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第8章 転地療養

 少し長めです。


 以前お祖父様が治めていた辺境の地ヘミルトン領は、今はアンドリューお父様が領主になっている。

そう、私を押し付けるためにあの元父親マックス=コールドン侯爵が、不良債権だと思い込んでいるこの領地を弟に下げ渡したのだ。

このことに私はホッとしている。今の父が関所や辺境騎士隊の責任者ならば、この国の安全は心配ない。巻き戻る前の世界のように内憂外患に頭を悩ますことは、少しは減るだろう。

そう考えて、私はふっと力なく笑った。


『馬鹿みたい。私はもう王太子殿下の婚約者ではないのに。そして、今の殿下がこの先どんなに苦労しようが関係ないのに』



普段お父様は、ヘミルトン領の隣に位置する、本来の子爵家のラットン領にある屋敷で私達家族と暮らしている。

そして馬車で片道一時間かけて、ヘミルトン領の旧侯爵家の屋敷まで通っている。しかしそれは本宅ではなく、執務をするための別棟だ。

何故ならその別棟が、セキュリティーの一番しっかりしている建物だったからだ。


今回のアルフレッド様は、以前とは違って、旧侯爵家のその別棟で静養されることになった。そのためにお父様は執務室を本宅へと移動させた。

何故そこまでするのかと驚いたが、もしかしたらその理由は、それだけセキュリティーの高い住まいが必要だったということなのかもしれない。

つまりそれだけ、アルフレッド様の家の家格が高いということなのだろう。


今回も前回同様に侍従一人に侍女とメイド、そして護衛を二人という重装備だったし。

彼らの名前も巻き戻る前と同じ。ボリスさん、キャリーさん、アイリスさん、ウッディさんにモーリーさん。

 そもそも以前の私は、アルフレッド様は他国の王族ではないかと疑っていたのだ。

 彼が留学から帰国したという話は結局聞かなかったし、その後何時まで経ってもアースレア王国の社交場には現れなかったのだから。

 

 *


 あんなに立派なお世話係や護衛がいるのだから、今回も私は、前回同様ただの友達としてアルフレッド様に接していれば良いのだろう。

 しかし、今回の私は前回の時よりも五歳も年上だったので、ただ無邪気に遊び友達として接するわけにはいかないと思った。

 しかも今回は、護衛騎士の適性があるかどうか、そのテストも兼ねていたのだから。

 

 だからこそ私は、アルフレッド様が健康になるための手伝いをしようと思った。要人の警護は、何も人や獣からその身を守ればいいというものではないはずだと。

 巻き戻る前の私は()()()()()で、医学書や健康本、薬草などの専門書を読み漁っていたのでかなり医学的知識があった。

 だから私はアルフレッド様の体に良いと思われることを、ハッサン先生の指導の元に色々と試してみようと考えていた。 

一緒に無理のない体操や散歩をしたり、ハーブを食事や睡眠に取り入れてみたりと。


 そしてその極めつけが露天風呂だ……

 

 

 辺境の地であるヘミルトン領は、代々カーリーさんの一族が執事として、領主を支えてきてくれた。

何せこの辺境の地はこの国の要所であり、領主だけでは治めきれない。それ故にこの領地を誰よりもよく把握している人物が必要不可欠だったのである。

 そんなことは子供の私でさえわかっていたのに、あの元父親は前回も今回も全く理解していなかった。


 本来ならばお祖父様が亡くなった後、カーリーさんは新しいコールドン侯爵の元で働くはずだった。

しかし、お互いにそれを望まなかった。

前回のカーリーさんは一方的に解雇され、そのせいでコールドン侯爵は領地経営に失敗した。その後どうなったのかは記憶にないけれど。


しかし今回は領地の名義が新コールドン侯爵に変更される際に、カーリーさんは一旦侯爵家を退職し、その後、新たに子爵家の執事として採用されたのだ。

 そもそも今回カーリーさんを含む旧侯爵家の使用人全員が、すぐに現コールドン侯爵から解雇されなかったのは、例のお祖父様の遺言を素早く公証人役場へ提出できていたからだ。

