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第1話 事のあらまし

 アカウントをとって試しに投稿しようと思い、短編を書いていました。それが長くなってしまったので6話に分割し、連載として投稿します。「いわゆる『ゾンビ』のようなもの」が発生する話ですが、暴力描写はなく、血が流れる場面もありません。その点は安心して読んでください。

 2019年に発生した新型コロナウイルスの大流行も今や過去の出来事となり、人々は帰ってきた開放的なムードにほのかな酔いを感じつつ過ごしていた。

 まさかこの時、すでに新たな感染爆発が迫っていることなど誰も予期していなかった。誰も予期したくはなかった。


 初め、それは疾病とは考えられていなかった。

 あれは8月、ぼくは高校の夏休みの最中だった。どこだか知らない外国で、暴動が発生したらしい――そういうニュースが流れてきた。

 その時は治安が悪いんだなと思うだけだったが、同じニュースが1週間も続いて、さすがに違和感を覚えた。

 ニュースは「暴動の動機が全く分からない」「参加者の特徴に一貫性がない」等、不審な点を列挙していた。

 それから何日か経って、その国は突然報道を規制した。

 何かまずいことがある――それは誰の目にも明らかだった。だから多くの国が追及の声を上げたが、今にして思えば、この時点でもう手遅れだっただろう。


 次に暴動が起こったのは、国境も接していないはずのアメリカだった。この時は、多くの人がスマホで撮った動画を投稿サイトに上げ、その中には相手を至近距離から捉えたものもあった。

 この時怪我人が病院に運ばれ手当てを受けたそうだが、怪我の大半は噛み傷だったらしい。

 程なくしてその病院内で暴力行為が発生した。からくも逃げ延びた者は「人が人を噛んでいた」「殴る・蹴るではなく噛もうとしてきた」「人格や人間らしさがなくなっていた」と話した。

 それは動画サイトの映像からも証明され、また別の病院が、噛まれた人物が人格をなくし人を噛むようになったことを報告した。


 今はそれを「新型ヒト錯乱病」と呼んでいる。疾病の一種らしいが、病原体が何かはまだ分かっておらず、確かなのは感染者に噛まれた傷口から感染するらしい、ということだけだ。潜伏期間はよく分からないが、極端に早いと1時間程度で発症し錯乱状態となる。テレビの特番では、「いわゆる『ゾンビ』のようなもの」と言っていた。


 アメリカは初めから手遅れだった。既に、感染してまだ発症していない者が国内に散らばっていたのだ。まだ情報がない時点で錯乱した者に襲われ、それが少数であった場合には、暴動ではなく単なる喧嘩として処理された。そのため噛み跡の治療もせず傷薬を塗った程度の者が野放しとなった。その一部が発症前に飛行機に乗って移動したため、患者はアメリカ中に散らばった。さらに一部は国際線に乗って、他国まで移動していった。

 世界のあちこちの都市でこの患者、すなわち「錯乱患者」が発見されたのはそれからすぐのことだった。感染してから発症しないまま目的地に着いてしまった者が、現地で発症し錯乱したのだ。

 飛行機に乗っている途中で発症する者も出た。これに対し、最初の頃はハイジャックに準ずる措置をとりつつ緊急着陸して、噛まれた者たちは病院に運ばれていた。

 しかし、病院に着いてから発症した患者たちが暴れ回って院内が全滅するケースが続出すると、対応は変わった。錯乱患者が発生した飛行機は着陸を許されず、燃料が尽きかけても陸上への不時着すら認められず、海上に着水するほかなかった。だがうまく着水できても、救助隊は出なかった。

 陸上を飛んでいて着水する場所がない飛行機は街のない場所へ不時着を強行した。パイロットは精一杯ショックを和らげようと努力したらしいが、それが仇となって錯乱患者や噛まれた者が生存し、飛行機の残骸から外へ出てしまった。


