火と水と
コハクがヤマブキに向けた傘が、バンっと開かれる。
前方に衝撃波が走る。
ヤマブキが咄嗟に横に避けると、背にしていた机が吹き飛ぶ。
ヤマブキは別の机の裏に転がり込む。
「コハク! わたくし達が殺し合って何になりますの!」
「殺し合いが虚しいのなんて当たり前じゃないか! 大事なのはそこにどんな価値を見出すかだ!」
コハクが再度傘を開閉し、次の衝撃波を繰り出す。
ヤマブキの隠れていた机が吹っ飛ぶ。
「ああ! ここまで歪んでしまったなんて!」
ローリングして避けたヤマブキは、穴から落ちながらグラップネルガンを頭上に撃ち上げる。
ピンと張られたロープに従い、彼女は床まで急降下していく。
「美紙! 何かこの工場全体を人質に取るような方法はありませんの!? ヒイロの……いえ、コハクの泣き所はこの工場……?」
着地した彼女の目には、うずくまってすすり泣く美紙、オロオロしているウスミドリ、そして燃え盛る瞳で頭上を見上げるアイジロがいる。
「……美紙、全部喋ったんですのね」
「ヤマブキ」
アイジロは視線を下ろさないままに言う。
「私は絶対にあなたを裁く。ですが、それはヒイロを地獄の業火に送ってからです」
「アイジロ。今更何も取り繕いませんわ。ただ、どうしてもわたくしはコハクと話をつけなければならないのです」
ヤマブキが言い終わった瞬間、アイジロがヤマブキの頬を思い切り殴りつける。
ヤマブキはもんどり打って床に転がり込む。
「ぐ……」
「あなたは本当に救えない。悪びれもせずに自分の要求。もう二度と話しかけないでください」
冷え切った声で言い放ったアイジロは再度頭上を見上げる。
そこには、衝風傘を開いたままふわりふわりと降りてくるコハクの姿があった。
「お〜いアンタら、今日はもう上がりだ。詰め所に戻りな」
彼女が空中から見回すと、労働者のメイドたちはこの事態を神妙に見守っている。
コハクが怒声をあげる。
「戻れっつってんだろ! プレス機にぶち込まれたい奴以外はな!」
「は、はい!」
メイドたちは我先にと、詰め所の入口へと殺到する。
「ウチらも逃げるで! 立てるか!?」
ウスミドリは、美紙を何とか立ち上がらせて、肩を抱いて他の労働者達と同じ詰め所へと移動していく。
コハクはそれを気にも留めず、足元のアイジロとヤマブキを見下ろす。
「ヤマブキが変なこと吹聴すると困るから応援も呼べない。本当参ったね」
「落ちるといい! 地獄へ!」
アイジロが己の右手を回転する車輪に変形させると、コハクに向かって投げ飛ばす。
コハクは不敵に笑う。
「地獄へ? こちとらとっくに落ちてんだよ」
コハクは衝風傘を閉じて横に構えると、再度開く。
彼女の体は弾むボールのように側方に飛んでいく。
アイジロの車輪は空を切り、ブーメランのようにアイジロのもとに戻っていく。
跳躍したコハクは高所にあるクレーンの運転席にスルリと入り込むと、レバーを一気に左に引く。
「この地下工場は地獄の楽園さ! ハッピーな兵器に生まれ変わらせてやるよ!」
クレーンが勢いよく頭を振ると、暴れるロープの先端のフックが、立ち上がろうとしていたヤマブキの脇腹の位相籠に突き刺さる。
「な!」
クレーンは位相籠に突き刺さったままヤマブキの体を持ち上げると、そのまま大きく旋回して灼熱の溶鉱炉の上で停止する。
「こ、この……」
ヤマブキは何とか脇腹のフックを外そうとするが、フックの先端は磁石になっており、位相籠の中でメイドの脚部にくっついている。
脚部は位相籠の入口をつっかえ棒のように塞ぎ、動かない。
中途半端に蓋がされているせいで中に手を入れる隙間もない。
ヤマブキの手は、虚しく位相籠の入口をかきむしるだけだ。
「ダメじゃんヤマブキ、油断しちゃ。位相籠は一番近くで何かを取り出したがってる奴の思考を読み取るんだから」
彼女はそう言いながら、運転席の側面へと衝風傘を突き出して開く。
