密室のカーチェイス
彼女は曲がりくねった洞窟をどんどん先に進む。
途中にいくつもの分岐があるが、彼女はそのたびに天井の照明を見上げる。
照明は数メートルおきに設置されているが、故障しているのか点灯していないものもある。
「故障している照明の数が少ない方が、おそらくメインルート。メンテナンスが行き届いてないのはトリカブト派も同じですわね」
彼女が行き着いた先は、巨大な円筒形の空間だった。
そこはこの拠点の中心らしく、多くのメイドが忙しなく行き交い、放射状に伸びる多くの横穴を頻繁に出入りしている。
円形の壁を伝うように二階、三階と通路が設置されており、ヤマブキは最上階の横穴からそれを見下ろしていた。
「チンタラしてんな! 決起集会まであと一分だ! ヒイロ様がいらっしゃる前に準備終わんなかったら地下のお台所に一生放り込むぞ!」
「トリカブト派にも定例はあるのですね。美紙が晒し者にされるかも……」
ヤマブキが息を潜めて階下の様子を見守っていると、メイドが横穴から続々と馳せ参じ、中央の広場に集合する。
彼女たちは整列することもなく、押し合いへし合い詰めかけている。
「おい! テメー今どついたな!」
「はあ!? アンタが先にその汚い手を押し付けてきたんでしょ!?」
混雑でイライラしているのか喧嘩を始めるメイドたちもいるが、誰も気に留める様子はない。
日常風景なのだろう。
「まさに蛮族……慇懃無礼なアヤメ派とどちらが魅力的な職場なのかしら」
程なくしてヒイロが現れた。
彼女は広場正面の台の上にどかっと膝を立てて座ると、居丈高に呼ばわる。
「業務連絡その一! アヤメ派のアホどもが内戦で勝手に消耗してる! これはチャンスだ! 弾薬をしこたまこしらえて総攻撃を準備するぞ!」
ヒイロが高らかに言うと、メイドたちは口々に雄叫びを上げる。
ヒイロが手で押し留めると、すぐに静かになる。
「業務連絡その二! アヤメ派のノロマどもの生産スピードが明らかに上がってやがる! その秘密を解くためにお料理係を拉致ってきた! 結果に乞うご期待!」
メイドたちはまたも歓声を上げる。
ヒイロが再度手で黙れの合図をする。
どうやらこういうしきたりのようだ。
「ということは、美紙はこのアジトのお台所にでも幽閉されてるということですわね。救出のチャンスはある」
「業務連絡その三! アヤメ派から我がアジトにお客さんだ! 友好的に出迎えてやんな!」
ヒイロが叫ぶと、ヤマブキの顔に緊張が走る。
「お客さん? 美紙、それともアイジロ……? わたくしが見つかったわけではないですわよね……」
ヤマブキは通路から身を引っ込めるが、トリカブト派のメイドたちがヤマブキに気づいた様子はない。
ヤマブキが恐る恐る階下を眺めると、数珠つなぎで手首を拘束されたアヤメ派のメイドが、番兵にけしかけられてヒイロの前に連れてこられる。
彼女たちはその場にひざまずくと、五人のうちの一人が悲痛な声を上げる。
「ヒイロ! 頼む! 私達をトリカブト派に入れてくれ! 私達は神を信じて蜂起したが、不信心者のアサギとヤマブキに追い散らされてこのザマだ! 奴らにはもう従えない!」
「それでこのあたりウロウロしてわざと捕まったってわけだ。いいじゃんいいじゃん、アヤメ派もろとも連中をスクラップにしてやろうじゃん。じゃ、まずはこれはアタシからの餞別」
ヒイロが目配せすると、手下の一人がアヤメ派の五人の拘束を解き、一人一つずつホットナイフを配る。
「知ってんだろ。トリカブト派の通過儀礼。今この場で本気を示してみな」
ヒイロが自分の左肩を指で指し示す。
五人組はお互い顔を見合わせるが、やがてホットナイフを握り、意を決したように自分の左肩に刺す。
「ぐっ……!」
「いっづっ……!」
彼女たちはめいめい苦悶の表情を浮かべながら、左肩のエンブレムに高熱の刃で傷をつける。
そしてそれをもう一度繰り返し、十字の傷を作る。
終わったメイドはそれぞれホットナイフを手から落とすと、肩を抑えて痛みに震える。
ヒイロは満足そうに笑うと、立ち上がって両手を大きく広げる。
「いいね! 根性あるね! アンタらはもうヒイロ族のファミリーだ!」
岩壁に囲まれた空間に、ヒイロの声がぐわんぐわん反響する。
「トリカブト派はいいぞ! 全てのメイドは人間様のもとに平等! 階級はない! 役職もない! 戦いは全員の義務! 誰でも人間様に祈れる! 自由! 平等! アナーキー! 一緒にメイドの楽園を築こうぜ!」
ヒイロが演説をぶつと、メイドたちの歓呼が広間内にぐわんぐわんと反響する。
その熱気の中で、五人組も立ち上がって手を天に突き上げる。
「トリカブト派が一向に潰れないわけが分かりますわね。まともな社会制度がない分、空虚な熱狂と同族意識だけで共同体を結束させている。アイジロはこっちのほうがあってるんじゃありませんこと?」
集会の見物を終えたヤマブキは、再度入り組んだ洞窟を進む。
「お台所を探さねば……。誰かに聞くしかないかしら」
「おいお前」
声をかけられた彼女はビクッと立ち止まる。
そして、ニコニコしながら振り向く。
「何か御用かしら」