 これらの事実が次々と報じられて、日本中がにわかにざわめいた。数年前まで流行っていた新型コロナウイルスの流行ですら、今の状況に比べれば取るに足らないものだった。あの時の感染爆発がまだ記憶に新しい人々には、ここで楽観ムードはあり得なかった。

 学校の夏休みは、ついに終わらなかった。指示があるまで登校禁止――それが最後の指示だった。

 日本は国際線の運航を止めて、外国船の入港も必要最低限とし水際対策をとった。だが、それは少し遅かった。

 運行停止前に国際線に乗ってきた者の中に、感染しつつ発症せずにいた者が紛れていた。国内で初めて錯乱患者が見つかったのは成田空港だった。それから羽田空港、さらに東京都心――もはや止めることはできなかった。

 各県は県境を封鎖して外出自粛を呼びかけ、錯乱患者を県内に入れないよう対策をとった。だが後から考えると、これは大した意味はなかっただろう。

 最低限の社会活動を維持するため、出勤せざるをえない者はどうしてもいた。彼らのために、鉄道や路線バスがしばらく動いていたからだ。

 それに乗って、感染した者が県境を越え移動してしまった。不意に噛まれて、どうするあてもなく歯形のついた服を隠して密かに自宅へ帰ろうとした者もあった。また噛まれていると知られた者は、発症する前に殺してしまおうと周りの人間に袋叩きにされた。その時はまだテレビが映っていたから、その光景はニュースで見た。

 それに外出自粛とはいっても、生活のため、特に食料品の買い出しのためには外出せざるをえず、スーパーもそのために営業していた。そしてそこへ食料品を運ぶため、トラックが高速道路を走っていた。県境の封鎖は実質できていなかった。

 営業中のスーパーの店内で錯乱患者が発生するケースが散発的に起きた。それ連日報じられると、住宅地では隣近所でも誰かが感染していやしないかと疑心暗鬼にかられ、誰も互いに近付こうとしなくなった。

 この頃、ネット上では応急処置法として「噛まれた場所より心臓に近い部分をきつく縛る」という情報が出回った。実際それを信じる者は多かったが、「出まかせだ」とコメントする者の方がもっと多く、専門家もこの方法はおそらく効果がないとテレビで言っていた。

 それは数日後にほぼ裏付けられた。二の腕をきつく縛ったまま徘徊する錯乱患者の映像が撮影されたからだ。おそらく腕を噛まれて、まだ発症しないうちになんとか助かろうとして縛ったのだろう。


 さすがにここまで来ると、もはやスーパーでの買い物すら出来なくなった。避難所が開設されることとなり、電気や水道などの社会インフラを維持するための人たちを除いて、他の者たちはそこに入れられることになった。9月の終わりのことだった。

 警察官が1戸ずつ家を回って、住民を避難所へ連れて行った。これには相当の時間がかかり、ぼくの家に回ってきたのは避難所の開設から2日経ってからだった。


 電気が止まったのも、ちょうどその日だった。電力会社の内部でも、錯乱患者が出たのだろう。いつかはそうなるだろうと思っていたから、それほど衝撃は受けなかった。


 避難所では警察に加えて自衛隊も支援に当たっており、身体検査を行ったうえで問題がなければ中に入ることができた。だが噛み傷はもとより、少しでも皮膚に傷がある者は排除された。錯乱患者に襲われ噛まれた際、きれいに歯形が残るとは限らない。皮膚の傷は、錯乱患者と揉み合った際に歯が当たったのかもしれない――そういう事だった。

