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第9章 聖水


 (けが)れを(はら)って欲しい……


 アルフレッド様にそうお願いをされてしまった。アルフレッド様が穢れているとはとても思えないのだが、本人がお望みならば全力でそれを叶えて差し上げなければ。

 

 とりあえず私は、毎朝湧き水(聖水)を汲んでアルフレッド様に届けて欲しいと屋敷の使用人達にお願いをした。それから足湯の準備も。

 小さめの(ねつ)(いし)を桶に一つ入れるだけで鉱泉の水は程よいお湯になり、一時間くらいはその温度を保てる。それは実証済みだ。(ねつ)(いし)とは魔石の一種で、この領地の特産である。

 アースレア王国と隣国バーストン王国は、野獣の生息している森を国境にしているのだが、大昔はこのヘミルトン領辺りにも森が広がっていた。

それ故野獣の死骸から作られた魔石が多く採掘される。最もそのほとんどがレアな魔石などではなく、クズ魔石と呼ばれる(ねつ)(いし)だった。


しかし、(ねつ)(いし)はクズ魔石などではなく、貴重な資源であることを私は知っていた。

湧き水はあくまで鉱泉であり、生憎温泉ではない。しかし、この(ねつ)(いし)を入れさえすれば瞬く間に適温になるので、そこは何も問題はない。

 聖水の露天風呂に入れば、穢れも払えるし健康にも良くて一石二鳥だ。


 

 しかし、聖水を汲み上げる装置を設置して、庭に露天風呂を造って欲しい、と最初に執事のカーリーさんにお願いをした時、彼は(いぶか)しげな顔をした。

  

「あの湧き水が聖水だとおっしゃるのですか?」

 

「はい、そうです」

 

 私の返答にカーリーは戸惑いの表情を見せた。そりゃそうだろう。

 何の証拠も無しに無味無臭の湧き水が聖水だと言われても、おいそれとは信じられないだろうな、と私も思った。

 

 しかし、あの湧き水を掘り当てたのが私自身だったこともあって、カーリーさんは困惑しながらも私の要求を飲んでくれた。

 アルフレッド様を辺境の領地でお預かりするとお父様から聞いた日から、私はせっせと生まれ育った辺境のヘミルトン領へ通い、巻き戻る前の記憶を頼りに、使用人の皆さんの手を借りてボーリング作業を進めた。

 

 以前鉱泉が湧き出したのは、時系列的には今から数年後のはずだ。

 領地の特産品を作ろうと、鯉の養殖でも始めようかと考えて池を掘っていたら、ある日突然水が湧き出したのよね。

 するとそれはなんと鉱泉で、養殖用の池は即露天風呂に変更されたことは言うまでもない。

 

 まあ、その後はあの父親の私利私欲のために使われて苦々しい思いをしたのだが、今回はもうあの男に、ここをどうこうする権利はない。だから怯えることもない。

 そう思ってせっせと掘っていたのだが、掘り当てるまでにまさか三か月もかかるなんて思いもしなかった。

 もしかしたら時系列を無理矢理変更しようとしたせいなのだろうか。

 

「お嬢様、いつまで穴掘りをするおつもりですか?

お庭がまるで土竜(もぐら)の穴だらけの状態になっていますよ」

 

 ずっと呆れたように私を見ていた屋敷の皆さんも、結果的に私の言った通りに湧き水が出たので、私への目付きが変わった。そう。リスペクトしてくれるようになったのだ。

 

 それにしてもカーリーさんがまだ子供のお願いを聞いてくれたのは、もしかしたら私に予知能力(以前の記憶)があることをお父様から聞かされていたのかも知れない。

 もちろん私の能力は極秘情報だから、家族以外で教えたのはラットン領の執事とヘミルトン領の執事のカーリーさんくらいのはずだが。

 

 

 そして着工から二月(ふたつき)後、アルフレッド様がこの地に来てから三か月近く経ってようやく、屋敷の園庭に立派な露天風呂ができあがった。


 私はカーリーさんにこう言った。

 

「アルフレッド様が浸かられた後、皆さんも是非入って下さいね」

 

「そんな恐れ多いことはできません。大切なお客様のためのお風呂に使用人が入るなんて滅相もないことです」

 

「何故です? こんなに広くて立派なお風呂を一人しか利用しないなんてもったいないでしょう」

 

「しかし、聖水が汚れてしまいます」

 

 カーリーがとんでもないという風にこう言った。でも何故彼がそんなことを言うのか私には理解できなかった。

 

「何故汚れるの? かけ流しだから汚れませんよ。第一聖水なのだからすぐに浄化されるわ」

 

「しかし、私どもは平民です」

 

「貴族も平民も同じ人間でしょ、だから何の問題もないわ。

 そうそう。ランディー坊やのお尻がおむつかぶれで(ただ)れていて、かわいそうだってサリエさんが言っていたわ。

 だから、一日一度と言わずに沐浴させてあげてね。そうすれば治りが早いと思うから」

 

 ランディー坊やはカーリーさんの末っ子の赤ん坊です。肌が弱くてすぐにお尻が酷く爛れてしまうと、奥さんのサリエさんが悩んでいたのを私は思い出してこう言った。

 するとカーリーさんには何度も頭を下げられてしまった。

 