「こっちのセリフだ。お前、アヤメ派だろ」
「あら、どうしてそう思いますの?」
「お前間抜けか? 肩に傷が……」
トリカブト派のメイドが言いかけると、ヤマブキは位相籠からホットナイフを取り出し、一思いに自分の肩に突き刺す。
その表情が苦痛に歪む。
「く……!」
「お、おお……?」
ヤマブキの突然の行動に、メイドは驚いている。
ヤマブキは肩に十字の傷をつけ終えると、苦しそうな笑顔を向ける。
「さっきアヤメ派から寝返った子たちがいるでしょう……。わたくしは一足遅れてしまって……」
「そういうことか……。ならヒイロ様のとこに連れてかないとな」
「それよりあなた、お腹の大きなメイドを見かけませんでしたこと?」
「おい新入り、ヒイロ様に挨拶せずにこのお屋敷を歩き回れると思ってんのか? 着いてこい」
メイドがヤマブキに手を伸ばそうとすると、ヤマブキはその手首を握る。
「おい、何のつもりだ」
「お近づきの印ですわ」
ヤマブキは、彼女に鉄くずを握らせる。
メイドの眉がパッと明るくなる。
「資源……」
「サビも殆どない良質なものですわ」
「お前よく分かってんじゃん。で、何かあたしに頼み事でもあんの?」
急に態度を変えたメイドに、ヤマブキは内心苦笑しながら要件を伝える。
「お腹の大きなメイドと緑髪のメイドを見ませんでした? 緑髪の方は妙竹林な喋り方をしますわ」
「ああ、それならお台所に連れてかれたぞ」
「お台所はどちらに?」
「右右左右真っ直ぐ」
「懇切丁寧なご説明どうもありがとう。恩に着ますわ」
ヤマブキが礼をして振り返る。
だが彼女の眼前に入ってきたのは、オレンジ髪のスラッとしたメイドだった。
「ヤマブキ。あなたに聞きたいことがあります」
「アイジロ!? で、出ましたわ!」
コハクの頭部を身に着けたアイジロに驚いたヤマブキは、回れ右で脱兎のごとく逃走する。
アイジロはすかさずバギーに変形して追いかける。
それを見たトリカブト派のメイドは、二人の背後から間延びした声で呼びかける。
「そっちから行く時は左左下真っ直ぐ左だぞー。それにしても今日は随分新入りが多いな」
洞窟の岩壁に反響するエンジン音と、車輪が礫を巻き上げる音。
洞窟を駆けるヤマブキは右壁に見つけた戸を開くと、身を滑らせるように入室し、鉄の戸に内側から鍵をかける。
彼女が室内を見渡すと、そこは小さな密室だった。
行き止まりだ。
「この狭さでは爆薬で穴も開けられませんわ……」
思案を巡らせるヤマブキの背後から、ガンガンと扉を叩く音がする。
振り向くと、戸の上部の小窓から、アイジロの見開かれた片目がヤマブキを突き刺すように睨みつけている。
「ノックするならもっと上品になさい!」
ヤマブキは位相籠からチェーンソーを取り出すと、扉と反対側の壁にその歯を向ける。
スターターロープを何度も引っ張るが、なかなかチェーンソーのエンジンが稼働しない。
「お台所からくすねた道具はどうしてこうもポンコツが多いんですの!」
ヤマブキの悪口にムッとしたかのように、チェーンソーにエンジンがかかる。
ヤマブキは間髪入れずにチェーンソーの歯を壁に向かって立てる。
コンクリートを削る金切り声のような摩擦音が響く。
ヤマブキが後方を確認する。
戸の小窓から、アイジロの片腕が生えていた。
小窓に突っ込まれた腕は、戸のこちら側の面を弄るように調べた後、急にストンと落ちる。
肩から先だけが分離したその腕は、ドアノブを掴んでダラリと垂れ下がると、ガチャガチャと鍵を開けようとする。
「なんて化け物を呼び覚ましてしまったのでしょう! わたくしは!」
ヤマブキは焦燥に駆られつつチェーンソーで穴を開け続ける。
後方ではアイジロの腕がドアノブを執拗にこじ開けようとする。
ガチャリ。
ついに鍵が解錠する。
ヤマブキがメイド1人分の通れる穴を開けきったのと同時だった。
ヤマブキはくり抜かれた壁を蹴飛ばして通り穴を作ると、身を捻ってその隙間をくぐる。
既に入室したアイジロは、外した腕をドッキングさせると、再びバギーに変形して突っ込んでくる。
隣の部屋に滑り込んだヤマブキは、自分がくぐってきた隙間に向かってトリモチ弾を放つ。
「そこでゆっくりしてなさい!」
次の瞬間、バゴンと音がして壁が崩れる。
ヤマブキが作った隙間から二メートル以上離れた壁面から、バギーが瓦礫にまみれながら現れる。
バンパーの左右にはそれぞれドリルが装着されて回転している。
「何でもありですの!? あなた、やはりトリカブト派の方がお似合いですわよ!?」
アイジロは耳をつんざくようなドリル音を響かせたまま、ヤマブキに突進する。
ヤマブキは位相籠から平たい角缶を何個か取り出すと、逃走しながらそれを後方にばらまく。
アイジロのタイヤが缶を踏みつけると、潰れた缶から飛散したオイルがタイヤに付着する。
「!?」
スリップしたアイジロは、あらぬ方向に逸れて壁に車体をギリギリと擦らせる。
散った火花がオイルに着火し、あたりが火に包まれる。
「あづづづづづいいいい!」
衝突の衝撃と熱で動きの止まったアイジロを背に、ヤマブキは廊下へと走り去った。




