人生リスタート、その道は前途多難?
今世の祖国となった大和皇国は、主に人間が住む世界・現世と、妖を始めとした人ならざる者が住む世界・隠世と呼ばれる二つの領域で大まかに分けられている。
その境界線上、特殊な霊脈が通る狭間という区画に位置する町・薄明町が、私の第二の人生における生活圏だ。
人や妖だけでなく、その両方の血を継いだ者、時には外部からの移住者も入り交じって共存してきたこの町の外れにあるのが、私の保護者となった妖・化け鴉の烏梅さんが何百年も営んでいる調剤薬局「仙羽堂」。傷や病気だけでなく、様々な願いを抱えた客がやって来る老舗だ。現世でも知名度が高いらしく、辺鄙な場所ながらリピーターも多数獲得していて、大いに繁盛している。
店先には立派な藤棚が設けられているので、「藤烏薬舗」とも呼ばれている。店主の烏梅さん自身が藤柄の着物ばかり着ていて、藤のお香を愛用しているのも関係してるだろう。
冷やかしや悪戯、犯罪目的の客は決して辿り着けない人避けの結界が張られているから、来店するのはそれなりに切実な理由のある人ばかり。
例えば、尻尾に鈴を付けた猫又に導かれて来た盲目の青年には、刻んだブルーベリーと上質な翡翠を砕いて溶かし込んだ、鮮やかな青緑色の点眼剤。これを点した青年は、数メートル先で囀る鳥の嘴の形すら識別できる程の視力を獲得した。
例えば、不妊に悩んで来た女性には、無花果の果肉と柘榴の皮を練り込んだ、濃い臙脂色の漢方薬。これを服薬した女性は、一月足らずで念願の第一子を身籠り、今では三児の母となった。
つい最近でいうと、どす黒い靄を背負ってやって来た刑事の男性には、磨り潰した桃の果汁と干した南天の実を凝縮した、蜂蜜色の飴玉を処方していた。後から聞いた話によると、この人は重度の霊媒体質で、捜査や殺人現場の検証なんかに向かった際は毎回のように現場に残った怨念やら穢れやらをくっ付けて帰ってしまう為、うちの常連さんなんだそうだ。
そんな仙羽堂の主人でありながら、他を圧倒する強大な妖力と腕っぷしの強さで、町の総元締めも務めている烏梅さん。彼は冒頭でもちょこっと述べた通り、物凄い美形だ。絶世、魔性という言葉でその美貌を度々絶賛され、町を歩けば周囲の視線を根こそぎ独占するレベルの。
うなじで一つに束ねた、艶やかで真っ直ぐな濡羽色────光の加減によっては紫色を帯びているようにも見えるので、紫烏色と呼ばれる場合もある────の長髪。
妖艶な色香漂う、紫水晶をそのまま嵌め込んだかのように輝く切れ長の瞳。
滑らかで張りのある、肌理細かな白皙の肌。
しなやかな筋肉に覆われ、引き締まった長身(何と二百十センチもあるらしい)。
男性的かつ優雅で上品、整い過ぎている余り、ある種の恐ろしさすら感じさせる極上の美貌に加え、聞き惚れずにはいられない甘やかな声音に穏やかな物腰。そして、金が有り余る程に裕福な暮らしぶりの独身。
かつては時の皇帝をも虜にした、なんて逸話も囁かれているくらい並外れた魅力の持ち主なのだから、人と妖どころか、男女問わず言い寄られるのも道理と言えるかもしれない。
実際、烏梅さんは私を拾った以降も変わらずモテた。そりゃもうビックリするくらいモテた。世が世なら顔と身体だけで十分食べていけそうな美女達に「私みたいなお母さん/ママはどう?」なんて訊かれた回数は両手両足の指をとっくに超えたし、男の人に告白されてた場面だって何回か見かけた。
ただ、その弊害とでも言うべきか。困った事に、烏梅さんに言い寄って来る人達には、恋人ないし妻の座を得る為ならば、手段を選ばない人も少なくなかった。
白昼堂々、衆人環視の中にも関わらず想いの丈を言い募る。断っても断っても一切めげずに付き纏う。愛妾でも良いからと強引に同衾に誘う。厳選した貢物や長々と綴った恋文を一方的に送り付ける。などなど、挙げていけばキリがない。