アイジロが斜め下から投げつけていた車輪が吹き飛ばされる。
アイジロはローラースケートで車輪を拾いにいくと、周囲を見回す。
「この工場はヒイロの独壇場……勝手の分かるメイドを見つけなければ」
アイジロはスクーターに変形すると、ゴミゴミとした工場の隙間を縫ってウスミドリと美紙が非難している詰め所の入口へと駆ける。
「ヒイロをあそこから引きずり下ろす方法はないのですか!」
人型に変形した彼女は、入口から顔だけ覗かせて野次馬していた労働者たちに必死の形相で訴える。
労働者たちは面食らってお互いに顔を見合わせる。
ウスミドリも回れ右すると、労働者たちに向かって両手を広げる。
「アイジロの言う通りや! 一生あんなおっかない奴にこき使われてええんか自分ら! ここは力をあわせ……へぶう!」
彼女の熱弁が、間抜けな声とともに急に中断される。
彼女が倒れた後ろでは、アイジロが拳を振り抜いていた。
「ワカバの顔で、その喋り方で、口を開かないでください。不愉快です」
「いい加減にせえよ……」
ウスミドリは顔を上げると怒りの眼差しをアイジロに向ける。
「自分には同情するけどな! ウチはどう足掻いてもワカバやないんや! いい加減切り替え……が!」
ウスミドリの言葉が全て終わる前に、今度は彼女の顎がアイジロによって思い切り蹴り上げられる。
彼女は仰向けに倒れ込む。
「なるほど、確かにここは地獄のようですね。誰も地上に戻れると信じていない。では自分で何とかします」
彼女はクルリと踵を返すと、スタスタと立ち去る。
ウスミドリはガバっと起き上がると、隣の美紙に詰め寄る。
「なあ、ウチには家事スキルはないんか? こんなんじゃ敵にも味方にも相手されへん! 目にもの見せにゃ!」
「え、ええ……」一通り泣いて少し落ち着いていた美紙は、泣き腫らした目をウスミドリに向ける。
「確かあなたの家事スキルは水圧顎……。体の好きな場所から放水できるはずよ。例えば手の平とか」
「ええやん! 水鉄砲でもないよりマシや!」
ウスミドリは自分の両手を広げる。
「う〜〜〜ん」
彼女が強く念じると、指の先が緑色に発光する。
その発光が止まったと思うと、指先から水がチョボチョボと流れてくる。
「ショッッッぼ!!!」
一方溶鉱炉の上に吊り上げられたヤマブキは、必死にクレーンのフックを外そうともがいている。
「コハク! あなたの目的がアサギを殺すことなら協力しますわよ! あの歪んだ支配欲の塊とはもう決別しました! だからこれを解きなさい!」
「嘘だね。殺すほど憎めやしないでしょ、キミは。交渉の土俵に乗れてないよ」
コハクがレバーを操作すると、滑車が鈍い音を立ててロープを吐き出し、ヤマブキの体を煮えたぎる真紅の池へと降ろしていく。
「ヤマブキ。ボクはキミのことは嫌いじゃない。今でも好きかもね。だから苦しむところは見たくないんだ。だから、ササッと溶かすね」
コハクが更にヤマブキを下降させていく。
ヤマブキはフックを外すのを諦め、ロープを握って上へと登っていく。
「頑張るじゃん。たいした腕力もないのに」
コハクがレバーを左右に小刻みに振ると、ヤマブキの体も左右に揺らされる。
彼女の手が滑って体がずり落ち、つま先が溶鉱炉に微かに触れる。
煙が上がり、ヤマブキの表情が苦悶に染まる。
「あああ!」
「へー……キミのそんな大声、初めて聞いた」
「苦しむところを見たくないなんて、嘘ばっかり!」
「うん、嘘かも。ヤマブキが悶えてるとこ、ちょっと興奮する……」
「気持ち悪い! アサギも! あなたも!」
一方アイジロは、端末を忙しなく操作していた。
「吐き気がしますね……。この忌まわしい知識に頼るのは……」
モニタに、工場の見取り図が表示される。
「下の階のブレーカーを落とせば全部の機器が停止するはず……。入口は……反対側ですね。コンベアを稼働させれば多少は時間を短縮できる」
