第28話 ほどける米粉スコーン
今、茜は母の自然派カフェのトイレの中にいた。厳密にはトイレの横にある洗面所だが、そこで鏡を見ながら、自信ありそうな表情を作っていた。背筋も伸ばし、少し睨みつけてもみる。これは昨日品川が教えてくれた表情や視線の作り方を練習していた。
品川はファッションヤンキーだ。根本からグレているわけでもない。見かけだけのヤンキーだったが、だからこそこんな風に強く見せる方法が生み出されたのだろうか。
洗面所はアロマオイルの良い香りがただよう。ラベンダーの優しい香り。石鹸に入ったハーブの良い香りもする。うがい用ににがりや重曹、クエン酸、天然塩を置いてあるのは、いかにも過激系自然派カフェっぽいが。今は亜子やタケルがこの店を手伝っているようだが、両親がいた時より激化している気もする。
今日はようやくサエをこの自然派カフェに誘い出すことができた。今は彼女来るのを待っているところだ。亜子の波動診断は全く信じてはいないが、やはりサエには恨まれている可能性がある。やはり何か誤解があるのなら、解いておいた方が良いだろう。
ハーブ入りの石鹸で手を洗い、ハンカチで手を拭くと、カフェの方に戻った。
カフェは相変わらずだ。壁には反ワクチンや反添加物のチラシ。波動がどうのこうのという怪しい似非科学のチラシも目立ち、せっかくの木造の居心地の良い雰囲気は壊されていた。
他に客はいないようだが、タケルはテーブルを拭いたり、カウンターでグラスを磨いたり、忙しそうにしていた。学校が終わった後、放課後を犠牲にして働いているようだ。よっぽどこのカフェで働くのが嬉しいようで、キラキラの笑顔を見せていた。エプロン姿も心なしか板についてきた。反ワクチン沼に誘い込んでしまい、茜は後悔もしていたが、今のタケルを見ていたら、結果的に良かったかもしれない。下駄箱にも嫌がらせの手紙を入れる事もなくなった。
茜は窓際の奥の方の席に座っていたが、厨房から亜子が出てきた。正直、波動とか言われると怖いのだが、意外なことに今日作ってくれた弁当は普通ののり弁だった。これには茜も品川も拍子抜けしていたが、亜子によると「波動を読んで海苔弁にしました」という。やっぱり少し怖いのだが。
「茜ちゃん。米粉スコーンが焼き上がったわよ。これ食べながら話したらいいんじゃない?」
亜子は茜の目の前に大皿を置いた。そこにはスコーンがある。少々いびつだが、焼きたての良い香り。それに普通のスコーンより表面がサクサクしているように見える。色も綺麗なキツネ色。皿にはジャムはクリームなども盛り付けられ、色鮮やかだ。ハチミツもあり、ふわりと甘い香りも漂う。確かに見た目は素朴だが、悪いスコーンには見えなかった。一緒に出してくれたローズヒップティーも良い香り。気づくと茜の緊張感は解けていた。
確かに自然派の食品は好きではないが、こんなスコーンやお茶だったら、悪くないかも。我ながらご都合主義過ぎると思ったが、自然派の食品の全てを否定する事も無いのかもしれない。
ちょうど茜の緊張感が抜けている時だった。サエがカフェの店内に入ってきた。タケルに案内され、茜の目の前の席に座る。
派手な茶髪でメイクも濃いめのサエだったが、この自然派カフェの雰囲気に戸惑っていた。特に壁にベタベタ貼られた反ワクチンや反添加物のチラシにドン引きしている。おまじないの変な護符でも見たような目だった。ここのチラシも呪術的な効果があったりして?
