貪愛瞋憎の末路
貪愛瞋憎:欲望や執着を意味する「貪愛」と、怒り憎む事を意味する「瞋憎」を合わせた言葉。
参照 四字熟語辞典ONLINE.
所変わって、薄明町の表通り。夕暮れと夜が入り乱れる時間帯になっても尚、行商人の露店や商品を眺める通行人が立ち並ぶ、平和で賑やかな日常風景。
ガヤガヤ、ワイワイと絶え間なく続く雑踏に紛れ、周りの目を気にしながら忙しなく歩く女が一人。
苅安の髪は夕陽に照らされて艶めき、頭頂部で時折ぴくぴくと動く狐耳が愛らしい。長い睫毛に縁取られた瞳は華やかな珊瑚色で、目元と唇に施した化粧の紅が、その美貌をより引き立てている。
道行く者の視線を釘付けるには十分な美を備えた女が豊かな尻尾を揺らしながら向かったのは、路地裏にひっそりと佇む、傍目からはがらんどうに見える一軒家。廃墟と言うには小綺麗だが、人が住むには些か寂れ過ぎているその建物に、女は勝手知ったる様子で足を踏み入れた。
「ねえ、どういう事?異界って、一度入ったら簡単に出られないような構造じゃなかったの?」
開口一番そう食って掛かった女────妖狐の阿瑚の先には、顔の強張った男女が六人。種族も性別もバラバラであるが、皆一様に神経を尖らせているのが分かる。
「そ、それが……大旦那様、あの子供が消えた事にすぐ気付いて……その、力ずくで壊して助けちゃったみたいで……」
「相手が大旦那様だったとはいえ、こんなに早く発見されるのは予想外……認識阻害の術だって、いくつも重ね掛けしていたのに」
くすんだ赤髪に赤銅色の瞳の女────貴理山絵奈は目線を彷徨わせながら震える声で告げ、淡い水色の髪に露草色の瞳の男────青鷺火の蒼路は、動揺しつつも平坦な口調で呟く。
「まさかとは思うけど、アンタ達の誰かが手抜きでもしたんじゃないでしょうね?」
「それは無いだろ。この場に居る全員、あのガキが邪魔だって思ってるんだから。なぁ?」
錫色の髪を高い位置で結い上げた萌葱色の瞳の男女────天狗の風華は苛立ちを隠しもせずに他の面々を詰るが、弟の疾風はそれをせせら笑って周囲に同意を求めた。
「そうそう。拾われたか何だか知らないけど、時間も愛情も浪費させてる身の程知らず」
「あの御方自ら、わざわざ助けに赴かれただなんて……!烏滸がましいにも程がある……!」
淡黄と黒の斑髪に紺青の瞳の女────蝶花楼撫子は嗤笑を浮かべて宣い、鉛色の短髪に芥子色の瞳の男────枢木傑は、据わった眼で澪を罵り憎悪を燃やす。
彼らは皆薄明町の住人であり、各々が美しい容姿に、異性を惹き付けるであろう魅惑的な、あるいは逞しい肢体を持っている。そして、全員が烏梅に懸想するも報われず、その原因を澪と決め付け、危害を加えようとした者達であった。
烏梅が溺愛する澪さえ消えれば、己が彼の一番になれる。愛する彼に振り向いてもらえる。名前を呼ぶ事だって許してくれる。全員が本気でそう思っていた。
そんな七人が行ったのは、至って単純な事。澪だけに反応するよう改造した転移の術式を街路に設置し、絵奈が実家から持ち出した縁切り鋏で二人を結ぶ縁の糸を断ち切った。ただそれだけ。
術式は発動したら壊れる仕組みにした上、異界は大人でも死に至る場合が珍しくない危険区域。縁の糸が切れてしまえば痕跡も辿れないし、異界の中で命を落とせば、存在は吞み込まれて消えていく。証拠が無い以上、偶発的かつ不幸な事故だったと処理されるだろう。
どんなに烏梅が澪を鍾愛していようが、血の繋がりはどうにもならない。加えて、澪が境界を飛び越えやすい齢という現状もあり、普通の親子に比べて縁の糸が強靭とは言い難かった。彼らはそこに目を付け、今回の計画を実行したのだ。
後は澪が消えた事で悲嘆に暮れる烏梅に各自で擦り寄り、寄り添い、誘惑する。それ以降は、誰が烏梅の心を射止めても恨みっこなし。完璧な計画だった。完璧だったはずなのに。
目論見は悉く外れ、異界は瞬く間に崩壊し、肝心の澪は烏梅手ずから救出されて傷一つ無い。全部全部、最悪としか言いようの無い状況。
「今のうちに、大旦那様の目を覚ます方法を考えなきゃ……!あんなちっぽけな子供が、私より魅力的な訳無いんだから……!」
現実から目を逸らし、阿瑚が喚く。
「ただの捨て子に絆されて、ましてや誑かされるなど、今までの大旦那様だったら絶対あり得なかった。引き離しさえすれば、正気に戻ると思ったのに……」
理想との乖離に、貴理山絵奈が困惑する。
「誇り高き大妖が、どこの馬の骨とも知れない人の子に夢中だとは、実に嘆かわしい。忌々しい人の子を早急に排除し、大旦那様を開放して差し上げなくては」
大義を得ていると口元を歪め、蒼路が驕る。
