ホッズミーミルの森
アイジロを見て混乱していたヒイロだったが、ハッと自分の口を抑える。
「やっば……ヤマブキにだけは絶対にバレないようにめっちゃ演技頑張ってたのに、水の泡じゃん」
「コハク……コハクなんですの……?」
ヒイロは、全てを諦めたように大きなため息を付いてヤマブキを見る。
「だから言ったでしょ? キミには聖典がお似合いだって。昔あんだけ後生大事に抱えてたんだからね」
「あなたがコハクなんですか?」アイジロがヒイロを指差す。「なら話は早い。あなたの頭部を装着した瞬間に流れ込んできたこの偽りの記憶はいったい何なんですか。大昔は人間様が億単位でいたとか、愚かな戦争で殺し合って滅びたとか、人類再興のためのメイド社会構築とか……。こんな荒唐無稽な記憶が、まるで事実であるかのように頭に流れ込んできて、こともあろうか私の頭に馴染みつつある。コハク、いったいあなたは何者ですか」
「あー……。その前にこっちも質問。なんでアンタがその頭つけてんの」
「昔オダワラで拾いました。復活させるための仲間として。ヤマブキが私の頭を隠したから、たまたまそこにあったこの頭をつけたのです」
「はー……。記録媒体が刺さったままずっと残ってるなんて、奇跡だね」
「記録媒体?」
アイジロが首を傾げると、ヒイロは自分のうなじを指差す。
「ここに刺さってんでしょ」
アイジロが自分の首の後ろを弄る。
髪の下から、彼女は一本の小さなスティックを取り出す。
それを見たヤマブキがピクリと反応する。
「それ、ハウスキーパーの書庫から盗んだもの……?」
「そうだよ。アサギに襲われたときもこれは握りしめてた。充電ケーブルのプラグと同じ形なのに気づいて、逃走中に試しに頭に刺したら、そいつが言うみたいにとんでもない記録が頭に流れてきた。頭痛に耐えられなくなったボクは、自分の頭を捨ててスクラップ置き場から適当なメイドの頭部を拾った。追手を撒く意味も込めてね」
「コハク……。本当に生きて……」
ヤマブキは信じられない表情でいるが、急に強い口調でコハク(今後はそう呼ぶ)に、堰を切ったようにまくし立て始める。
「コハク! なぜこんな紛らわしい真似を! どれだけ心配したと思ってますの!? だいたいあなた、人類の真実を知っていながら、なんでトリカブト派なんかに!? 族長のヒイロ様!? 自由平等アナーキー!?」
ヤマブキが口走っている最中。
急に轟音が鳴り、床が爆発する。
一番近くに座っていたヤマブキは、突如空いた穴に縛られたまま落ちていく。
「何なんですのー!? 次から次に!」
「今度は何……?」
ヒイロが穴の下を覗き込むと、ウスミドリがヤマブキをキャッチしていた。
その横では、美紙が天井を見上げている。
「爆薬の量を抑えたから良い感じの爆発規模にできたわね。ヒイロも落ちてくればふん縛れたんだけど……。ってあれ? アイジロもいる?」
美紙の横では、薄桃髪のメイドが美紙に念を押している。
「私が投げたの絶対黙っててよ!? 一回チクられて目つけられてんの!」
コハクは眼下の彼女たちに顔をしかめる。
「貴重な弾薬を……。あいつは流石にスクラップ行きだな」
コハクがマイクのスイッチをオンにする。
「業務れんら……ん?」
語り始めた瞬間、マイクのグースネックが折られていることに気づく。
分離したアイジロの手首の仕業だ。
「私の話はまだ終わってません。あなたはこの偽りの記憶が何のために存在しているか、知っているのですか」
「偽り? 全部真実だよ」
「真面目に答えてください!」
アイジロは拳の裏で扉を叩く。
「人間様が憎みあい戦争など起こすはずがない! 人間様があのような野蛮な繁殖方法をするはずがない! 人間様が……!」
「付き合う義理もないけど……アンタ、なんか絶妙にイラッとするね」
コハクはアイジロを憐れむように笑う。
