第19話 休戦と調理実習のサンドイッチ
タケルの一件から数日がたった。そろそろ中間テストが近く、校内は少々ザワザワとしていた。あの嫌がらせの手紙や視線を感じる事はピタリと止まり、それは良かったのだが。
母とは絶賛反抗期中だった。
今朝もそうだった。母が重曹でリビングの掃除をしていた。自然派らしく普通の洗剤などは使わない。信じられないが、重曹だけでも床はかなり綺麗になる。テレビもなく、最近は反ワクチンのチラシが貼ってあるリビングだが、重曹のおかげで綺麗になっていた。
父は農家へ出掛けてしまい、朝から気まずい雰囲気だ。母は無言で床を掃除していたが、茜の表情は渋い。
あれから母は品川の悪口ばかり言っていた。さすがに学校にクレームを入れたりはしなかったが、好きな人を悪く言われるのが耐えられなかった。母は品川からパンやカップ焼きそばなどを餌付けされている事も言い当てていて空恐ろしい。
なんでも同じ自然派中間の占い師に見て貰ったらしい。その人によれば品川と茜の波動的相性は最悪で、今すぐ友達関係を解消するべきとアドバイスされたという。それを真に受けた母は毎日のように品川の悪口を言うようになってしまった。その上、反ワクチン思想は過激になり、連日カフェでセッションやらセミナーやらもやっているらしい。リビングにもそんなチラシも増えていた。
「品川くんとは仲良くしたらダメよ」
「何で? 勝手に決めつけないでよ」
「あんなのヤンキーよ。ダメなものはダメ。もうすぐ中間テストでしょうに。変な子と付き合って成績落ちたらどうするの?」
「お母さん、学校教育は悪魔崇拝者が作った奴隷養成組織って言ってなかった?」
「うるさいわね。それと現状、学歴社会は変わらずにあるでしょう。学歴は無い方よりあった方がいいわ。それにシュタイナー教育は……」
母は持論を展開しはじめ、これ以上話し合うもは無理だろうと察した。床はピカピカになっていたが、茜の心は黒く澱んでいきそうだ。
茜が学校に行くことにした。これ以上母tl話しても無理だろう。テーブルの上には母が作った超自然派弁当も置いてあったが、無視だ。最近は弁当を持っていかない事で反抗期を表明していた。もっとも今日は調理実習があるので弁当は要らないが。それでも品川とのお昼は続けていた。学生食堂で定食や丼ものを品川と食べる事が多いが。
母の事を考えながら、良い気分はしないまま学校に到着。今日はいつもより早く来たので、校門や下駄箱もあまり生徒がいない。中間テスト前のピリピリした緊張感も漂い初めていた。
下駄箱を見ると、もうタケルからの手紙は入っていない。その代わり、ワクチンの危険性を訴えるチラシが数枚投げ込まれていた。人体がマグネットになるとか、トランスヒューマンになるとか怪しい内容で、真面目にワクチンの被害を訴える人にはかえって迷惑なものと思われるが、タケルかららしい。「黒澤もワクチン打つなよ!byタケル」と書かれた付箋もついていた。
あれ以来、タケルは完全に母の思想に取り込まれてしまった。ミイラ取りがミイラになってしまった。最近は母のカフェに通い、順調に自然派食品の洗礼を受けていると聞いていた。タケルはこんな風に手なづけられていたが、品川はそう簡単にいかなかった。その点でも母は不満があるのかもしれない。
こんなチラシは家で見慣れたもの。母の顔が浮かんできて、ため息しか出ない。タケルがこんな状態になってしまったのも責任を感じ、ため息しか出ない。機会があればこの件についてもタケルのフォローをした方がいいだろう。人体マグネットやトランスヒューマン化はさすがにデマだと。このまま変な思想に染まってしまったら、さすがに夢見が悪い。
「はあ」
また昔のようにため息が溢れてしまう。少し前は品がとお昼ご飯を食べられると思えば頑張れたが、今は母への気持ちの方が優ってしまった。
午前中の授業は学校の調理室で授業だ。調理実習だった。
家庭科の先生から、衛生面での指導も受け、ちゃんと手も洗う。
幸いな事に調理実習のグループは陰キャだけで構成されていた。茜は自分と似たような連中と一緒に調理実習をするのは気楽ではあったが、今日も品川は保健室登校。調理実習にも彼は参加していなかった。
今日の調理実習ではポテトサラダのサンドイッチがメニューだった。調理はじゃがいもを洗い、皮を剥く事からスタートしていた。
調理台にはじゃがいも、きゅうり、にんじんなどの野菜もあったが、どれもオーガニック野菜ではない。スーパーで買ったものだそうが、見慣れた野菜と全く違った。きゅうりはツルツルとし細い。にんじんも小さくて土も虫もついていない。じゃがいもそうだ。いつも見ているオーガニック野菜はもっと健康的というか大地の臭いがしたものだが、目の前にある野菜は工業製品のよう。
