二度の喪失
「少し痺れますわよ!」
ヤマブキは、位相籠から取り出したショックガンの銃口を蛇蝎鋏のワイヤーに押し当て引き金を引いた。
電気ショックがワイヤーを通してコハクとアサギの両方に伝わる。
「い゛い゛!?」
「ぬうっ……!」
蛇蝎鋏が大人しくなった隙を縫って、ヤマブキはコハクの鎖骨に刺さったワイヤーを思い切り引き抜く。
そしてコハクから切り離された蛇蝎鋏に、もう一度ショックガンをお見舞いする。
アサギが痺れてよろめく。
コハクは痛みに顔を歪ませながらも、肩を抑えながら前方に走る。
アサギが先ほど上方に投げ飛ばした衝風傘をキャッチするためだった。
「キミにここで会えたのは幸いだ! アヤメ派もトリカブト派も関係ない! ただキミを殺す!」
コハクは衝風傘の柄を掴むと、アサギに向かって衝撃波を飛ばす。
アサギはまだフラついていたが、コハクを一瞥すると蛇蝎鋏を床に突き刺す。
そして自分の顔を両手でガードする。
「何の!」
衝撃波がアサギの全身を襲うが、蛇蝎鋏のワイヤーがピンと伸び切ってアサギの体を支える。
アサギは第一波を何とか踏ん張ると、側方に転がってコハクの第二波を回避する。
「コハク。さすがの体捌きだ。致命傷を狙ったのに胸への直撃を避けるとは。あの時お掃除係になっていればよかったものを」
「最初はそのつもりだったさ。ご奉仕係にはヤマブキに誘われたんだ。キミは違ったようだけど」
「そうしてヤマブキをハウスキーパーへの反逆などという狂気に誘った」
「あれも誘ったのはヤマブキさ。そして、今日も勧誘された。どうやらボクの方がモテるみたいだね」
「コハク……ヤマブキの心に巣食う生霊め」
「そうかもね。じゃあ今日キミは死霊になるわけだ!」
コハクはアサギに向かって衝風傘を撃ち続けるが、アサギは機敏にかわす。
工場内の機械や備品が次々に衝撃波で破壊されていく。
ヤマブキが主戦場から退避しながら言う。
「コハク、お台所をこんなグチャグチャにしていいんですの!?」
「さあね! ボクはアサギが殺せれば何でもいい!」
「復讐とは理性の埒外ですわね……! ウスミドリ、美紙の退避を……!」
ヤマブキが振り向くと、そこには二人の姿はない。
周囲を見回すと、ウスミドリは既に美紙の肩を抱きながら、労働者の詰め所に向かっている。
「意外に機転が利きますわね。ではわたくしはこちらに専念を……」
ヤマブキがアサギとコハクの方に振り向く。
それはさながら演舞のようだ。
衝風傘が開けばアサギはひらりと身をかわし、蛇蝎鋏が伸びればコハクは風に乗って飛び退く。
中距離攻撃の使い手である二人は、付かず離れず、それでいて目にも止まらぬ速さで飛び回る。
ヤマブキはアサギにショックガンの銃口を向けようとするが、全く照準が定まらない。
「この二人の間に割って入るのは自殺行為ですわね……。わたくしはまだ動けるトリカブト派の部下たちの応援を何とか呼ぶとしましょう」
ヤマブキはアサギの入ってきた天井の隅の大穴を見やると、そこに向かってグラップネルガンを向ける。
だが引き金を引く直前、周囲からジャラジャラという音が聞こえる。
「ん……?」
詰め所へと避難したウスミドリと美紙は絶句した。
そこにあったのは労働者たちの亡骸の山だった。
「何やこれ!」
「あのメイド……」
労働者たちの中心には、アサルトライフルを抱えているアヤメ派のお掃除係がいる。
彼女は振り向くと、慌てて銃口を美紙に向ける。
「に、偽神! お前を捕らえろとアサギ様の命令だ! 大人しくしろ!」
「こいつらが何したっちゅうねん! このメイド殺し!」
ウスミドリが彼女に向かって両手をかざすと、手の平からジェット水流が噴射される。
「うああ!?」
お掃除係は水流で後方に吹き飛ばされ、壁に激突する。
ウスミドリは彼女が手放したアサルトライフルを素早く拾うと、彼女に銃口を向ける。
「ひい、やめて! 撃たないで! 何も見なかったことにするから!」
お掃除係は両手を上げたまま、転びそうになりながらその場から逃げていく。
彼女を見送ったウスミドリは銃を放り投げる。
彼女は倒れている亡骸のうち、薄桃色のメイドのそばにひざまずく。
「うう……肩の強いねーちゃんも死んでもうた……。あんまりや……。なあ、人間っちゅうのもこんなバタバタ殺し合っとったんか?」
ウスミドリが美紙の方を向くと、美紙は顔面蒼白になりながらメイド達の亡骸を呆然と見下ろしている。
「決して争いを好まないようにメイドのモデルを設計したはずなのに……。いちばん大事なことがAIにインプットされてない……。どうして……。こんなの、人間の生き写しじゃない……。どうして学習が途中で止まってるのよ……。私はどうして一人でコールドスリープに……」