「何このカフェ……」
普段の威勢の良さは消えていた。タケルはサエに水を渡しながらどんなカフェであるかを説明していたが、聞けば聞くほどドン引きしているようだ。タケルがカウンターの方に戻ってしまっても、口元がヒクヒクと引き攣り、ほうれい線に皺ができていた。
品川はホームで戦えと言っていたが、その作戦は成功だったらしい。サエの威勢を潰すことは確実にうまく行っているようだった。
「それで、何の用?」
「まあ、米粉スコーンでも食べながら話そうか」
「う、うん…」
米粉スコーンにジャムやハチミツをつけて食べ始めた。手掴みだが、まあ、良いだろう。サエは爪も派手な赤色に塗っていた。自然派のこの米粉スコーンとサエの爪はミスマッチすぎた。茜も苦笑してしまうが、米粉スコーンは想像以上にサクサクと歯応えが良く、美味しい。ハチミツジャムが生地に染み込み、舌の上でほどける。すっと味が溶ける。
品川と食べたクレープやフルーツサンドも美味しかったが、こんなナチュラルな味も悪くないのかもしれない。自然派食品がダメとか、逆に添加物入りの食品がダメとか一方的にジャッジしすぎていたのかもしれない。どちらも賞味期限や衛生面など最低限の正しさは担保されている。その上だったら、自由ではないか。どんな食べ物もあっていい。選ぶのは人それぞれの好みだ。このスコーンだって色々なジャムやクリーム、ハチミツがあるが、どんな味を選ぶのかも自由だ。
茜はこんな米粉スコーンを食べながら、心も解けていた。自由を感じていた。
今は小さな教室という世界で陰キャとか陽キャという格差が生まれていたが、大人になればそんな事も関係ないのかも。茜のような優等生タイプの陰キャがいてもいいし、ファッションヤンキーの品川がいてもいい。もちろん、サエのような気が強い子がいても良い。
この米粉スコーンを食べているだけなのに、心はほどけていた。サエへの寛容さも生まれていた。どうせ同じ人間だ。無闇矢鱈に怖がったり嫌う必要も無いのかもしれない。世界は教室だけじゃないし、このスコーンも色々な味をつけていい。自由だ。
「サエちゃんは私の事嫌い?」
「サエちゃんとか呼ぶな。でも、この米粉スコーンってやつは美味しいな」
ふっとサエも笑顔を見せていた。今まで見せたことの無いような無邪気な笑顔だった。この米粉スコーンはサエの心も溶かしたのだろうか。
「私は別に誰かから悪く言われているのは慣れているけど、一方的に理由もわからず、嫌われるのはしんどいよ」
「まあ、そうだよな……。実はさ……」
「何?」
「私、菅谷先生に片思いしてるんだよ……」
「え?」
顎が外れてしまうほど驚く。確かに菅谷は独身のはずだったが、年齢はおじさんの域ではないか。ただ、サエは菅谷の声が良過ぎると顔を赤くした。おそらく推しの声優と声が似ている事で好きになったんだろう。そして優等生の茜が菅谷から特別扱いされているようで嫉妬してしまったという。
「そ、そうか。それは仕方ないかも」
「は?」
「私だって真希ちゃんに嫉妬っぽい感情持った事あるし」
サエの事は責められない。品川に片思いしている今は楽しい感情だけでは無いという事は知っていた。
それでも誤解は解かないと。
「菅谷先生は特別扱いなんてしないよ。私も母の反ワクチンっぷりをどうにかしてってクレームつけられたし」
「お、そうか……」
サエの威勢の良さはみる影もなくなった。今は小さなリスのように大人しい。
「それに私は品川くんが好きだから!」
本当の事を言わないと。急ながら、早口で叫ぶように言う。
初めて自分の想いを口にしてしまった。言葉にしたとたん、自分の気持ちがより鮮明になってしまう。やっぱり品川好き。ライクというよりラブ。大好きだった。
「ま、マジで?」
サエも驚いていた。大きく派手な目は、これ以上ないぐらい見開いていた。
「信じられない。ヤンキーだよ?」
「いいじゃない」
サエが引いているのが、心底わからない。ついつい言い返してしまった。品川から教えてもらった気が強く見えるような表情の作り方などは、ここでようやく役に立ったようだ。
「マジか。黒澤茜はヤンキーの品川が好きだったんか……」
「何か問題あります?」
茜は気が強いモードに入り、言い返す。
「問題あるよ! 何そのスッピンのナチュラル眉は! メイクしろ!」
「え?」
「こうなったら私がメイク教えてやるよ。それで品川を振り向かせろ!」
「えー?」
この後、サエと一緒にドラッグストアに行き、ファンデーションやアイシャドウを選んでいた。
予想外の展開だった。
「自然派二世変身大作戦だよ!」
なぜかサエは盛り上がり、茜に似合うファンデーションやアイシャドウを選んでいく。
こうして二人でドラッグストアにいる姿は、友達同士のようだった。
もうサエとは誤解が解けたし、品川が好きな事も打ち明けてしまった。これはもう普通に友達といって良いのかもしれない。
真希、品川に続いて三人目の友達ができた。もうぼっちじゃない。今回に限っては茜が一歩踏み出した。友達作りも案外簡単なのかもしれない。




