表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/51

第3話 初めてのバターブレッド

 午前の授業中は、今朝の下駄箱での出来事を思い出し、死にたくなっていた茜だが、お腹は空くものだった。何しろ朝はオートミールのお粥とサラダしか食べていない。お腹は情け無い音を立てていた。


 いつものように学生食堂へ向かい、母の超自然派弁当を食べるつもりだったが、途中で売店に行く事にした。


 コンビニサイズの売店には、パンやおにぎり、お菓子だけでなく、ボールペンやノートなどの文房具、マスク生理用品なども売られていた。ちょうど消しゴムがなくなりかけていた事を思い出し、売店の文房具コーナーへ立ち寄った。


 お昼という事もあり、売店は混み合っている。特にお弁当や飲み物のコーナーは、生徒が押し寄せている。とはいってもベテランの店員がレジをさばき、あっという間に客も減ってきてうたが。


 ふと、茜も弁当や飲み物のコーナーを見る。他にも袋に入ったパンやお菓子のコーナーも。


 これらは母が添加物や農薬入りだと忌み嫌っているものだった。家では決して食べる事の無い食べ物。


「ああ、バターブレッド……」


 特にパンコーナーにあるバターブレッドが気になる。大手メーカーの袋に入ったパンだ。丸く大きなパン。色も形も満月みたいに光って見えてしまう。その上、パッケージには「背徳のバターブレッド」なんて書いてあるではないか。


 思わず唾を飲み込む。ああ、美味しそう。


 しかし、パッケージの裏を見たら添加物が何行にも渡って書いてある。母が忌み嫌っている添加物入りの袋パン。


 ダメダメ。こんなの食べたら母に怒られてしまう。


 本音ではとても美味しそうに見えたバターブレッドだったが、すぐに棚に戻し、レジでは消しゴムだけ買った。逃げるように売店から出ると、学生食堂に行き、いつものぼっち席に座った。


 ぼっち席。昼休みで混み合っている学生食堂だったが、ぼっち席は陰キャが数人いるだけで閑散としていた。茜の周りには、誰も座ってない。さらに茜はぼっちだと思わされた。真希の姿も探したが、テーブル席で陽キャ達と定食が食べているのが見えた。今日は真希とも会えない事を悟り、涙を堪えながら、母が作った超自然派弁当を開く。


 今日も玄米ご飯。それに梅干し。鯖の塩焼きと卯の花、白菜の漬物。きっとどれも自然派で無添加で良いものなのだろう。茜はこんな弁当は好きでもないが、手間がかかり、栄養素もある事はわかる。


 そだけに、あの背徳のバターブレッドが頭から離れない。母が添加物入りの禁断のパンだと否定すればするほど、魅力的に感じてしまう。


 濃厚なバター。満月みたいに輝く色や形。それに背徳という文字。


 こんな超自然派弁当ではなく、あのバターブレッドが食べたい。ああ、食べたい。


 なぜさっき売店でバターブレッドを見てしまったのだろう。頭では母が食べてはいけない禁止している事は知っているのに、口や喉、お腹はあの背徳のバターブレッドを求めていた。


 精一杯、バターブレッドの悪い面を考える。添加物が多い。母が否定している。それにカロリーも高かった。確実に健康には良くない。美容にだって良くないだろう。


 それでも。


 茜の頭の中では、さっきのバターブレッドがグルグルしていた。回転木馬のようにグルグルし、止まらない。ああ、食べたい。きっと美味しいんだろう。バターの良い匂いもするんだ。


 うん? バターの良い匂い?


 鼻をクンクンさせると、本当にバターの良い香りがした。


 匂いを辿ると隣でバターブレッドを食べている人がいた!


