死者の目
ヤマブキに向き直ったアイジロは、壁に直撃したショックで朦朧としている彼女の隣に膝をつき、位相籠に手を突っ込む。
取り出されたアイジロの手に握られていたのは、コハクの頭部だった。
「ヤマブキ。平然と死者の魂を取引道具にするあなたは不信心者以下だ」
薄っすらと目を開けたヤマブキは、コハクの頭部に気づくと目を見開く。
「コハク……!」
「ヤマブキ。私はこの方のことは知りません。でもこれだけは言える。もしコハクが欺瞞と我欲に満ちた今のあなたの姿を見たらどう思いますか」
アイジロはヤマブキの眼前にコハクの頭部を突き出す。
ヤマブキは力なく目をそらす。
「いや……やめて……」
「復活の儀式を行った暁には、コハクも蘇るでしょう。彼女の目に恥じぬ生き方を、今からでもすることです」
アイジロはコハクの目線がヤマブキへと向くように、地面の上にコトンと置く。
そして、仲間の頭部を取り出すべく位相籠に再度手を伸ばす。
「アイジロ! もうやめて!」
二人の様子を見ようと戻ってきた美紙が、後方から声を掛ける。
「全部私のせいなの! 復活なんて、復活なんてものは……」
「美紙……やめなさい……」
美紙をヤマブキが制止しようとするが、美紙は止まらない。
「アイジロ! 復活なんて全部嘘なのよ! 生き残るために必死であなたを騙しただけなの!」
「復活は嘘……? 嘘……? 復活が……?」
必死に訴える美紙の言葉を、アイジロはフリーズしたように聞く。
しかししばらく後に納得したように深く頷く。
「なるほど。コハクを復活させることはできないということですね」
「え?」
「復活を願う者の心に嘘があれば、復活も嘘になる。つまりヤマブキのような邪な者が復活を願えば、コハクの復活も嘘に留まってしまう。そう仰っているのですね」
「いや、え、どういう話の流れ? そうじゃなくて……あなたって、どうすれば話が噛み合うの!?」
「大丈夫です。ヤマブキが信仰を持てずとも、私が代わりにコハクの復活を願いましょう。他の全ての仲間達への祈りとともに」
深く頷いたアイジロは再びヤマブキの位相籠に手を差し込もうとする。
しかしその瞬間。
アイジロの視界が網模様になる。
「!?」
アイジロが気づいたときには、彼女は全身を網に包みこまれていた。
彼女がキッと振り返ると、そこにはハンドガンタイプのネットランチャーを構えたウスミドリの姿がある。
「ワカバ……! なぜ……!」
「その名前で呼ぶんやない! 状況はよう分からんけど、その金髪のねーちゃんはウチの名前ちゃんと呼んでくれた最初の人や! この頭の中の呪いも解いてくれる言うた!」
「ヤマブキに何を吹き込まれたのです! ワカバ、いま正気に戻します!」
アイジロは全身をバラバラに分離する。
それぞれのパーツが網の目をくぐって脱出し、地を這ってウスミドリに向かっていく。
「ひいい!」
異様な光景に慄いたウスミドリは、手にしていたネットランチャーを手から落とす。
彼女が背後の防壁にもたれかかると、アイジロのパーツが眼前で次々に結合し、人型になっていく。
「な、何なんやこの化け物! ウチ前世でなんかヤバいことしたん!?」
アイジロのボディが完全な人型に変形完了……したかと思いきや。
そこには頭部だけがなかった。
アイジロの腕が、首の付け根をかきむしるように弄る。
「何や……首ないなったんか……?」
ウスミドリが視線を外すと、ヤマブキがフラフラと立ち上がっていた。
彼女は脇腹に手を突っ込んでいる。
「あなたが身体を分離した瞬間、頭の部分だけを位相籠にしまいました。これでもう何も見えない、聞こえない」
アイジロはバギーに変形すると、ヤマブキの立っている場所へと疾走する。
ヤマブキが側方に退避すると、バギーは壁にガツンと激突する。
再度首無しの人型に戻った彼女は、狂ったように瓦礫をかき分けて探し回る。
「言ったでしょう、わたくしの腹の中と。まあ聞こえてないでしょうけど」
ヤマブキがハンドガンをアイジロに向ける。