美紙は頭を抱えると、その場にうずくまる。
ワナワナと震えている彼女の肩に、ウスミドリが手を添える。
「なんか辛いこと聞いてもうたか……? スマンな……?」
「紡……あの男に違いないわ……!」
顔を上げた美紙は、まるで悪鬼のような表情に豹変していた。
ウスミドリがギョッとして思わず一歩たちずさる。
「私の邪魔をして、一人だけのうのうと死んだのね……! こんな狂った世界と呪われた子だけを残して……。許すものか……!」
「み、美紙! よう分からんけど、その顔はあかん! しっかりせえ!」
ウスミドリが、冷水をバシャリと美紙の顔面にかける。「きゃあ! ちょ、冷たい!」
「お、正気になったやんな? 頼むから落ち着いてや」
「あ、あ……ゴメンなさい……」
美紙は顔から雫を滴らせたまま、悄然と俯く。
「妊娠でホルモンバランスが不安定だから……。私、たまに極端なことを口走っちゃう時があるみたいで……」
「まあまともになったならええわ。しばらくここで身ぃ隠しとこ」
「ええ……」
激しい衝突音、銃撃、悲鳴。
様々な音を遠くに聞きながら、美紙は体育座りをして目元に涙を浮かべる。
「紡……。どうしてこんなことになっちゃったの……?」
一方ヤマブキは、周囲に漂うジャラジャラという音の正体を確かめるべく周囲を警戒していた。
「何ですのこの不吉な音は……ん?」
ヤマブキのつま先に、カツンと何かが当たる。
彼女が屈んで拾い上げると、それは小さなボルトだった。
「二人が暴れたせいでコンテナから部品が……? いえ、違う……」
彼女は周囲の床を目を皿のようにして眺める。
すると、小さなネジ、ナット、電極板、コイル……様々なパーツが、これ以上分解できない最小単位になって移動している。
「まさか……アイジロ……!? 下半身がまだ生きて!?」
ヤマブキがアイジロの方を向く。
アサギが乱入して以降、トリモチに囚われたままずっと大人しくしていた彼女は、小さな声で呟く。
「ここまで自分の身体を分解したことはなかったので、自信はありませんでしたが……これだけ近くに来ればコントロールも容易い」
彼女が目に力を入れると、ヤマブキの周囲の部品たちが一気に速度を上げてアサギと激しく戦闘するコハクの方に向かっていく。
ヤマブキは手当たり次第にトリモチガンを放つが、部品があまりに分散していて殆ど取り逃がしてしまう。
彼女は焦燥の表情でコハクに呼びかける。
「アイジロの下半身がまだ生きてますわ! 足元に気をつけなさい!」
「この正念場に! ゴキブリみたいな生命力だな!」
気づけばコハクの周囲には、部品が彼女目掛けて移動しながら結合を続け、足首や膝などを徐々に形成している。
「害虫が通風孔に入ると機械が故障すんだよ!」
コハクはアイジロのパーツに向かって衝風傘を放って散らす。
ヤマブキも、トリモチに固定されたアイジロの上半身をショックガンで撃つ。
感電したアイジロが何度も痙攣するが、それでも下半身の動きは止まらない。
突如崩れた均衡を見逃すはずもなく、アサギは素早くコハクの死角に回る。
傘に覆われずガラ空きになっている半身に、蛇蝎鋏が伸びる。
「お前の根城だというのに、地の利がなかったな!」
ガキンという金属と金属が響き合う音。
蛇蝎鋏が食い込む音だ。
しかし、それはコハクのボディではなく、もう片方の手に握られた新しい傘だった。
「日傘だけじゃない。雨傘もあるんだ」
二本目の傘から、衝撃波が発せられる。
「ぐっ!」
アサギは衝撃波をモロに食らい、背後の製造機に体を打ちつける。
コハクはアイジロのパーツを日傘で次々に払いながら、アサギに雨傘を向ける。
「キミが知らないのも無理はないね。これに気づいたのはアヤメ派を捨てた後だからさ。家事スキルってある日突然使い方が分かって面白いよね」
「フフ……」
アサギはフラフラと立ち上がりながら笑う。
「コハク。雨はどこから降る。雨傘は天に差すものだろう」
「……? こんな地下で何言って……?」
「コハク! 上ですわ!」
ヤマブキの警告にコハクが上を向く。
そこにあったのは、落下してくるアイジロの片脚だった。
「な!?」
避ける間もなく、コハクの顔面にかかと落としが叩きつけられる。
コハクがよろめく。
「あぐ……」
「お前の死角に入ったのは攻撃するためじゃない。これを投げ上げるためだ。ニの手三の手がなければお前の虚をつくことなどできんからな」
「アサギ! やめて!」
ヤマブキがショックガンの銃口をアサギに向ける。
しかしもうそこにはアサギはいない。
「あ゛あ゛……!」