今までは母が買ってきた野菜とスーパーでの野菜は似たようなものだと思っていたが、こうして見ると明らかに違う。スーパーの野菜は味も不味そうだ。自然派の母を馬鹿にしていたが、オーガニック野菜にこだわってしまう理由は想像できた。
さっそく茜もじゃがいもや人参の皮を剥いていくが、想像以上に面倒だった。じゃがいもは芽に毒性があり、下処理は必須。意外と手間がかかる事を知る。
ポテトサラダというと簡単なおつまみのようなイメージがあったが、実際作るのは面倒だった。じゃがいもを下処理して、茹でて、潰して、味付けして他の野菜と和える。かなり面倒くさい。
母はこれよりもっと面倒な作業を毎日やっていたのか。自然派だから、簡単な調味料、冷凍食品、電子レンジも使えない。調理実習をしながら、母の手間や努力も想像できてしまった。
今は反抗期中。母の自然派良類も好きじゃない。それでも母がしている事を善悪で分けて責める事もできそうにない。
完全な善人も悪人もいないのかもしれない。母も悪意があって自然派ママをしている訳でもないだろう。その動機も一人娘の健康のためだ。そう思うと、今のように反抗をし続ける事も違うのかもしれない。
そんな事を思いながらサンドイッチ作りは終わり、使い捨ての容器に入れた。野菜はいつも見慣れたものではなく、美味しいがどうかはわからないが、どうにか見た目だけは綺麗にできた。
そのまま昼休みになり、茜はこのサンドイッチを持って学生食堂へ向かった。いつものようにぼっち席に到着する。
今日は中間テストも近い事があってか、学生食堂は人が少なめだった。昼休みも返上して教室で勉強している生徒も多いのだろう。この学校は一応進学校でもあるので、そういった生徒も珍しくない。学生食堂でもテキストを片手に食事している者も目立つ。
「品川くん!」
ぼっち席につくと、品川もまもなくやってきた。すぐに茜の隣の席に座る。今日は朝にベーカリーに行ってきたようで、メロンパンや焼きそばパンと茜のサンドイッチを交換する事になった。
「はあ? これ、黒澤が作ったのかよ」
サンドイッチを調理実習で作ったというと、品川は動揺し始めた。いつもの鳥のような派手な髪もちょっと威勢が無くなったようにも見えた。
「一応グループで作ったものだよ。調理実習だから」
「そ、そうか」
品川はサンドイッチを丁寧に持ち、いつもよりゆっくりと咀嚼していた。
「野菜はオーガニックのものじゃないから。いつもの母の自然派弁当と比べて美味しくないかもしれない……」
みんなで作ったサンドイッチではあるが、茜は自信がない。品川から焼きそばパンを貰うが、いつものように無邪気に「美味しい」とは言えなくなっていた。人に手料理を食べて貰うことは、案外勇気が必要なのかもしれない。今まで母の料理を嫌っていた事も恥ずかしくなってきた。こんな風に反抗期をしているのも子供じみていたかもしれない。今は母が作った料理やオーガニック野菜も少しは好きになれそうだった。
「そうか。まあ、あの口達者で思想強めな母ちゃんを敵に回すのは、やめた方がいいかもな……」
品川にその事を話すと、微妙な表情を浮かべながら呟いていた。
「俺は別にヤンキーとか何言われてもいいから」
「そんな」
「慣れてるし」
「そんな事ないから。品川くんは頭いいし、速読できるし、英語もペラペラだし、背も高いし、オシャレだし、紳士だし、とっても優しいし!」
必死に力説してしまう。やっぱり母が一方的に品川を悪く言うのは、納得できないのだが。
「いや、そこまでお世辞言われても……」
「お世辞じゃないよ! 私、嘘とかお世辞とか言えないタイプだもの」
品川は限りなく居心地が悪そうだ。頬もオレンジ色に染まっていた。オカメインコのようだ。やっぱりこの人を悪く言う事はできない。
「まあ、さ。分かり合えない人もどうしてもいるから」
「そうかな……」
「黒澤もずっと反抗期というのも辛いだろ。とりあえず休戦したら? 別に仲良くする必要もない。いつも通りに」
「う、うん……」
そう語る品川は落ち着いていた。もう成人した大人のようにも見えた。一方自分は母に反抗中で子供っぽい事をしている。こんな品川の隣に自分がいても良いのかわからない。明らかに釣り合わない。だとしたら、自分が成長するしか無いのだろう。
「完全に悪人も善人もいない。綺麗な答えもないよ。現実はグレーで割り切れないもんだ。うん、茜の母ちゃんだって完全な悪人でもないだろ?」
「そ、そうだね……」
すっかり品川に諭されてしまった。やっぱりこの子供っぽい反抗期は、辞めた方がいいだろう。
別に母と友達のように仲良くするつもりは無いが。
とりあえず休戦。
今はそうするのが、一番だろう。はっきりとした答えが無いのなら、この決断も完全に間違いでもないのかもしれない。