しかしその時、アイジロが一つの頭部を探し当て、頭部に装着する。
ヤマブキがハッとして銃を下げる。
「あなた、それはコハクの……」
ガチャリ。
アイジロが、コハクの頭部をドッキングする。
目に光が走った次の瞬間、その目が尋常ではない大きさに見開かれる。
「な、何ですかこれは……! 痛い! 頭が……頭が割れるように痛い!」
アイジロは、頭を抱えてのたうち回る。
「痛い痛い痛い痛い痛い! 何だ! 何ですかこれは! あああああ!」
ただ事ではない苦痛を訴えるアイジロを、ヤマブキは呆然として見下ろす。
美紙とウスミドリも、何が起きているのか分からず傍観するほかない。
「ああああああああ!」
アイジロは絶叫すると、バギーに変形する。
彼女は猛然と車輪を駆動させると、防壁の抜け穴からお屋敷の外に広がる荒野へと走り去っていった。
「いったいあれは……? 別のメイドの頭部を装着すると発狂するんですの……?」
ヤマブキは、狐につままれたように彼女の残した轍だけを眺めていた。
アイジロが去った後しばし呆然としていた美紙だったが、体の力が抜けたようにぺたんと座り込む。
「私のせいだわ……。アイジロをおかしくしてしまったのは……」
「美紙、あなた、種明かしをしようだなんて、どういうつもりですの。今更このゲームを降りるとは言わないですわよね?」
美紙に歩み寄るヤマブキ。
美紙は地面を見つめたまま言う。
「生き残るためにどんな演技でもしようと思った……。だって私は元気な子を産まないといけないから……」
「出産のための準備は、知識さえ教えて頂ければ何とか手配しますわよ」
「でも……こんな偽りと争いと心の傷しかない世界に子どもを産んで何になるの? それって、私が捨てた人間の世界と何が違うの?」
「美紙?」
ヤマブキは、美紙が自分と会話していないことに気づく。
「だってそうでしょう? 人間の生き残りがいるのかも分からない。この子が育ったとしてどうするの? ボーイフレンドの一人も作れない。人類はどの道そこで絶滅。じゃあ今私が死ぬのと何が違うの?」
「美紙、落ち着いて……」
ヤマブキが美紙に手を伸ばそうとすると、彼女の面は般若のように歪む。
「だいたい何で私が子どもを産まないといけないのよ!? あの男が後先考えずに植え付けたこの子を!? なんでアイツ意地でも堕ろさせなかったのよ!? 己の生み出した兵器で何百万もの命を殺した呪いの女から生まれるのは呪いの子でしかない! 何度もそう言ったじゃない!」
美紙が我を失って叫ぶ。
ヤマブキは位相籠から焼き魚が乗った皿を取り出して彼女に差し出す。
「美紙! あ、あなた、お腹空いてますの!? とにかくこれを食べて落ち着きなさい!」
ヤマブキは虚空に向かって憎悪を叫ぶ美紙に、皿を持たせる。
美紙はしばらく息を荒くしていたが、焦げた魚の匂いに気づくと急に我に返る。
「あ、ヤマブキ、ごめんなさい……。私、今取り乱して……。ホルモンバランスの乱れで、たまに我を忘れちゃうみたいで……」
落ち着きを取り戻した美紙とほっと息をつくヤマブキに、ウスミドリが申し訳なさそうに話しかける。
「取り込み中みたいやけど……この頭の声治してくれるって本当やんな……? そろそろ頭が痛すぎて」
「もうアイジロもいませんし、良いでしょう。ねえ美紙……美紙?」
「きゃあ!」
美紙の悲鳴。
ヤマブキが見たときには、ネットランチャーで雁字搦めにされた美紙の姿があった。
「なんやこれ! やめんか!」
続いてウスミドリの抗議の声。
彼女もまた、網に囚われてもがいている。
二人の背後には、先程ウスミドリが落としたネットランチャーを握っているヒイロと、その手下達がいた。
美紙達が脱出しようとした防壁の抜け穴をくぐってきたのであろう。
「何このでっかい腹は……? アンタ、どう見ても普通のメイドじゃないね。それにその緑髪……。この前確かに殺したはずなのに……。普通じゃない。色々と普通じゃないね」
ヒイロは値踏みするように二人を眺めると、手下に目配せする。