「大旦那様は、一介の孤児如きが独占して良い存在ではないのよ!ポッと出の小娘なんかより、同じ妖で、美しい私の方がずっとお似合いだし、大旦那様の事を理解しているに決まってる!」
長い髪を振り乱し、風華が傲慢に吠える。
「あのガキを拾ってからというもの、大旦那様はすっかり骨抜きにされちまった。こんな事は間違っている!脆弱な人間風情が大旦那様を虜にするなど、厚顔無恥極まりない行為だ!」
芝居がかった大袈裟な身振りで、疾風が声高に主張する。
「卑しい非術師の小娘の分際で大旦那様の寵愛を一身に受けるなんて、許されるはずが無いわ。生意気な奴は消えて然るべきよ」
侮蔑も露わに、蝶花楼撫子が扱き下ろす。
「大旦那様は孤高であるからこそ、尊く素晴らしいんだ。何の役にも立たない、御手を煩わせるばかりの小娘など、あの御方の傍には必要ない!」
奇妙に高揚した表情で、枢木傑が言い放つ。
それぞれの思いを好き勝手に吐き出している彼らは気付かない。烏梅が澪を害した者を愛する未来など、最初から存在しようが無い事を。
見当違いの私怨で思考が一杯になっていたせいで、複数の気配が近付いて来ている事を。
「きゃあっ!?」
「なっ、何だ!?」
扉が蹴破られた途端、黒い鎖が身体に巻き付き、全員が無様に床に転がった。突然の事態に困惑して尚藻掻く彼らの耳に、聞き覚えのある男の声が届く。
「こんな所に居たのか」
ザッザッと軽い草履の音が目の前で止まり、静かな声が降ってくる。バッと上げた視界に映ったのは、鮮烈な白銀の髪に、ぞっとする程冷たい色を宿した、瑠璃と琥珀の双眼。烏梅が心を許している数少ない存在────鵺の白夜だった。
《白夜様、この方々で?》
「ああ、間違い無ぇ。壊残術式の残留妖気・霊力共に、完全に一致してる」
彼の背後から数体の巡査提灯がゾロゾロと姿を現し、有無を言わさず引っ立てる。抵抗しようにも鎖で拘束されていて、満足に身体が動かせない。
「白夜様!何ですか急に!何で私達が罪人みたいな扱いを……!」
「しらばっくれるな。お前らがやった事は、全部分かってるんだ」
「やった事、とは……?」
《貴方方だとお聞きしましたよ。大旦那様の御息女の失踪……基、殺人未遂を企てたのは》
巡査提灯の言葉に、誰かがヒュッと息を呑む。全てバレたのだと、全員がその時理解した。白夜の怒気が真綿で首を締めるようにじわじわと圧し掛かり、それぞれの顔から血の気が失せていく。
「あ、あ……」
「全く、見下げ果てたぞ。自業自得で拒絶されて反省する所か、浅ましい妄執で何の罪も無い子供を殺そうとするなんてな」
「そ、そんな……!我々はただ、大旦那様の為に……!」
「烏梅がそれを望む訳無いだろうが」
何とか絞り出した的外れの弁明も、白夜にバッサリと斬り捨てられる。愕然とする首謀者らを興味なさげに一瞥した白夜に目で促され、巡査提灯が罪状を宣告した。
《未成年者の誘拐、及び殺人未遂の容疑で、貴方方を連行させて頂きます》
「っ………!」
「この事はお前らの一族や周囲にも通達済みだ。自らの過ちを深く考えもせず、よりにもよって烏梅の掌中の珠に手を出したんだ」
────精々、自らの浅はかさを悔やむ事だな。
冷淡に告げられた言葉に、ある者は膝から崩れ落ち、ある者は絶望の涙を流す。白夜と烏梅、薄明町の有力者たる二人の不興を買ってしまったのだ。もう二度と、この町の地面を踏む事は許されない。
それだけでは済まない。被害者の澪が無事だった以上、逮捕されてもすぐに釈放はされるだろうが、呪術界や隠世で大和の大妖を敵に回した厄介者として白い眼に晒され、嘲笑、叱責を受け続ける立場になる事がほぼ確定したのだ。その前に実家から切り捨てられるか、一族ごと閑職に左遷される可能性も高い。
自らの所業がツケとなって廻ってきたと悟っても、時既に遅し。私欲を優先したばかりに、己の行く先を破滅へと導いてしまった愚か者達の咽び泣きが、寂れた一軒家に響いた。
今話限り(予定)のキャラ構想
阿瑚
阿漕+ジャコビニア(珊瑚花)「華やかな恋」
貴理山絵奈
貴船神社(最強の縁切り神社&皇族所縁の雨乞いの聖地)+オキナグサ(筆草)「心の闇は内に隠して」
蒼路
恋の闇路+露草「敬われぬ愛」
風華
アネモネの英名「ウィンドフラワー(風の花)」&「嫉妬の為の無実の犠牲」
疾風
「嫉妬」の「嫉」のつくり「疾」+風信子「嫉妬」
蝶花楼撫子
ロベリア(瑠璃蝶草)「悪意」「敵意」+シレネ(虫取撫子)「しつこさ」「恋の落とし穴にご注意」「欺かれた人」
枢木傑
扉「偏愛」+グーズベリー(西洋スグリ)「貴方の不機嫌が私を苦しめる」+田辛子(芥子)「邪推」「悪事」「不毛にする」