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微睡みに溶ける

 ……の……は…………だ。


 ……は…………が、……と…………て……し、……だ……。


 ふわふわと心地良い暗闇の中、遠くで誰かの声が聞こえた。優しくて聞き慣れたそれに釣られて、深く沈んでいた意識が緩やかに浮上する。


「…………ぅう、ん……」


 ゆっくりと瞬きを繰り返しながら目を開けると、見覚えのある木目の天井と、引き紐の付いた四角い照明が視界に入った。仙羽堂の二階の部屋だ。

 どうやら、烏梅さんに抱えられて寝落ちした後、布団に運ばれ寝かされていたらしい。雨でずぶ濡れになった甚平や肌着も、いつの間にか新しいものに変えられている。

 ぼやけた頭のまま目線だけを左横に動かしてみると、薄暗い部屋の中、これまた見覚えのある墨色の着物と藤柄の羽織。それと同時に、しっとりとした優しい藤の花の香りが仄かに漂っているのに気付く。


「────澪!良かった、目が覚めたんだね。気分はどうだ?身体は怠くないか?」

「……大旦那様。起きたばかりで矢継ぎ早に質問したって、すぐには答えられないでしょう。お嬢様、軽い熱中症と脱水を起こしていたのですよ?」


 段々とはっきりしてきた視界に、鮮麗な紫と艶を帯びた濡羽色で彩られた白皙が飛び込んだ。烏梅さんの顔だ。穏やかな光を湛えた双眸が、安堵で柔らかく細められたのが分かった。寝起き直後には大変刺激の強い美貌でいらっしゃる。私の額に手を当て、甲斐甲斐しく水を飲ませてくれる際の何気ない仕草ですら優雅に見えるから凄い。

 反対側からは、やや呆れの混じった女性の声。ついさっきまで居た空間で聞いていた、粘着質で敵意に(まみ)れたものとは違って、優しげで(たお)やかな印象だ。


「烏梅さん…………と…………()()()さん……?」

「おはようございます、お嬢様。お邪魔しております。おはようって言っても、もうこんばんはの時間ですけれど」


 にっこりと笑い掛けてくれたのは、所々に癖のある朽葉色の髪に、暗紅色の瞳を持つ婀娜っぽい雰囲気の美女────姑獲鳥(うぶめ)の加乃子さん。

 子育ては愚か、人間の子どもとすらまともに接した経験が無かったにも関わらず、赤ん坊の私を拾って育てようとしてくれた烏梅さん。加乃子さんは、そんな子育て初心者の烏梅さんを心配した白夜さんが助っ人として紹介してくれた女性だ。ベビーシッターを始め、家事代行のような仕事をしている。

 烏梅さんの美貌にも地位にも惑わされない貴重な人材なので、お客さんであろうが冷淡にあしらいがちな烏梅さんからも、白夜さんに次いで比較的穏やかな対応を受けている。

 私を養育し始めた当時から現在に至るまで随分と助けて貰い、時にはシバき倒される事もあったらしく、白夜さんとはまた違った方向で烏梅さんの頭が上がらない存在である。そんな彼女が、どうして此処に居るのだろうか。


「……嗚呼、加乃子が気になるか。迎えに行った時、お前の服が濡れていたから着替えさせたかったんだが、最近は私と一緒の風呂も嫌がるようになっただろう?寝ている隙に勝手に脱がせてしまうのも気が引けて……」

「それで、私が呼ばれたんですよ。お嬢様が元々着ていた甚平や下着は、ついでに洗濯しておきました」

「……なるほど」


 疑問が思い切り顔に出てたんだろう、二人が端的に答えてくれた。精神年齢十九歳+七歳のいい大人としては、いくら親しい仲であるとはいえ、異性との裸の付き合いはなるべく避けたいし、薄着姿も見られたくないのだ。ほとんどが人並外れた美貌を持つ妖の中でも、身内たる烏梅さんが群を抜いて凄まじい美形であるから、猶更。


「お嬢様の体調も回復してきたようですし、私は帰りますわ。仕事が入っておりますので」

「おや、もうそんな時間か。……加乃子、」

「先に言っておきますが、見送りも礼も結構ですので、大旦那様はこの子の傍に居てあげてくださいな。先程までずっと様子を聞いていたんですから。それでは、お嬢様。お大事になさってくださいね」

「うん。ありがとう、加乃子さん」


 言い残すと、加乃子さんはがらりと障子を開けて去って行った。着物の裾の鞠模様が翻り、ぎしぎしと廊下が鳴る音が徐々に遠ざかっていく。

 その音が完全に聞こえなくなったところで、烏梅さんが一つ息を吐き、静かに口を開く。


「……澪」


 名前を呼ばれた途端、部屋の空気が一変した。先程まで穏やかに綻んでいたはずの双眸が、鋭い光を宿す。剣呑な雰囲気に布団の中で身構えるも、すぐにおや、と違和感に気付く。

 烏梅さんは怒ってるというより、苦虫を嚙み潰して味わったような、そんな苦しげな表情をしていたから。


「……飛ばされた異界で、何か起こっただろう。雨にまつわる、何かしらの現象が。もしかして、てるてる坊主でも作って供えたりしたか?」

「え……?えっと、まあ……その、凄く暑かったから、何となくてるてる坊主を作って、雨々降れ降れ~…………って感じで、唱えたりはした……けど……」


 確信めいた物言いに戸惑いつつ頷けば、烏梅さんは静かに目を伏せる。肯定する言葉は欲しくなかった、とでも言いたげだ。

 口振りからして、私が迷子になっていた時、突然降り出して植物や嫌な気配を(しぼ)ませていった、あの不可思議な豪雨の事を言っている。あそこでてるてる坊主を作った事も、「雨々降れ降れ」と私が確かに口にした言葉も、何で烏梅さんが知っているんだろう。


「やはり、そうだったか。……まあ、それのお陰で早くにお前を見つけられたから、一概に悪い事だったとは言えないんだが……」

「……?」


 話の意図が読めず、頭の上に疑問符が浮かぶ。烏梅さんはそんな私の反応に小さく笑い、優しく頭を撫でながら続ける。


「分からないのなら、そのままで良いんだ。お前がどうあろうと、私が絶対的な味方である事実は揺らがない。いざという時は、何を犠牲にしてでも私が必ず守る。だから、澪が心配する必要は無いからね」

「……うん……?」


 あれ、何だか雲行きが怪しくなってきた気がするぞ。暑かったからって、気まぐれにてるてる坊主を作ったのがそんなにマズかったのかな。その直後にてるてる坊主が軽く爆発して雨が降ったのは、単なる偶然に過ぎない……よね?


「さあ、もう少し休みなさい。顔色は多少良くなったようだが、まだ本調子ではないのだから」


 混乱する私を余所に烏梅さんは強引に話を打ち切ると、掛け毛布を肩まで引っ張り上げた。布地をぽんぽんと軽く叩き、寝かし付けに掛かる。


「ほら、目を閉じなさい。夕飯の支度が出来たら、起こしに来るよ」

「あ、うん……」


 促されるまま布団に潜り込み直し、ゆっくりと目を閉じると、意外な事に再び眠気がやって来た。烏梅さんの言う通り、身体はまだ休息を求めているらしい。上手い事丸め込まれた感が凄いけど、子供の身体で睡魔に抗うのは難しくて。


「お休み、澪」


 その声を最後に、私はまた眠りの淵へと落ちて行った。

冒頭の会話

烏梅「澪の様子はどうだ」

加乃子「安定はしていますが、随分と疲労が溜まっているようですし、目を覚ますのはまだ先かと」

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