第4話 真希と超自然派弁当
口の中はまだバターブレッドの味が残っていた。バターの濃厚な味は、そう簡単に消えないらしい。
なぜ今までこんな美味しいものを食べていなかったのだろう。母に言いつけられているとはいえ、もったいない事をしていた。本当にあのバターブレッドは美味しかった。それにあんな風にバターブレッドを分けてくれた品川は見直してしまう。見かけは派手だったが、今は可愛らしいオカメインコのようにも感じてしまうぐらいだ。
まだ夢見心地だったが、母が作った超自然派弁当を見下ろしてしまう。あんな美味しいバターブレッドを食べた後に、こんな超自然派弁当は食べたくないものだ。玄米ご飯も鯖の塩焼きも野菜も全部色褪せて見える。前々から色褪せて見えていたが、今はセピアカラーに見えてしまうほどだった。
確かに少しは罪悪感はある。母が忌み嫌っていたパンを食べてしまうなんて。我ながら悪い事してしまったと茜は思うが、そんな背徳感もスパイスだ。悪い味を楽しんでいると思うと、余計に口元がニヤけてくる。しかもヤンキーの品川から貰った事が余計に背徳感を後押ししていた。
「この超自然派弁当どうしよう……」
いつもは無理矢理食べていたが、今はどうしても食べたくない。あんな美味しいものを食べた後に不味いものを口に入れるなんて拷問でしか無い。逆だったらまだ耐えられるが。茜は好きなものは最後まで残して食べるタイプだった。もっとも自然派の母の手料理からは、好きなものを食べた記憶は全くなかったが。小学生の時は給食が出ていたが、母が添加物や農薬に怒り散らかし、弁当持参になった事も思い出し、余計に超自然派弁当は食べたく無いものだ。
そういえば、最近は宗教二世が問題視されていたが、茜も「自然派二世」と小学生の時にあだ名をつけられた時があった。宗教二世の人の気持ちは想像しかできないが、毒親に支配下にある子供の気持ちはわかる。茜はあの母のことは「毒親」と表現したくはなかったが、その条件には当てはまっている気がして、眉間に皺が寄っていた。あんなに美味しいものを食べた後っだったが、母の事を思い出すと、心が苦くなる。
「茜! どうしたの?」
そんな茜の側に、真希がやってきた。確か陽キャ達と定食を食べていたはずだが、茜の事も気にかけてくれていたらしい。
「何、またこの弁当で困ってるの? だったら、半分ぐらいは協力しよう」
「いいの?」
「うん。今日は部活もあるし、定食だけだとちょっとお腹減るし」
「わーん、真希ちゃん、ありがとう!」
嬉しくて涙目になりそうだ。自分はぼっちだと思い込んでいたのは誤解だったようだ。こうして優しくしてくれる友達もいる。この事で強い不満を持っていた自分に恥ずかしくもなってきた。
こうして真希と一緒に母の超自然派弁当を片付けた。もっとも超自然派弁当らしくカロリーは低め。あまり腹にもたまらないので、真希も食べてくれた。
「うん。別に超自然派弁当も不味くはないよ?」
真希は玄米ご飯を噛み締めて言う。真希のまぶたは、アイカラーが塗られて派手。一方茜はスッピン。真希のようにメイクをした方が良いんじゃないかと思ったが、その理由はよくわからなかった。
「でも肉とか卵とか、パンだって食べられないよ」
「そっか。これが毎日というのは辛い。うん? そういえば茜。何か制服の方からバターの匂いしない?」
「え?」
まさか品川から貰ったバターブレッドの匂いがまだ残っていたのだろうか。
「じ、実は……」
このまま真希に嘘をついていくわけにはいかない。茜は品川とバターブレッドの顛末を説明した。
今は玄米や野菜のおかげで、口の中はすっかり自然派だ。自然に浄化されてしまい、口の中のバターブレッドの余韻は全部消えてしまったが、頭ではちゃんと記憶している。茜は品川とバターブレッドの事を全部真希に報告したのだが。
「え、マジで? あの品川くんからバターブレッド貰ったんだ?」
真希は元々目が大きいが、さらに黒目を丸くし、声を上げた。
「品川くんって有名なの?」
「有名だよー。あの容姿でヤンキーだし。同じ小学校で友達だけど、当時は真面目な優等生」
「意外……」
初めて知る情報に茜の目も丸くなってしまう。気づくと超自然派弁当は半分以上なくなっていたが、安心できない。品川が気になってしまったから。
「真希ちゃんは、品川くんが何で優等生からヤンキーになったか、知ってる?」
真希は残念そうに首を振る。
「私もその点はよく知らないんだ。本当に一匹狼っぽいキャラだし、こっちから話しかける感じでもなくて。っていうか茜とはよく会話できたね。先生も手を焼いているらしい」
「そ、そうなの?」
そんな感じは全くしない。むしろ、バターブレッドをくれら優しい人ではないか。本当に嫌なヤツだったら、もの欲しそうにしているクラスメイトにバターブレッドなんてあげない。しかも今思えば半分以上分けてくれていた。優しくない人の行動と思えない。
「で、何で品川くんってここから逃げたの? もう一度よく話して」
「うん、真希ちゃん。実は……」
品川が逃げる寸前の会話も全部真希に報告した。もう超自然派弁当は全部片付き、茜はホッとしたが、真希はおでこを抑えて呆れている。
「おお、茜。そんな男の前で『こんなの初めて!』とか言ったらダメだよー」
「え、何で?」
「キラーワードだよ。こんなの言われて嬉しくない男とかいないから」
「ええ?」
驚きで変な声が出てしまう。真希の言わん事も察して恥ずかしくなってきた。誤魔化すように弁当箱を片付け、ランチバックにしまう。
「いくら初心だらって、ダメだよ。うん。そんなキャバ嬢みたいなセリフ言ったら。茜は実は可愛いんだから、きっと品川くん、誤解したよ」
「ど、どうしよう。でも、でも本当にバターブレッドは初めてで美味しかったんだもの」
「それはいいけど、誤解があったら解いといた方がいいね。ほら、悪い虫がついちゃったら、やばいよ」
「ああ……」
真希はここだけ小声で言う。さらに恥ずかしくなってきて頭を抱えそうになった。それでも何か誤解があったのなら、解いておいた方がいい。バターブレッドが美味しかっただけで、品川に恋なんてしたわけではない。たぶん。
「もうすぐチャイムなるよ。そろそろ教室戻ろう。この事は、後で考えよう」
「そ、そうだね……」
茜は真希と一緒に学生食堂を後にした。
品川の事はよく分からない。それでも何か誤解をさせてしまった可能性がある。だとしたら、この誤解は早めに解いておかなと。
茜は品川と話す事に決めた。