「全部嘘っぱちなら、なんでハウスキーパーが後生大事に秘密にしてたのさ。それにアタシは工場を切り盛りするのにこの知識をフル活用してんだ。正しい証拠さ」
コハクは自分のこめかみをコンコンと指で叩く。
「アンタさ、自分でその情報が本物だって気づいてんでしょ」
「え?」
「この拠点の位置もパスワードも、その媒体に記録してあった。だからここに侵入できた。違う?」
「それは……」
「このマイクだって、アヤメ派じゃただの装飾だと思われてた。でもアンタはその機能を正しく理解して、私が話しかけた瞬間迷わず破壊した」
「マイクなんてどうでもいい! 大事なのは人間様についてです!」
階下では、ウスミドリがヤマブキの拘束を解いていた。
「ヤマブキ!」美紙が言う。「早く脱出しましょう。通路のロックなら解除できると思うわ」
「三分前まではそうするつもりでしたわ。コハクと再開するまでは」
「コハク? 前言ってた同期?」
「今はヒイロという名ですけどね。話をつけねばなりませんわ」
拘束を解かれたヤマブキは、位相籠からグラップネルガンを取り出すと、真上の穴に向かって鉤爪つきのロープを飛ばす。
その鉤爪は、コハクと問答していたアイジロの足に巻き付く。
「人間様がこんな……人間様が……あ?」
「アイジロ、少し席を外しなさい」
ヤマブキがボタンを押すと、ロープが勢いよく巻き取られてアイジロが工場の床に落下する。
「いだあ!」
仰向けに打ち付けられたアイジロが声を上げると、ヤマブキがアイジロ本人の頭部を彼女の傍らに置いて言う。
「これはあなたに返しますわ。後でいいからコハクの頭は外しておきなさい。そちらも本人に返します」
ヤマブキはアイジロの返事を待つ間もなく、再度ロープを打ち上げる。
コハクの部屋の扉の取っ手に鉤爪が絡まり、ヤマブキはロープに巻き取られながらコハクの元へと上昇していく。
「エレベーターならあっちにあるよ。ボクの認証でしか動かないけど」
「コハク。あなた、どうしてこんなところで小悪党なんてしてるんですの」
「そんな言い方しなくたっていいじゃん。一部族の族長になるの、アヤメ派で出世するよりよっぽど地獄だったよ」
「質問に答えなさい!」
ヤマブキが声を荒げると、コハクは面倒そうにポリポリ後頭部をかく。
「ボクをあんな目に遭わせたアサギを殺すため。それが何か?」
「あの日あなたは、わたくし達が求めていた真実を手に入れた。それを、今はそんな個人的欲求のために使っているんですの?」
「ボクにとっちゃ、過去の技術を再現して工場の生産効率を上げるためのお得情報でしかない。真実なんて大仰なもんでもないさ」
「コハク。力で応酬しても力でやり返されるだけです。しかし思想をひっくり返せば無力化できる」
「どういう意味?」
「コハク、わたくしと一緒にこの真実を広めるのです。武力行使なんかより、アヤメ派にとってはよっぽどこたえるはずですわ。今はあの記録媒体もある。そして何より、美紙という生きた人間がいる。あれはお料理係のメイドなどではありません」
「知ってるよそんなの。メイドの腹があんな膨らむもんか」
「ならなぜ! 個人の復讐などというつまらない目的のために!」
「キミだって、あれを出世の道具にしようとしてたでしょ? 裏切った五人組の話聞く限りは、そう聞こえたけどね」
「ええ。全て失敗に終わって、帰る場所もなくなって、ふと気づきましたわ。美紙という名の真実がいる今なら、あの時わたくし達ができなかったことができると。違いますの?」
「はー……。正直悩み始めてるんだよね。監視カメラでキミを見てからさ」
「コハク、もしトリカブト派の部下をどうするか悩んでいるなら、わたくしに考えがありますわ。彼女らもアヤメ派への反抗心は共通していて……」
