てるてる坊主、雨降らし
「……はぁ……」
一人迷い込んだ見知らぬ場所を歩き続け、体感で早数十分。私が脱出する為の手掛かりは未だに見つからない。
呼吸する度に肺を占める、むわりと湿気の混ざった熱気が息苦しいし、ギラギラに輝く太陽で汗は止まらないし、遠方で陽炎が閃いて見える暑さに、いい加減歩くのも億劫になってきた。
おまけに、周囲に点在して咲く朝顔っぽい花々は匂いを出す品種だったようで、くどくて甘い匂いがここら辺一帯に立ち込めている。空調が整った快適な環境下だったら素直に良い香りなんだろうけど、蒸し暑い現状では気持ち悪いとしか思えないレベルでくどい。何気にしんどい。
『目障り、邪魔、消えて』
『お前は要らない……相応しくない……』
「……何なんだろ、アレ」
此処に来てから絶えず周囲を彷徨っている、強迫めいた気配。ゆらゆらと、それでいて確かに、私へ向けて悪意やら敵意やらを言葉に乗せて何度もぶつけてくる。
姿は全く見えないし、襲ってくる感じも今のところは無いけど、当然良い気分はしない。蝉の雑音と不快な甘ったるさが合わさって、気怠さと煩わしさが倍増だ。
変に反応したらどうなるか分からないからずっと無視してるけど、それでも嫌な気配は一向に無くならない。影みたいに一定の距離を保って追尾してくる様は、獲物を付け狙う肉食獣を彷彿とさせた。
さり気なく早歩きに切り替えてみても全く振り切れそうになくて、疲労がいよいよピークに差し掛かってきた。
それに、何より。
「…………暑い…………水飲みたい…………」
いや本当に暑い。暑過ぎて体内の水分が現在進行形で全部汗に変換されてる気がするし、喉もすっかりカラカラだ。ハンカチで拭っても拭っても全然追い付かない。とにかく暑い。冷房のガンガン効いた仙羽堂で冷たい緑茶をがぶ飲みしたい。麦茶でも可。この際温い水でもいいから何か飲み物を口に入れたい。切実に。
お使いでそれ程時間は食わないだろうと、持って来てるのは斜め掛けのポシェットに入れたがま口財布と品物の書かれたメモ用紙、タオル地の大判ハンカチ四枚、ポケットティッシュ、そしてヘアゴムの予備が一本。荷物がちょっと重くなってでも、水筒かペットボトル持ってくれば良かった……
「……あ」
痛みを訴える足を押してしばらく歩いていると、不意に支柱で出来た壁が途切れ、開けた場所に出た。上げた目線の先には、丘の頂上で堂々と聳え立つ大樹と、いかにも涼しそうな木陰。
突如として現れた避暑地を求めて半ば前のめりになって走り出し、すぐにその場に寝転がる。直後背中に伝わった柔らかな感触は期待通りひんやりとしていて、その心地良さにほっと息を吐く。
内に籠った熱を入れ替えようと、木陰周辺の空気を思い切り吸い込めば、青臭い草の香りと清涼な風が肺を満たした。
麦わら帽子を傍らに放り、汗で張り付いた前髪を払って。そうしてようやく、ほっと一息つけた。
「…………疲れた……」
体力が限界に近くなって当分は動けそうにないし、男女の判別がつかない怨声を発する気配はまだある。この木陰が罠である可能性だって、十分に有り得る。
けど、無防備に寝転がってても依然として襲ってはこないし、太陽の熱を遮断できただけでも大分楽になったので、すぐに生命の危機的状況に陥る事は無いだろう。
しかし、それにしても。
「……喉渇いたなぁ……」
冗談抜きで、慢性的に水分が足りない。木陰を見つけられて身体はある程度冷やせたし、汗をかけているお陰で熱中症にはまだなってないだろうけど、口渇感は半端じゃない。確実に脱水症の一歩手前くらいにはなってる。そろそろ何か飲まないと本格的にマズい。手元どころか、周りにも手元にも水分補給できそうな物何も無いけど。
「……あ、そうだ」
喉の渇きで明後日の方向に飛び出しつつある思考の中、ふと思い立って、寝転んだままポシェットを碌に見ないで手を突っ込んで中を探る。ややあって取り出したのは、未使用のハンカチにポケットティッシュ、予備のヘアゴム。
ティッシュの中身を数枚纏めて掴み取ってくしゃくしゃに丸め、空いた方の手でそれをハンカチに包む。最後にヘアゴムでハンカチを留めれば──顔が無いてるてる坊主の完成だ。
「…… 雨々、 降れ降れ」
ティッシュで膨れた方を頭に見立てて下に向け、適当なフレーズを唱えた。
「天気が晴れになる事を祈って作られる人形・てるてる坊主は、上下逆に吊るすと雨乞いの人形となり、これはふれふれ坊主、あめあめ坊主と呼ばれる事もある」……そんな話を、前世のネットだか書籍だかで目にした記憶がある。
本当に雨が降るなんて期待はしてないけど、剣と魔法どころか、霊能力や妖も存在するこの世界なら、簡単なおまじないであっても、言霊の力で現実になったりしないかな、なんて。
てるてる坊主作ったのは前世の幼稚園か小学校の時以来だなー、と誰に言うでもなく独り言ちた瞬間。
手に持ったてるてる坊主が突然、みるみるうちに大人の握り拳大まで膨れ上がったかと思うと──バスンと爆ぜ、空気中に溶けるように消えた。
「……え?」
眼前で起こったそれを理解できず、呆然として固まる私を余所に、空で燦々と輝いていた太陽が急速に流れてきた分厚い入道雲で隠される。そして一拍置いた直後、猛烈な勢いで大粒の雨が降り出した。
「へ」
『アァアァァ────……!!』
ざあざあと激しく地面を叩く雨音に混じって、断末魔を思わせる金切り声が響く。
反射的に上半身を起こして辺りを見回すと、さっきまで歩いていた場所で、しゅうしゅうと音を立てながら、濁ったピンク色の煙が何本か立ち昇っていくのが見えた。声はそれらから聞こえる。
降りしきる雨がいくつもの桃色と声を掻き消していくのと同時、散々私に付き纏っていた嫌な気配が消えていくのが直感で分かった。厭わしいくらいに甘い匂いを撒き散らしていた花々も、栄養剤を与え過ぎたかのように、あるいは映像の早送りのような凄まじいスピードで茶色く変色して萎み、どんどん枯れていく。
「……どういう事……?」
やがて雨が止んで、雲が流れて再び太陽が顔を出す頃には、一面に咲いていたはずの花々は一つ残らず朽ち果てて、蝉の鳴き声もぱったりと聞こえなくなって。
すっかり閑散とした丘の上で汗と雨の区別がつかない生暖かな雫を拭わないまま、私は濡れそぼった甚平ごと座り込み、しばらく動けないでいた。