 ぼくは避難所に入る際、素っ裸にされて無遠慮に身体を調べられたが、それに文句は言えなかった。幸い、家族はぼくを含めてみな避難所に入ることができた。

 こうして作られた安全地帯で、人々はようやく人間不信から解放された。


 ――そして、ぼくの避難所が持ちこたえたのは翌日の昼過ぎまでだった。

 その日の朝から、避難所に置かれていたラジオが「全国各地の避難所で錯乱患者が発生している」と報じていた。

 しかしこの時は、みな検査体制に問題があったのだと思っており、うちの避難所は厳重だったから大丈夫、と信じていた。

 避難所内で錯乱患者が暴れ始めたのが、昼食が済んだ後だったのは幸運だった。おかげで腹を空かせたまま逃げることにはならなかった。

 ぼくは混乱する避難所から逃げ出して、ひたすらそこから遠ざかる方へ走った。ほとんどパニックになって走っていたから、我に返った時には家族の姿はなかった。

 行くあてもないまま、ぼくは川の堤防の道を歩いていた。今思えばそこは見通しが良すぎて危険な場所だったが、それがかえって幸運を呼び寄せた。

 堤防下の道を走っていたパトカーが、目立つ位置にいたぼくを見つけたのだ。乗っていた警察官は避難所へ定期巡回のため向かっていたらしく、すでに錯乱患者が出てパニックが起きていることは、ぼくが伝えるまで知らなかった。

 乗っていた二人の警察官は状況の確認に行くと言って、パトカーに乗って走り去った。その後どうなったかは分からない。


 走り去る前に、警察官たちはぼくにいくつかの情報を教えてくれた。

 まず、街はすでに無法地帯となっていて警察の手も及ばず、ひとりで歩くのは危険だということ。タンクローリーが来ないので燃料補給の目途が立たず、燃料を温存するため一部の例外を除いてパトカーを走らせられない。電話も通じないので110番通報もできない。だから誰かに襲われても、助けは来ないのだった。

 それからもうひとつ、教えられた大事な情報をもとにぼくは歩くことになった。

 6キロほど先に警察署があり、停電はしているがまだ機能は残っていると言うのだ。車は使えないが徒歩と自転車での巡回は続けられており、そこだけは治安が維持できていて安全地帯になっている、と。食料の配給も警察署が独自に行っていると聞いた。

 ただぼくは避難所で噛まれた可能性があるからと、パトカーに乗せてはもらえなかった。ひとりで歩くしかなかった。


 ぼくは大変な状況に置かれた。6キロ先の警察署へ錯乱患者にも無法者にも出くわさず、しかも夜までに着かなければならなかった。停電した街でひとりで夜を明かす自信はなかったし、食べ物も持っていなかった。警察署が行っているという配給にありつけなければ、うまく夜を明かせたそしても、その後満足に歩けるかは疑問だった。避難所で最後に満たした腹が空く前に、たどり着くしかなかった。

 のどが乾いたら、川に降りて水を飲んだ。安全かどうか――おそらく安全ではなかったろうが、それ以外に飲む水がなかった。

 警察官が言うには警察署はその川の下流の方にあるとのことだったので、川に沿って歩いた。途中で曲がって橋を渡れば、警察署はその通り沿いにあるから、と。警察官は曲がるべき場所の目印と橋の名前を言っていたが、ぼくはその辺りの土地勘がなくさっぱり分からず、聞いた橋の名前もすぐ忘れてしまった。

 夕闇がせまり風も吹き出し、街灯のつかない街は急速に暗くなってぼくを焦らせた。警察官の言っていた目印も暗いせいでよく分かなかったが、それらしい物が見えたのですぐ近くの橋を渡った。

 そして進んでいったその道は次第に先細り、目的地の警察署も見つからないまま、ぼくは住宅地に迷い込んだ。極度の疲労に判断力を失い、次第に深まる暗闇への恐怖にぼくは震えた。そして急に「カタン」と音がして――おそらく風で棒かなにかが倒れたのだろう――それに驚いたぼくは思わず叫んだ。

 ……ぼくは運がよかった。大声は錯乱患者を呼び寄せるので危険だったが、この時やって来たのは二人の警察官だった。強いLEDのライトに照らされ、ぼくは発見された。

 後で聞かされたが、ぼくは渡る橋を間違えていて、この時すでに警察署の少し北側を通り過ぎていたらしい。しかしそこはまだ徒歩巡回の範囲内で、お互い知らなかったがすぐ近くを巡回中の警察官が歩いていた。ぼくが恐怖にかられてあげた叫び声が、幸運にもこの警察官の耳に届いたのだった。