 前回と同じ過ちはしない。

今回ホッとするとともに、巻き戻る前との情況の違いに私は正直戸惑っている。この先の展開がまるで見えないからだ。

最もそれは、自分がイレギュラーな行動をとった結果なのだけれど。



 お祖父様の遺言書には、ヘミルトン領の侯爵家の屋敷をカーリーさんに譲渡することが記載されていた。そしてその屋敷周辺の土地の半永久的借地権も。

その上そこには、もし私に保護者がいなくなった場合には後見人となることが義務付けされていた。

 屋敷の所有権がカーリーさんだったために、現コールドン侯爵は彼を追い出せなかったのだ。そしてそのことが、あっさりとこの領地を手放した理由の一つでもあったのだろう。


 カーリーさんは、譲り受けた屋敷を共同住宅にして、元コールドン侯爵家の使用人の住まいとした。

今現在屋敷には、執事カーリーさん一家の他に、侍女頭のアリエッタさん、護衛のパットンさん、ハッサン先生、そして私の乳母でメイドのマーシャさんの家族が住んでいる。

 お祖父様の代からの使用人だった彼らは、今はお父様の下で誠心誠意仕えている。

かつてお祖父様からの信頼を得ていた優秀な使用人達がいたからこそ、お父様はここでアルフレッド様を預かろうと思ったのだろう。

 


 ✽

 


 私が最後に見たアルフレッド様は、心身ともにすっかり元気を取り戻した姿だった。

 だから当然と言えば当然なのだが、巻き戻って再び顔を合わせたアルフレッド様は、酷く痩せて顔色がとても悪くて、胸がとても痛んだ。

 

 濡羽色(ぬればいろ)に輝いていたはずの黒髪は艶がなくパサつき、桃色だった肌は荒れてがさついて粉を吹き、サクランボのようだった唇は黒ずんでひび割れていた。

そして青く澄んで明るかった瞳は淀んでいた。私は思わず絶句してしまった。

 その上彼は、私を見ると酷く怯えてガタガタと震え出したのだ。

 えっ? 私ってそんなに怖い顔をしているの? ぼんやりしたどこにでもいる地味顔だと思っていたけれど。

 

そんなアルフレッド様と対面して、私の胸はギュッと苦しくなった。

そしてその時私は決心したのだ。せめて巻き戻る前に最後に目にした姿と同じくらいには、彼を健康体にするのだと。

 そして再び彼のあの明るい笑顔を取り戻すのだ。その後たとえ別れが来て、二度と逢うことのない未来だったとしても。


 しかし、やる気満々で勢い込んでいた私は、初日に乳母のマーシャさんからこう言われてしまった。


「お嬢様、無理強いはいけません。そして結果を急いではいけません。子育てはすぐに結果は出ないものなのです。

 辛抱強く相手の様子を見ながら、細かな変化を見落とさず、良いところを見つけなければなりません」

 

「私は子育てをするわけじゃなくて、身の回りのお世話というか、健康になるお手伝いをするだけなのよ」

 

 私がこう反論すると、マーシャさんはチッチと右人差し指を振った。

 

「いいえ同じです。どちらも一朝一夕で成せることではないのです。努力さえすればすぐに結果が出るというものではないんです。

 

 こう言ってはなんですが、少し努力をすればすぐに結果を出せるような優秀な方は、本来人のお世話や指導には向いていません。

 凡人の失敗を無駄なことだと捉えるからです。しかし何事にも失敗はつきもので、そこからの気付きも人にはとても大切なことなのです。

 

 特に弱った心や身体を癒すには時間がかかるものなんです。だから焦りは禁物です。

 こちらが良かれと思って色々やったことが、却って相手の負担になり、追い詰め、さらに状態を悪化させる恐れもあるんですからね。

 わかりましたね? お嬢様」

 

 巻き戻る前の知識を持っているのだからと、私はやる気満々で意気込んでいた。

 しかしマーシャさんのこの言葉に、私は冷や水を浴びせられたような気がした。

お世話をする、元気にしてみせる! 私の熱意は所詮自己満足だったのだと反省した。

 本当に大切なことは私の熱意や誠意などではなく、相手の気持ちに寄り添うことなのだと。

 