 しかも今朝恥をかかされたヤンキーくん。ヤンキーの品川が、あのバターブレッドに齧りついているではないか。


 表面はさっくりしているのか、咀嚼音も聞こえる。もぐもぐもぐもぐ……。


 お、美味しそう……。


 それに自分の隣に品川が座るのは、意外だった。こういう時、必ず人に避けられ、ぼっちになってしまう茜は、普通に隣に座る品川を見直した。一匹狼で浮いている品川だが、根っからの悪人ではなさそう。何も考えていない可能性もあるが、頬を少し赤くし、バターブレッドを齧る彼は無防備に見えた。派手なヤンキーに見えるが、きっと中身は自分と同じ高校生である事は変わりない。


 それにこんなバターブレッドを美味しそうに食べている。確実に悪い人じゃない。母のように「悪魔の添加物入りパン」などと文句を言っている人より、絶対いい人に見えてしまった。


「ああ、美味しそう。そのバターブレッド美味しそう」

「は?」


 品川が食べていたバターブレッドを見つめていた。少し物欲しそうに。


「いいな。私なんて母が作った超自然派弁当だよ。ああ、バターブレッド美味しそう」

「お前、何言ってるんだ? 同じクラスの黒澤かよ。何だよ、超自然派弁当って。宇宙語使うなよ」

「ああ、そのバターブレッド美味しそうだよぉ。食べたい、食べたい」

「気持ち悪いな。目をキラキラさせてこっち見るなよ!」


 品川は口が悪かったが、母よりはマシに見えた。母はもっと口汚く攻撃的だ。それ以上に手にしているバターブレッドが美味しそうで仕方ない。


「ああ、そのバターブレッド食べたいよ。添加物入りでダメって言われると余計に食べたいんだから」

「気持ち悪いな! ああ、わかったよ、くれてやるよ!」


 品川がバターブレッドを二等分に引き裂いた。ジャラジャラと手首のアクセサリーが揺れる音が響く。品川の手が大きいのでバターブレッドは小さく見えたが、茜の手に渡ると、二等分でも大きく見えた。


 半分の月。半月になったバターブレッドでも、ふわりと良い香り。バターの濃厚で甘い香りが鼻をくすぐる。


 色も綺麗な黄色。本当の月みたい。表面はさっくりとした生地。中は層になったデニッシュ生地だろうか。ああ、食べたい。母に禁止されればされるほど食べたい、背徳のバターブレッド。


 肉も牛乳も卵も白砂糖も全部禁止されていた。このバターブレッドには、母が忌み嫌っているものが全て詰まっていたが、食べたい。食べたくて仕方ない。


 思い切って、前歯で齧りつく。こんな下品な食べ方だってきっと良くないのだろうが、品川の真似をしたくなった。親鳥の真似する雛みたいな。これって刷り込み?


「お、美味しい!」


 口に入れたバターブレッドは、想像以上にフワフワ。想像以上にバターがじゅわっと広がる。そして甘やか。皮肉にも母が忌み嫌っていた事で、余計に美味しくも感じてしまう。ああ、とっても美味しい。


「美味しい! こんなの初めて!」


 目覚めてしまった。バターブレッドの味に目覚めてしまった。茜の目はうるうるとし、反射したようにキラキラ輝く。


「こんな美味しいもの初めて食べた!」

「ちょ、なんだ……?」

「品川くん、ありがとう。こんな美味しいもの初めて食べた! 品川くんのおかげだよ」


 感動してそう言っただけだが、品川は顔が真っ赤になっていた。派手な鳥でもオカメインコのようの見えた。あの丸くて赤いほっぺたのインコ。


「ちょ、うっせーよ!」


 なぜか品川は猛ダッシュで学生食堂から逃げて行ってしまった。


「品川くーん?」


 一人残された茜は、首を捻ってしまうが、口の中はまだまだバターの味が残っていた。濃厚で甘い、幸せな味。初めて体験する背徳なバターブレッドの味だった。


「品川くん?」


 茜は首を傾げる。


 彼が顔を真っ赤にし、猛ダッシュで逃げた理由は、茜には全く分からなかった。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