「すぐに次のプランを考える。相変わらず賢いね。ヤマブキ。今でもちょっとドキッとするよ。でもね、ちょっと今はズレてるな」
コハクは愁いを帯びた眼差しでヤマブキを見つめる。
「キミを殺すかどうかさ。ボクが迷ってるのは」
「……コハク?」
「迷惑なんだよね。そんな過去のどーでもいい話を持ち出して、このお屋敷を混乱させられてもさ。どんだけ苦労して人心掌握してると思ってんの」
コハクの手に一本の傘が顕現する。
彼女はその先端をヤマブキに向ける。
「衝風傘……!」
「ヤマブキ。コハクはもう死んだんだ。キミなら後を追ってくれるよね?」
「ホッズミーミルの森」
自分自身の頭部に換装したアイジロは、真正面から美紙に向かって問う。
「ホッズミーミルの森。この言葉を知っていますか」
「え、ええ……でもなぜそれを?」
美紙は緊迫した表情で問い返す。
アイジロは能面のように表情がない。
「これを頭に差したらその計画書が頭に流れ込んできました」
アイジロが、手の平を開いて記録媒体を見せる。
「その媒体、紡がメイドの学習データを小分けに保存してたやつ……」
「ホットミール? 何の話や?」
「『ホッズミーミルの森』……。コールドスリープで戦争による滅亡を凌いで、その間にメイドによって社会を再構築する計画の名前よ……」
美紙は、アイジロに恐る恐る上目遣いを向ける。
「アイジロ、あなた、全てを知ってしまったのね……」
「あなたは仰いました。復活はあると」
「そうね……。言ったわ……」
「こうも仰った。ワカバの魂が体に馴染むのには時間がかかる、と」
「それも言ったわ……」
「では、これは誰ですか」
アイジロは、ウスミドリを指差す。
ウスミドリがビクッと身構える。
美紙は、目を伏せて黙っている。
「……」
「これは誰ですか」
「……」
美紙が肩を震わせる。
彼女の頬に、涙が伝う。
「ごめんなさい……」
美紙はその場に崩れ落ちると、さめざめと泣く。
嗚咽だけがあたりに響く。
アイジロは彼女の隣にゆっくりと跪くと、再びウスミドリを指差す。
「これは誰ですか」
「ごめんなさい……」
「これは誰ですか」
「ごめんなさい……」
「これは誰ですか」
「もう許して!」
美紙は涙に充血した目を見開く。
「ワカバを生き返らせることはできないの! その計画書にも書いてある通り、頭には揮発性メモリしかないから人格の再現なんて原理的に不可能なの! 嘘! 全部嘘なのよ! 私が生き残るための嘘! だってこの子を産むまで死ねないんだもの!」
一息に叫んだ美紙は、床に手をついて泣きじゃくり始める。
アイジロは、ウスミドリに向けていた指をゆっくり下げる。
瞳孔はキュッと窄まり、表情が強張る。
「では……では、私はワカバをどうすればいいのですか? 彼女が動かなくなった時、天に誓ったのです。必ず復活させると。いったい、彼女をどうすればいいのですか?」
アイジロが救いを求めるように言うと、美紙は鼻水をすすりながら言う。
「人間は……少なくとも日本人は、死者を火葬するわ……」
「火葬……?」
「遺体を火にくべるの」
「火にくべる……」
アイジロが信じられないという表情を浮かべる。
「それは、メイドのパーツを溶鉱炉に投げ込むのと何が違うのですか」
「願うのよ。これで死者が安らかに眠れるはずだって。両手を合わせて。そうやって、人間は死者との離別を受け入れようとする。私も数え切れないほど多くの家族を、友人を、同僚を、そうやって見送ってきた……」
「……」
「ごめんなさい、メイドのあなたにこんなこと言っても何の救いにもならないわよね……。本当にごめんなさい……」
アイジロはさめざめと泣く美紙を見つめ続けていたが、やがて凍てつくような、それでいて燃えるような眼差しで、天井を見上げる。
「火に投げ込まれるべきはヒイロ。あのメイドだけです。ワカバじゃない」




