第33話 ハニートーストの誘惑
明日、母たちが帰ってくるらしい。亜子経由で茜がデートのような事をしているとバレているようで、トークアプリには連日発狂したような言葉が届いていた。
正直、いつも同じような文面だったのでスルーしていたが、今朝は「茜の為の許嫁を用意した。同じ反ワクチン活動家で波動も高い男です」という連絡も届き、頭が痛くなってきた。一応それについては辞めて欲しいと返信していたが、茜の希望が受け入れられるかはわからない。こんな非現実な話は、嘘か冗談だろう。そう思いたい。
「それにしても、うちの本棚って……」
まだ学校行くまでに時間があったので、家の一階にある書斎を見てみた。壁は本棚。本で埋めつくされたような部屋だったが、自然派レシピ本、アトピーやガンの自然療法の本、波動やスピリチュアル、陰謀論関係の本も目立ち、茜はさらに頭が痛い。
「あ、あった……」
その中から発達障害に書かれた本を引き抜いたが、これも陰謀関係のものだった。その原因は農薬や添加物と決めつけ、高額な民間療法に誘導していた。これは詐欺にしか見えない。別の本では薬害や製薬会社の闇が書かれたものもあり、何が真実なのかもわからない。
品川が持っている生きにくさやハンデはこれなのだろうか。相変わらず彼が学校に来ていない。もうすぐ期末テストも始まるのに。茜がトークアプリで連絡しても既読にすらならない。真希やタケル、担任の菅谷も連絡しているようだが、返事すらないらしい。
しばらく悩んだ末、先日会った細川は何か知っているかもしれない。彼も反ワクチン派ではあるが、発達障害があるとも言っていた事を思い出す。何か手掛かりが掴めるかもしれない。名刺を取り出し、連絡すると、放課後会えることになった。向こうも大学の授業が休みなので時間があるという。場所は以前品川とも行った事のあるオーガニックカフェだった。
放課後、オーガニックカフェに向かうとすでに細川はきていた。窓際の二人がけの席に座り、巨大なハニートーストを食べていた。食パン一斤を丸ごと使い、バニラアイスクリームやハチミツ、バナナがチッピングがされている。ハチミツは黄金色に輝き、ふわりと甘い匂いが漂う。ハチミツとトーストの焦げる匂い、それにバニラアイスクリームの匂いが混じり合い、理性を失わせる一品だった。
他の女性客もチラリとこのハニートーストを見ていた。ハーブティーと米粉シフォンを食べていたようだが、誘惑に負けてハニートーストを注文していた。その気持ちは茜にもよくわかるのだが、我慢だ。ここであんなカロリー爆弾は食べられない。米粉のクッキーとオーガニックコーヒーだけを注文した。
「えー、ハニートースト食べないの?」
目の前にいる細川も甘い目つきだった。この清潔感のあるイケメンに薦められると、より理性がなくなりそうだ。テレビCMでイケメンを採用する理由もわかってくるが、口の中を噛んで我慢した。
「実は友達が発達障害かもしれなくて。細川さんは、何か知ってません?」
茜は真剣に聞いていたが、向こうは無邪気のハニートーストの山を崩しているだけだった。目の前にこんな美味しそうなものを見せられたが、どうにか米粉クッキーを齧って誤魔化す。
「こういう病名って単なるラベルだからね。レッテルだから。人それぞれ治療法や症状も全然違うんだよ。医療を受ける場合はよく考えて。主体的に患者の方が医療を利用してやるぞっていう気持ちがないと、カモにされるから」
「陰謀論ですかね?」
「何でもそうレッテル貼らない。大人のアドバイスは聞くものだよ。で、その友達本人が利用したいって言うなら医者に連れていくのもアリだろう。ただ、病名がつく事でかえって苦しむ人もいる。その辺は慎重に考えた方が良い。グレーゾーンにして置いた方が良い場合もあるんだよ。まあ、ケースバイケースだね。本人の意思を一番尊重してあげなさい」
細川はこれ以上発達障害については何も言わなかった。その代わり、数学や英語の勉強も見てもらい、茜は自分は子供という事を実感してしまった。
向こうは難しい問題もさらりと解いてしまうし、細川と一緒にいるとだんだんと自分が情けなくなってきた。品川一人の問題も何も解決できず、母とも休戦中。このカフェの食事代も奢ってもらう事になった。
こんなほぼ初対面の女子高生の茜にも丁寧の勉強を教えてくれ、わざわざ時間を作って会いにも来てくれた。そう思うと、ますます自分は子供だと思い、情け無い。
「ねえ、茜ちゃん。やっぱりこのハニートースト食べたいんじゃない?」
まだ細川はハニートーストを薦めてくる。半分以上皿から消えたとはいえ、ハチミツの甘い香りは全く消えていない。情け無い気持ちになっている時にこのハニートーストはかなり甘い。甘い誘惑だ。
それでもなぜか注文する気がしない。こんな美味しいものは、よく知らない細川ではなく、品川と一緒に食べたくなった。品川と一緒に食べたら、何倍にも美味しく感じられそうだ。
バターブレッド、コンビニのチキン、フルーツサンド、ハンバーガー、クレープ、たこ焼き……。品川と一緒に食べた背徳料理の数々が目に浮かび、切ない。学生食堂で食べた具なしのカレーでさえ、品川と一緒に食べたら、そこそこ美味しかった気もした。
品川に会いたい。もうこれで二度と会えないの?