 その後、ぼくは5人くらいの警察官に囲まれて服を脱がされ、全身をくまなく探られた。今思えば、かなり危ない場面だった。これは避難所と同様、皮膚に傷がないか確認されていたわけだが、もし逃げてくる途中で転んだり、木の枝や草の葉で切ったりして傷ができていたら、ここで追い返されていたかもしれない。

 安全が確認されたぼくは警察署前の通りまで案内され、歩道上の一角に座らされた。程なくして住所と氏名の確認をとられ、毛布を2枚渡されてここで寝るよう指示された。身体検査をしてあっても、警察署内には入れないらしかった。

 前日までのぼくなら不満を抱いたに違いなかったが、この時はそうは思わなかった。すでに、検査を通った人しかいない避難所で錯乱患者が出るのを見てきたのだから。検査体制にどこか不備があるようだが、それが何なのか分からない――そういう状況だった。もし警察署内に一般人まで入れて錯乱患者を出したら、その警察署が守っていたささやかな安全地帯が消滅してしまう。そうなるよりかは、ぼくはアスファルトの路面で寝るほうがましだと思った。

 それから水のペットボトルと数個の乾パンを渡されて、ぼくはそれをじんわりと味わいながら食べて、それから歩道に毛布を敷いて寝た。

 この日からしばらく、ぼくは路上生活となった。


・・・・・・


 翌朝、目を覚まして辺りを見ると、通りにはかなり間隔を離して路上生活者が配置されており、一定間隔で黄色い規制線が張られていた。さらに所々にヘルメットをかぶってマスクをし、やたら着ぶくれした警察官が立っていた。路上生活者が規制線に近付くとその警察官が制止した。配給も自分で取りに行くのではなく、この着ぶくれの警察官が持ってきた。

 その理由は昼前に分かった。

 突然「錯乱!」と大声が聞こえ、警察官たちが一斉に駆け出した。見れば、反対側の歩道に、警察官に向かってバタバタと走っていく者がいた。ゲヘッという汚いせきの音が、理性のなさを示していた。制止しようとした警察官の腕を――そいつは、噛んだ。

 錯乱患者が出たのだ。ここもあの避難所と同じ――そう思ったが、駆けつけた警察官たちはあっという間に錯乱患者を羽交い絞めにして引き離し、両手を後ろに回して黒い手錠をかけた。どこか手慣れた様子だった。

 噛まれた警察官が平然としているのを見て、ぼくは警察官たちの着ぶくれの意味が分かった。全身どの部分も、錯乱患者の歯を通さないように防護しているのだ。錯乱患者はべつに馬鹿力があるわけではないらしく、簡単に手錠と猿ぐつわをかけられて、どこかへ引きずられていった。銃声は聞こえなかったから、射殺はしないらしかった。

 路上生活者が間隔を離され、規制線を張って移動させないようにしているのは、急な錯乱を警戒してのことだった。一ヶ所に集めておいたら、錯乱患者が発生した時に多人数が噛まれてしまう。だから極力分散させ、錯乱した者が出たら、すぐに完全防備の警察官が押さえつける。そういう段取りらしかった。周囲の人たちがあまり騒がないことから、こんな事はあまり珍しくないのだと分かった。


 警察署前の車道上には、路線バスの車両がずらりと並んでいた。これに全員で乗ってどこかへ避難するつもりだろうかと思ったが、そうではないことが3日目の夜に分かった。

 その日は夕方には厚い雲が空を覆っていた。ぼくが歩道上で毛布にくるまって眠り始めて、どれくらい経ったか――突然サイレンが鳴り出し、飛び起きた。

 警察署の敷地内から強い光が放たれていて、路上に並んだバスが照らされていた。拡声器越しに「雨が降り始めました、路上の方はバス車内へ入ってください」との指示があった。