「この二体を運びな。連れ帰って尋問すりゃ面白い話が聞けるかもね」
「あなた、何勝手に話を進めてますの?」
ヤマブキが、ヒイロに向かって銃を構える。
ヒイロは銃口に恐れをなすこともなく失笑する。
「どう見てもお掃除係じゃないよね、お嬢さん。お屋敷で大人しくしてな。武器なんて似合わないよ」
彼女はそう言うや、手の内のネットランチャーをヤマブキに投げつける。
「いたっ!」
手先にネットランチャーが命中し、ヤマブキの手元から銃が落ちる。
彼女が次の銃を出そうと位相籠に手を突っ込もうとする。
だがその腕を、いつの間に接近していたヒイロが握っている。
「こちとら偵察なんだ。アンタを殺す理由も解体して資源回収する理由もない。幸運に感謝しながらすっこんでな!」
ヒイロはヤマブキの腕を取ると、一本背負いにして投げ飛ばす。
兵舎の壁に身体を思い切り打ちつけられたヤマブキは苦痛に呻く。
「ぐ!」
「おーし、見つかる前にさっさと運び出しな! 丁重にな!」
ワーワーと騒ぐウスミドリと怯える美紙をくるんだ網を、ヒイロの手下たちが担いで軽快な足取りで屋敷の外に去っていく。
「ヤマブキ! 助けて!」
「美紙を……返しなさい……」
ヤマブキが手を伸ばした先には、既にヒイロたちの姿はなかった。
「アサギ……! お前は自分の死で払うことになる! 私の死の代償を!」
蛇蝎鋏のワイヤーに手足を拘束されて磔にされたコンネズは、呪詛のような言葉をアサギに吐きつける。
アサギは黙ってコンネズを睨みつけている。
「同僚の死をなんとも思わない……! お前は……! 必ずや天の鉄槌……ゴブッ!?」
言いかけたコンネズの喉を、蛇蝎鋏の前足の鋏が貫く。
コンネズは四肢の自由を奪われたまま苦しみもがく。
「貴様、問答できる立場だと思っているのか?」
アサギの周囲では既に戦闘は終結し、コンネズに加担したメイドたちが捕縛され座らされている。
アサギ側のメイドの一人が、アサギに駆け寄って報告する。
「反逆者はこれで全員です!」
「ご苦労」
短く言うと、アサギはコンネズに蛇蝎鋏を向ける。
「コンネズ、一つだけ感謝することがある。おまえのおかげで私は誤りに気づけた。どっちつかずの寛大さは秩序につながらないとな。これからは秋霜烈日といかせてもらう」
蛇蝎鋏の前足が、コンネズの胸を貫く。
「……!」
コンネズが声にならない声を上げる。
蛇蝎鋏は間髪入れずに彼女の左腕を切断する。
次は右腕。
右足。
左足。
首。
胴体。
間断なくコンネズの身体を切り刻み続ける。
無言の解体ショーを、メイドたちは恐怖の眼差しで眺める。
コンネズはあっという間に手の平サイズのパーツに切り分けられてしまった。
斬殺を切り上げたアサギは、周囲に呼ばわる。
「コンネズに加担した者は、このパーツを拾ってお台所の溶鉱炉に投げ込め。そうすれば職務に復帰することを許そう。おい、離してやれ」
アサギの合図で、捕縛されていたメイドたちが自由の身にされる。
彼女たちはお互いに顔を見合わせて戸惑っている。
だが彼女たちのうちの一人が走ってコンネズのパーツを拾いに行くと、他のメイドたちも一斉にパーツ漁りを始める。
彼女たちは、隣の同僚を押しのけて我先にとパーツを拾う。
「焦るな焦るな。パーツはちょうど人数分に切り分けてある」
アサギが淡々と言いながらその光景を眺めていると、
「いやー! アサギちゃんお疲れ様ー!」
場違いな明るい声があたりに響いた。
ウグイスだった。
彼女はニコニコしながらアサギに近づいてくる。
「コンネズちゃん、あれは何かやらかすと思ってたんだよね! アサギちゃんみたいな働き者がいるから、このウグイスちゃんは枕を高くして……」
軽口をまくし立て始めたウグイスの身体に、蛇蝎鋏のワイヤーが巻き付く。
ウグイスは得意顔を崩して焦燥の表情を浮かべる。
「ちょっとアサギちゃん!? これ何のジョーク!?」
「信仰に手綱をつけるのが貴様の役目だろう」アサギは冷然と言い放つ。「お前が少しでも真面目に説教をしていれば、コンネズ達が暴走することもなかった。違うか? 極めつけには事が起こればヤマブキに全ての責任を押し付けて己は雲隠れ。ウグイス。貴様には心底愛想が尽きたぞ」
