5 疑念
涙で前が見えない。
──どうして?どうしてこんなことになったの?私たちは、何も悪いことなんかしてないのに。
ただ、ちいさな世界で静かに生きていただけなのに。
……目の前で気遣わしげに自分を見やるその人が額に手を触れたその瞬間、世界が…変わったような気がした───。
「……また、夢か」
宿題中に転寝してしまったらしい。問題は大して進んでおらず、いい加減本気にならないとやばいかもしれない。
その時、ドアをノックする音が聞こえた。答えると、レージが入ってきた。
「何?」
「ん?なんか最近あんた、時々ぼーっとしてない?何かあったの?」
「…あのさレージ」
ふとティアスは、1番確認しやすいことだけは確認してみようと思った。
「『シルス様』ってさ、……女の子なんだっけ?」
いきなりの問いに、レージは一瞬「は?」という顔をした。
「……ああ、そう聞くけどね」
「他に知ってることある?」
ティアスの意外に真剣な表情に首をかしげたレージだが、しばし唸ってから続けた。
「小さい、らしいよ。学校に行くか行かないか、ぐらいの歳って聞いたことある。あとは……そう、髪が長くて腰ぐらいまであるって。これでいい?」
「──うん。十分、ありがと」
途端にティアスの語調が変わったのは、確信が持てたからだ。自分が見た少女とおおまかな外見が一致するだけではない。王宮主催のパーティーで働かずにいられる人間なんて知れている。彼女は侍女の類ではない。
恐らく、噂通りの王族の一員なのだろう。問題は、誰から枝分かれした先の人物なのか、という所だが。
(………それに)
あのときの、彼女の顔が時折目の前にチラつく。なぜ、彼女はティアスを見てあんなにも驚いていたのか。会場に通じる通路に人がいることはさして不思議でもない。それは、あの精霊にもいえることだった。驚愕、というべきか。あの表情。
(あの2人、……私を知ってる…?いや)
ふと思い浮かんだ考えを、即座に否定した。いくら母親が元『ツイスト』だからって、まだ学生の娘の顔までそう知られているわけがない。現『ツイスト』のレージすら、彼女とは面識もない。
(それに───)
フレアは、どこに行っていたのだろう。あの後、しばらく探したが見つからなかった母は、パーティー終盤になってどこからかヒョコッと現れた。「ごめんね、トイレを探してて」なんて笑っていたが、トイレなんてティアスはとっくに捜索済みだった。
そんな思考の海にはまりかけていた時。
「レージ、ティー、フォース、ちょっといらっしゃい」
思考回路が途切れたティアスは、レージと連れ立って階下に降りた。嬉しそうなフレアの手には、何事か書かれた紙。
「お父さんからよ。来週帰るって」
仕事で各地を飛び回っていて、たまにしか帰ってこない父からの手紙だった。彼の仕事が忙しくなってから、母子は時折届く手紙を回し読みするのが恒例だった。
「今度帰るときは、どんな土産持ってきてくれんだ?」
「最近はどーも感覚が鈍ってきたようだから、あんまり期待しないほうがいいんじゃない?」
手紙だけは毎月ちゃんと寄こすものの、幾月かごとにしか帰らない父は、最近は意味のわからないものを土産として持ち帰るようになっていた。前回は珍しい柄のティーカップのセットに、なぜか発育不良のキノコが添えてあった。
しばらくその話に花を咲かせた後、子供達がまた自室に引き上げると、フレアはシティに意味ありげな視線を送った。
「ちょっと、城までお使い頼めるかしら?」
「……構いませんが、ご報告に意味がありましょうか?彼女は出歩くことはできませんし、術をかけなおせとお返事されることは明らかです」
「ええ、そうね。でも、私は今のままじゃいけないと思うのよ。噂からすると──これは私の想像だけれど──、あの子にはもうあまり時間がないわ。状況が変われば、もしかしたら……。私が自分で行っても、おそらく話がこじれるだけでしょう」
シティは複雑そうな顔をしながらも、ひとつ息をついた。
「……わかりました。では、今夜にでも」
「そうね。頼むわ。…来週には、あの人の耳にも入れておかないとね」