アイジロは端末を操作して何個かのベルトコンベアを稼働させると、コンベアに飛び乗りバギーに変形する。
「アイツ、電源落とす気? アタシのお台所で勝手な真似しないでよ」
遠目にアイジロの行動を見ていたコハクは、クレーンの運転室から飛び降りると、近くの端末を操作する。
「フォークリフト以外の車両は走行禁止! 現場の安全規則を遵守しな!」
言い終わるや、アイジロが走行していたベルトコンベアが急停止する。
「おお!?」
バギーは慣性に引っ張られてつんのめり、前方に転がる。
ゴロゴロと音を立てながらも、アイジロは人型に変形して何とか受け身を取ってコンベアの上で静止する。
「目が回って方向が……地下への入口は……ってああ!?」
立ち上がろうとしたアイジロが、再度体勢を崩して倒れる。
ベルトコンベアが再度高速で稼働し始めたのだった。
仰向けのまま運ばれるアイジロの真上から、巨大なプレス機がアイジロを押し潰さんと迫ってくる。
「なんと残忍な! これがメイドのすることですか!」
ガチャン。
プレス機が完全に下降する。
プレス機が再度上がる。
そこには誰もいない。
エンジン音が鳴る。
プレス機の前方に、間一髪圧殺を免れたバギーが疾走しているのを見たコハクは舌打ちする。
「しぶとい奴だね。ファミリーにほしいくらいだ」
コハクは衝風傘を構えて横っ飛びを繰り返し、アイジロに向かっていく。
クレーンに吊り下げられたまま放置されたヤマブキは、何とかロープをよじ登って眼下の溶鉱炉から少しでも距離を取ろうとする。
「これを登れたとてどうやってフックを外すのか……」
「ヤマブキ! ウチにええ考えがある!」
ヤマブキが見ると、溶鉱炉の縁にウスミドリが立っている。
「このグツグツがあかんのやろ! ウチが冷ましたるわ! だいぶ使い方、分かってきたで!」
彼女が煮えたぎる炉に両手の平を向けると、後方から美紙が大声で叫ぶ。
「やめて! そんなことしたら水蒸気爆発するわよ!」
「え、そうなん!? あかん、止め方分からへん!」
「手をよそに向けなさいよ!」
美紙の指示に従う間もなく、ウスミドリの両手から炉に向かって勢いよく放水される。
真っ白な蒸気が弾け、周囲を爆風が包む。
ウスミドリの体が吹き飛ばされ、美紙の足元に転がり込む。
「あじじじ! 溶ける! 溶けてまう!」
「ボディ見た感じ水蒸気しか浴びてないから大丈夫そうね……。それよりヤマブキは?」
美紙が前方を見ると、そこには爆風の余韻でグラグラと揺れるクレーンがある。
フックの先にはヤマブキはいない。
「爆風の威力が磁力を上回ったのね……でも、どこに?」
「ここですわよ……」
美紙の隣に積み重なったコンテナの上から、ヤマブキが顔を出す。
「ヤマブキ! よく無事だったわね!」
「これほど全身が痛むのを、無事というのかしら……。思いっきり振り子を揺らして、何とか爆心は避けられましたけど」
コンテナの上にうつ伏せになっているヤマブキは、その体勢のまま後方を確認する。
そこには、爆走するアイジロのバギーと、それを衝風傘で追うコハクがいる。
「美紙、アイジロの目的は分かりますの? コハクが急いで追うということは、重要な場所に向かっているのではありませんの?」
「たぶん電気制御室のある地下への入口よ。鳥兜重工はアヤメコーポレーションの子会社だったから、工場の構造は概ね想像がつくわ」
「お台所の機能を全て停止しようというわけですわね。しかしコハクに接近するのは筋が悪いですわ。アイジロともとても共闘は無理。他のルートはありませんの?」
「そうね……あるわ」
「ならその入口に案内なさい」
「入口はないわ。作るの。ねえ、ウスミドリ」
床で伸びていたウスミドリは、美紙の問いかけでムックリと起き上がる。
「えらい目におうた……。でも覚えたで。グツグツに水は厳禁やな」
「ウスミドリ。溶鉱炉でもう一回水圧顎使って」
「なんでや!?」