 そして露天風呂が完成して一月ほど経った。

 ランディー坊やのお尻は一週間後には綺麗に治り、顔の汗疹も消え、本来の赤ん坊のツヤツヤツルツルした桃色お肌になり、カーリーさんご夫妻にとても感謝された。

 私自身は何もしていないのだけれど。

 

 そして、最初の頃は遠慮していた他の使用人の皆さんも、今では嬉々として入浴している。

 というのも、ランディー坊やを聖水のお湯で沐浴させていたサリエさんの(あかぎれ)が、いつの間にかすっかり治っていたからだ。

 いや、治ったどころかとても綺麗な手になっていたので、美肌の湯だと女性陣が我先にと入浴し始めた。

 

 すると膚にいいなら頭皮にもいいかもと、年配の男性の皆さんも入浴するようになった。そしてその効果は覿面(てきめん)だった。

 何せ長年水虫に悩んでいた御者のカールおじさんの痒みがなくなり、ツルツルの頭皮だった庭師のオットーおじいさんの頭には、二十年ぶりに産毛が生えたのだから。

 屋敷の者達は狂喜乱舞した。しかしカーリーさんは皆にこう釘を刺した。

 

「この露天風呂はそもそもアルフレッド様のためのものです。そのおこぼれを頂戴しているだけなのですから、絶対にこの聖水や露天風呂の話を他所(よそ)でしてはいけませんよ。

 もし外に漏れたら連帯責任で全員を使用禁止にしますからね」

 

 使用できなくなったら大変なので全員が大きく頷いた。

 いずれは他の領民達にも開放したいし、聖水を使って薬や化粧品などの特産品も作りたい。しかし、今一番大切なのはアルフレッド様だと私も思った。

 

 そしてその肝心のアルフレッド様のことなのだが、確かに体調はずいぶんと改善されてきたと思う。

 食欲が増して少し体重が増えたようだし、不眠症も改善され、規則正しい生活のリズムができつつあるみたいだ。毎日の散歩も、その距離が少しずつ伸びているようだし。

 

 ところが、露天風呂に入るようになって三か月以上経過しても、アルフレッド様は相変わらず顔色が悪いし、髪にも艶がない。おかしいな。聖水は皮膚や髪に良いはずなのに。

 確かに手や首はつるつるスベスベ肌になったのに、顔だけが粉を吹き、髪の毛に艶がないままだ。

 露天風呂に入っている者達は私を含め皆効果が出ているのに、何故アルフレッド様にだけその効果がないのか……

 それが腑に落ちなくて、私はずっと胸がモヤモヤしていた。

 

 

 そうこうしているうち、アルフレッド様がこの辺境の地にいらしてから七か月が経った。

 アルフレッド様は大分元気になられた。そして少しずつだが私とも話をしてくれるようになった。

 まあ、その会話の内容はこの領地の農地改革、水路や堰などの土木工事、ギルドや商会の有り方、貧困問題、子供の教育問題といった、全く子供らしくない小難しい討論ばかり。

二人の間にコミュニケーションが成り立っていたのかは微妙だったけれど。

 

 それでも私としては、アルフレッド様と口がきけるようになっただけでも御の字だった。怖がられ、顔をそらされ続けるのはさすがに切なかったから。

 そんなある日のこと、アルフレッド様からこんなことを言われて私は驚いた。だって、

 

「セーラ嬢はとても博識だよね。君なら何処へ嫁いでも困らないね」

 

 なんてことを言われたのだもの。何の意図があって彼がそんなことを言ったのかはわからなかったけれど。そこで私は正直にこう言った。

 

「私は嫁ぎ先のために勉強しているわけじゃありません。この地とこの地に住む人々が好きだから、少しでも貢献できる人間になりたくて学んでいるのです」

 

「そうか。それは素敵な考えだね。でも、君をお嫁さんに欲しがる人は多いだろうね。きっとそのうち山のように縁談がくるよ」

 

 アルフレッド様は何故か少し不機嫌そうに言った。言われた私もムッとしかけたが、淑女はそんな感情を出してはいけないので、平然な振りをしてこう言った。

 

「こんな地味顔で美人でもない私に縁談が来るかどうかは正直わかりませんが、もし縁談の話が来ても私は誰とも結婚するつもりはありません。

 もちろん結婚を嫌がるようでは貴族の令嬢としては失格ですから、いずれ平民になるつもりです。

 だから将来困らないように、今私は勉強だけでなくて色々と学んでいるのです。刺繍や洋裁以外にも料理とか掃除とか。

 だけど、一番になりたいのは護衛騎士です。もうずっとお兄様と一緒に剣術や体術も学んでいるのですよ」

 

 すると、アルフレッド様は驚愕して目を見開いた。そしてその後俯くと、体を小刻みに震わせた。

 ようやく私に慣れてくれたと思っていたのに、私が武術を習っていると知って、また怯えてしまったのだろうか。

 余計なことを言ってしまったと、私はとても後悔したのだった。

 


 読んで下さってありがとうございました。

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