コハクの声。
ギリギリと金属同士がこすれ合う音。
ヤマブキの目に写っていたのは、胸の中心を蛇蝎鋏に完全に貫かれていたコハクだった。
「コハク……! 嘘でしょう、コハク!?」
「ぎい……」
コハクは声にならない声をあげながら、ワイヤーを掴む。
しかしそれはびくともしない。
コハクは首を捻ってヤマブキに幽き笑みを向ける。
「ヤマブキ……。こうなる可能性はずっと覚悟してた……。最後にキミとまたつるめて、ちょっとだけ楽しかったよ……」
「やめろ。これ以上ヤマブキを惑わすな」
蛇蝎鋏の前足がコハクの腹に突き刺さる。
コハクの目から光が消える。
「いやあ! やめて! アサギ!」
絶叫しながら銃口をアサギに向けるヤマブキ。
しかし横から蛇蝎鋏の足が現れて銃を咥え、遠くに放り投げてしまう。
ヤマブキは即座に次の銃を取り出すが、これも蛇蝎鋏に取り上げられる。
ヤマブキの表情が絶望に染まる。
ヤマブキなど見えてないかのように、アサギはコハクを凝視し続ける。
「コハク。いや、あえてヒイロの名で呼ぼう。コハクなど最初からいなかったのだ。お前の痕跡は全てなくしてやろう」
不快な金属の摩擦音とともにコハクの手が食いちぎられる。
次は足、腹……。
切断は止まらない。
「やった……ついにやりましたよワカバ……」
少し離れた場所で、アイジロの上半身はトリモチに囚われたまま、恍惚たる表情を浮かべていた。
「ここからではよく見えませんね」
ガンガンという音とともに、アイジロの上半身が揺らぎ、トリモチからは剥がれる。
完全に再生したアイジロの下半身が、彼女の上半身を蹴飛ばし続けていたのだった。
彼女はトリモチまみれながら自由の身になる。
「さあ見届けなければ……ん?」
床に手をついてコハクの方を向こうとしたアイジロ。
その目に飛び込んできたのは、転がってきたコハクの頭部だった。
その半開きになった目と視線があったアイジロは、咄嗟に悲鳴を上げる。
「ひっ……」
それは、かつてワカバが殺害された時の光景の写し絵だった。
アイジロが恐る恐るコハクの方を向く。
それは凄惨というほかなかった。
ワイヤーに胸を貫かれたまま宙に固定された彼女は、既に胴体だけになっている。
周囲に転がった手足の残骸を、蛇蝎鋏が餌のように貪り散らかしている。
アサギは微動だにせず、常に無表情だ。
アイジロから血の気が引く。
「こ、これは……」
「ああ……あああ……」
アイジロから数メートル離れた場所にいるヤマブキは、なすすべなく立ち尽くしている。
彼女のダランと垂れ下がった腕には銃が握られているが、もはやそれをアサギに向ける気力もなくなっている。
彼女はアイジロに気づくと、その表情を怒りに染める。
「アイジロ……あなたが……全部あなたが……!」
ヤマブキはアイジロに馬乗りになって掴みかかる。
「全部あなたのせい! アサギをここに招き入れたのも! コハクを死なせたのも! どうしてあなたはいつも私の道を塞ごうとする!」
ヤマブキは何度もアイジロの顔面を殴りつける。
ボーっとしているアイジロを、ヤマブキは何度もガンガンと殴る。
「あの日死んだと思った! 生きていたと思ったら、今日また死んだ! 愛する者を二度失った苦しみが、あなたに分かりますの!?」
アイジロはその言葉で我に返ると、ヤマブキの拳を手の平で受け止める。
「二度失った……? それは私のセリフです! 一度目はヒイロ! 二度目は嘘の復活! あなたにこそ、この絶望が分かるものか!」
アイジロはマウントするヤマブキの顔面を殴り返す。
よろめいたヤマブキを、アイジロの下半身が蹴飛ばす。
倒れ込んだヤマブキは、身を震わせながら身を起こす。
「アイジロ……せめてあなただけでも……」
ヤマブキが位相籠に手を突っ込もうとする。
だが、彼女の腕はワイヤーに絡め取られる。
また別のワイヤーが、彼女の首に巻き付く。
「ぐ……ああ!」
彼女の体は目にも止まらぬ速さでアサギに引き寄せられる。
ヤマブキの眼前に、アサギの顔が現れる。
笑うアサギの表情は、爽やかですらあった。
「さあ、賊は滅びた。ヤマブキ、お屋敷に帰ろう」
「いや……」
ヤマブキは言葉を失っている。
アサギの後方から別のメイドの声がする。
「アサギ様! 偽神を捕らえました!」
そのメイドは美紙を後ろ手に拘束している。
その後方では、別のメイドに銃口を向けられたウスミドリがいる。
「さっき見逃してやったのに、恩を仇で返しおって! このダボハゼ!」
ウスミドリの罵声がむなしく工場に響き渡る中、アサギは部下たちに号令をかける。
「ヤマブキと偽神をフジのお屋敷に連れ帰る。あとは捨てておけ」