そう思うと、泣きたくなってきた。目の前で甘いハニートーストに誘惑されていたが、食べたいとは思えなくなってしなった。美味しいものを食べる時は、いつも品川と一緒にいたい。今だけでなく、これからも。茜の中には、品川へは好き以上の気持ちが芽生えていた。
なぜか品川の事も細川に相談してしまっていた。サエや真希にも言えないような事も。男性目線で何か良いアドバイスが貰えると思ったのかもしれない。
「まあ、茜ちゃんの気持ちはわかったけど」
「そうですか?」
「でもこれって刷り込みじゃね? ずっと親に抑圧されてきた自然派二世が、美味しいものくれた人なら誰でもイケメンに見えるんじゃない?」
ドキっとした。確かに良い細川の指摘はもっともだった。飲んでいたオーガニックコーヒーは余計に苦く感じた。
「刷り込みじゃないか? インプリントってやつだよ。雛鳥が親鳥を好きになる感じだよ。恋じゃないかも? 洗脳っぽいかもね?」
そんな事を言われると、気持ちが揺らぐ。
「刷り込みじゃないです。品川くんが好きなんです」
「俺には刷り込みに見えるな。どこが好きなん? 不味い食べ物くれていたら、好きになっていた? 彼が不細工なチー牛だったらどうよ? キモいって思ってただろ?」
細川は見た目と違って意地悪だったが、反論できなかった。それでも美味しいものを食べる時は、品川と一緒にいたい。その気持ちだけは刷り込みなんかじゃないと信じたい。
「茜!」
その瞬間だった。カフェの扉が開くと、母がいた。その後ろにも父がいて、目玉が飛び出そうだった。こんな風に放課後に異性とお茶している事を見られた。怒られるのに違いないと思ったが、両親はなぜか笑顔だった。
「実は俺が君の両親を呼んだんだ」
「は?」
細川と両親が知り合い? もっとも反ワクチン同士だ。どこかで繋がりがあるだろう。不自然な事ではない。
両親は茜たちの隣のテーブルにつくと、オーガニックコーヒーやハーブティーを注文した。
「茜、やっぱり私たちは田舎で自給自足生活をしようと思うの」
「は?」
母の提案に混乱していく。東北にある田舎で自給自足生活をしたいという。茜も高校をやめて結婚してついてきて欲しいという。完全に頭のおかしな提案で言葉を失った。
「結婚って。あの。意味がわからないんですが」
元々両親は陰謀論にも染まり、田舎で自給自足生活をしたいとは言っていたが。結婚って何? それに高校を辞めろって? どういう事かさっぱりわからない。
「茜の許嫁はこの細川さんよ。茜にピッタリよね」
「は?」
母はそんな事を言っていたが、ますます意味がわからない。確かに許嫁がどうとか連絡をよこしていたが、嘘か冗談だと思っていた。
「は?」
そうとしか言えないのだが、両親も細川も勝手に話をすすめ、自給自足生活のプランを嬉々として話し始めた。
「という事で茜ちゃん。品川くんの事は諦めな。今日から俺が君の婚約者。一生幸せにするよ。こんな甘いハニートーストも毎日食べさせてあげるよ」
細川はこれ以上ないぐらい甘い微笑みを見せてきた。この笑顔だけはハチミツの甘さにも勝てるかもしれないが。
「そ、そんな話は聞いてないよ!」
必死に訴えるが両親も細川も誰も耳を傾けてくれなかった。
大ピンチだ。
品川に顔が浮かぶが、彼も大変な時期だった。このピンチをどう抜ければいいのか。茜は頭が混乱し続け、良い未来は全く見えなくなってしまった。




