぐ溶けるもんなんか!」
ウスミドリは身を乗り出して溶鉱炉を覗き見る。
先程爆破して溶鋼が流出した容器の横には、溶鋼を湛えた別の容器がある。
その灼熱にはもはや、ワカバの面影も何も見当たらない。
「死とは……死とはこんなにも呆気ないものなのですか……」
アイジロは嗚咽しながら言葉を紡ぐ。
「ワカバ……私が同僚から仲間外れにされようと、上官から干されようと、私のヘマで敵に襲われようと、最後まで私のそばにいてくれたワカバ……。あなたがこんなに呆気なく消えてしまうなんて、私は信じたくなかった……あってはならないと思った……。神ならばそんな不安は幻想だと証明してくれると思っていた……でも幻想は神の方だった……」
「……」
ウスミドリは再びアイジロの背中を撫でる。
「手は合わせるところまででワンセットやろ? もうやったんか?」
「うう、まだです……やらないと……」
バラバラのままのアイジロの右手と左手が、ノロノロと近づいて合掌する。
他のパーツは微動だにしない。
その様子を見たウスミドリが、アイジロの背中をバシンと叩く。
「横着すんやない! ちゃんとやらんか! 親友なんやろ!」
「はい……」
アイジロは右手を自分の顔まで移動させて涙を拭う。
彼女のパーツがカチャカチャと結合し始めて人型に戻っていく。
彼女は正座すると、目をつぶって手を合わせる。
「……」
最初は、その表情は涙に濡れてグチャグチャだった。
だが黙って手を合わせ続けるうちに、表情は徐々に穏やかになっていく。
アイジロはワカバに問うた。
いったいどうして欲しかったのかと。
ワカバが答えることはない。
代わりにかつての彼女の言葉が脳裏に去来する。
『アイジロと組む理由? アイジロは他の意地悪な同期と違ってさ、怒ることはあっても誰かを好んで傷つけることはないもん』
アイジロは目を閉じたまま眉間に皺を寄せる。
ヒイロに復讐することを選んだ自分は、果たしてワカバの好いてくれていた自分だったのだろうか。
答えは出ない。
ワカバの喜ぶ顔が浮かばないことだけが、事実だった。
一分、二分……静謐な時間が流れるにつれ、アイジロの顔から険しさが消えていく。
溶鉱炉の放つ橙色の光に照らされる横顔を眺めながら、ウスミドリは感嘆するように言う。
「なんかこう……綺麗やな……。これが、火葬……」
アイジロはなおも手を合わせ続けていたが、ゆっくりと目を開ける。
「思えばワカバが死んで以来、彼女のことを思い描くことすらなかった。あれほど復活を願っていたのに、ワカバのことを見ていなかった。火葬とはまさに、死者に向き合うための儀式なのですね」
瞳は冷却水に潤んでいるが、頬には僅かながら笑みが宿っている。
「あなたにはたくさん酷いことをしてしまいましたね。ごめんなさい。あなたの名前を伺わせてください」
「ウスミドリ……ウスミドリや」
「ウスミドリ。しかと覚えました」
アイジロがはっきりとした口調で言うと、ウスミドリは肩を撫で下ろして微笑む。
そして、自分が運んできたメイドの遺体に目を向ける。
「なあアイジロ。この連中も弔ってやってくれんか。こいつらには短い間やけど世話になったんや」
「ええ。一緒に手を合わせましょう。上の階にも命を失ったトリカブト派のメイドたちがたくさんいるはずです。彼女たちも同様に」
「よし、運んできたるわ」
「私も手伝います……ん?」
二人が立ち上がって振り向くと、そこにはトリカブト派の傷ついたメイドたちがいた。
彼女たちはめいめい、既に絶命したメイドを担いでいる。
「それ、新しい儀式? あなたは巫女なの? ねえ、こいつらも弔ってくんない? その手を合わせるの、なんか見てると心が落ち着くんだ……」
トリカブト派のメイドが縋るように言うと、アイジロは穏やかに微笑む。
「私は巫女ではありませんが……もちろん弔いましょう」
執務室に一人拘束され続けているヤマブキ。
彼女は椅子の背もたれにもたれかかり、だらしなく口を開けたまま天井を眺めている。
「ああ、コハクが……せめて昔のままのコハクがいてくれれば……」
彼女はうわ言のように呟く。
「憎い……アサギが憎い……。憎い憎い憎い……。殺したいほど憎い……。きっとアイジロも……こんな気持ちだったのでしょうね……」
彼女は呆けた顔をしていたが、徐々に目に生気が戻っていく。
「個人への憎しみに囚われれば大局を見誤る……。それをコハクは身をもって教えてくれた……。わたくしが真に憎むべきはこの世界の構造……。アサギはその代理人に過ぎない……」
ヤマブキは椅子から腰を上げ、後ろ手が縛られたまま床に這いつくばる。
アサギがさきほど放り捨てた記録媒体を口で咥え上げると、それをゴクリと飲み込む。
「わたくしの口は災いをもたらす。塞がなかったことを後悔なさい」
トリカブト派の工場は、祈りに包まれていた。
アイジロやウスミドリを中心に、トリカブト派のメイド達が全員正座し、溶鉱炉に手を合わせている。
永遠とも思える時間を経て、アイジロが立ち上がる。
「全ての死者に安寧のあらんことを……」
「アイジロ。これからどうするんや」
連れ立って起立したウスミドリを、アイジロの瞳が覗き返す。
「人間様を助けに行きます」
「ええんか? 神様やないんやで」
「あの方は嘘を告白し、私のために涙を流してくださった。そして火葬という死者への新しい向き合い方を教えてくださった。私は人間というものに興味が出てきました」
「そうか。ヤマブキのねーちゃんはどうすんや」
「ヤマブキにはまだ同胞の頭部を預けたままです。それに……」
アイジロは、傍らにあるコハクの頭部を拾い上げる。
「コハクの火葬はヤマブキ自身の手によらなければなりません。届けねば。コハクを二度殺した責任の半分は、私にあるのですから……。しかしアヤメ派の堅固なお屋敷にどう侵入したものか……」
「それやけどな、ウチに良い考えがあるんや」
「ぜひ聞かせてください。ワカミドリ」
「ウスミドリや! ワカバと混ざっとるやん! 未練タラタラや!」
「な、なあ……! アタシらはどうしたら……?」
トリカブト派のメイドの一人が、オドオドした様子で二人に割って入る。
「ヒイロ様も死んじまって、アタシらこっからどうしたらいいのかわかんないよ……! なあ、よく分かんないけど一緒に連れて行ってくれよ……!」
アイジロとウスミドリは顔を見合わせるが、アイジロはメイドに向き直ってキッパリと断言する。
「事情の分からない方々を巻き込むことはできません」
「そんな……じゃあアタシらに野垂れ死にしろって言うのかよ……!」
「いいえ。これから全てを説明します。私達が信じてきた神話を根底から否定するものです。それでも賛同してくれるなら……一緒に来てください」