 バスは雨宿り用の屋根代わりだった。路上生活者の人数が多いので普段はバスに入れない。雨が降った時だけ、身体が濡れる前にバスに乗り込んで、座席に座って雨が止むのを待つのだった。もし突発的に錯乱患者が出たら逃げ場がなかったが、――それはもうお手上げ、ということだったのだろう。バス1台につき1人の警察官が警戒についていたが、おそらくあれは錯乱患者が出たら外からドアを閉めて出られなくするためだったろう。

 翌朝になって雨が上がりバスから降りたが、その時に少し警察署の敷地内が見えた。中には数台のパトカーが外を向いて止められていた。警報用のサイレンと拡声器、それに通りを照らすヘッドライト――よく考えたものだなあと思った。


 路上生活は意外と充実した内容だった――下が地面だということを除けば。

 配給用の食料は警察が周囲の商店などから集めているようで、運搬する際には温存していた燃料を使って車を走らせていた。車を使えばかなり遠くまで行けたはずだし、何より警察は管轄内のどこに店があるかくらい分かっていただろう。いざとなれば武器もあるだろうし、無法者に負けることもなかったはずだ。

 実際、警察が配る食料はそれほど悪くなく、量も少なくはなかった。食料集めを警察に頼れるので、だいぶ落ち着いて過ごすことができた。

 意外だったのは入浴についてだった。もちろん風呂になど入れるわけがなかったが、身体を拭くのは毎日できた。警察署からそう遠くない所に銭湯があるとの話で、そこの浴槽に大量の水が残されていたらしい。この水を銭湯にあったボイラー用の燃料で加熱して殺菌してから、タオルにたっぷり染み込ませたものが毎日配布されていた。一応目隠し用に段ボールが数枚配られてあった。また、数日おきに水が入ったバケツが配られ、とりあえず下着類くらいは洗濯することも出来るようになっていた。

 時折、感染経路不明の錯乱患者が出るのが不気味ではあったが――それは警察官が手際よく取り押さえる。食事がとれて、身体も清潔にでき、不十分ではあるが洗濯までできる。雨が降っても屋根代わりのバスがある。これは避難所よりはるかに安全で過ごしやすいかもしれない、そう思うとなかなかいい生活だな――と思っていた。この時はまだ。


・・・・・・


 今日の午前中――もう何月何日か分からなかったが、昨晩から気温が下がって暑さが和らぎ、過ごしやすくなっていた。配給された朝食をとり終えて、ぼくは暇を持て余していた。家族も仲間もいないから、話す相手がいなかった。


 突然、警察署からパトカーのサイレンが鳴り響いた。なんだ、雨なんか降ってないぞと思った。

 続いて拡声器から流れた放送が、ぼくたちのそれなりに平穏だった時間を打ち砕いた。

「警察署内で錯乱患者が発生しました! 署の周辺にいる人はすぐ遠くに逃げてください! 警察署から離れてください!」

 それは絶叫に近かった。何度も何度も、繰り返し――

 警察署の中で錯乱患者――今すぐにでも、出てくるかもしれない。あれだけ錯乱患者を抑え込んでいた警察が、逃げろと言うのだ。まさか内部はもう――

 そして拡声器は、絶対に聞きたくなかった言葉を叫んだ。

「――飛沫感染の可能性があります!」

 飛沫感染――まさか!

 数年前の新型コロナウイルスの流行が思い出される。あれも飛沫感染で猛威をふるった。もし今の奇病が飛沫感染するのであれば、あの時のように拡大する――


 人々は一斉に立ち上がって規制線をくぐり、転んだりぶつかったりしながらバラバラに逃げ始めた。それまで安全地帯だったそこは、もはや危険地帯に転じていた。

 ぼくは配給されて手元にあった水のペットボトルをつかんでから、避難所から逃げた時と同じように、また走った。あの時と同じでなかったのは、ぼくにここの土地勘がないことだった。

 どこをどう行けばいいのか。いま走っているこの道はどこへ通じているのか。いやそもそも――一体ぼくはどこへ向かえばいいのか。

 初めは悲鳴や怒号と共に、走っていく人たちがいた。だがしばらく行くといつの間にか、周りには誰もいなくなっていた。

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