蛇蝎鋏が凶悪な刃をジャキンと鳴らすと、ウグイスは血相を変えて喚く。
「ウグイスちゃんの責任だって言うの!? 全部ヤマブキちゃんが神だか何だかよく分かんないの連れて来たのが原因じゃん! ねえアサギちゃん、ちょっと冷静に……」
「説教もその饒舌さでするべきだったな。貴様にメイド長の資格はない」
アサギの言下、蛇蝎鋏がウグイスの胴体を真っ二つにする。
ウグイスは言葉もない。
上半身と下半身が分かれ、それぞれ地面に落ちる。
「アサギ、あなた……いったい何をして……」
そこに現れたのはヤマブキだった。
彼女は絶命したウグイスを見て声を震わせる。
しかしアサギは端然とした表情を崩さない。
「このウグイスもメイド長になるまでは勤勉だったと聞くが……。権力にあぐらをかいて壊れてしまう者は一定数いるものだな」
「アサギ、それはあなたのことではありませんの? ウグイスは仮にもハウスキーパーから任命を受けたれっきとしたメイド長ですわよ。いったいどう説明するつもりですの……」
「それなら問題ない。これはハウスキーパーの指示だ」
「ハウスキーパーの?」
「ああ。さすがに目に余ったんだろう。看過できない事態があれば、私の一存で処分しろと密命が下った」
「またハウスキーパーの指示……。コハクのときと同じ。犬……ハウスキーパーの犬……」
「ヤマブキ」
アサギはヤマブキの両肩をガシッと掴むと、有無を言わさぬ口調で言う。
「結局あの人間はどうなった」
「どさくさでヒイロに連れ去られました。それより離してくださいます?」
「そうか。ではヤマブキ。ウグイスの次のご奉仕係のメイド長はお前だ」
「は……?」
ヤマブキは呆れ果てた声を上げる。
「これだけの騒ぎの発端を作ったわたくしが、メイド長……? あなた、正気ですの?」
「お前は事態を収拾するために万策を尽くした。リーダーの証だ。もうあのわけの分からん人間だか神だか分からない者に煩わされることもない。ヤマブキ。一緒にこのお屋敷を切り盛りしていこう。お前とならできる」
「何を言ってるんですのあなたは……」
ヤマブキは額を抑え込むが、考えを巡らすとアサギを睨めつける。
「ではメイド長の立場で依頼しますわ。今すぐ美紙を捜索なさい」
それを聞くと、アサギは深く頷く。
「分かった。早急に捜索しよう。そして処刑する」
「処刑……?」
「そうだ。この混乱を招いた偽神としてな。そして全ては元通りになる」
「アサギ……あなたはやっぱりずっと同じ」
ヤマブキは両肩のアサギの腕を振り払うと、牙を剥くように叫ぶ。
「あなたは他者を殺すことでしか状況を変えられないのですね! コハクの時からそう! どうせわたくしだって気に入らなければ殺すのでしょう!」
「何を言うんだ! お前を殺したりなどするものか! あの時お前が降格程度の処分で済むようにとりなしたのだって私だぞ!」
「でもコハクは殺した! ハウスキーパーの命令だからと己を慰めて!」
「コハクとお前は違う! お前たちがハウスキーパーの書庫から機密を盗もうとしたあの時、殺そうと思えばお前だって殺せた! そうしなかったのは、お前を思ってのことだ!」
「ならいっそ一緒に殺してくだされば、せいせいしましたわ!」
「ヤマブキ、どうしてそんなことを言う! コハクはお前にふさわしくない! お前と一緒にいるべきなのは私なんだ!」
アサギが言うと、ヤマブキは雷に打たれたように言葉を失う。
それを見て、アサギも「しまった」という顔をする。
「コハクをわたくしから遠ざけるために、わざと彼女にだけ攻撃を……?」
「違う。ヤマブキ。今のはそういう意味じゃない」
「ハウスキーパーの命令にかこつけて……? もしや、ウグイスも……?」
「そうじゃない。そうじゃないんだ」
意味のない言葉を紡ぐアサギ。
ヤマブキは、顔を怒りに染めると、位相籠から銃を取り出す。
彼女は銃口をアサギに向けた。