 

 そして現在。平日、私は父と共にラットン領の屋敷から、馬車で一時間程かけてヘミルトン領へと向かい、午前中はアルフレッド様と一緒に家庭教師から授業を受けている。

そして午後は旧侯爵家の広大な庭を散歩しながら、話をしたり自然観察を楽しんだり、四阿(あずまや)でお茶を飲んだりして過ごしている。

 しかし週末は立派な騎士になるために、馬術や剣術、そして新たに体術の訓練に励んでいる。

本来の令嬢としての嗜みは、既に完璧にできていたので、そちらは(たま)にお母様からチェックをしてもらえば十分だと教師から言われた。

その時アルフレッド様がどのように過ごしていたのか、それはわからないが、プライベートはなるべく関係しない方が後々のためだろうと私は思った。

 

 だから最初のうちは挨拶を交わした後は、私からはあまり話しかけないようにしていた。

すると無理に会話をしなくても、鳥達の(さえず)りや風が木々を揺らす音もよく聞こえて、それが私にはとても心地よくて、気まずさなど全く感じていなかった。

アルフレッド様の方は相変わらずオドオドとしていたけれど、私を避ける感じも特に見受けられなかったので、まあいいかな、と思っていた。

 そんなある日のこと、散歩の途中でどこからかボコボコッ……という音が聞こえてきて、アルフレッド様がビクッとした。そして、珍しく私にこう尋ねてきた。

 

「あれは何の音?」

 

 アルフレッド様は物音に敏感だ。何の音かわからないとすぐに不安そうな顔をする。

 

「あれは水が湧き出している音ですわ」

 

「子爵邸家(旧侯爵家)の庭には泉が湧き出しているのか?」

 

「はい。一月ほど前に突然鉱泉が湧き出したのです。温泉ではなかったのが少し残念ですが」


「鉱泉?」

 

「国によっては聖水と呼ばれているありがたい貴重な水ですわ。人の心や体を清め、悪いところや(けが)れを(はら)ってくれるのです」

 

 私がこう答えると、アルフレッド様は初めて私の話に興味を持ったようだった。

 彼は相変わらずビクビクしながら私を見てこう言った。

 

「もし本当に(けが)れを(はら)って貰えるのなら僕も試してみたい。どうすればいいの?」

 

 アルフレッド様はご自分のことを(けが)れていると思っているの? 

 私は内心驚いて思わずそう尋ねそうになったけれど、それをぐっと堪えた。

 

『相手の気持ちを無理に聞き出そうとしてはいけません。せっかく開きかけていた心を再び閉ざしてしまう恐れがありますからね。しかもそれは前よりも頑なに。

 だから相手から話そうとするまで、それをじっくり待たなくてはいけません……』

 

 というマーシャの言葉が甦ったのだ。彼女は五人の子供を持つ母親で、子育てのプロだ。プロの言葉は重い。

 そこで私はアルフレッド様の問いにだけ答えることにした。

 

「聖水は魔法薬でも解毒剤でもありませんから、すぐに効果が出るわけではありません。時間をかけて徐々に効き目が現れます。

 毎朝コップ一杯の聖水を飲み、毎日聖水を沸かした湯に浸かることで、身体と心の邪気が祓われると言われています。

 ただ露天風呂はこれから造設するつもりですので、出来上がるまでは足湯をしてくださいね」

 

 するとアルフレッド様はおどおどとこう言った。

 

「手数をかけて申し訳ない。でも僕はどうしても自分の邪気を祓いたい。協力してもらえるだろうか?」

 

「もちろんです」

 

 私はニッコリと微笑みながらそう答えた。そして心の中でマーシャさんを思い浮かべて手を合わせた。

 

『勉強も剣術も、そして健康な体を作ることも本人にやる気がなければ、周りが何を言っても効果はでないんですよ』

 

 マーシャさんの言っていた通りだわ。さすがプロは違うわ。



 読んで下さってありがとうございました!

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そんなある日のこと、散歩の著中でどこからかボコボコッ…… 散歩の“途中”かな?
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