中には、烏梅さんの目が届いていない隙を見計らって、私を味方に付けようと魅了系の術で洗脳、あるいは懐柔しようと試みたり、逆に私が邪魔だからと毒や呪詛を混入したお菓子やプレゼントを押し付けようとしたりと、一歩間違えれば命を落としかねない危険な行為もあった訳で。
幸い、毎回私が何かしらの被害を被る前に、爆速で駆け付けた烏梅さんが「愛しく可愛い私のよい子に危害を加える者は誰であろうと論外」「この子に害なす愚鈍に構う暇なぞ無い」……こんな感じの台詞できっぱりと拒絶して近付かないようにしてくれたし、事情を知ってる町の人達や、隠世と薄明町、両方で警察官として勤務する巡査提灯────頭部が提灯になっている異形頭の妖だ────の協力の甲斐もあって、時が経つにつれて烏梅さんに傍迷惑な求愛をしてくる人は目に見えて減っていった。
私が七歳になった頃には、いくらアプローチしても無駄だと悟ったのか、烏梅さんの周りに見知らぬ人が集まってくる事も無くなり、快適な暮らしを送れるようになっていた。
……数ヶ月後、とある事件に私が巻き込まれるまでは、こうした穏やかな日々が続くと信じて疑わなかった。恋は人を愚かにするなんて言われてはいるけど、まさか烏梅さんに恋焦がれる人達があんな暴挙に出るなんて、当時の誰も想像できなかったはずだ。
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ミーンミンミン、ミーンミンミン。
シャーワシャワシャワ、シャーワシャワシャワ。
ジーワジーワジワ、ジーワジーワジワ。
ジジジッ、ジジジッ。
頭上に広がる空は爽快な程に青く、辺りに満ちている蒸し暑い空気は、慣れ親しんだ日本の真夏を彷彿とさせる。此処だけ切り取れば、ノスタルジックな夏の一場面に過ぎない。
が、実際は容赦なく照り付ける強烈な直射日光で身体が火照り、流れる汗を吸って張り付き始めた衣服が気持ち悪い。そこに追い撃ちをかける、周囲でけたたましく響く蝉達の鳴き声。既に茹だるような暑さだというのに、何重もの騒音が加わると煩わしさが倍増し、思わずげんなりしてしまう。
白地に赤と黒の金魚が揺蕩う可愛いデザインの甚平に、ちょっと大きめの麦わら帽子という通気性の良い恰好でも、暑いものは暑い。肌の色が白めだから、日光に当たり過ぎると日焼け止めを塗ってても火傷みたいに赤くなってヒリヒリして痛くなるし。
尚、蛇足として今の私の容姿を明記すると、肩口までの黒髪に焦げ茶のパッチリお目々の美少女だ。我ながら将来が楽しみな顔面である。あくまで現状だし、烏梅さんの美貌が桁違いだから、隣に並ぶと余裕で霞んじゃうだろうけど。
……いや、そんな事より。
「ここ何処」
視界一面、夏の風物詩が一つ・鮮やかな朝顔(多分)が絡み付く支柱の壁。ぐるっと一周してみても、目に入ってくるのは蝉軍団が群がっているであろう鬱蒼とした木々の群れか、ラッパに似た形の白っぽい花ばかり。せめて向日葵くらいビッグサイズの花だったら、日陰で日避け出来てマシなのに。
現在の私(七歳児の姿)は百二十センチに届くか届かないかの瀬戸際。少なく見積もっても身長の二、三倍はある支柱の全体を確認したいなら大分上を向かなければならないが、首が痛くなりそうだからそれはやらない。
さくさく、短い芝生を踏みしめて闇雲に歩けども、全く出口の見えない迷路にふう、と重い溜息が零れる。
暑さによる気疲れも勿論あるけど、さっきから綺麗な花が咲き誇り、緑が広がり、表面上は長閑な光景にはそぐわない、ドロドロと粘っこい、嫌な気配をビシビシ感じるのだ。それも、複数。
『嗚呼、憎らしい、憎らしい……!』
『何であんな小娘なんかを……』
『邪魔、目障り、消えろ、消えろ……!』
『早くいなくなってしまえばいいのに……』
私に言われても困るんだけど。数分前まで烏梅さんに頼まれたお使いで大通りに出たはずなのに、いつの間にかこんな所に飛ばされてたんだし。消えてほしいんなら、さっさと此処の出口か出方教えてくれないかな。